関東ぶらりん旅

神社仏閣、B級スポット、ご当地グルメを楽しむ旅(散歩)

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白幡天神社(千葉県市川市) ~葛飾八幡宮でもらえる3つの御朱印 2/5~

【2021/11/06 ぶら旅コース】
國府神社六所神社・下総総社跡白幡天神社不知森神社(八幡の藪知らず)葛飾八幡宮洋食レストラン 停車場
【コースMAP:国府台駅~本八幡駅 

 

白幡天神社

 鳥居

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六所神社から葛飾八幡宮までの道の途中、白幡天神社にも立ち寄りました。

タイトルには葛飾八幡宮関連の神社とありますが、こちらは別になります。

道順を確認している時に、たまたま見つけました。

 

 

 神門

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住宅地の中なので小さな神社かと思いきや、とても広く立派な佇まいです。

大通りを歩いていたらなかなか気付けない場所なので、

こうして住宅地を歩いてみるのもおもしろいな~と思いましたね。

境内は七五三の家族で賑わっていました。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
武内宿禰(たけのうちのすくね)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

【御由緒】
当宮の創建は不詳なれど治承4年(1180年)源頼朝安房の国に旗上げの際、この地に白幡を掲げたるをもって白幡と名付けられたと伝えられております。其の後正親町天皇の御代、天正12年(1548年)に御社殿改築の記録を残し、太田道灌によって御造営されたともいわれる古社であります。また、昭和59年には、神社本庁振興対策モデル神社の指定を受けるにいたりました。
御拝殿に掲げられております社額は、勝海舟揮毫によるものであります。明治12年の御社殿造営を記念する板絵は、柴田是真作のもので市の重要文化財に指定されております。
御祭神の武内宿禰は、大変ご長命な方で、五朝の天子にお仕えされ、尽忠無二、国務を整理された功臣第一と伝えられております。
また、後に合祀されました、御祭神菅原道真公は承和12年(845年)京都に誕生され、学徳識見ともに高く志操堅固な方であります、学問の神として廣く信仰を集めております。
(出典:境内案内板)

もともと『白幡神社』と称していましたが、

菅原道真公を合祀したことにより『天』の字を加え、

現在の『白幡天神社』となったそうです。

 

 

 社額

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拝殿から見える社額は、勝海舟揮毫のもの。

この辺りには勝海舟が書いたとされる社額を掲げる神社をいくつかあり、

川越氷川神社の大鳥居や、栃木県の塩竃神社も有名です。

 

www.mi-cha34.com

 

 

 境内

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境内は木々が美しく整えられており、庭園のようになっていました。

所々で七五三の写真撮影が行われています。

この境内だったら素敵な写真が撮れそうです。

 

 

 境内社

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本殿横には境内社

古峯神社、浅間宮、稲荷神社、白山妙理大権現、小御嶽石尊大権現

柵内に5社が祀られています。

 

 

 御神木

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御神木の黒松。

昭和54年に強風で折れてしまったとのこと。

現在は市の天然記念物に指定されています。

 

黒松は市川市の木なんですね。

私は市川生まれなのですが、出生届を出した際、記念樹として松を貰ったそうです。

その松は今もうちの庭で成長中です。

 

 

神輿舎(?)

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扉には八幡社と天神社の紋。

 

 

 石碑

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明治~昭和にかけての小説家、永井荷風の石碑。

 

 

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本八幡駅近くに永井荷風の終焉の地があるそうで、

駅に向かう道には荷風の名前がついていました。

 

この方を存じておらず調べてみたところ、

それ以前は『文豪の町』文京区に住んでいたとのことです。

このブログを始めた頃、文京区で文豪の旧居跡をめぐったことがありました。

その時に知っていれば行っただろうに・・・ちょっと残念です。

 

www.mi-cha34.com

 

 

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こちらも明治~昭和にかけての小説家、幸田露伴の石碑。

作品の中に白幡天神社をはじめ弘法寺や手児奈霊神堂など、

この辺りの情景がたびたび登場するそうです。

といっても、彼が市川で暮らしたのは1年ほど。

市川に移り住んで間もなく亡くなられたようです。

ちなみに、葬儀は白幡天神社で行われました。

 

 

御朱印

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御朱印は書置きですが、その場で書いてくださるので少々時間がかかります。

神職さんとお話しながら待っていたのですが、みなさん物腰の柔らかい方ばかり。

七五三でお忙しいでしょうに、通りかかる神職さんみな声をかけてくださいました。

事務的に御朱印を受け取ることが多いので、こういうのって嬉しいものです♪

いつもより気分よく神社を後にすることができました。

 

 

 

 

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【白幡天神社】
所在地:千葉県市川市菅野1-15-2
アクセス:京成線「京成八幡駅」より徒歩10分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:不明
駐車場:有
公式サイト:https://www.shirahatatenjinsya.com/
(※2021年11月6日時点の情報です。)

六所神社・下総総社跡(千葉県市川市) ~葛飾八幡宮でもらえる3つの御朱印 1/5~

【2021/11/06 ぶら旅コース】
國府神社六所神社・下総総社跡白幡天神社不知森神社(八幡の藪知らず)葛飾八幡宮洋食レストラン 停車場
【コースMAP:国府台駅~本八幡駅 

 

お久しぶりです。

気付けばブログの更新が止まってから、2カ月以上も経っていました!!

コロナの影響で仕事の体制がコロコロ変わり、身も心もヘトヘトに・・・。

出かけることもできなければブログを書く元気もない状況でした。。

それでも、2カ月も放置していたとはビックリ!

目まぐるしい毎日に、時間の経過がとても速かったです。

 

仕事でヒーヒー言っている間に、

コロナの感染者数も落ち着きを見せ、外出もしやすい環境になってきましたね。

私も仕事環境が落ち着きつつあるので、久々にぶら旅に出かけることにしました。

 

 

約2年ぶりに市川へ・・・

千葉県市川市から、ぶら旅再開です。

私の産土神社である國府神社を参拝しました。

今年は初詣にも行けなかったので、約2年ぶりになります。

参拝に行けないことが気がかりだったので、気持ちがホッとしました。

 

(國府神社の様子はコチラ↓の記事をご覧ください。)

www.mi-cha34.com

 

國府神社参拝後、市川市内(本八幡)に鎮座する葛飾八幡宮へ向かいました。

何度か訪れたことのある神社なのですが、

葛飾八幡宮の他に2社の御朱印があったとは露知らず。

国府台駅から本八幡駅間を歩きながらその神社をめぐり、

御朱印をいただいてきました。

 

 

六所神社

 鳥居

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国府台駅から歩くこと20分、六所神社へ向かいました。

市川真間駅が最寄りかと思われます。)

こちらの神社は葛飾八幡宮が兼務しており、同神社にて御朱印がいただけます。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
大己貴尊(おおなむちのみこと)
伊弉諾尊(いざなぎのみこと)
素戔嗚尊(すさのおのみこと)
大宮売尊(おおみやめのみこと)
布留之御魂(ふるのみたま)
彦火瓊々杵尊(ひこほににぎのみこと)

【御由緒】
当六所之宮は、いまを去る1881年人皇12代景行天皇の勅願によって上記六神を祭礼した宮と伝えられ国府台字府中の六所の森(現在の国府台スポーツセンター内市民体育館)北に鎮座していました。
その後下総国の総社として国守による祭礼が行われて来ましたが戦国時代には里見氏、北条氏、千葉氏の各諸将の守護を受けさらに徳川氏からは朱印賜り篤崇敬されていました。
御神徳勇武の神として宏く、幸運招来、厄払い、縁結びさらに学問の神として須和田、真間、根本、市川の4カ村の鎮守として古くから崇められて来ました。
明治19年、境内が陸軍用地となったため此の地に遷座されました。
(出典:境内案内板)
総社とは、地域の神々を合祀した神社のこと。
国庁の役人である国司には、国の有力神社の管理・参拝の義務がありました。
国中の神社を一の宮から順に巡拝するのですが「さすがに大変だ!」ということで、
下総総社を建て巡拝を簡略化したとのことです。

 

 

 狛犬

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手水舎

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柄杓はあるのに蛇口のハンドル部分がなく、水が出せませんでした。。

 

 

 境内社

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境内社が1社ありましたが、祀られている神様まではわかりませんでした。

狛犬は表情が薄れ、とても古いもののように見えます。

 

 

 石碑

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境内の端には、道祖神なのか庚申塔なのか?

石碑が並んでいます。

 

 

 ただの石?

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大きな石。

案内がないのでただの石かもしれませんが、、、

このように囲われていると何か言われのある特別な石のように見えますよね。笑

 

 

 遊具

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ブランコが1基ありました。

私が子どもの頃は神社でよく遊んだものですが、

今の子どもたちはこのブランコで遊んだりするのかな・・・?

 

 

 社号標?

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入口には古びた石碑。

景行天皇勅願所 府中六●宮』と書かれています。

 

 

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この石碑は、文化5年(江戸時代)に建てられたのでしょうか?

 

 

 境内

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無人ですが、とてもきれいに管理されていました。

結構な広さなので開放感もあり、とても気持ちのいい神社です。

ふと、町内のお祭り風景が浮かびました。

お祭りがあるのかどうかはわかりませんが、、、そんな雰囲気です。

 

 

下総総社跡

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六所神社へ向かう前に、六所神社創建の地、下総総社跡にも行ってみました。

国府台駅から10分ちょっと歩いた場所にあります。

由緒には国府台スポーツセンターとありましたが、

現在は市川市スポーツセンターという名前のようです。

 

 

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下総総社跡は、スポーツセンターの奥にある体育館の前にあります。

大きなケヤキの木が目印。

 

 

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ケヤキの根元に、『下総総社跡』の石碑と、歴史が書かれた案内板がありました。

創建年数は不明ですが、周辺から平安時代初期までの竪穴住居跡が発見され、

平安初期以降の創建ではないかと考えられているそうです。

 

 

御朱印

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御朱印は、葛飾八幡宮でいただくことができます。

現在は書置きのみ。

キラキラとした和紙に書かれています。

 

 

 

 

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六所神社
所在地:千葉県市川市須和田2-22-7
アクセス:京成線「市川真間駅」より徒歩13分
御朱印:有(葛飾八幡宮
駐車場:無

【下総総社跡】
所在地:千葉県市川市国府台1-6-4 市川市スポーツセンター内
アクセス:京成線「国府台駅」より徒歩13分
駐車場:有
(※2021年11月6日時点の情報です。)

雄山神社 峰本社/雄山(富山県中新川郡立山町) ~山と神社 2/2~

【2015/11/12】
石割神社/石割山

【2013/08/16】
雄山神社峰本社/雄山

 

私史上最標高!!

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私が一生をかけて集めようとしている、全国一の宮神社の御朱印

これまで何社めぐったでしょうか・・・そう多くはありません(汗)

全国に120社以上ある一の宮神社です。

これをコンプリートしようものならかなりの時間とお金がかかるわけで、

なかなか調子よく進められないのが実状です。。。

しかしながら、実際に旅をしたり、旅の計画を立てていると、

必要なのは「時間」と「お金」だけではない、と思わされる時があります。

 

一の宮神社の一覧を見て、

「ここは行くことができないかも・・・」と、

半ば諦め状態だった神社がありました。

それは、今回ご紹介する『雄山神社』。

なんと、標高3000mを超える山頂に鎮座しているのです。

時間とお金は用意できても、私には山の知識と経験が不足していました。。。

 

しかし、私はラッキーでした☆

そういえば、近くに登山経験の豊富な人がいるではありませんか。

そう、前回の記事にも登場した『父』です。

立山は何度か登ったことがあるとのことだったので、

父にお願いして一緒に登ってもらうことにしました(母付き)。

ちなみに、父もこれを機に御朱印集めを始めています。

 

・・・と、少し前置きが長くなりましたが、

今回は、私史上最標高の神社参拝の様子をお届けします。

尚、2013年とかなり昔の旅なので、

写真・記憶が少なすぎるかと思いますが、ご了承ください。。

 

 

雄山

2013年8月、富山県へ遠征旅。

日本三大霊山のひとつ、立山の雄山に登りました。

標高3003mの山頂に鎮座する、雄山神社峰本社の参拝と御朱印が目的です。

 

 

 立山黒部アルペンルート扇沢駅~)

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長野県の扇沢駅からアルペンルートをたどり、雄山の登山口『室堂』を目指します。

すぐさま登山開始したいところですが、室堂へ行くまでも結構な長旅で、、、

いくつもの乗り物を乗り継ぎます。

 

 

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始発に乗るため、前の日から車中泊

夜は眠るのがもったいないほどの、満天の星空でした。

(夜空の写真を撮ってみましたが、星が写るわけもなく・・・真っ黒!笑)

 

 

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朝日が昇り明るくなって初めて、山に囲まれていることを知りました。。

 

 

 関電トンネル電気バス

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まずは扇沢駅から電気バスにのり、黒部ダムへ移動します。

トンネルの中を進む途中、ダム工事の難所であった破砕帯を通ります。

破砕帯の区間はバスの中からでもわかるよう、案内が出ています。

 

 

 黒部ダム

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黒部ダム駅でバスを降り、夏でもひんやりとした通路を抜け、外に出ます。

 

 

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黒部ダムでは、放水の様子を見ることができました。

夏の間はほぼほぼ見られるようです。

真上から除くと、水の流れに引き込まれそうでした。

カメラを落とさないかドキドキ・・・。

 

 

 黒部ケーブルカー

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黒部ダムを渡り、黒部湖駅からケーブルカーで黒部平へ。

 

 

 黒部平

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乗り物を乗り継ぐにつれて、山がどんどん迫ってきます。

 

 

 立山ロープウェイ

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乗り物はまだまだ続きます。

黒部平からは、ロープウェイで大観峰まで登ります。

高い所が苦手なので景色を楽しむ余裕がありませんでした・・・。

特にロープウェイのようなぶら下がり系の乗り物はガクブルものですね。

 

 

 立山トンネルトロリーバス

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そして、最後にトロリーバスに乗って、室堂に到着。

 

 

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この時点で、標高2450mです。

 

 

 室堂

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ここから雄山に向けて、登山道を歩きます。

 

 

 登山道

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序盤は石畳や木道など整備された道が続き、比較的なだらか。

山や草花など、景色を楽しみながら進みます。

 

  

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途中、雪に覆われた道もありました。

 

 

 一ノ越

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標高2700m、『一ノ越』というところまで登ってきました。

ここには山小屋があり、山頂前の最後の休憩場所といったところでしょうか。

私たちもここで一旦休憩です。

 

 

 山頂へ

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登山再開。

一ノ越より先は、今までの道とはまったく違い、一気に険しくなりました。

 

 

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さっきまで景色を見ながらまったり歩いていたのに・・・急に岩!!

手足をフル活動させ、岩にしがみつきながら登って行きます。

グラグラしている岩も多く、ひとつひとつ安全を確認しなくてはなりません。

 

 

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振り返れば、この傾斜。

こんな壁みたいなところを登っているかと思うと顔面蒼白でした。

 

 

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暑さと緊張で変な汗をかきつつ登り進めると、

岩に囲まれた祠のようなものが出てきました。

「神社はもうすぐか・・・?」

こういったものを見ると、少し安心します。

 

 

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ようやく、山の上に小屋が見えてきました。

「もうすぐ頂上だ!!!」と、一瞬浮かれましたが・・・

山って山頂が見えてからが長いんですよね。

しかし、この辺までくると恐怖や不安よりも楽しさの方が上回っていました。

 

 

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そしてついに、登頂成功!!!!!

私、がんばりました!!!!

・・・・と、達成感に浸っている場合ではありません。

私の本当の目的は、登山ではなく神社参拝なのです。

すぐさま、雄山神社へ向かいました。

 

 

雄山神社 峰本社

 鳥居

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山を登ってしまえば、神社はすぐそこ。

鳥居の先をもう少し登った場所に、雄山神社峰本社の本殿があります。

登頂成功!と喜んでいましたが、本殿が本当の山頂ですね。

 

 

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それにしても、よくこんな場所にお社を建てたものです。

 

 

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本殿を参拝するには、登拝料が必要になります。

大人500円、子ども200円。

(2021年8月31日現在、大人700円、子ども300円)

 

 

 本殿

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【御祭神】
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)
天手力雄神(あめのたぢからおのかみ)

【御由緒】
今から約1300年前、文武天皇大宝元年(701年)第12代景行天皇の後裔、越中国司佐伯宿禰有若卿の嫡男有頼公が、白鷹と黒熊に導かれ立山の玉殿岩窟において「我、濁世の衆生を救はんがため此の山に現はる。或は鷹となり、或は熊となり、汝をここに導きしは、この霊山を開かせんがためなり。」という立山両権現の霊示を受け、文武天皇の勅命により開山されたのが霊峰立山である。その立山を神山と仰ぎ、山麓芦峅寺立山雄山神(立山大宮)、剣岳の刀尾神(立山若宮)の両権現を奉斎する根本中宮をはじめ壮大なる神社仏閣が建立され、芦峅寺にも社殿が建てられて、年中の諸祭礼を怠りなく奉仕したのである。有頼公自らは出家して慈興と号し、立山座主として芦峅寺に居を定め、立山信仰の弘宣に生涯を捧げられたのである。
以来神仏習合の一大霊場として皇室をはじめ武将名門の崇敬を受け、元明天皇後醍醐天皇の勅願所となり、また清和天皇貞観5年・宇多天皇の寛平元年に叙位せられた。
平安期の後白河法皇御撰の『梁塵秘抄』には「験仏の尊きは先づ東の立山」と全国著名の霊場の冒頭に記され、また鎌倉時代の安居院編纂の『神道集』に「越中国一宮」、洞院公賢が著した『拾芥抄』に「雄山神社は新川郡葦峅寺にあり」と銘記されており、広く信仰を集めていたことが窺われる。
鎌倉幕府が文治元年に諸堂を造営、室町幕府足利歴代将軍、越中守護代神保長誠公、佐々成政公等々、殊のほか深く崇敬し保護造営されてきた霊場も、天正13年8月、富山城主佐々成政征討のため越中に軍を進めた豊臣秀吉により芦峅寺が悉く焼き払われ、以前の諸堂を殆ど失うこととなった。このことについては「東は立山ウバダウつるぎの山麓迄、令放火候」と、秀吉が藤三蔵ら5名の近畿大名に送った文書が高野山に残され、『続群書類従』にも「至リ越後界二、立山、剣、祖母堂、廻シ人数ヲ」と載せられている。祖母堂(うばどう)とは芦峅寺のことである。
前田利家公が加賀藩主となり復興造営に保護を加え、再び盛賑を極めたものの、明治維新廃仏毀釈・神仏半然令により一大改新を加えられたため、布橋灌頂において重要な役割を果たした中宮寺ウバ堂は廃止され、天下三霊橋と誇った布橋も落ち、塔中諸坊も四散し芦峅寺は廃墟と化してしまった。ただ、根本中宮の境内とその講堂が雄山神社中宮祈願殿として残り、明治6年に県社、昭和15年国幣小社に列せられた。
(出典:雄山神社HP

本殿が建つ場所は、人が20人もいればぎゅうぎゅうになるほどのスペース。

標高の高い山に小さな祠が祀られているのを映像などでよく見ていたので、

こんなに大きく立派なお社が建っているとは驚きでした。

雨風の影響を直に受けながら崩れもせず建ち続けるなんて、

まさに神業のように思います。

 

 

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本殿前になんとなく人が集まってきた頃、

いつの間にか宮司さん現れ、御祈祷してくださいました。

定期的に御祈祷の時間があるのだと思いますが、

予期せぬサプライズ御祈祷に、ここまで登ってきたご褒美をもらったようでした。

 

 

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お社のとなりに、頂上の標柱を発見!!!

これで、本当に登頂成功です!

 

 

御朱印

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汗と努力の結晶、御朱印です。

 

 

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鳥居の手前にある社務所でいただけます。

 

 

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御朱印と一緒に、お札をいただきました。

 

* * *

 

雄山神社の参拝を終え、そこで軽食を取り、来た道を戻りました。

帰りは帰りで、最終バスの時間が迫っており、冷や汗ものでした。

無事に帰宅できたことに感謝です。

 

 

旅を振り返って・・・

8月の山の日にちなんで、山に鎮座する神社2社をご紹介しました。

 こうして振り返ってみると、登山もいいですね。

子どもの頃よく登りましたが、ここ最近また興味が沸いてきています。

来年あたりから登山と神社を絡めた旅も増やせたらいいなと思っているのですが、

まずは登山友達を探すところからですかね。

やっぱり1人じゃ危ないですよね~。

 

 

<登山を伴う神社の過去記事 ↓ ↓ ↓>

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雄山神社 峰本社】
所在地:富山県中新川郡立山町立山峰1
御朱印:有(夏場のみ)
公式サイト:http://www.oyamajinja.org/index.html
(※2013年8月16日時点の情報です。)

石割神社/石割山(山梨県南都郡山中湖村) ~山と神社 1/2~

【2015/11/12】
石割神社/石割山

【2013/08/16】
雄山神社 峰本社/雄山

 

山と神社

未だコロナが落ち着かずなかなか新しい旅に出かけられないので、

しばらく過去旅でも振り返ろうかなと思います。

 

今回は8月の祝日『山の日』にちなみ、山の中に鎮座する神社2社をご紹介します。

 

 

<登山を伴う神社の過去記事 ↓ ↓ ↓>

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石割神社

1社目は、山梨県の石割山山中に鎮座する、石割神社です。

登山を趣味に持つ父が、富士山の写真を撮るため石割山に行くとのことで、

同行することにしました。

石割山山頂から眺める富士山が絶景らしいのです。

私も登山は好きな方ですが、行く決め手となったのは父のこの言葉。

「山の中にすごい神社があるよ」

感想を先に言ってしまうと・・・本当にすごい神社でした!!!

 

 

 鳥居・登山口

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駐車場から小さな橋を渡るとすぐ、石割山の登山口になります。

この日は2015年11月、紅葉がとても美しい季節でした。

 

 

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登山口には、朱色の立派な鳥居。

山に神様がいらっしゃるということは承知の上ですが、

やはり鳥居をくぐると余計に背筋がシャキッとするものです。

 

 

 狛犬

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狛犬さんたちに見送られながら登山開始!!

行ってきま~す!

 

 

 参道

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石割神社は石割山の8合目に位置しており、

まず最初に403段の階段を登らなくてはなりません。

 

 

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403段・・・聞いただけでげんなりな段数ですが、

丸太か何かの階段かと思いきや石できれいに整備されていたので、

「これは有難い!!!」と意気揚々と登り始めました。

しかし、整備されていても山の道。

微妙な傾斜が結構きつく、先の方を見ると階段が壁に見えます。

始めこそ「1、2、3、、、」なんて数えながら登っていましたが、

50も過ぎた頃にはお尻がピキピキ・・・段数などどうでもよくなっていました。

 

 

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登っても登っても、先が見えません。

 

 

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同じような写真ばかりあげていますが、本当にいつまで経ってもこの景色なのです。

(こんな写真があと2~3枚ありました。)

紅葉?そんなもの見ている余裕などまったくなく、

普通の山道の方が楽かもしれません・・・。

 

 

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息も絶え絶えなんとか階段を登り切ると、石割神社の案内板が出てきました。

 

 

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ここからは、なだらかな山道に変わります。

まだしばらく歩くことになるのですが、階段に比べたら全然楽ちん!!

「落ち葉のじゅうたんだ~♪」なんて、

ここでやっと景色を楽しめるようになりました。

 

 

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「あ!!神社だ!!!」と思ったら避難小屋だった、、

というフェイントを食らいつつ先に進みます。 

 

 

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だんだんと紙垂がかけられた岩を見かけるようになりました。

いよいよ神社も近いように感じられます。

 

 

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おーっ!!!これは御神木ではありませんか???

 

 

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山道を歩き続けること30~40分、ようやく石割神社に到着しました。

草木が生い茂った細い山道が突然開けたかと思うと、

そこには今まで見たことがないくらいの、幻想的な世界が広がっていました。

 

 

 境内

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こちらが、石割神社です。

ひっそりと佇むお社と、どんと構えた大きな岩。

霧がかった姿が、古い水墨画を見ているかのようでした。

 

 

 狛犬

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赤い目をした狛犬も雰囲気があります。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
天手力男命(あめのたぢからおのみこと)

【御由緒】
この神社は、石割山の8合目に鎮座し、むかしから古事記にある『天の岩戸』伝説の地といわれている神域であります。
また、御神体の大岩が『石』の字に似て割れているので、石割神社の名が付いたともいわれ、切り立った大岩には、高さ約15メートル、幅約60センチメートル、長さ約15メートルほどの隙間があり、その間を3回通れば(時計回り)幸運が開けるといわれています。
この岩の割れ目から滴り落ちる湧水は、眼病・皮膚病などに効く薬水として伝承され、多くの崇敬者がそのご利益に浴しております。
(出典:境内案内板)

御祭神は、岩戸をこじあけ天照大御神を引き出した神様です。

 

 

 御神体

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お社の隣に立つ大きな岩は、御神体としてお祀りされています。

この迫力!

この大岩からは、御祭神を表したかのような力強さを感じました。

 

 

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刀でスパンと切ったかのような割れ目が入っています。

案内板には、この割れ目が『石』の字に似ていることが社名の由来とありました。

ということは、石割山に鎮座するから石割神社なのではなく、

石割神社をもとに石割山と名付けられた、ということなんですね。

それにしてもこの割れ目、『石』の文字に見えるでしょうか?

正直、私には石よりも『万』という字に見えます。

 

 

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この大岩、中を通り抜けることができます。

「時計回りに3周すると幸運になれる」とのことで、

私もそのご利益を授かろうと3周してみました。

 

なかなか狭い入口です。

リュックを背負ったままだと、確実に引っ掛かります。

(出入口はスロープと手すりがあるので安全です。)

 

 

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大岩の中はこのようになっていて、真横に突っ切っているといったイメージです。
ここもまた狭い。


 

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中肉タイプの父が通って、このようなサイズ感です。

途中、真横にならないと通れなかった箇所もあったような記憶です。 

 

突然ですが、ここでどうでもよすぎる話をひとつ。

この神社に到着した直後、父がスマホを落として完全に壊れてしまいました。

(画面バリバリ・画面真っ暗・電源入らない・・・)

肩を落とす父に「岩を回れば奇跡的に直るかもよ!」と声をかけたのですが、

この時父は、何を思って岩を回っていたのでしょう???

父の背中が、なんだか切ないです。。。

(ちなみに、スマホは当然ながら壊れたままでした。。)

 

 

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壁の隙間からは、境内が見えました。

眼病に効くという湧水ですかね?

滴るほどではありませんでしたが、しっとりとした感覚は味わえました。

 

 

 その他

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石割山には天狗の伝説もあるのでしょうか?

お社には羽団扇が描かれた幕や、鉄下駄が奉納されていました。

 

 

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「ゴミを捨てると事故・病気・ケガ等の罰をうけます」という、

恐怖心を煽る注意書きも、、、神様は見ています!

 

* * *

 

先があるので、このへんで神社を後にします。

石割神社、、、とても不思議な神社でした。

普段行っている街中の神社と比べると、まず音と空気が違います。

街や人の騒めきが一切なく、聞こえるのは風、葉が揺れる音、鳥の囀りのみ。

清々しさと恐怖が入り混じったような独特な空気が漂っていました。

神様・天狗・妖怪・・・何が出てきてもおかしくない!といった感じでしたね。

 

私はこの雰囲気、とても好きです。

気軽に来れないということもあってか、

この場を去ることがとても惜しい気持ちでいっぱいになりました。

 

 

石割山

 登山道

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石割神社を参拝後は、石割山の山頂を目指します。

神社までは歩きやすい道でしたが、登るにつれてまたもや急斜面。

今度は木の根などに足をかけながら登って行きます。

 

 

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倒木!!!

土がぬかるんでいたので、足が滑って登るのが大変でした。

 

 

 山頂

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そして、山頂に到着!!

木の根を掴むのに両手がふさがっていたのであまり写真は撮れませんでしたが、

私はこのタイプの山道は好きな方なので、楽しいうちに登頂成功できました。

私のような登山初心者さんには、ちょうどいい山かもしれません。

 

さて、ここからが父にとっての本題です。

この山頂から富士山の写真を撮る目的で、ここまで登ってきました。

写真に収めたいほど美しい絶景。

いったいどんな景色が広がっているのでしょう。

写真はコチラ

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真っ白!!!!

ガスに包まれて、2m先を歩く人すら見えませんでした。

そりゃそうです。

行きの途中も、富士山どころか青空すら見てませんからね。

「多分、今日は無理だな。」と、父も早々に悟ってはいました・・・残念!!

 

 

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そんなこんなで、すぐさま下山です。

石割神社を通り、あの長い階段まで戻ってきました。

登りも辛かったけど、下る方が足にきますね・・・。

下りは焦らず、紅葉を楽しみながらゆっくりゆっくり下りてきました。

 

 

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下から見た富士・・山・・・?

ここまで隠れてくれた方が、逆に諦めもつきますね。。

スマホが壊れて、写真も撮れなかった父に幸あれ!!!

心からそう思った1日でした。 

当の本人はネタにしているみたいですけど。

 

石割山からの富士山の眺めは、山中湖観光情報HPからどうぞ。

 

 

 

 

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【石割神社/石割山】
所在地:山梨県南都留郡山中湖村平野1979
御朱印:無
駐車場:有
(※2015年11月12日時点の情報です。)

雷電神社・伊奈良神社(群馬県邑楽郡板倉町) ~館林をめぐる旅 6/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣

 

雷電神社

 鳥居

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館林市からちょっとはみ出て、お隣の邑楽町まで移動しました。

4社目は、雷電神社です。

関東一円、利根川流域に点在する雷電神社の総本社となります。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)
大雷大神(おおいかづちのおおかみ)
別雷大神(わけいかづちのおおかみ)

【御由緒】
当神社の歴史は古く、1400年をさかのぼります。主な御祭神は、火雷大神・大雷大神・別雷大神です。また、併せて、学問の神、菅原道真公がお祀りされております。推古天皇の御代、聖徳太子が天の神の声を聴いて、伊奈良の沼に浮かぶ小島に祠を設け、天の神をお祀りしたのが最初とされています。
(出典:雷電神社HP

雷電神社は、「地震・雷・火事除け」の神様として知られています。

関東でも特に、群馬・茨城・栃木の北関東は、雷が多発する地域。

夏場にテレビを見ていると、雷雨注意報のテロップを毎日のように目にします。

 

雷は山などの地形によって発生するものですが、

昔の人々は「神様が鳴らしている音」と考えていたようで、

雷雨の影響で川が氾濫したこともあり、利根川付近に多く鎮座しているそうです。

 

最近では、電気関係の仕事をされている方の参拝も多いのだとか。

 

 

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拝殿の屋根には、三つ葉葵の紋。

これは、館林城徳川綱吉の命で行われた大改修後に使用が許可されたものです。

綱吉は雷が大の苦手だったそうなので、

雷電様への信仰心も篤かったのではないでしょうか。

 

 

 本殿

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本殿には豪華な彫刻が施されていました。

これは、左甚五郎から10代目の親方、石原常八のもの。

 

 

 奥宮

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本殿の裏手には、奥宮。

伊邪那美大神がお祀りされています。

 

 

 八幡宮・稲荷神社

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奥宮に並んで、八幡宮稲荷神社。

室町時代に造営されたこの社殿は群馬県最古の神社建築と言われ、

国の重要文化財に指定されています。

社殿には2つの扉があり、八幡大神稲荷大神が祀られています。

 

 

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2組の扉の真ん中に1本の柱が立つこの造りは「二間社造り」と呼ばれ、

重要文化財クラスでは全国に7カ所しかない珍しい造りだそうです。

 

 

 その他境内社

雷電神社のHPを見てみると、他にも神馬社や弁天社・雷電沼などがあるようです。

が、写真もなければ記憶にもありません。。。

多分、隅々まで回っていなかったのだと思います・・・残念。

 

 

 福禄寿像

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館林七福神巡りのひとつ、福禄寿。

 

 

 水かけ童子

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優しく微笑む、水かけ童子

 

 

 雷童子

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童子

サブゥー(プロレスラー)さながらのポーズがかわいいです。

ふ、と現れて助けてくれるそうです。

 

 

別棟へ

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神社の裏手から外に出て、別棟の社務所へ向かいます。

 

 

 弁天像

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社務所までの道には、大きな弁天様のお姿。

足元にはヘビの置物が奉納されています。

 

 

 手形

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弁天様の隣には、赤い手形のついた岩。

「なにこれ!怖い!!!」

案内板がなかったため、謎の手形にただただ恐怖だったことを覚えています。

「手を合わせてみろよ!」

と、S氏に手を引っ張られた記憶も蘇りました(怒)

 

後々調べてわかったのですが、この手形は『雷電為衛門』という力士のものでした。

1700年後半~1800年前半に活躍した長野県出身の力士で、

「大相撲史上未曽有の最強力士」と言われているそうです。

 

 

 社務所

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道を渡り社務所へ。

 

 

 なまずさん

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社務所の奥には、『なまずさん』がいます。

鬼(雷様?)に囲まれ、食われる寸前のように見えるのですが・・・(汗)

 

 

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なまずさんを撫でると地震を避け自信が湧いてくる」と言われています。

たくさんの人に撫でられたのでしょう。

特に頭がテッカテカに輝いていました。

ちなみに、なまずさんを撫でる用のハンカチも販売されています。

 

そんなご利益を授けてくださるなまずさんですから、

鬼たちは食べようとしているのではなく、見守っているのかもしれませんね。

(食べる設定はまずないか・・・笑)

 

 

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側には、なまずさんに乗った鬼がいました。

食べられそうになったり、見守られたり、乗られたり、、、と、

鬼となまずさんの力関係が気になるところです。

 

 

御朱印

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境内に戻り、御朱印をいただきました。

御朱印は、拝殿横の社務所でいただけます。

四角い枠に収まる雷電神社の字面がかっこよくて好きです。

 

 

伊奈良神社

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なまずさんがいた社務所の隣にも神社があったので覗いてみました。

伊奈良神社です。

 

 

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境内に案内板等なく情報がまったく見つからなかったため、

御祭神や創建年数は不明です。

雷電神社に「伊奈良の沼」と出てくるので、

社名は地名、御祭神もこの地にゆかりのある神様なのでしょう。

 

* * *

ここまで順調に御朱印が集まっています。

「1社ももらえなかったよ~」と嘆いていたS氏ですが、、、

たまたま宮司さんが不在だったのか、定休日が重なっているのか・・・

仏滅は社務所が閉まっている神社もありますね。

とにかく、その日はS氏にとってよほど御朱印とのご縁が薄い日だったのでしょう。

「神様がまた来てほしくて御朱印を渡さなかったんですよ!」

と励ましておきましたけどね。

私も御朱印をいただけず帰ることが多々あるので(もらい忘れることも・・)、

そういう時はこう思うようにしています。

 

 

 

 

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雷電神社
所在地:群馬県邑楽郡板倉町板倉2334
アクセス:東武日光線「板倉東洋大学前駅」よりバス「旧役場入口」下車徒歩13分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:有
公式サイト:http://www.raiden.or.jp/(※音注意!雷の音が鳴ります。)

【伊奈良神社】
所在地:群馬県邑楽郡板倉町板倉3415
アクセス:同上
御朱印:無
駐車場:雷電神社と一緒に参拝されると良いかと思います。
(※2019年3月24日時点の情報です。)

尾曳稲荷神社(群馬県館林市) ~館林をめぐる旅 5/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣 

 

尾曳稲荷神社

 鳥居

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3社目は、尾曳稲荷神社です。

この地にはかつて館林城(別名:尾曳城)があり、

尾曳稲荷神社はその守護神として創建されました。

林城の鬼門に位置しているそうです。

 

 

 参道

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参道には、朱の鳥居が並びます。

千本鳥居と言うには本数が少なく感じますが、

それでも何本もの鳥居を連続でくぐるのは不思議な気分になります。

異世界に繋がってる感が否めません。

 

 

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まったくの余談ですが、駐車場から境内は謎のトンネルから出入りしました。

 

 

 狛犬・狛狐

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拝殿前には、狛犬と狛狐。

いい2ショットです。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

【御由緒】
第5代後奈良天皇の御代第12代足利義晴義晴将軍の時天文元年(昭和51年から445年前)城主赤井照光の創祀にかかる。
大袋城主の赤井山城守照光は享禄元年正月舞木城主の許へ年賀の途中子供が狐児を捕え殺そうとしているのを救ってやった処その夜更一老翁が顕れて、子供の助かった例をのべ照光の居城大袋よりも館林が要害堅固の土地であると説き明晩御案内申し上げようといいおわって姿を消した。翌晩果たして老狐が顕れ尾を曳て先導し字侍辺に始まり字加加法師に来て夜が明けた別れに臨み、もし築城完成の暁は永く当城の守護神に仕えよう私は稲荷の神使新左衛門であると言い終り形を没した。照光はこれに依って築城しその名も尾曳城と号し城中に稲荷郭郭の一部を設け社殿を造営し尾曳稲荷神社を奉祀した。
(出典:境内案内板)

こちらの神社には館林城築城に深く拘る伝説が残されています。

その名も『尾曳伝説』

 

「大袋城主赤井照光が捕らえられそうになっている狐を助けたところ、

照光の前に稲荷の神使であると言う狐が現れた。

その狐は照光に城を建てるよう、尾を曳きながらその位置や配置を指南した。

「本丸が見える位置に祀れば城を守ろう」と約束すると、狐は姿を消してしまう。

お告げの通りに大袋城の沼を挟んだ対岸に尾曳城を築城し稲荷神社を祀ったところ、

敵の来襲から2度も救ってくれたという。」

 

拝殿回りだったと思いますが、この伝説を描いた絵が飾られていました。

 

 

 拝殿

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境内でひとりのおばあちゃんに話しかけられました。

参拝客かと思い挨拶したところ、

「●十年前にここに嫁いできたんだよ。」と、神社の方でした。

そのおばちゃんは、神社や館林城について説明してくださいました。

お殿様にお使いしていた方が宮司を務めたのを始まりに、

代々この神社をお守りしているとのこと。

現在は息子さんが継いでいるのだそうです。

 

「この鉢も見てってね。」

この手水鉢は徳川綱吉が城主だった頃に行われた城郭の改修工事の際に、

その工事に従事した石工職人から奉納された物だそうです。

徳川綱吉が城主だった時期は1661年~1680年)

 

 

 花の弁財天

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境内社には、弁天様が祀られていました。

花の弁財天・・・とは?

「花の」に関して特に説明がなかったのですが、

『つつじの館林七福神めぐり』のひとつとのことで、

「花の」と付けられているのかもしれません。

館林はつつじが有名です。

 

ちなみにこのぶら旅コース内では、

 と4カ所も含まれていました。

  

 

御朱印

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最後に御朱印をいただきました。

書置きタイプです。

男性の神職さんが応対してくださったのですが、

「この人が息子さんかしら?」

と余計なことで頭がいっぱいだったことを思い出します。。

 

* * *

 

公式サイトを見ながらこの記事を書いている最中、

尾曳稲荷神社には他にも伝説に纏わる関連神社があることを知りました。

  • 伝説の狐が尾を曳き始めた場所、初曳稲荷神社。
  • 尾を曳き終えた場所、夜明稲荷神社。

「うわ~!こういうの大好きすぎる!!」

最近、伝説系にハマっている私です。

ということで、近々行ってみようとゴソゴソ調べ始めました。

(館林は暑いので実際に行くのは秋以降になると思いますが・・・)

この日は時間の都合上、館林城を見ず次の目的地へ向かってしまったので、

林城とそれにゆかりのある寺社をテーマにめぐってみたいと考えています。

 

 

 

 

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【尾曳稲荷神社】
所在地:群馬県館林市尾曳町10-1
アクセス:東武鉄道館林駅」よりバス「こども科学館前」下車徒歩5分
御朱印:有
駐車場:有
公式サイト:http://www.cc9.ne.jp/~obikiinari/index.html
(※2019年3月24日時点の情報です。)

長良神社(群馬県館林市) ~館林をめぐる旅 4/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣

 

長良神社

2社目は、長良神社です。

この辺りは長良神社が数多く点在しており、

長良神社に着いては「ここじゃないな・・どこの長良神社だったっけ・・」と、

S氏が迷っていました。

結構な時間、車でぐるぐる回っていた記憶です。笑

S氏が目的としていた長良神社は、館林総鎮守の神社でした。

神社の裏手から入ってしまったようで、鳥居などの写真がありません。。。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
藤原長良公(ふじわらのながら/ながよしこう)

【合祀】
蛭児命、大国主命豊受姫命金山比古神、伊弉諾命、伊弉册命、猿田彦神鹿屋野比売神、倭建命、句々逎馳神、長乳歯神、素盞嗚命、大山衹神、倉稲魂命、木花咲夜咲夜姫命、菅原道真公、大日霎命

【御由緒】
祭神藤原長良公は贈太政政大臣正一位藤原冬嗣公の長子で、権中納言兼左衛門督に任ぜられ、東国平治のため下向常に民衆を憐れみ、病を癒し、貧を救い、仁恵を施した。
任満ちて帰京の後、斉衡3年7月3日(856年)御年55才で薨去す。
後元慶元年(877年)左大臣正一位正一位、重ねて同3年(879年)太政大臣を贈られた。死後貞観観11年3月18日(869年)大和国春日大社末社に列せられた。時に上野の住人赤井良遠なる者が長良公の余徳を慕い、本国に勧請せんと奏聞し、勅許を得て佐貫莊長柄郷瀬戸井村上の森に社殿を造営した。以後佐貫の人民をはじめ郡内の人民の信仰深く、分社するものが多く赤井山城守照光照光館林城主となるや、天福寺境内に社殿を造営して当地に勧請する。爾来領主代々氏子の崇敬厚く、社殿を修復し、境内の整備につとめ、社地の寄進等あり祭事の興隆に努力せられた。
享保5子年(1720年)正一位長良大明神の宣旨を賜り、明治6年1月郷社に列し長良神社と改称する。最近祭神長良公の余徳を慕い氏子をはじめ遠近より参拝するものも多く、館林市惣鎮守として社頭殷賑を極めている。

【御神徳】
祭神長良公が東国平治のため当国一帯の善政を施し、民衆を救済し、国土開拓の大業をなし遂げられた偉業を崇め奉り、国土開発の神、国土家内安全の神、五穀豊穣の神、無業息災延命長寿の神などと崇められ、また合祀の17柱の神はそれぞれ、医薬の神、厄難除の神として多くの人々から深く信仰されている。
(出典:境内案内板)

 

国主としてこの地を治めていた藤原長良公をお祀りしているとのことで。

藤原長良とは?」と思い調べていたところ、とんでもない事実が!?

なんと、藤原長良上野国の国主を務めたという記録がないのだとか・・・。

となると、由緒にもある上野の住人が個人的に慕い、お祀りしたのでしょうか?

 

 

 織姫神社

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境内社織姫神社

 

 

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織姫神社狛犬には『さわらないで!のぼらないで!』と札がかかっていました。

そうとう古いものなのでしょう。

見た感じ捕らわれたかのような雰囲気で、ちょっとかわいそうな狛犬でした。

 

 

御朱印

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御朱印です。

子神社御朱印も、こちらでいただけます。

 

* * *

 

長良神社のインスタがあったので覗いてみたところ、

現在は月ごとに限定御朱印があるようです。

季節のイラストが描かれたカラフルな御朱印でした。

夏は花手水も行われており、週替わりでいろいろなお花が楽しめるようです。

私が忘れているだけなのか・・・

参拝当時はとてもシンプルな神社という印象だったのですが、

女の子が好むようなとてもかわいらしい雰囲気が窺えました。

また、再訪してみたいですね。

宮司さんに、藤原長良の謎も聞いてみたいです。

 

 

 

 

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長良神社】
所在地:群馬県館林市代官町11-38
アクセス:東武鉄道館林駅」より徒歩14分
御朱印:有
駐車場:有
(※2019年3月24日時点の情報です。)

子神社(群馬県館林市) ~館林をめぐる旅 3/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣

 

御朱印を求めて

ここからは、2019年3月に行った館林めぐりのお話になります。

この日は、趣味友達のS氏と一緒にめぐりました。

S氏はその少し前に茂林寺へ参拝に行ったらしいのですが、

他の神社を回っていて時間が間に合わず御朱印がもらえなかったうえに、

他の神社でも社務所が閉まっているなどが重なり、収穫0だったそうです。

「1枚ももらえないとか、そんなことあるんすかwww」

 

そういったわけでリトライしたいと、館林めぐりのお誘いをいただきました。

私も館林は茂林寺しか行ったことがなかったので、もちOK!

S氏と共に、館林の御朱印集めの旅に出ました。

今回のコースは、S氏がみごとに惨敗した寺社たちを再訪しています。

 

 

子神社

鳥居

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1社目は、子神社。

「子ノ権現様」と親しまれ、足腰の神様として有名です。

無人の神社ですが、境内はきれいに管理され、松の木も美しく整えられていました。

お祭りの日には屋台が並び、多くの人で賑わうそうです。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
大己貴命(おおなむちのみこと)

【御由緒】
創建不詳。子神社は明治初年神仏分後の名称で一般には「子ノ権現様」の名で知られている。現在の社殿は明治2年(1869年)に改築されたもの。伝説に依れば御祭神大己貴命は非常に旅好きの神様でそして大変な健脚の持ち主で鉄の草鞋をはいて旅をしたと言い伝えられております。
それにあやかってか何百年も前から鍛冶屋で草鞋作り又手作りの草鞋にて祈願を致しております。大祭日には氏子を始め遠近の崇敬者諸々の信仰厚く門前境内は参拝者にて列をなします。花火奉納神楽余興等行われ数多くの露店も並び祭に華を添えております。
足腰の神様として近郷近在にない御利益のある神様で関東各地より参拝祈願される者多く又大願成就御礼の額に納め奉納されております。
(出典:境内案内板)

 

 

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由緒によると創建年代は不詳とのことでしたが、

社殿前にあった狛犬は顔が崩れかなり古そうな雰囲気です。

「〇〇って書いてある」とS氏。

〇〇の部分は元号なのですが、どの時代だったかは忘れてしまいました・・・。

その場で調べたら、明治の数個前だった気がします。

(だいぶ前の旅なので、その話がこの狛犬だったかも疑わしいですが、、汗)

 

 

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『子=ねずみ』は、御祭神のお使いです。

彫刻や瓦には、ねずみが施されていました。

彫刻を見るとねずみが米俵を突いていますね・・・食べられちゃいますよ。笑

 

 

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御祭神が鉄の草鞋を履いて旅をしていたということから、

鉄の草鞋が奉納されていました。

見るからに重そうな草鞋です。

 

 

 絵馬

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絵馬も草鞋型。

ステンレスでできているそうです。

境内の数カ所に絵馬掛けがあり、それぞれいっぱいに草鞋絵馬が下がっていたので、

それだけの多くの人が参拝に訪れていることがわかります。

それにしても、ステンレス製の絵馬とは、初めて見ました。

絵馬が風に揺れて、眩しいほどギラギラしていました。

 

 

www.mi-cha34.com

最近、変わった形の絵馬を見ることが多くなりました。

子神社の草履に近い形だと、気象神社の絵馬が似ています。

気象神社では「明日天気にな~れ」の下駄型をしていました。

 

 

御朱印

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最後に御朱印です。

子神社は社務所はなく無人神社です。

御朱印は、長良神社でいただくことができます。

 

まずは、1つ目無事GETです☆

 

 

 

 

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【子神社】
所在地:群馬県館林市赤生田町2215
アクセス:東武鉄道館林駅」よりバス「上志柄集会所前」「赤羽公民館前」下車徒歩5分
御朱印:有(長良神社)
駐車場:有
(※2019年3月24日時点の情報です。)

茂林寺(群馬県館林市) ~館林をめぐる旅 1/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣

 

館林めぐり

所用で群馬県館林市に行ってきました。

予定は午後からでしたが、ちょっと早めの午前9時に現地入り。

館林には私の好きなお寺があるので、

用事の前に、お寺の参拝と館林うどんを堪能しました。

 

 

『ぶんぶく茶釜』狸の町

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予定がある館林駅へ行く前に、ひとつ手前の茂林寺前駅で下車しました。

駅名でお気づきになるかと思いますが、茂林寺というお寺を参拝します。

茂林寺は、童話『ぶんぶく茶釜』の由来となったお寺。

そのため町のあちこちで狸の像を目にします。

 

 

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さっそく駅前で、狸の親子(?)に会いました。

これから、家族でお出かけかな?

 

 

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こんな看板もあったので、本物の狸に会うこともあるみたいですね。

 

 

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駅から茂林寺までは徒歩10分の道のり。

その道沿いには、ぶんぶく茶釜のストーリーが書かれた看板が並んでおり、

1~13のお話を読み進めていくと茂林寺にたどり着くことができます。 

 

 

<ぶんぶく茶釜(童話Ver.)>
昔々、上野国館林に、茂林寺というお寺がありました。
ある日、茂林寺の和尚さんは村の道具屋で茶釜を買いました。
和尚さんが、千人法会の日に茶釜を使用したところ、どんなにお茶を入れても、茶釜のお湯は少しも減りませんでした。
その夜、和尚さんが眠っていると、茶釜が置いてある部屋から物音がしました。覗いてみると、なんと茶釜が狸に化けているではありませんか。和尚さんが、みんなを呼びに行って部屋に戻ると、茶釜はもとの茶釜に戻っていました。
次の日、和尚さんは道具屋さんを呼んで、気味が悪いからこの茶釜を壊してしまおうかと話していると、狸は話を聞いて、慌てて頭を出し、手足を出して飛び上がりました。狸は、驚かすつもりはなく、恩返しがしたかっただけだと、和尚さんに謝りました。
和尚さんは怒ることもなく、村のみんなにもこの狸の茶釜を見せてやりたいと言いました。
お寺に演芸場を作り、狸の茶釜が踊りながら綱の上で宙返り。お客さんは大喜び。毎日毎日、たくさんのお客さんが来ました。
狸の茶釜のおかげで入ったたくさんのお金で、和尚さんは、村のために橋を作ったり、堤防を作ったりしました。
そして、和尚さんは「みんなに福が分けられた」と、この狸を『分福茶釜』と名付けました。
昔々の物語。今では、この茶釜は茂林寺で静かに眠っています。
(出典:茂林寺パンフレット)
分福茶釜茂林寺Ver.)>
寺伝によると、開山大林正通に従って、伊香保から館林に来た守鶴は、代々の住職に仕えました。
元亀元年(1570年)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要になりました。その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴は、自らこの茶釜を、福を分ける与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言いました。
その後、守鶴は十世天南正青の代に、熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現してしまいます。これ以上、寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます。
人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去りました。時は天正15年(1587年)2月28日。守鶴が開山大林正通と小庵を結んでから161年の月日が経っていました。
後にこの寺伝は、明治・大正期の作家、巌谷小波氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました。
(出典:茂林寺HP

童話のぶんぶく茶釜は、茂林寺に残る伝説を基に作られています。

童話では茶釜に化けた狸が描かれていますが、

もともとは狸の化身だった老僧が持ち込んだ不思議な茶釜のお話だったようです。

こうして読み比べてみると、子ども向けのアレンジが素晴らしいですね。

 

 

茂林寺

 寺標

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お話を読んでいるうちに、あっという間に茂林寺に到着しました。

 

 

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参道には、おみやげ屋さんが並びます。

(閉業しているお店がほとんど??)

開店準備をしていた店員さんが、

「おはようございま~す」

「暑い中、ご苦労様」

などと声をかけてくれました。

ここのおみやげ屋さんは、とてもフレンドリーな方が多いです。

 

 

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妖艶な看板娘もお出迎えしてくれました。

 

 

 総門

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総門から境内に入ります。

この門をくぐると、童話の世界へ入りこんでしまったような、、、?

ちょっとユニークな景色を目にすることになります。

 

 

 参道・山門

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総門から山門までの参道。

参道の両脇に何やら立っていますね・・・

 

 

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たぬき!タヌキ!!狸です!!!

この参道には20体以上の狸が整列して、参拝客を歓迎してくれます。

狸たちに挟まれて歩く参道は、

まるでファッションショーのランウェイを歩いているかのよう。

 

 

 参道狸コレクション

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参道に並ぶ狸たちをちょこっとご紹介。

「コロナに負けるな」

感染予防バッチリ狸。

 

 

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お数珠を持った和尚狸。

 

 

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木魚はまかせろ狸。

 

 

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酒飲み狸。

 

 

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枝をくわえたワイルド狸。

 

 

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おちゃめな分福茶釜狸。

私はこの茶釜タイプが好きですね~かわいいです♪

 

この日の狸たちは普通の姿をしていましたが、

季節や行事によって素敵に着飾った狸たちを見ることができます。

以前訪れた時は、お相撲さんの浴衣を着ていたことがありました。 

 

 

 巨大狸

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山門の近くには、巨大なボス狸が待ち構えています。

単体の写真ではわかり難いと思いますが、、、

 

 

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お隣の狸(参道の狸より少し小さめ)と比べるとこの通りです。

 

ふと気づいたのですが、茂林寺の狸はみんな上を向いていますね、、なぜだろう?

上を向いて歩こう!」的な意味合いでもあるのでしょうか?

 

 

 本堂・宝物殿

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【御本尊】
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)

【宗派】
曹洞宗

【御由緒】
曹洞宗名刹、青龍山茂林寺は、その開山を大林正通としています。正通は美濃国土岐氏の出目で、龍泰寺開山華叟正蕚の法嗣でした。寺伝によると、正通は諸国行脚の折、上野国に立ち寄り、伊香保山麓で守鶴と出会います。この守鶴は、のちに茂林寺分福茶釜を持ち込んだ老僧です。
応永33年、正通は守鶴を伴い、館林の地に来往し、小庵を結びます。応仁2年、青柳城主赤井正光は、正通に深く帰依し、自領地の内8万坪を寄進し、小庵を改めて堂宇を建立し、青龍山茂林寺と号しました。正光は、自ら当山の開基大檀那となり、伽藍の維持に務めました。大永2年には、後柏原天皇から勅願寺の綸旨を賜ります。寛永19年(1642年)には、三代将軍徳川家光より23石4斗余の朱印を下賜されております。
(出典:茂林寺パンフレット)

御本尊様へのお参りを済ませた後、本堂の中にある宝物館を見学しました。

宝物館では、実物の分福茶釜を見ることができます。

(写真撮影禁止)

実際に分福茶釜を見てみると・・・

童話の印象が強かったので小さな茶釜を想像していたのですが、

いやいや、人が持つのもやっとでは?それほど大きくズッシリとした茶釜でした。

狸だったら釜の中に2匹は入れるかもしれません。

他にも様々なファッションや仕草をした狸像、狸のはく製、資料などなど、

とにかく狸が楽しめます。

参拝に行かれた際は、宝物館も覗いてみるのもおすすめです!

 

 

 守鶴堂

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本堂の近くには、茶釜を持ち込んだ守鶴和尚をお祀りするお堂があります。

 

 

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お堂の前には狛狸。

 

 

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お堂の周りにもたくさんの狸が、、、みんないい笑顔ですね。

 

 石碑

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境内の隅には、童話の一部が刻まれた石碑もありました。 

 

 

境内の樹々

狸ばかりに目が行ってしまいますが、、、

緑に囲まれた境内では、花や樹々などもゆっくり眺めたいものです。

 

 

 しだれ桜

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本堂の前には、立派なしだれ桜。

 

 

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本堂が隠れてしまうほど、葉が茂っています。

緑の時期もきれいで大好きなのですが、本堂の撮影には手こずりました・・・。

 

 

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しかし、花の季節になると、こんなにも美しい。

これは3月の、まだ肌寒い時期です。

 

 

 ラカンマキ

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群馬県の天然記念物、ラカンマキ。

高さ5m程度が一般的なものに対し、茂林寺ラカンマキは14mもあります。

茂林寺開基の際に植えられ、樹齢580年以上。

葉先が尖っていることから、魔除けとして植えられたそうです。

花の見頃は、5月~6月とのこと。

 

 

 藤

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藤棚もありました。

 

今回は時期的に花を見ることができませんでしたが、

元気に茂る緑もとてもさわやかできれいでした。

 

 

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おっ!

草むらの中にも狸発見!!

 

 

御朱印

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御朱印は2種類です。

こちらは、御本尊様のお名前が書かれたもの。

(現在は書置きのみのようです。)

 

 

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こちらは『分福』と書かれています。

福の字が狸のお腹のようなデザインでかわいらしいです。

 

 

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そして、もう一枚。

御朱印ではありませんが、御朱印と一緒に袋に入っていました。

アマビエ狸~!

コロナが終息するまでの期間限定でしょうか???

このかわいらしさに思わず笑ってしまいました、、笑って免疫力UPですね ↑

 

 

茂林寺公園

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茂林寺に隣接する、茂林寺公園。

沼や湿原が広がり、散策することができます。

 

 

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茂林寺に訪れるたびに歩いてみよう思うのですが、未だ未散策。。

今回も入口付近から茂林寺沼を眺めて終わりました。

とてつもなく暑かったので・・・。

もしかすると、茂林寺沼でアマビエ狸に会えたかもしれませんね。

 

 

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茂林寺の参拝を終え、駅へ戻ります。

茂林寺のすぐ近くで、ぶんぶく茶釜のマンホールを見つけました!

何度か来ているのに、初めて気づいた~。

このマンホールも、是非、探してみてください。 

 

 

 

 

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【青龍山 茂林寺
所在地:群馬県館林市堀工町1570
アクセス:東武伊勢崎線茂林寺前駅」より徒歩10分
拝観時間:9:00~16:00
定休日:木曜日不定
宝物館拝観料:300円(一般)、150円(子ども)
御朱印:有
駐車場:有
公式サイト:http://www7.plala.or.jp/morin/index.html
(※2021年7月24日時点の情報です。)

井沢弥惣兵衛為永の墓/常福寺・柴山伏越(埼玉県白岡市) ~氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅 追加旅~

プロローグ】
氷川三社と見沼の竜伝説について

【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社 → 氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> →  <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社国昌寺見沼の龍萬年寺見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) →  見沼通船堀・八丁堤 喫茶 花あかり下山口新田稲荷社・大間木水神社鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越

 

追加旅

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(写真:見沼自然公園

幼い頃から当たり前の風景であった、見沼代用水。

もちろん、現在の完全に整備された状態でしか見たことがなかったので、

その歴史が江戸時代にまで遡るとは思いませんでした。

そして、井沢弥惣兵衛為永とう人物を知ったのも、この旅がきっかけです。

 

 

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見沼の竜伝説をめぐっている中で、

井沢弥惣兵衛の墓が白岡市にあるということを知り、行ってみることにしました。

これだけ記事を書かせてもらったので、最後にお礼をと。

そんなわけで、これを最後にこのシリーズを終わりにしたいと思います。

 

場所はさいたま市から変わって、白岡市柴山。

田んぼが広がるのどかな風景です。

柴山には柴山沼という有名な釣りスポットもあります。

 

 

常福寺

 山門

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常福寺に来ました。

車で行ったのですが、直前までの道が狭くて狭くて、、、

対向車とすれ違うのにどうしたらいいのかわからずヒヤヒヤしてしまいました。

墓地があるので駐車場もあるかと思っていたのですが見当たらず。

近くに駐車できそうなスペースがあったので、そこに車を停めさせてもらいました。

 

 

 本堂

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【御本尊】
不動明王(ふどうみょうおう)

【宗派】
曹洞宗

【御由緒】
柴山にある曹洞宗の寺で除堀(現久喜市)の不動寺の末寺。山号は聚光山。本尊は不動明王常福寺には寺の前を流れる見沼代用水の開削に当たった紀州流土木技術者である井沢弥惣兵衛為永の墓石もある。
(出典:白岡市HP

境内は本堂のそばにお地蔵様が立っていたくらいで、その他は墓地のようでした。

 

 

 井沢弥惣兵衛為永の墓

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井沢弥惣兵衛為永の墓は、門の外側に入口があります。

 

 

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【井沢弥惣兵衛為永の墓】
見沼代用水路普請奉行
幕府勘定吟味役 紀州流土木技術者
紀州溝口村(和歌山県海南市)に生まれました。はじめ紀州徳川家に仕えましたが、藩主吉宗が8代将軍となった時、招かれて旗本となる。全国各地の河川改修や新田開発いい著しい活躍をし、勘定吟味役に昇進しました。
為永の行った最大かつ代表的な紀州流土木事業が、見沼の開発であり、享保12~3年(1727~1728年)奉行として自ら測量設計監督にあたり見沼の干拓、代用水路の開削、沿線の新田開発を行った。重要な施設の中でも、この地の柴山伏越は用水と河川の立体交差で、瓦葺掛度井(現在伏越)と共に為永のすぐれた技術を知ることができます。
元文3年(1738年)3月1日逝去、享年76歳、江戸麹町(東京都千代田区)心法寺に葬られました。
法名 崇岳院殿隆誉賢厳英翁居士(すうがくいんでんりゅうよけんげんえいおうこじ)
明和4年(1767年)水路沿線村民は為永の遺徳をしのび、ここ常福寺に分骨して墓石を建てました。
(出典:境内案内板)

最後に井沢弥惣兵衛のお墓参りができてよかったです。

とてもスッキリとした気分で、旅を終えることができました。 

 

 

柴山伏越

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常福寺の向かいには見沼代用水が流れています。

ここにも、弥惣兵衛の功績が残されているので、少し覗いてみました。

 

 

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柴山伏越とは、常福寺の先を横切る元荒川と見沼代用水の交差地点。

一見ただの川ですが、元荒川の川底を見沼代用水が通り抜けています。

 

 

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なぜか橋の写真しか撮っていなかったので、案内板の写真をお借りします。

大きな川が元荒川。

橋の左側に見沼代用水が通っています。

『上流の白岡市柴山から元荒川の川底を見沼代用水路が、

木製の樋管を使ってサイフォン方式で潜り、

下流蓮田市上平野に抜け出るしくみ。』

になっているそうです。

 

 

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現在はコンクリート製ですが木製の伏越は老朽化が激しく、

現在に至るまでに20数回の改修工事が行われたそうです。

 

 

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弥惣兵衛の墓の目の前には水門。

この水門は、見沼代用水の水量の増減を調節しています。

 

 

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少しばかりホラーな案内板。笑

私は橋を渡りませんでしたが、

元荒川の向こう側の水門までが見学コースになっているようです。

 

* * *

 

といった感じで、

『氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅』

これにて本当に終了です。

 

 

 

 

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【聚光山 常福寺
所在地:埼玉県白岡市柴山1103
アクセス:JR「蓮田駅」よりバス「西上平野」下車徒歩17分
御朱印:無
駐車場:不明

【芝山伏越】
常福寺のすぐそば

(※2021年7月12日時点の情報です。)