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吉良邸跡(東京都墨田区) ~忠臣蔵ゆかりの地をめぐる旅 4/7~

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【2021/12/14 ぶら旅コース】
皇居東御苑新正堂・浅野内匠頭終焉之地元禄二八蕎麦 玉屋吉良邸跡大川屋泉岳寺大石良雄外十六人忠烈の跡

 

吉良邸跡

 外観

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吉良邸跡に来ました。

忠臣蔵の山場、討ち入り事件が起こった場所です。

住宅地の一画にあるこの屋敷跡は、

昭和9年に両国三丁目町会の有志によって作られた史蹟公園で、

歴史を後世に残そうと旧吉良邸の土地を一部購入、

後に東京都へ寄贈したものだそうです。

昔の地名から『本所松坂町公園』といいます。

復元された海鼠壁と黒塗りの屋敷門は、高家の格式を表しているそうです。

 

 

 内部

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家1軒分くらいのスペース。

公園と言っても子どもたちがキャッキャと遊ぶ公園とは違い、

一連の事件の資料展のようになっています。

 

 

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内壁には、赤穂事件~討ち入りまでの資料がズラリと並んでいました。

 

 

 吉良上野介義央公坐像

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門をくぐると1番に目につくのが、吉良上野介像。

吉良家の菩提寺、愛知県の華蔵寺に安置されている像がモデルになっています。

(1691年 吉良上野介が50歳の頃、自ら造らせた木像。)

私が観たドラマでは、森繁久彌さんが演じていました。

その演技はとても憎々しく、圧倒的ヒール感を醸し出していましたが・・・

なんと、穏やかな顔つき!!

とても、パワハラするような人には見えません。

ドラマのイメージでこの像を見たものだから、少し拍子抜けしてしまいました。

 

【元禄15年12月14日(15日 午前4時頃)】

江戸城での刃傷事件に対し、吉良には何の罰も与えられなかったことへの不服、

赤穂藩お取り潰しの撤回運動も思うように行かなかった浅野家家臣らは、

主君の仇討ちとして吉良を打ち取ることを決めます。

そして討ち入りの日(浅野の月命日)。

赤穂浪士四十七士は、吉良上野介の寝込みを襲います。

吉良家家臣も応戦しますが、不意打ちに準備もままならなず。

完全武装の相手に、寝巻き姿では太刀打ちできませんでした。

四十七士は吉良の寝間へ向かうも既に本人の姿はなく、

屋敷中を探したところ台所裏の物置で吉良を発見。

槍で突き吉良を討ち取りました。

ここまで1~2時間のこと。

しかし、この時はまだ「吉良らしき人物を打った」という状況であったのだとか。

吉良の顔を知る者皆無だったため、

吉良方の兵に確認して初めて打ち取った合図を出したのだそうです。

 

ドラマでは見つかってしまった吉良が死を前に、

四十七士の前で舞を披露していましたけどね・・・実際そんな余裕ないですよね。

お互いに。

 

 

 みしるし洗いの井戸

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吉良の首を洗ったとされる井戸。

 

 

吉良家家臣二十士追悼碑

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討ち入りによって犠牲となった吉良家家臣の追悼碑。

この日、屋敷内に100名近くの家臣がいたものの、戦いに参加したのは数十名ほど。

38名の死傷者が出た吉良側に対し、四十七士は2名が軽い怪我を負っただけでした。

 

 

 追慕碑

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松坂稲荷大明神

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吉良上野介を祀った神社。

討ち入り後、地所清めのために別の地から遷宮された兼春稲荷が、

昭和10年に上野稲荷と合祀され、公園開園時にこの地に遷座されました。

お社の横には、兼春稲荷大明神の幟が立っています。

 

 

吉良邸跡周辺

吉良邸見取り図

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吉良邸跡周辺も少し歩いてみます。

吉良邸は、東西733間(134m)、南北34間(63m)、2550坪の広大な屋敷でした。

見取り図を見ると、何LDKですか?というくらい広い屋敷。

現在残る吉良邸跡は、北側の一部のみで1/85程度の敷地です。

この中から、顔も知らない吉良を探し出した執念は凄いと思います。

 

 

 吉良邸正門跡

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吉良邸跡から東に少し歩くと、吉良邸正門跡があります(案内板のみ)。

表門からは、大石内蔵助率いる表門隊が、梯子を使って塀の中へ入りました。



吉良邸裏門跡

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表門からずっと西にすすみ、裏門跡へ。

こちらも案内板のみです。

裏門では、大石主税率いる裏門隊が、門を壊して侵入しました。

 

 

吉良上野介が隠れていた物置?

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吉良が隠れていた物置の場所についての情報が見つけられずにいたのですが、

何かのサイトで「現在郵便局になっています」というコメントがありました。

見取り図と現在の地図を照らし合わせると、この付近なのかなと思われます。

この郵便局は、表門と裏門の中間あたりにあります。

 

 

 前原伊助宅跡

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吉良邸裏門跡の近くには、四十七士のひとり、前原伊助宅跡。

吉良の動向を探るべく吉良邸の近くに移り住み、

カモフラージュのため「米屋五兵衛」という店を開業しました。

 

 

 飯澄稲荷

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吉良邸跡をまっすぐ歩いた場所に鎮座する稲荷神社。

案内等はありませんが、吉良家の屋敷神だったとのことです。

 

* * *

 

本懐を遂げた四十七士は吉良の首を持ち、

主君浅野内匠頭が眠る泉岳寺へ向かいます。

討ち入りの日ということで、多くの人が吉良邸を訪れていました。

私も含めその訪問者も四十七士と同様、泉岳寺へ向かうのでしょう。

 

毎年12月14日、

吉良家家臣と四十七士を供養する「吉良祭」「義士祭」が開催されるそうですが、

今回はコロナの影響で中止でした。

帰り際、僧侶と礼服をまとった数名の方を見かけたので、

ひっそりと法要が行われたのかもしれません。

 

 

 

 

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【吉良邸跡】
所在地:東京都墨田区両国3-13-9
アクセス:JR「両国駅」より徒歩5分
駐車場:無
公式サイト:https://www.1214.tokyo/
(※2021年12月14日時点の情報です。)