【2021/08/17 ぶら旅コース】
避来矢神社
【2021/11/11 ぶら旅コース】
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謎の石
去年分のぶら旅がまだ書き終えていないので、
前回に引き続き今回も2021年のお話を書いていきます。
2021年8月に遡ります。
ネットで近場の神社を探していたところ、羽生市に気になる神社を見つけました。
『避来矢神社』
「何て読むんだろう???」
初めは読めない社名に惹かれたのですが、
その神社について書かれた記事を見てさらに興味が湧きます。
なんと、どこからか飛んできた大きな石をお祀りしているというのです!
謎の石・・・伝説系の話が大好きな私には、ワクワクするワードです。
この神社について詳しく調べてみることにしました。
しかし、どのサイトを見ても「石が飛んで来た」とあるだけで、
これといった情報は得られませんでした・・・が、
その石は現存しており見ることができるということで、
とりあえず見に行ってみようと出かけてみました。
避来矢神社
■ 鳥居
周りの風景はこんな感じ。
田んぼの中にポツリと佇む、無人の神社です。
利根川の堤防強化事業により数年前に移転されたということで、
鳥居や社殿は新しくとてもきれいでした。
避来矢(ひらいし)神社。
■ 社殿
【御祭神】
江戸時代:藤原秀郷公(ふじわらのひでさとこう)
明治以降:日本武尊(やまとたけるのみこと)
【御由緒】
上村君村の鎮守なり、相伝当社は俵藤太秀郷を祭る所にして、古へ相州朽木村より飛来りし故、もとは飛来と書しを、享保十年神祇伯吉田家へ神位を請し時、今の文字に改め記し来りし云
(江戸時代:新編武蔵風土記稿)
土地古老ノロ碑二伝フ 天文年中下野国栃木村ヨリ大石飛来リシヲ村民崇敬シ甲石ト称シ鎮守ト仰キ其石年月詳ナラス避来矢社ト改ム明治四年中村社ニ申立済明治三十六年四月二十五日上地林二畝二十九 歩編入居可昭和二十一年一月八日神社五月変更許可
(明治~昭和:北埼玉郡神社明細帳)
実際に足を運んでみましたが、境内にも案内板がなく詳細はわからずじまい。
困ったときの市役所頼み!ということで、
羽生市に問い合わせてみたところ、文化財保護係の方から返信がいただけました。
その方のお話によると、
避来矢神社について言及されている資料は少なく、
創建年数など不明な点が多いとのことでした。
現在把握している情報として送っていただいたのが、上記の御由緒欄です。
2つの記録を見比べると、
石の出所も相州(神奈川県)から下野国(栃木県)に変わっているとの
追記もありました。
石の飛来に関しても、明細帳に天文年間(1532~1555年)と記された以外、
情報がないそうです。
それにしても、祭神が変わることはたまに聞きますが、
石の出所まで変わるとはどういうことでしょうか!?
栃木に秀郷の城があったので、後に修正されたのでしょうか???
謎多き神社ですね・・・。
■ 謎の石
今回の目的、謎の石を見に行きます。
その石は、本殿の裏にありました。
案内は一切ありませんが、囲いがしてあるのでこの石で間違いないかと思います。
漬物石程度を想像していたのですが、飛んで来るには相当大きな石でした。
この石が飛んで来る様子を見た人がいたのかはわかりませんが、
噴火もしていないのに突如こんな石が現れたら祀りたくなるのもわかる気がします。
そもそも『避来矢』とは何なのかを調べてみると、
もとの祭神、平安時代の武将藤原秀郷が所有していた鎧の名前とありました。
秀郷が巨大なムカデを退治した(百足退治伝説)際に竜神から授かったもので、
この鎧を身に着けると矢に当たらなかったと言います。
そしてさらに調べていくと、避来矢と石にまつわる話も見つけました。
『藤原秀郷の子孫である足利忠綱は、以仁王の挙兵の時、宇治川で敵と対峙。避来矢を着用するも非常に重いため軽い鎧に着替えて戦った。勝利して川べりに戻ると置いていたはずの避来矢はなくなっており平らな石が置かれていた。家宝をなくしたと思った忠綱は嘆きのあまりその石を殴りつける。するとその石は消え、もとの避来矢が現れた。そのことから避来矢は平石とも言われる。』
もしかして、この消えた石が飛んで来たんじゃ・・・!?
「その時の石がこちらです。」だったら伝説がきれいにまとまったのですが、、
石の飛来と合戦の年代・石の出所に相違があるので違う・・・のかな?
現場に行ってみた結果。
とにかく情報がなく、謎の石は謎のままでした・・・(そりゃそうだ!)
藤原秀郷を祀る神社・避来矢伝説・巨大な石などなど、
たまたまそこにあった材料が混ざり合って出来上がったのが、
『謎の石伝説』かと思われます。
「この石、空から飛んで来たんだよ。」とか言い出した人がいて、
それが噂となり現在も語り継がれているのかもしれません。
先にも書きましたが私は伝説系のお話が好きなので、
伝説の真相などどうでもよく、
この石の前でロマンに浸りまくっていました・・・が、
傍から見たら「ただ石を見ている人」と映っていたことでしょう。笑
その他境内
■ 獅子舞
上杉謙信が兵の士気を高めるため奉納した獅子舞。
現在もお祭りの日に、街を練り歩くそうです。
■ 境内社
神社周辺には、お社や石碑、石祠が並んでいました。
実際は境外にありますが、かつては境内にあったのではないかと思われます。
* * *
この頃はまだ外出自粛期間中だったので、
気晴らしにドライブでも・・・と思い、近場の無人神社を探していました。
ちょこっと外の空気を吸いに行く程度に考えていたのですが、
予想外におもしろい神社と出会い、いい気分転換になったことを覚えています。
そして、この神社をきっかけに藤原秀郷という人物に触れ、
栃木に鎮座する『唐沢山神社』を知ることになります。
秀郷が築いたと言われる唐沢山城跡に建てられた神社。
そこには、あの避来矢の一部が安置されているのだそうです。
これも何かの縁。
この参拝から数か月後、私は栃木県佐野市の唐沢山神社へ向かうのでした。
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