関東ぶらりん旅

神社仏閣、B級スポット、ご当地グルメを楽しむ旅(散歩)

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根古屋神社(栃木県佐野市) ~謎の石からはじまった旅 5/8~

【2021/08/17 ぶら旅コース】
避来矢神社

【2021/11/11 ぶら旅コース】
唐沢山神社/唐沢山城跡唐沢山レストハウス露垂根神社根古屋神社藤原秀郷公墳墓道の駅 どまんなかたぬま山銀

 

根古屋神社

 社号標

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露垂根神社から街の方へ車を走らせること20分、根古屋(ねごや)神社へ。

唐沢山城の守護神として祀られた神社です。

 

 

 参道

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周囲を住宅で囲まれた無人の小さな神社ですが、

私が小学生の頃よく遊んでいた神社に似ていて、ともて懐かしい雰囲気でした。

 

 

 拝殿

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主祭神
天乃児屋根命(あめのこやねのみこと)

配祀神
天乃太玉命(あめのふとだまのみこと)

【御由緒】
承平元年(931年)8月、藤原秀郷公が唐澤山城(根古屋城)の守り神として城内西方の山頂に創建し「避来矢(ひらいし)神社」と称した。慶長12年(1607年)の唐澤山城破却により唐沢山の麓、根小屋に遷した。貞享3年(1686年)正月、郷人の請願により栃本村の総鎮守として現在の地に本殿を移し遷座する。元禄15年(1702年)4月、「避来矢大権現」と称した。明治になり神仏分離令により「避来矢大明神」と改称し、さらに明治5年(1872年)11月、「根古屋神社」と改称した。
(出典:境内案内板)

主祭神は、藤原氏氏神様とのこと。

創建当時は唐沢山の山頂に鎮座していましたが、

唐澤山城破却後場所を転々とし、現在この地に落ち着いているようです。

 

 

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社殿は小さいながらも、立派な彫刻が施されていました。

上部には翼を広げた龍??

 

 

 本殿

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本殿の彫刻です。

『仙人の烏鷺』

 

 

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『司馬温公の瓶割り』

 

 

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瓢箪から駒

 

 

 神輿舎(?)

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神輿舎でしょうか・・・?

 

 

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注連縄が張られた建物には、藤原氏の家紋がありました。

 

 

 灯籠

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灯籠には今にも動き出しそうなイキイキとした龍。

 

 

 狛犬

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先輩・後輩であろう狛犬が並び、一緒に神社をお守りしていました。

 

 

 庚申塔・祠

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境内の隅には、庚申塔や石祠が並びます。

 

 

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物置だと思っていた建物には、御神輿が置かれていました。

子ども神輿くらいのサイズ。

お祭りで子どもたちに担がれるのでしょう。

 

* * *

 

こちらの神社も露垂根神社同様、

無人でありながらもとても管理が行き届いていました。

始めて来た場所なのに、どこか懐かしさを感じる・・・

個人的にはこの旅の中でも1番居心地のいい場所だったと思います。

 

 

 

 

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【根古屋神社】
所在地:栃木県佐野市栃本町2857
アクセス:東武佐野線田沼駅」より徒歩20分、「吉水駅」より徒歩25分
御朱印:無
駐車場:境内に駐車スペース有
(※2021年11月11日時点の情報です。)

露垂根神社(栃木県佐野市) ~謎の石からはじまった旅 4/8~

【2021/08/17 ぶら旅コース】
避来矢神社

【2021/11/11 ぶら旅コース】
唐沢山神社/唐沢山城跡唐沢山レストハウス露垂根神社根古屋神社藤原秀郷公墳墓道の駅 どまんなかたぬま山銀 

 

藤原秀郷ゆかりの神社

佐野市内には藤原秀郷にゆかりのある寺社がいくつか存在します。

唐沢山城を探索後は、その神社をめぐりました。

1日ではすべて回り切れなかったので、

今回は唐沢山城に関係が深い神社に絞っています。

 

 

露垂根神社

 鳥居

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まず訪れたのは、露垂根(つゆしね)神社。

唐沢山城の登り口に鎮座しています。

写真の左側に見切れているのは、唐沢山神社の大鳥居。

行きに通った時は、隣に神社があるなど気づきもしませんでした。

 

 

 境内

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だだっ広い境内には大きな桜の木と古びたお社。

奥には神楽殿が見えます。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
市杵島姫命(いちきしまひめのみこと)

【配神】
天照皇大神(あまてらすすめおおみかみ)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)

【御由緒】
天慶5年(942年)、藤原秀郷公が安芸国厳島大明神を唐沢山に勧請。大永時に笠松山の中腹に奉移し、慶長時に現在の所に遷座された。
明治5年、露垂根大明神を露垂根神社と改称し、村社に加えられた。
大正8年、神饌幣帛料指定村社となった。
本殿の東・北・西の三壁に「竹林の七賢」の彫刻がある。
(出典:境内案内板)

この神社は唐沢山城の大炊の井と関係があり、

築城の際に厳島大明神に祈願したところ、

その霊夢により掘った場所から水が湧き出たという伝説が残ります。

 

 

 本殿

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本殿には色鮮やかな彫刻が施されていました。

中国の「竹林の七賢」を描いたもの。

俗世間を避け竹林の中で清談した7人の隠者たちの姿だそうです。

 

 

 その他境内社

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四十九膳神社。

初めて聞く名前の神社ですが、、、一体どんな神様が祀られているのでしょう?

 

 

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本殿周辺には、たくさんの石祠や石碑が並んでいました。

 

* * *

 

唐沢山城の足元にひっそりと佇む露垂神社。

車で山を登ってしまうと気づき難いので、さらにスルーされがちに思えます。

しかし、境内は管理が行き届いておりとても清潔に保たれていました。

この日も境内の隅で何やら作業されている方がいらっしゃり、

地元の方がとても大事にされていることが伝わりました。

 

 

 

 

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【露垂根神社】
所在地:栃木県佐野市富士町1007
アクセス:東武佐野線田沼駅」より車10分、「佐野駅」より車20分
御朱印:無
駐車場:有
(※2021年11月11日時点の情報です。)

唐沢山神社/唐沢山城跡(栃木県佐野市) ~謎の石からはじまった旅 2/8~

【2021/08/17 ぶら旅コース】
避来矢神社

【2021/11/11 ぶら旅コース】
唐沢山神社/唐沢山城跡唐沢山レストハウス露垂根神社根古屋神社藤原秀郷公墳墓道の駅 どまんなかたぬま山銀 

 

唐沢山神社/唐沢山城跡

 鳥居

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埼玉県羽生市の避来矢神社を参拝してから数か月後の11月。

栃木県佐野市の唐沢山神社を参拝しました。

 

 

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神社は唐沢山に鎮座しており、

そこにはかつて藤原秀郷が築いたとされる唐沢山城がありました。

佐野氏の居城であった唐沢山城は交通要衝の地であったため、

城をめぐる戦いが幾度となく繰り広げられたと言います。

現在は県立自然公園として整備・管理されていますが、

当時の城の名残も存分に感じられるようになっています。

 

 

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入口手前まで車で登ることができますが、

登山・ハイキングをメインとしたルートもあります。

私はもちろん車です。

 

 

 佐藤さんのふるさと

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駐車場に着き車を降りると、佐藤さんを歓迎する幟が立っていました。

佐藤さんが集まった団体客でも来ているのかと思いきや、、、

佐野市は『佐藤』という苗字の発祥の地なのだそうです。

野の原氏」がその名の由来なのだとか・・・知らなかった~!

なんとなく、自分が佐藤でないことを悔やみました。。

 

 

【唐沢山城】
唐沢山城は、佐野市の北、高さ240メートルの山全体をいい、往時の広さ550町歩と云われ、周囲を急崖にかこまれ、眺望は関東平野を一望に、遠く北より日光連山、西に群馬連山、秩父南アルプス、秀峰富士、東につくばと、まことに自然の要塞である。
当社御祭神、秀郷公により1000年前延長年間築城とされ、公はこの城を中心に、天慶の乱を鎮定し大功をたてられ、この功により鎮守府将軍として、関東はもとより奥州方面にまで威勢を張られた。その700年間多少の変遷はあったが、公の子孫佐野家代々の居城として16世紀中ごろに現在の形を整えたとされている。
関東7名城のひとつに数えられ、中世山城の典型としての旧態をよく今に残し、代々の変遷の跡も見られ近世初期にまで下る整備の跡もうかがわれる。
江戸初期、山城禁止令により、佐野市の山城公園の地に城となって、唐沢山城の歴史が終わるが、明治になり唐沢山神社が建てられると全山境内地となり、県立自然公園にも指定され、四季おりおりの風景の中に、秀郷公以来の歴史が偲ばれる。
(出典:案内板)

 

 

くい違い虎口

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駐車場に面した入口から唐沢山城内へ。

城には敵の侵入を防ぐため、さまざまな仕掛けが施されています。

城門があった入口もくち違い虎口になっており、さっそく入城を阻まれました。

 

 

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クランク状にすることで敵が直線的に侵入できない仕組みになっています。

ダッシュで突撃しても、ここで確実にスピードダウンさせられるわけですね。

 

 

 天狗岩

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入口を入るとすぐ、天狗岩の案内。

 

 

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案内に誘われるまま階段を登って行くと、、、

 

 

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岩山が現れました。

この岩が天狗の鼻に見えることからこの名がついたそうですが、

どの角度から見るとそう見えるのか正直わかりませんでした・・・。

 

 

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展望スポットになっている天狗岩。

ここからの眺めが素晴らしいこと!

下には佐野の街並みが広がり、遠くには赤城山榛名山など山が連なります。

 

 

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富士山も見えました!

この眺望の良さから、物見櫓や大筒が置かれていたとされています。

 

 

大炊の井

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天狗岩を下りて先を進むと、池が見えてきました。

大炊(おおい)の井。

池だと思っていたものは、口径8m・深さ9mもの巨大井戸でした。

築城の際、厳島大明神に祈願しその霊夢により掘られた井戸は、

こんこんと水が湧き出て現在まで枯れたことがないそうです。

 

 

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井戸のそばには、龍神様が祀られていました。

 

神橋・四つ目堀

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井戸より先は、本丸・二の丸・三の丸エリアになります。

 

 

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その手前に架かる橋、神橋。

 

 

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橋の下は堀になっており、入口と本丸エリアを分断したような形になっています。

当時の堀はもっと深かく、この橋も使用しない時は取り外せる曳橋だったそうです。

 

 

大手道

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本丸・二の丸・三の丸に繋がる道。

ここからの眺めもよく、景色を楽しみながら歩きました。

紅葉も始まった頃で、赤く色づいた葉も美しかったです。

 

 

 さくらの馬場

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大手道の途中には、さくらの馬場。

武士が馬の訓練を行った場所とあるのですが、、、

この急斜面を駆け上がるのでしょうか?

この辺りは桜が多いことからこの名がついたそうです。

 

 

 南城・社務所

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大手道を進むと階段が出てきました。

 

 

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階段の上には南城。

蔵屋敷があった場所で、こちらの眺めも抜群です!

 

 

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城内はかなりの広さがあるので、

展望の良い場所で休憩しながら歩くと、とても気持ちがいいです。

 

 

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南城の手前には社務所

本丸・神社までもうすぐです!

 

 

本丸・本殿へ

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社務所横の階段を登り、

 

 

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神門を潜ると、唐沢山城本丸・唐沢山神社に到着です。

 

 

手水舎

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なみなみと水が張った手水鉢を見るのは久しぶり。

 

 

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かわいらしい龍の口から水が出ていました。

 

 

 社殿

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【御祭神】
藤原秀郷公(ふじわらのひでさとこう)
平安時代の武将、俵藤太とも呼ばれる。平将門の討伐(天慶の乱)等で功績を上げる。『百足退治伝説』が有名。

【御由緒】
唐沢山一帯は、佐野家改易後、彦根藩の御林山となり江戸時代を通して厳しく管理されていましたが、明治時代になると新政府の管轄下に置かれました。一方、佐野家は、幕末には表高3500石の旗本として存続していましたが、明治の始め、旧家臣に迎えられ故郷に戻りました。
明治13年、佐野郷・秋山林策ら佐野家ゆかりの人々は、戦国時代に佐野家の菩提寺だった本光寺に集います。そして、唐沢山の古城跡に秀郷公を祀る神社を創建することを決議しましたが、道のりは決して容易ではありませんでした。この念願を相談された大蔵卿佐野常民は、志に深く感動し、国や県への働きかけを同志と共に積極的に展開、ついに神社設立と広大な官有林払下げが許可されました。そして、明治16年10月、大祭を施行し神社創建が実現、さらに、23年11月には、別格官弊社に加列されました。
(出典:パンフレット)

社殿の周辺が唐沢山城の本丸で、奥御殿があったとされています。

 

 

 狛犬

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社殿の前に立つ狛犬は、私の背丈ほど大きく正面を向いていました。

 

 

 二の丸

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本丸から二の丸に行く予定でしたが、工事中のため入れませんでした。

二の丸には奥御殿直番の詰所があったとのことです。

 

 

高石垣

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神門を下り、本丸の真下の道から三の丸に向かいます。

本丸の側面はとても高い石垣になっていました。

長さ40m・高さ8mのド迫力な石垣。

この石垣は関東では珍しいもので、

佐野氏と豊臣秀吉が深い関係にあったことから、

西日本の技術の導入によって築かれたものだそうです。

 

 

 三の丸

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三の丸へ続く階段を登ると、

 

 

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藤でしょうか?

一面グリーンの天井になっていました。

葉の隙間から差す日の光がキラキラしてとってもきれい。

 

 

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三の丸は賓客の応接間があったとされています。

この日のお客様は、遠足で来ていた幼稚園の子どもたち。

ここでお弁当を食べるようで、先生がシートを敷いたりと準備をしていました。

 

 

帯曲輪

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本丸から少し戻った、三の丸・四つ目堀の間。

急な切岸と土塁が残るこの地形は、

本丸側における最前線の防御拠点だったとされています。

 

 

 金の丸

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本丸の周りをぐるりと回り、入口とは逆の方向に進みます。

本丸を過ぎると急に寂し気な雰囲気に、、、人も見かけなくなりました。

・・・ちょっと怖い。

金の丸は、お宝蔵があったとされる場所。

現在は学習施設になっています。

 

 

 杉曲輪

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杉曲輪には、北側一部に土塁が残っています。

きれいに整地されているのは、以前宿泊研修施設があったため。

本丸より奥は観光というより、

研修や宿泊用のスペースとして使用していたようです。

 

 

 北城

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杉曲輪から北城へ続く道。

足場が悪かったので行くのをやめてしまいました。

北城では土塁が見られるそうです。

 

 

 車井戸

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北城で折り返し、まだ見ていないところに寄りつつ入口に戻ります。

とある井戸を探していたのですが、地図を見てもなかなか見つからず・・・。

舗装された道から脇に逸れた険しい(そんなでもない)山道に入ってみると、

やっとそれらしいものを見つけました。

 

 

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車井戸。

大炊の井に比べるとそれほどではありませんが、

それでも井戸にしてはかなりの大きさではないでしょうか。

この井戸は茶の湯に使用されていたとのこと。

深さ25mもあり「がんがん井戸」とも呼ばれ、

この井戸は竜宮(秀郷が避来矢を授かった場所)に続くと言われているそうです。

 

この道を突っ切ると、社務所に出ました。

社務所の脇にこんな道があったなんてまったく気づきませんでした。

城内はちょっとした迷路のような。

どこに続いているのかわからない脇道を時々見かけます。

 

 

 避来矢霊廟/避来矢山

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神橋まで戻り、大炊の井の裏手にある避来矢山を登りました。

 

 

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登ると言っても、階段ですけどね。

そして、そんなに高くない。。

 

 

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山頂には、霊廟が建っていました。

唐沢山神社創建以来、功績のあった方々をお祀りしているそうです。

 

 

西城

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避来矢山を下りて、大炊の井の向かいにある西城も覗きます。

中は庭園のようになっていて、きれいに切り込まれた樹々が立っていました。

 

 

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入口には『水琴窟』の案内が。

 

 

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その場所に行ってみると、手水鉢が置いてありました。

私は水琴窟を知らず「これは一体何をしたらいいんだ?」と、

考え込んでしまったのですが・・・どこからか聞こえてくる不思議な音。

耳を澄ませてみると、突き刺さった竹から「カランコロン」と鳴っていました。

あぁ!これは水が滴っている音だったんですね。

今まで聞いたことあるようなないような・・・

どこか遠い国の楽器にありそうな・・・

ずっと聞いていたい癒される音でした。

 

 

 足尾山神社

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入口を出て駐車場に戻ってきました。

まだ車には乗らず、もう少し歩きます。

レストハウスの脇にある階段を下ると、、、

 

 

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足腰健康の神様を祀る、足尾山神社があります。

目立たない場所にあるため、素通りしてしまいがち。

年配の方がこの神社のお守りを欲しがっていたのですが、

お守りは社務所まで行かなくてはなりません。

なので、先にお参りしておくことをおすすめします。

 

 

 鏡岩

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尾山神社から道をさらに下ると、車道に出ます。

その車道を渡ったところにあるのが、鏡岩。

上杉謙信が唐沢山城を攻めた時、

岩に西日が反射して攻め入ることが困難であったという言われがあります。

 

 

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この岩、実は巨大で。

昔はレストハウスの方まで岩があり、車道の部分は壁になっていたそうです。

 

* * *

 

と、こんな感じで唐沢山城をめぐりました。

滞在時間は2時間ほどだったでしょうか。

だいぶ歩きましたが、自然に囲まれ、景色も最高!!

心身ともにリフレッシュできる、とてもいい場所でした。

ここに来るきっかけとなった、避来矢神社の謎の石。

今となっては石の謎なんてどうでもよくて、

こんな素敵な場所に導いてくれたかと思うと感謝しかないです。

これからは「謎の石」ではなく「お導きの石」ですね。

 

 

猫城(おまけ)

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城内には無数(本当にたくさんいる!)の猫たちがお散歩していました。

耳が切れているのは、避妊手術をした印でしょうか。

ボランティアなのか、猫たちのお世話をされている方がいらっしゃるようです。

餌付けされているため、人によく懐いていてかわいいです。

なので、猫好きさんにもおすすめしたいスポットです。

しかし、レストハウスには『捨て猫防止』の貼紙が多くありました。

ひょっとするとこの子たちは、もともと飼い主がいたのかもしれません。

そう考えると、少し複雑な気持ちになりました・・・。

 

 

御朱印・御城印

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最後に御城印と御朱印を紹介します。

御城印・御朱印は、本殿手前の社務所にていただけます。

季節ごとにデザインがあるようで、

この日は紅葉や栗など秋を連想する絵柄が多かったです。

種類が多く、どれにしようか迷ってしまいました。

 

 

 御城印

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御城印はこの1種類のみ。

藤原氏の家紋が入っています。

 

 

 御朱印

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御朱印も藤原家の家紋バージョンにしました。

金・銀揚羽蝶が舞います。

 

 

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『透明御朱印』という変わり種御朱印を見つけたので、

そちらも1枚いただくことにしました。

 

 

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透明御朱印は、薄いプラバンのような素材に印刷されていました。

透かすと向こう側が薄っすら見えます。

なにこれ?すごい!

最近の御朱印の進化がものすごく、追いつけていないかもです・・・。

もはや、これを御朱印と呼んでいいのかもわかりません。。

 

 

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社務所の横のスペースで、透明御朱印展が催されていました。

春夏秋冬の唐沢山神社がデザインされた御朱印が並んでしました。

なるほど!

クリアなフォトフレームで飾るといいんですね!!

 

 

 

 

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【唐沢山神社/唐沢山城】
所在地:栃木県佐野市富士町1409
アクセス:東武佐野線田沼駅」より車10分、「佐野駅」より車20分
御朱印:有
御城印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:有
公式サイト:http://karasawayama.com/
(※2021年11月11日時点の情報です。)

避来矢神社(埼玉県羽生市) ~謎の石からはじまった旅 1/8~

【2021/08/17 ぶら旅コース】
避来矢神社

【2021/11/11 ぶら旅コース】
唐澤山神社/唐澤山城跡唐澤山レストハウス露垂根神社根古屋神社藤原秀郷公墳墓道の駅 どまんなかたぬま山銀

 

謎の石

去年分のぶら旅がまだ書き終えていないので、

前回に引き続き今回も2021年のお話を書いていきます。

 

2021年8月に遡ります。

ネットで近場の神社を探していたところ、羽生市に気になる神社を見つけました。

『避来矢神社』

「何て読むんだろう???」

初めは読めない社名に惹かれたのですが、

その神社について書かれた記事を見てさらに興味が湧きます。

なんと、どこからか飛んできた大きな石をお祀りしているというのです!

謎の石・・・伝説系の話が大好きな私には、ワクワクするワードです。

この神社について詳しく調べてみることにしました。

しかし、どのサイトを見ても「石が飛んで来た」とあるだけで、

これといった情報は得られませんでした・・・が、

その石は現存しており見ることができるということで、

とりあえず見に行ってみようと出かけてみました。

 

 

避来矢神社

鳥居

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その神社は、羽生市利根川沿いに鎮座していました。

 

 

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周りの風景はこんな感じ。

田んぼの中にポツリと佇む、無人の神社です。

 

 

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利根川の堤防強化事業により数年前に移転されたということで、

鳥居や社殿は新しくとてもきれいでした。

 

 

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避来矢(ひらいし)神社。

 

 

 社殿

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【御祭神】
江戸時代:藤原秀郷公(ふじわらのひでさとこう)
明治以降:日本武尊(やまとたけるのみこと)

【御由緒】
上村君村の鎮守なり、相伝当社は俵藤太秀郷を祭る所にして、古へ相州朽木村より飛来りし故、もとは飛来と書しを、享保十年神祇伯吉田家へ神位を請し時、今の文字に改め記し来りし云
(江戸時代:新編武蔵風土記稿)

土地古老ノロ碑二伝フ 天文年中下野国栃木村ヨリ大石飛来リシヲ村民崇敬シ甲石ト称シ鎮守ト仰キ其石年月詳ナラス避来矢社ト改ム明治四年中村社ニ申立済明治三十六年四月二十五日上地林二畝二十九 歩編入居可昭和二十一年一月八日神社五月変更許可
(明治~昭和:北埼玉郡神社明細帳)

実際に足を運んでみましたが、境内にも案内板がなく詳細はわからずじまい。

困ったときの市役所頼み!ということで、

羽生市に問い合わせてみたところ、文化財保護係の方から返信がいただけました。

その方のお話によると、

避来矢神社について言及されている資料は少なく、

創建年数など不明な点が多いとのことでした。

現在把握している情報として送っていただいたのが、上記の御由緒欄です。

2つの記録を見比べると、

祭神が藤原秀郷公から日本武尊に変更されており、

石の出所も相州(神奈川県)から下野国(栃木県)に変わっているとの

追記もありました。

石の飛来に関しても、明細帳に天文年間(1532~1555年)と記された以外、

情報がないそうです。

 

それにしても、祭神が変わることはたまに聞きますが、

石の出所まで変わるとはどういうことでしょうか!?

栃木に秀郷の城があったので、後に修正されたのでしょうか???

謎多き神社ですね・・・。

 

 

 謎の石

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今回の目的、謎の石を見に行きます。

その石は、本殿の裏にありました。

案内は一切ありませんが、囲いがしてあるのでこの石で間違いないかと思います。

漬物石程度を想像していたのですが、飛んで来るには相当大きな石でした。

この石が飛んで来る様子を見た人がいたのかはわかりませんが、

噴火もしていないのに突如こんな石が現れたら祀りたくなるのもわかる気がします。

 

そもそも『避来矢』とは何なのかを調べてみると、

もとの祭神、平安時代の武将藤原秀郷が所有していた鎧の名前とありました。

秀郷が巨大なムカデを退治した(百足退治伝説)際に竜神から授かったもので、

この鎧を身に着けると矢に当たらなかったと言います。

そしてさらに調べていくと、避来矢と石にまつわる話も見つけました。

藤原秀郷の子孫である足利忠綱は、以仁王の挙兵の時、宇治川で敵と対峙。避来矢を着用するも非常に重いため軽い鎧に着替えて戦った。勝利して川べりに戻ると置いていたはずの避来矢はなくなっており平らな石が置かれていた。家宝をなくしたと思った忠綱は嘆きのあまりその石を殴りつける。するとその石は消え、もとの避来矢が現れた。そのことから避来矢は平石とも言われる。』

もしかして、この消えた石が飛んで来たんじゃ・・・!?

「その時の石がこちらです。」だったら伝説がきれいにまとまったのですが、、

石の飛来と合戦の年代・石の出所に相違があるので違う・・・のかな?

 

現場に行ってみた結果。

とにかく情報がなく、謎の石は謎のままでした・・・(そりゃそうだ!)

藤原秀郷を祀る神社・避来矢伝説・巨大な石などなど、

たまたまそこにあった材料が混ざり合って出来上がったのが、

『謎の石伝説』かと思われます。

「この石、空から飛んで来たんだよ。」とか言い出した人がいて、

それが噂となり現在も語り継がれているのかもしれません。

先にも書きましたが私は伝説系のお話が好きなので、

伝説の真相などどうでもよく、

この石の前でロマンに浸りまくっていました・・・が、

傍から見たら「ただ石を見ている人」と映っていたことでしょう。笑

 

 

その他境内

 獅子舞

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上杉謙信が兵の士気を高めるため奉納した獅子舞。

現在もお祭りの日に、街を練り歩くそうです。

 

 

 境内社

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神社周辺には、お社や石碑、石祠が並んでいました。

実際は境外にありますが、かつては境内にあったのではないかと思われます。

 

* * *

 

この頃はまだ外出自粛期間中だったので、

気晴らしにドライブでも・・・と思い、近場の無人神社を探していました。

ちょこっと外の空気を吸いに行く程度に考えていたのですが、

予想外におもしろい神社と出会い、いい気分転換になったことを覚えています。

そして、この神社をきっかけに藤原秀郷という人物に触れ、

栃木に鎮座する『唐沢山神社』を知ることになります。

秀郷が築いたと言われる唐沢山城跡に建てられた神社。

そこには、あの避来矢の一部が安置されているのだそうです。

これも何かの縁。

この参拝から数か月後、私は栃木県佐野市の唐沢山神社へ向かうのでした。

 

 

 

 

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【避来矢神社】
所在地:埼玉県羽生市上村君191
アクセス:東武伊勢崎線羽生駅」より車12分
御朱印:無
駐車場:有
(※2021年8月17日時点の情報です。)

赤穂義士墓所/泉岳寺(東京都港区) ~忠臣蔵ゆかりの地をめぐる旅 6/7~

【2021/12/14 ぶら旅コース】
皇居東御苑新正堂・浅野内匠頭終焉之地元禄二八蕎麦 玉屋吉良邸跡大川屋泉岳寺大石良雄外十六人忠烈の跡

 

高輪ゲートウェイ

討ち入り後、四十七士は討ち取った吉良の首を供えるべく、

主君浅野内匠頭が眠る泉岳寺へ向かいます。

私もそれを追って、両国から高輪ゲートウェイに移動しました。

真新しい高輪ゲートウェイ駅。

駅名でひと悶着あったという印象しかありませんでしたが、

とても近代的というか、まるで美術館にでも来たような美しい構内に感動しました。

JRでは高輪ゲートウェイ駅が泉岳寺の最寄り駅になります。

地下鉄の駅もありますが、極力JRで回りたいと思っていたので(地下鉄苦手)、

今回ばかりはこの駅の新設に感謝でした。

 

 

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街の掲示板には『義士祭』のポスター。

泉岳寺に近づくにつれて人もだんだんと増えて行き、

忠臣蔵のストーリーと共に周囲の雰囲気も盛り上がってきたように感じます。

 

 

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『四十七義士』と刻まれた石碑が出てきました。

泉岳寺まで、もう少し!!

 

 

泉岳寺

 中門

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泉岳寺に到着しました。

中門を通って、中に入ります。

 

 

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時間も遅かったので義士祭のイベントは終了してしまったようですが、

境内は屋台が並び、多くの参拝客で賑わっていました。

どしゃぶりだった雨も弱まり、青空が見えるように。

 

 

 大石内蔵助

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山門の前では、大石内蔵助がお出迎え。

鋭い視線は江戸の方向に向けられているそうです。

 

 

 山門

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かつては三門と言って、総門・中門・山門と3つの門が並んでいたそうです。

現在は中門と山門のみ。

 

 

銅彫大蟠龍

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山門の下で天井を見上げると、クルリと丸まった龍の姿を見ることができます。

 

 

 本堂

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【御本尊】
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)

【宗派】
曹洞宗

【御由緒】
泉岳寺曹洞宗の寺院です。
曹洞宗のご本山は二つあり、一つは道元禅師が開かれた福井県永平寺、もう一つは横浜鶴見の總持寺です。
道元禅師の主著は仏教の真髄を表した『正法眼蔵』という95巻に亘る書物です。
さて、泉岳寺は慶長17年(1612年)に門庵宗関(もんなんそうかん)和尚(今川義元の孫)を拝請して徳川家康が外桜田(現在の警視庁の近く)に創立した寺院です。
しかしながら寛永18年(1641年)の寛永の大火によって焼失。そして現在の高輪の地に移転してきました。時の将軍家光が高輪泉岳寺の復興がままならない様子を見て、毛利・浅野・朽木・丹波・水谷の五大名に命じ、高輪に移転した泉岳寺はできあがったのです。浅野家と泉岳寺の付き合いはこの時以来のものです。
一般的には赤穂義士のお墓があることで有名ですが、創建時より七堂伽藍を完備して、諸国の僧侶200名近くが参学する叢林として、また曹洞宗江戸三ヶ寺ならびに三学寮の一つとして名を馳せていました。
その家風は引き継がれており、人数は少ないものの、大学で仏教を学びつつ泉岳寺で修行を勤めるという若い修行僧が、現在もいます。
(出典:公式サイト

本堂には、大石内蔵助の守り本尊、摩利支天(秘仏)が納められています。

 

 

 赤穂義士墓所入口

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本堂をお参りした後、赤穂義士墓所へ向かいました。

 

【元禄16年2月4日】

主君の仇討ちを果たした四十七士は、

細川家・水野家・毛利家・松平家の4大名家のお預けとなります。

処分を検討した結果、幕府は彼らに対して切腹を命じます。

四十七士はそれぞれの預け先で切腹

遺骸は主君と同じく、泉岳寺に埋葬されました。

 

 

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泉岳寺の一画、門の先に墓所があります。

この門は、浅野家鉄砲州上屋敷(現聖路加病院)の裏門を明治時代に移築したもの。

入口にて、お線香を一束購入しました。

 

 

 浅野内匠頭の墓

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墓所入口の門をくぐると、赤穂藩浅野内匠頭の墓があります。

 

 

 瑤泉院の墓

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浅野内匠頭の手前には、正室瑤泉院の墓。

瑤泉院の墓といえば、西巣鴨妙行寺にもあったことを思い出しました。

四谷怪談のお岩さんのお墓のすぐ近く。

浅野家の墓と案内板があった記憶ですが・・・

この時はお岩さんメインの旅だったのであまり見ていませんでした。。。

 

www.mi-cha34.com

 

 

赤穂義士の墓

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浅野夫妻の墓を奥に進むと、石の柵で囲われた四十七士の墓があります。

なんと凄い人の数!!

お線香の煙で中の様子が見えません。

参拝客も年配の方から若い方まで、現在も忠臣蔵の人気がうかがえます。

 

 

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お墓の配置はこのようになっています。

四十七士は、預け先ごとにまとまって並んでいました。

 

 

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数十分並び、いよいよ中へ。

人の流れについて行く形で、ひとりひとりの墓碑の前にお線香を置いて行きます。

購入したお線香には火が着いていなかったので火はどこかと尋ねると、

係りの方から「置くだけで勝手に燃えます!!」と言われました。

「最近のお線香って勝手に燃えるの?」と不思議に思っていたのですが・・・

既に供えられたお線香の山は、燃え上がり炎が出ている状態。

それを見て「あぁ、そういうことね!」と納得しました。

 

墓碑の裏には名前と年齢が書かれた立て札がありました。

年齢は20~30代を中心に、下は10代、上は60代。

 

 

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大石内蔵助・主税親子の墓は、他のものより墓碑が大きく屋根付きと、

ちょっと豪華。

 

 

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戒名はみな、『刃』の文字で始まり『剱』の文字が入っています。

 

 

供養墓

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そんな中、他とは異なる墓碑がありました。

寺坂吉右衛門

『遂道退身信士』の戒名が刻まれています。

寺坂は討ち入り後に姿を消し、四十七士の中で唯一切腹を免れた人物で、

逃亡説・事の顛末を報告するため離脱した説・そもそも参加すらしていない説・・

といろいろ考えられていますが、真相は謎です。

寺坂は天寿を全うし83歳で病死、港区の曹渓寺に埋葬されました。

泉岳寺には明治元年に供養墓が建てられています。

 

また、間新六も墓碑は並ぶも埋葬はされていません。

遺体は家族に引き取られたそうです。

 

 

48人目の義士

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ここでもう1度、墓所の配置図を見直します。

お墓の数を数えてみると、四十七士のはずが48基あることに気づきます。

 

 

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萱野三平(享年28)。

江戸城で主君が起こした刃傷事件の第一報を赤穂へもたらした人物です。

江戸から赤穂まで17日かかるところを4日で走破したと言われています。

忠義心篤く討ち入りの参加を熱望していましたが、

周囲の猛反対に遭い討ち入り前(浅野の月命日)に自刃してしまいました。

明和4年、四十七と共に供養墓が建てられています。

 

 

 墓所からの眺め

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人の多さから流れ作業的にお線香を供え、墓所を出ました。

煙で目が痛いし、むせて咳込むしで、終始慌ただしかったです。

ただ、墓所に差し掛かった頃に雨がやんでくれたのは助かりました。

正直、傘を差しながらではきつかったと思います。

墓所を出たところで、近くにいたおじさんに「あっち見てみな」と言われました。

指さした方に目を向けると、空に虹が出ていました。

その虹を見て「今日は特別な日なんだな~」と、なんとなく思いました。

 

 

泉岳寺で感じる忠臣蔵

境内は墓所以外にも、忠臣蔵ゆかりのスポットがあります。

 

 

 首洗いの井戸

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吉良の首を洗ったと伝わる、首洗いの井戸。

この雰囲気とひんやりとした空気に、少しゾッとしました。

 

 

血染めの梅・血染めの石、瑤池梅

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浅野内匠頭が田村邸の庭先で切腹した際、その血がかかったとされる梅と石。

その先には、義士の墓守をした堀部妙海法尼が瑤泉院から賜った梅もあります。

 

 

 主税梅

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大石主税切腹した松平邸に植えられていた梅。

 

 

赤穂義士記念館・義士木像館

 赤穂義士記念館

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最後に、赤穂義士記念館を見学しました。

浅野内匠頭の陣笠、討ち入りの際に使用したという陣太鼓、書状、掛け軸などを

見ることができました。

 

 

 義士木像館

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赤穂義士記念館の入場券で入れる、義士木像館にも行ってみました。

明治2年までに作成された四十七士の木像が並んでいます。

木像館には人がおらず、1人色あせた古い像に囲まれ、怖かったです・・・。

 

 

御朱印

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御朱印は直書きでした。

時間がかかるとのことで、御朱印帳を寺務所に預け境内を回りました。

 

* * *

 

これにて『忠臣蔵ゆかりの地をめぐる旅』終了!!!のはずでしたが・・・

泉岳寺から駅へ向かおうとしたところ、

おばあちゃんに呼び止められチラシをもらいました。

そこには『切腹の地開場』の文字と地図が。

期間限定で大石内蔵助切腹地を公開しているとのことでした。

切腹の地は調べてなかった~!!!」

これに関しては調べるにも至らない程、思いつきもしなかった場所です。

これは教えてもらえてラッキー☆

さっそく地図を頼りに、切腹地へ向かいました。

忠臣蔵ゆかりの地をめぐる旅』延長戦です!

 

 

 

 

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【萬松山 泉岳寺
所在地:東京都港区高輪2-11-1
アクセス:JR「高輪ゲートウェイ駅」より徒歩7分、都営浅草線泉岳寺駅」より徒歩3分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:無
公式サイト:https://sengakuji.or.jp/

赤穂義士記念館・義士木像館】
入館料:大人500円、中高生400円、小人250円(記念館・木像館共通券)
開館時間:9:00~16:00
(※2021年12月14日時点の情報です。)

所澤神明社(埼玉県所沢市) ~寅と芋と飛行機と 3/3~

【2022/01/04 ぶら旅コース】
多聞院 → 神明社所澤神明社

 

航空発祥の地

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多聞院・神明社から、航空公園駅に戻ってきました。

今回の記事のサブタイトル『寅と芋と飛行機と』、残るは飛行機です。

埼玉県に空港はありませんが、所沢市は飛行機と深い関係がありました。

日本で初めて飛行場が造られた場所だそうです。

 

 

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駅前には、所沢航空記念公園

中には入っていませんが、多聞院行きのバス停の前だったので、

バスを待つ間、そこから見える大きな飛行機を眺めていました。

「それにしても、こんなに大きな物体が空を飛ぶなんて・・・。」

私は飛行機が苦手なので、いつもそう思ってしまいます。。

(飛行機は1回しか乗ったことがありません・・・。)

 

航空公園駅の近くに航空発祥ゆかりの神社があるので訪ねてみました。

 

 

所澤神明社

 鳥居

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航空公園駅から徒歩7~8分、所澤神明社に来ました。

初詣時期とあって、鳥居の前は駐車場待ちの車で大渋滞。

広い境内も、ほとんど車で埋まっていました。

 

 

 手水舎

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またまた花手水。

菊とオンシジュームの組み合わせです。

 

 

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別の入口にあった手水鉢には、菊とガーベラ。

最近は菊の種類も増え、かわいらしい花が多く見られます。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
倉稲魂大神(うかのみたのおおかみ)
大物主大神(おおものぬしのおおかみ)

【御由緒】
日本武尊東国御平定の砌、現在の当社鎮座地の近辺にて天照大御神をお祀りして戦勝を祈願されたのが、当社の創祀として伝えられております。
別当寺であった真言宗花向院が明治2年に廃寺になった後、明治5年に所澤の鎮守として村社に列し、大正3年には神饌幣吊料供進神社に指定されました。
現在の御本殿・玉串門は明治35年に、幣殿・拝殿は昭和9年に竣工したもので、埼玉県内でも有数の大規模な神明造りの御社殿です。
(出典:パンフレット)

文政9年の火災によって社殿や古記録が焼失してしまったため、

創建年数など明らかではないようですが、

西門参道の老ケヤキが樹齢1000年を超えると言われていることから、

奈良時代には神社として鎮座していたと考えられているそうです。

 

 

樹齢1000年の老ケヤキ・・・ではなかった。

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樹齢1000年の老ケヤキを探してみました。

入ったのとは別の鳥居の前にあった木。

「これだ!」と思って写真を撮ったのですが、後々調べてみると全く違いました!

まだ他に入口があったんですね・・・。

西門参道に今も元気に立っているそうです。

 

 

 境内社

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蔵殿神社。

御祭神は、崇神天皇

祭神が崇神天皇と定められたのは明治以降のことで、

それ以前は地主神が祀られていたとの伝えがあるそうです。

 

 

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野老稲荷神社。

 

 

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煩宇斯神社・大國主神社・瘡守稲荷社

 

 

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水天宮・琴平神社・天神社・八雲神社

 

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所澤招魂社。

 

 

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人形殿。

人形殿の後ろにちょこっと見えるのが、戸隠神社

その横に、雷電神社阿夫利神社五龍神社が並んでいるようですが、

気付かず見逃してしまいました。。

とにかく、たくさんの境内社があります。

 

 

 鳥船神社

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【御祭神】
鳥之石楠船神(とりのいわくすふねのかみ)
別名:天鳥船神(あめのとりふねのかみ)

【御由緒】
鳥之石楠船神伊邪那岐神(いざなぎのかみ)と伊邪那美神(いざなみのかみ)の御子神であり、天鳥船神とも呼ばれています。天鳥船神は船のお姿をしており、邇芸速日命(にぎはやひのみこと)が天から豊葦原中国(とよあしはらなかつくに)に降る際に御乗船になったといわれています。この伝承によって近代以降、航空の神として崇敬されるようになりました。
当社では、この所沢にて徳川好敏大尉が日本初動力飛行を成功させた、明治44年から数えて100年を迎えたことを記念して、平成23年10月に創建されました。
(出典:パンフレット)

そして、こちらが飛行機の神社、鳥船神社。

「所澤航空神社」とも呼ばれています。

 

明治44年(1911年)、日本で初めての飛行場が所沢に造られました。

その年の4月5日、徳川好敏大尉が初飛行に挑戦します。

その際、その成功を祈願したのが、ここ所澤神明社

大尉が操縦する『アンリ・ファルマン機』は、

今後の航空事業に繋がる重要な任務を、

高度10m・距離800m・飛行時間1分20秒の記録を残し、無事成功させました。

 

このお社は、初飛行から100周年を迎えた記念に建立されたもの。

お社を囲うように、折り鶴が吊るされていました。

 

 

御朱印

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お正月用の御朱印

黄金のトラがかっこいいです。

 

 

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鳥船神社の御朱印もいただけます。

こちらは飛行船の印。

 

 

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月によって飛行機が変わるようです。

 

 

旅の終わりに・・・

【ぶら旅メモ】
交通費:1920円
参拝費:2115円
飲食代:780円
合計:4815円
歩数:15775歩

長年埼玉に住みながら、所沢は今回が初訪問でした。

所沢には「東京に近い」というイメージしかなかったのですが、

こんなにおもしろい寺社があったとは。

川越いもや航空事業の発祥地ということも、初めて知りました。

私の地元からは交通面が若干面倒くさいこともあり、

なかなか行く気が起きなかったのですが・・・思った以上に魅力的な街だなと。

他にももっとおもしろい場所が潜んでいるんじゃないかと睨んでいます。

今度は所沢駅周辺を探索してみたいですね。

 

そういえば、「西武ライオンズ」のホームグラウンドでもありました。

トラとライオン・・・やっぱり寅年の初旅は所沢でよかったです!

 

 

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この旅でひとつ心残りなことが・・・

所沢駅でおいしいラーメン屋さんをピックアップしていたのですが、

今回は航空公園駅中心だったので、時間が間に合わず行けませんでした。泣

「いも神社に行ったことだし!」と川越にも寄ってみたのですが、人が多すぎ!

結局、川越駅の立ち食いそば屋さんで、ミニかつ丼セット(660円)を食べました。

・・・なんか寂しい。

でも、久々の駅そば。

この辛いお汁が懐かしく、よく歩いたあとの体に沁みました。

おいしかったです。

 

 

 

 

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【所澤神明社
所在地:埼玉県所沢市宮本町1-2-4
アクセス:西武新宿線航空公園駅」より徒歩8分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:有
公式サイト:https://www.shinmeisha.or.jp/
(※2022年1月4日時点の情報です。)

神明社(埼玉県所沢市) ~寅と芋と飛行機と 2/3~

【2022/01/04 ぶら旅コース】
多聞院 → 神明社所澤神明社

 

神明社

 鳥居

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多聞院に隣接する、神明社へ。

 

 

手水舎

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未だ使えない手水舎は、花手水になっていました。

 

 

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手水鉢には菊・葉ボタン・ガーベラなど、

お正月らしい花が鉢いっぱいに浮かべられ、とってもきれい♪

 

 

 拝殿

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【御祭神】
天照大御神(あまてらすおおみかみ)
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
大山祇命(おおやまつみのみこと)
木花開耶姫命(このはなさくやひめのみこと)
進雄命(すさのおのみこと)

【御由緒】
当社は元禄9年(1696年)川越城主柳沢出羽守領主の節、上富村、中富村、下富村の三ヶ村を開かれた折、一寺一社の制に基づき12,500坪の地を除地せられ、鎮守のお宮として毘沙門社と多聞院を創立、後年、該院境内に神明社を勧請いたしました。時に宝暦11年(1761年)であったと伝えられます。(入間郡誌には宝暦8年と記されています)
村民一同産土神社として崇敬しましたが、明治2年に至って神仏分離令により473坪を分割し、同年社格制定の節、旧三ヶ村の鎮守であったことから、村社に列せられました。同6年、境内改正により、3,764坪を引裂き上知され、現境内地に1,009坪を第一種官有地に編入されました。
明治45年には、享保年間には幕府直轄領として開発された所沢新田、久米新田、掘兼新田、北田新田、岩岡新田にある七社が合祀されました。また昭和3年3月に埼玉県史蹟保存として三富開拓遺跡に指定されました。なお昭和21年2月28日に宗教法人として神社規則を制定し社格廃止され埼玉県神社庁管轄になりました。
(出典:パンフレット)

もともとは多聞院境内に勧請されましたが、神仏分離令により独立した神社です。

多聞院の境内からも行き来できるので、セットで参拝する方が多いようです。

 

 

 天神社

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境内社には天神社。

 

 

甘藷乃神(いものかみ)

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本殿をお参りした後は、そのまま左手にあるお社『甘藷乃神(いものかみ)』へ。

こちらでも、ちょっとおもしろいお社や狛犬を見ることができます。

 

 

 社殿

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【御祭神】
吉田弥右衛門(よしだやえもん)
青木昆陽(あおきこんよう)

【御由緒】
当地は武蔵野台地のまん中にあります。土が乾ききっているところで、夏の干ばつによる農作物の被害が特にひどいところでした。
南永井村(現所沢市南永井)の名主、吉田弥右衛門はそんなところでもよくできるというサツマイモの話を聞き、その導入と普及に努めました。
関東でのサツマイモの試作に最初に成功したのは、江戸の学者、青木昆陽先生で、享保20年(1735年)のことでした。弥右衛門の試作はそれから16年後の寛永4年(1751年)のことです。そのサツマイモは最初は飢饉に備えて作られましたが、すぐ農家の自家用の食料として積極的に作られるようになりました。それだけではありません。のちには江戸にたくさん現れた焼き芋屋用のいもとして、いいかえれば商品作物としても作られるようになり、貴重な現金収入源になりました。
おかげで苦しかった人々の暮らしが楽になりました。
神明社では、当地が「川越いも」の本場であることから、作り初め255周年を記念して、弥右衛門さんの功績を称えるとともに、関東のサツマイモ作りの元祖である昆陽先生と合わせて『甘藷乃神(いものかみ)』としておまつりさせていただくことになりました。
やせた土地でもじょうぶに育ち、干ばつや病虫害などにも強いサツマイモは生命力の象徴でもあります。
いも神さまのご恩に感謝するとともに、サツマイモのたくましい生命力にあやかれるように健康・家内安全・子孫繁栄なども祈願していただければと思います。おまいりには社前の「なでいも」をなでて、神様の力を頂いてください。
(出典:境内案内板)

川越の名産であるサツマイモの栽培に貢献された方々がお祀りされています。

川越いもって、実は所沢が発祥の地だったんですね。

市川の八幡八幡宮にも、梨の栽培を始めた方の石碑がありました。

こういったお社や石碑を見ると、

「この人たちが今の野菜や果物を食べたら驚くだろうな~」なんて、

「食べさせたいな~」なんて思ってしまいます。

まるでお菓子を食べているような甘さにビックリするでしょうね。

 

 

 なでいも

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お社の前には『なでいも』が。

撫でるというよりかぶりつきたいほどおいしそうなサツマイモです。

サツマイモの生命力から、健康・家内安全・子孫繁栄・開運などの

御利益があるそうです。

しかし残念ながら、コロナ感染予防対策のため、おさわり禁止でした・・・。

 

このなでいもは、東京オリンピック(1964年)の聖火台を制作された、

鈴木文吾さん監修によるものだそうです。

 

 

 いも狛犬

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狛犬にもご注目。

足元をよく見てみると・・・サツマイモを抱えています。

 

 

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阿形の方は、3本も持っていました!!

食いしん坊ですね。

 

甘藷乃神は平成18年に建てられた比較的新しい神社ですが、

今では「いも神社」と呼ばれるほど親しまれているようです。

 

 

御朱印

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最後に御朱印をいただきました。

社務所にはサツマイモ柄のお守りもあって、かわいかったです。

 

 

 

 

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神明社
所在地:埼玉県所沢市中富1507
アクセス:西武新宿線航空公園駅」よりバス「多聞院通り西」下車徒歩5分他
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:有
公式サイト:http://www.shinmeisha.com/index.html
(※2022年1月4日時点の情報です。)

多聞院(埼玉県所沢市) ~寅と芋と飛行機と 1/3~

【2022/01/04 ぶら旅コース】
多聞院 → 神明社所澤神明社

 

寅年の旅始め

元旦は地元の神社をお参り(記事省略)、

2日は千葉の産土神社をお参り(記事省略)、

3日休んで、

4日は干支の神様をお参りしてきました。

 

今年の干支『トラ』にまつわる寺社はないかしら・・・?

と思い探してみると、狛犬ならぬ狛寅が鎮座するお寺を発見!!

さまざまな動物の狛〇〇を見ましたが、トラは初めてです。

東京・埼玉で3軒ほど見つけたので、

その中から埼玉県所沢市のお寺へ行ってみることにしました。

 

 

多聞院

 入口

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航空公園駅からバスで40分、多聞院を訪ねました。

交通機関で行く場合、駅から遠い上バスの本数がとても少ないので、

行きのバス・観光時間・帰りのバスなど、

事前にスケジュールを組んでおくことをお勧めします。

バス停の周りは畑しかないので、変に時間が余ると大変!!

逆に観光時間が短く、せかせか旅になってしまうことも・・・。

 

 

 参道

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多聞院は牡丹の名所で「牡丹の寺」と呼ばれています。

時期になると、23種類300株以上の花が咲くのだとか。

冬は少し寂しげな風景ですが、牡丹が咲き乱れる境内はとても美しいことでしょう。

その他にも様々な草花、秋には紅葉が楽しめるそうです。

 

この日、境内は初詣の参拝客でにぎわっていました。

それでも三箇日を過ぎていたので大混雑というわけでもなく、

程よい活気に包まれていました。

元旦に行った神社も、2日に行った神社も、参拝客に会うことがなかったので、

ここでやっとお正月気分を味わえたような気がします。

 

 

 多門院毘沙門堂

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【御本尊】
毘沙門天(びしゃもんてん)

【御由緒】
江戸時代中期の元禄7年(1694年)1月、川越城主柳澤美濃守吉保は武蔵野の開拓を計画。命を受けた家老の曽根権太夫は地割り開拓に着手。元禄9年、この画期的大計画は無事終了、上富(現三芳町)、中富、下富(現所沢市)の三村が生まれ、村民のための祈願所として多聞院が創建された。開山は江戸城四谷愛染院第4世榮任和尚。
毘沙門堂には、武田信玄の守り本尊であった黄金の毘沙門天が祀られている。信玄はこの毘沙門天(約4cm)を兜の中に納め川中島の合戦など数々の戦に出陣した。信玄歿後、毘沙門天は縁あって吉保の手に渡り、安置したのである。
身代わり寅の奉納、正月のだるま市など四季を通して多くの参拝者でにぎわう。
本尊の毘沙門天は、寅年の寅まつり・大般若心経転読会で御開帳される。
(出典:パンフレット)

参道の先には、毘沙門天をお祀りする毘沙門堂

狛寅の所以は、ここにありました。

毘沙門天の出現が寅年・寅日・寅の刻であったことから、

寅が毘沙門天の神使なのだそうです。

私はてっきりムカデだと思っていたのですが・・・それも間違いではないようです。

 

寅年の寅まつり(5月1日)は御本尊が御開帳されるとのこと。

今年が12年に1度のチャンスです!!

 

 

 狛寅

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そして毘沙門堂の前に佇むのが、この旅の目的『狛寅』です。

体に薄っすら縞模様が入っています。

トラのイメージとは違って、どちらかというとチーターのような?

とてもシャープなシルエットをしていました。

鋭い目つきで、御本尊様をお守りしています。

 

 

身がわり寅

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お堂には、たくさんの小さな寅が並んでいました。

「身がわり寅」と言って、

身にふりかかる災いをこの寅に託し奉納するのだそうです。

 

 

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よく見ると、ひとつひとつ顔が違う!!

 

 

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あまりのかわいさに、私もひとつ奉納させてもらいました。

 

 

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私の寅はこんなお顔。

箱の中からこちらを見上げる状態でいたので、思わず掴んでしまいました。

 

その小さな寅は、焼き物で作られていました。

鈴のようになっていて、振ると「カラカラ」と音がします。

それがまた耳心地の良い音で思わず持ち帰りたくなってしまうのですが、

なにせ災いを託していますからね・・・おとなしくお堂の片隅に置いてきました。

できることなら普通に欲しかった・・・それくらい見た目と音に癒されます。

 

 

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寅に名前を書いて納めます。

「今年もケガや事故なく楽しい旅ができますように・・・」そんな願いを込めて、

本名と一緒にブログのニックネームも書いておきました。

 

 

その他境内

お参りを済ませ、境内を探索します。

多聞院は狛寅以外にもなかなかユニークなお寺でした。

 

 

 本堂

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【御本尊】
大日如来(だいにちにょらい)

【宗派】
真言宗富山派

 

 

 弘法大師坐像

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木の陰で少々怖くなってしまいました・・・。

 

 

 半僧坊大権現の社

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 正一位稲荷大明神

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子育・水子地蔵

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鬼の悟り

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鬼が我慢をしている様子だそうです。

 

 

 鬼の寒念仏

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鬼が奉加帳を持っています。

鬼のように冷酷な人が表面だけ神妙に振る舞うといった意味のことわざ。

 

 

 傘地蔵

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昔読んだ『傘地蔵』

1体だけ手ぬぐいを被っています。

・・・そうだ!おじいさんが持っていた傘がひとつ足りなかったんですよね。

 

 

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お地蔵様の恩返し。

サツマイモがゴロゴロありますね。

サツマイモと言えば川越が有名ですが、その発祥は現在の所沢なのだそうです。

(後にサツマイモにまつわる神社もご紹介します。)

 

 

 力石

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力石が土俵で相撲勝負!

 

 

 開運 かわらけ当て

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開運・厄除けなどを願い、土器(かわらけ)を石の的に投げます。

 

 

御朱印

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最後に寺務所で御朱印をいただきました。

書置きになります。

 

 

焼き団子

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境内を散策中、なにやら良い香りが漂ってきました。

その香りをたどって行くと、駐車場にお団子屋さんの屋台が!

お団子以外にも、玉こんにゃく・甘酒・おしるこなんかもありました。

 

 

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思わず焼き団子(120円)を購入。

ほんのり温かいお団子。

お醤油の香ばしさが最高に美味しかったです。

ここで知ったのですが、焼き団子は所沢のご当地グルメのひとつだそうです。

予期せぬご当地グルメとの出会いにも感謝♪

 

 

 

 

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【宝塔山 吉祥寺 多聞院】
所在地:埼玉県所沢市中富1501
アクセス:西武新宿線航空公園駅」よりバス「多聞院通り西」下車徒歩5分他
御朱印:有
駐車場:有
(※2022年1月4日時点の情報です。)

葛飾八幡宮(千葉県市川市) ~葛飾八幡宮でもらえる3つの御朱印 4/5~

【2021/11/06 ぶら旅コース】
國府神社六所神社・下総総社跡白幡天神社不知森神社(八幡の藪知らず)葛飾八幡宮洋食レストラン 停車場
【コースMAP:国府台駅~本八幡駅 

 

葛飾八幡宮

鳥居

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いよいよこの旅のゴール、葛飾八幡宮を参拝します。

この辺りの地名「八幡(やわた)」は、この神社が由来のようです。

 

 

 参道

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少し長めの参道は、一の鳥居と二の鳥居の間に線路が通っています。

 

 

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イチョウの葉が黄色く色づき始め、とてもきれいでした。

 

 隋神門

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鮮やかな朱色の隋神門。

紅葉と重なり、さらに美しく映えます。

もとは、別当寺であった上野寛永寺の末寺、八幡山法漸寺の仁王門だったそうです。

 

 

 神門

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閑散とした神門付近ですが、

この日は七五三シーズンということで、人がごった返していました。

なかなか写真どころではなかったので、一部別日のものを使用しています。

 

 

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門には、菊の中央に三つ巴の紋が掲げられていました。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
誉田別命(ほむだわけのみこと)※応神天皇
息長帯姫命(おきながたらしひめのみこと)※神功皇后
玉依姫命(たまよりひめのみこと)

【御由緒】
御創建は平安朝の昔、寛平年間(889~898年)宇多天皇の勅願により下総の国総鎮守として御鎮座、以来歴朝の御崇敬篤く、代々の国司・郡司をはじめ、国民の信仰深く、下総の国における葛飾文化、八幡信仰の中心となりました。とりわけ平将門の奉幣、源頼朝の社殿改築、太田道灌の社壇修復、徳川家康御朱印地52石の寄進等その尊信は篤いものがありました。また、慶神天皇の御事蹟により、文教の祖神、殖産興業、殊に農業守護の神として近郊の信仰をあつめております。毎年9月15日の御例祭日より20日まで、広大な境内で催される農具市(通称「ぼろ市」)の盛況さは、古くは関東一と称されました。
(出典:パンフレット)

神社の創建年数や当時の境内の配置などは、

『元亨の梵鐘』という鐘の出土により明らかになったそうです。

 

 

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(写真:案内板より)

こちらが元亨の梵鐘。

寛政5年(1793年)正月19日、

境内の大ケヤキが暴風で倒れた際に、根本から出土されたとのこと。

鐘に神社に関する事柄などが彫られているそうです。

 

 

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梵鐘は現在、社務所にて保管されています。

その社務所の前に石碑があるのですが、ここにケヤキが立っていたのでしょうか?

 

 

境内社

 浅間社

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 八坂社

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 尾上稲荷社

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 葛飾天満宮

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厳島

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境内

 鐘楼

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神社に鐘楼。

これも隋神門と同様、神仏習合時代の名残です。

 

 

 神楽殿

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楽殿の中に掲げられているのは、大絵馬。

中央の人物が神功皇后、左の人物が竹内宿禰

新羅出兵」を描いたものだそうです。

この時、神功皇后のお腹の中には応神天皇が宿っていたのだとか・・・。

この絵馬には5名の人物が描かれているのですが、

大きすぎて写真に納まりませんでした。

 

 

千本公孫樹

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葛飾八幡宮と言えば、この馬鹿でかいイチョウの木。

千本公孫樹です。

高さ22m、根回り10.2m、目通り10.8m。

社殿を軽く超え「おぉ~」と声が出てしまうほどのド迫力です。

見た目1本の木のように見えますが、実は何本もの幹が寄り添っています。

そのことから「千本公孫樹」と呼ばれています。

 

 

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このイチョウには「白蛇が棲んでいる」という伝説があり、

その白蛇の姿を見ると幸福が訪れるそうです。

ここへ来ると、しばらく蛇を探してしまうんですよね・・・見たことないけど。

他にも、乳の出ない婦人がイチョウの瘤を煎じて飲んだところ、

乳の出が良くなったことから育児守護の御利益もあると言われているそうです。

 

 

 駒どめの石

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源頼朝公が訪れた際、馬が蹄の跡をつけたという石。

 

 

 力石

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 江戸城石垣

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葛飾八幡宮へは、これまで3度訪れたことがあるのですが・・・

江戸城の石垣があったとは今回初めて気づきました。

・・・前からあったかな~???

 

 

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石には担当した藩を判別するための刻印が入っています。

石の盗難防止という役割もあったようですね。

3つ内2つの石に、四角と丸が重なったマークが刻まれていました。

どこの藩のものか調べてみたのですが、、、見つけることができませんでした。。

 

 

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この縞模様は「すだれ仕上げ」といい、装飾の意味で彫られているそうです。

刻印については聞いたことがあったものの、

こうした見栄えにもこだわりがあったとは知りませんでした!!

 

 

 神輿舎

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 川上善六翁碑

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市川市で初めて梨の栽培を始めた、川上氏の石碑。

今では市川の特産品として有名な梨ですが、当初は相当なご苦労があったようです。

 

 

御朱印御朱印

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最後に御朱印です。

以前は直書きでしたが、現在は書置きのみとなっています。

六所神社・不知森神社もこちらでいただけます。

 

 

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家に帰って御朱印を見返してみると、葛飾八幡宮御朱印が2枚も入っていました!

 

 

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新しい御朱印帳も購入しました。

この他に紺地に黄色の千本公孫樹が描かれた物もあります。

どちらにしようか悩みに悩んで・・・こちらにしました。

白蛇がかわいいです♪

(写真では見づらいかな?)

 

 

 

 

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葛飾八幡宮
所在地:千葉県市川市八幡4-2-1
アクセス:JR「本八幡駅」より徒歩8分、京成線「八幡駅」より徒歩5分他
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:有
公式サイト:https://www.katsushikahachimangu.com/
(※2021年11月6日時点の情報です。)

不知森神社(八幡の藪知らず)(千葉県市川市) ~葛飾八幡宮でもらえる3つの御朱印 3/5~

【2021/11/06 ぶら旅コース】
國府神社六所神社・下総総社跡白幡天神社不知森神社(八幡の藪知らず)葛飾八幡宮洋食レストラン 停車場
【コースMAP:国府台駅~本八幡駅 

 

不知森神社(八幡の藪知らず)

鳥居

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白幡天神社から徒歩10分。

この旅のゴール、葛飾八幡宮に到着しました。

さっそく本殿へ向かいたいところですが、、、

その前に葛飾八幡宮の境外社『不知森(しらずもり)神社』をご紹介。

葛飾八幡宮の鳥居前を通る大通りを渡った場所に鎮座しています。

 

 

 外観

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商業ビルが並ぶ大通りに不自然と茂る竹林。

ここが、不知森神社です。

通称「八幡の藪知らず」と呼ばれ、ミステリースポットとしても有名。

この藪に入ったら2度と出られないという、禁足地になっています。

 

初めて訪れた時は、ある意味ビックリしました。

「入ったら出られない」という伝説から、鬱蒼とした森を想像していたのに。

実際に行ってみると・・・

ビルや住宅に囲まれた、向こう側が透けて見える程小さな藪だったのです。

 

 

 お社

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【不知八幡森(しらずやわたのもり)】
通称:八幡の藪知らず
江戸時代に書かれた地誌や紀行文の多くが、八幡では「藪知らず」のことを載せています。
そして「この藪余り大きからず。高からず。然れども鬱蒼としてその中見え透かず。」とか、「藪の間口漸く十間(約18メートル)ばかり、奥行きも十間に過ぎまじ、中凹みの竹藪にして、細竹・漆の樹・松・杉・柏・栗の樹などさまざまの雑樹生じ・・・」などと書かれたりしていますが、一様にこの藪知らずは入ってはならない所、一度入ったら出てこられない所、入れば必ず祟りがあると恐れられた所として記載され、「諸国に聞こえて名高き所なり」と言われて全国的に知られました。(以下省略)
(出典:案内板)

鳥居の中には、小さなお社が建っています。

藪全体をお祀りしているといった感じでしょうか。

「これなら出れるっしょ!」なんて思いがちの小さな藪ですが、

鳥居をくぐるとさすがに異質な空気になりますね。

すぐ後には多くの人が行き来しているのに、

「鳥居から出られるかしら?」なんて、

自分だけ異世界に行ってしまっているんじゃないかと言う恐怖に駆られます。

周りが街というギャップもあるかもしれません。

 

案内によると、この藪は江戸時代には存在しており、

当時から18m×18mの広さだったとのこと。

時代と共に規模が削られこの大きさになったのかと思っていたのですが、

どうやら当時とあまり変わってなさそうです。

 

 

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お社の脇には3つの石碑が並んでいます。

 

 

入ってはいけない理由

案内板には藪に入ってはならないいくつかの説があげられていました。

  1. 葛飾八幡宮を勧請した旧地である説
  2. 日本武尊の陣所跡説
  3. 貴人の古墳跡説
  4. 平将門の祟り説
  5. 平将門の家臣6人が泥人形に化した説
  6. 底なし沼説

ネットで調べるともっと出てくるのですが、

ここでは案内板内の情報だけに留めておきます。

 

現実的に考えられそうなものからオカルトチックなものまでありますが、

「入ってはいけない本当の理由が忘れ去られ、いろいろ取り沙汰されたのでは」

と案内板の最後にありました。

 

ちなみに私の考えは、『埋蔵金が眠っている説』です!

昔この辺りに住んでいたお金持ちが財宝を埋めて、

それを隠すために怖い噂を流したのでは・・・と考えています。

 

 

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案内板に、ちょっとおもしろい伝説が書かれていました。

なんと、水戸光圀公もこの藪で迷子になっていたそうです!!!

黄門様はこの藪で怪異に見舞われたそうですが、無事生還したとのこと。

この様子は錦絵によって残されているそうです。

確か・・・

黄門様はどこかの神社の境内で鳥を射落とそうとして罰が当たったという話を

聞いたことがありました。

黄門様って、なかなかの破天荒な方ですね(笑)

 

 

御朱印

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御朱印葛飾八幡宮でいただくことができます。

 

 

 

 

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【不知森神社(八幡の藪知らず)】
所在地:千葉県市川市八幡2-8
アクセス:JR「本八幡駅」より徒歩5分
御朱印:有(葛飾八幡宮にて)
駐車場:有(葛飾八幡宮
公式サイト:https://www.katsushikahachimangu.com/
(※2021年11月6日時点の情報です。)