関東ぶらりん旅

神社仏閣、B級スポット、ご当地グルメを楽しむ旅(散歩)

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下山口新田稲荷社・大間木水神社(埼玉県さいたま市) ~氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅 14/15~

【プロローグ】
氷川三社と見沼の竜伝説について

【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社 → 氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> →  <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社国昌寺見沼の龍萬年寺見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) →  見沼通船堀・八丁堤 喫茶 花あかり下山口新田稲荷社・大間木水神社鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越

 

神社

見沼通船堀に並んで走る道沿い(吉場安行東京線)の神社2社もお参りしました。

稲作の発展・水難防止を願い祀られており、

見沼田んぼ見沼通船堀の歴史をずっと見守り続けてきた神社です。

 

 

下山口新田稲荷社

 鳥居

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まずは、稲荷社。

見沼通船堀東縁の辺りに鎮座しています。

 

 

 社殿

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【御祭神】
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

【御由緒】
当地は、江戸中期に開発された見沼新田の内の一つである。『風土記稿』下山口新田村の項に「女体権現御旅所跡 土人の話に此開発の以前、沼中に祭竹と号せるものを立て、三室女体の御旅所とせり、(以下略)」と載るように、まだ沼地であったころには、三室女体神社が隔年の9月8日に行ったという御船祭の御旅所が置かれていた。それを示す祭竹や古銭・磁器片が発掘調査でも数多く発見されている。
当地の開発は、享保13年(1728年)に江戸小田原町鯉屋藤左衛門が入り、60年余りの難工事の末にようやく成し遂げられたものである。新田名はその功により鯉屋の姓姓である山口を当てたという。
本殿内には稲荷大明神像のほかに、勧請の添簡も残されており、それには、寛政寛政3年(1791年)初春吉辰に関平八・沼口以平衛両名をはじめとした氏子中の願いにより、京都伏見大社から正一位稲荷大明神を分霊することの許しを受けた旨が記されている。当地が悪水の集まり易い土地であったため、その開発が難航を極めたことから、ようやく農作も安定し始めたと思われる同年に村の繁栄を願い奉斎したものであろう。
当社は『風土記稿』に「稲荷社 鎮守なり、村民の持、地蔵堂」と載り、やがて明治6年に村社に列した。
(出典:境内案内板)

 

 

大間木水神社

 鳥居

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八丁堤の近くには、水神社が鎮座しています。

 

 

 社殿

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【御祭神】
罔象姫命(みづはのめのみこと)

【御由緒】
水神社は、見沼通船堀が開通した翌年の享保17年(1732年)6月の創建と伝わります。祭神は、水の神である罔象姫命をお祀りしています。
享保16年、井沢弥惣兵衛為永によって開削された見沼通船堀が開通し、江戸と見沼代用水路縁辺の村々との物資輸送が可能になりました。船は、代用水路縁辺の河川で荷物(江戸時代においては年貢米が主でした)を積んで江戸へ行き、帰りは肥料、塩、酒などの商品を積んできました。荷物の積みおろしをする河川場は、ヒバ川と東西の用水路沿いに59カ所あり、ここ八丁にも河川場がありました。八丁河川周辺には、河川輸送に携わる人たちが住んでおり、水神社は、そのような仕事につく人たちが、水難防止を祈願して祀ったものです。
なお、本殿は大正12年9月1日の大地震により全壊し、同13年に再建されたものです。
また、境内は国の史跡「見沼通船堀」の一部になっています。
(出典:境内案内板)

水神社は見沼通船堀が国指定史跡として登録された後に、

見沼通船堀の一部として追加登録されています。

 

 

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お社には竜の彫刻が施されていました。

見沼の竜神様でしょうか???

 

 

 

 

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【稲荷社】
所在地:埼玉県さいたま市緑区下山口新田17
アクセス:JR「東浦和駅」より徒歩17分
御朱印:無
駐車場:無

【水神社】
所在地:埼玉県さいたま市緑区大間木2395
アクセス:JR「東浦和駅」より徒歩12分
御朱印:無
駐車場:無

厳嶋神社(埼玉県さいたま市) ~氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅 11/15~

【プロローグ】
氷川三社と見沼の竜伝説について

【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社 → 氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> →  <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社国昌寺見沼の龍萬年寺見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) →  見沼通船堀・八丁堤喫茶 花あかり下山口新田稲荷社・大間木水神社鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越
 

見沼の竜伝説『美女と馬子』

【美女と馬子】
足を痛めた美女に出会った馬子が彼女を送ってやると、女はお礼に小さな箱を「決してあけないでください」と言いながら渡し去った。その後、馬子の家には幸運が相次いだ。
しかしある日、馬子は約束を破り小箱を開けてしまう。すると、中には一枚の鱗が入っていた。そしてそれ以降、今度は不幸ばかり起こるようになった。
家のものは「美女は竜の化身で、箱を開けたことに怒っての仕打ちに違いない」と考え、祠を作り弁天様を祀った。

これが最後の見沼の竜伝説となります。

これまでの伝説にはイタズラ竜が多く登場していましたが、

今回は美女に化けた竜のお話です。

このお話は『まんが日本昔ばなし』でも紹介されており、

要約サイトや動画でより詳細なストーリーを知ることができました。

以下は、まんが日本昔ばなしを大まかにまとめたものです。

「平吉という馬子が竜の化身に恋をする」という、

ちょっとしたラブストーリでもありました。

 

「平吉という馬子が市場からの帰り道、足を痛めた美しい娘と出会う。

その娘を馬に乗せてやると、見沼の辺りで馬を降り、礼を言って沼へ消えていった。

婚約者がありながら娘のことが忘れられない平吉。

娘と出会った辺りをうろついてみるが、娘は姿を現すことはなかった。

 

ある日、平吉は見沼の竹やぶから竹を取り、笛を作った。

その笛を見沼で吹いてみると、笛に合わせて琵琶の音が・・・

するとそこには、琵琶を持った娘が立っていた。

娘は平吉に玉手箱を渡すと、

「これはあの時のお礼です。

中には幸せが入っています。

絶対に箱はあけないでください。

幸せが逃げて行ってしまいますよ・・・」

そう告げると去ってしまった。

 

娘の言葉通り平吉は幸運ばかり続き、たちまち村一番の長者に。

しかし、平吉の心は満たされずにいた。

「幸せとは一体なんだろう・・・?」

箱をもらった2年後、平吉はついに箱を開けてしまう。

すると中から1匹の白蛇が這い出て行き、1枚の鱗だけが残った。

 

それからというもの、平吉はあっという間に元の馬子に戻ってしまった。

平吉に残されていたのは、いつまでも平吉を信じ待っていた婚約者。

その後、平吉は婚約者と結ばれ幸せに暮らした。

平吉は見沼にお社を建て、その玉手箱と鱗を祀ったという。」

 

まんが日本昔ばなしバージョンのあらすじは、

まんが日本昔ばなしデータベース

というサイトを参考にさせていただきました。

 

それにしても、なぜこの手の昔話は

「開けてはいけない」

「見てはいけない」

というルールが多いのでしょうか???

 

 

 

厳嶋神社(下山口弁天)

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東川口から東浦和へ移動。

駅から20分ほど歩き、平吉が玉手箱と鱗を祀ったという、厳嶋神社を訪ねました。

そこには、伝説に出てくる『鱗』をかたどった神具があるというのです。

その神社は、見沼代用水沿いに鎮座していました。

 

 

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それは住宅と並んで建っている、とても小さなお社でした。

 

 

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【御祭神】
弁才天(べんざいてん)

【御由緒】
見沼が干拓される前に創建。

白蛇といえば、弁天様。

水とかかわりの深い地ですから、

この辺りは弁天様をお祀りしている神社が多く存在します。

 

というか、、、「厳神社」という字なんですね。

この記事を書いている時に気づきました!!

ずっと「厳神社」と書いていたので、慌てて書き直しました。 

 

 

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伝説では、玉手箱と鱗を祀ったとあります。

その鱗をかたどった神具があるとのことで、

失礼を承知で格子の隙間から中を伺わせてもらいました。

玉手箱らしき物は見当たりませんでしたが、鱗のような形をした物を発見!!

金色に輝いた小さな団扇のような物が飾られていました。

(写真が撮れなかったので、絵に描いてみました↑↑)

確かに鱗と言われれば鱗に見えます。

とてもきれいな状態だったので、比較的最近の物のようにも見えました。

どなたかが伝説になぞらえて奉納しているのでしょうか?

竜が彫られた欄間に比べたらとても小さく些細な置物ですが、

このような形でいつまでも伝説を残していこうというのは、

粋で素敵なことに思えました。

 

 

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厳嶋神社から見える橋。

 

 

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この橋は、平吉が笛を吹いた橋だと言われているそうです。

住宅や道路が通っている場所も、昔は沼が広がっていたんですね。

平吉が笛を作った竹やぶもあったのでしょう。

 

一見スルーしがちな小さな神社も、

伝説を知ることでとても大きなロマンを感じられます。

 

  

 

 

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厳嶋神社(下山口弁天)】
所在地:埼玉県さいたま市緑区下山口新田78-3
アクセス:JR「東浦和駅」より徒歩20分
御朱印:無
駐車場:無
(※2021年4月10日付けの情報です。)

大門神社(埼玉県さいたま市) ~氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅 10/15~

【プロローグ】
氷川三社と見沼の竜伝説について

【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社 → 氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> →  <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社国昌寺見沼の龍萬年寺見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) →  見沼通船堀・八丁堤喫茶 花あかり下山口新田稲荷社・大間木水神社鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越
 

2週目

1日では回り切れなかった見沼の竜伝説、今回から2週目の様子をお届けします。

2週目は東川口駅からスタート。

今回のコースは前回の『氷川女体神社~萬年寺』と同じく旧浦和市地区ですが、

川口市寄りのエリアとなります。

今回もかなり歩きました・・・。

 

 

大門神社

 鳥居

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東川口駅から徒歩20分、大門神社へ。

こちらの神社では『釘付けの竜』を見ることができます。

 

 

 参道

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まっすぐに伸びた参道。

吹き抜ける風が清々しく、とても気持ち良いです。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
天神七代之大神(てんじんしちだいのおおかみ)
国之常立神(くにのとこたちのかみ)
豊雲野神(とよくもぬのかも)
宇比地邇神(うひちにのかみ)
角杙神(つのぐいのかみ)
意富斗能地神(おほとのぢのかみ)
・淤母陀琉之神(おもだるのかみ)
伊邪那岐神(いざなぎのかみ)

地神五大之大神(ちじんごだいのおおかみ)
・正勝吾勝勝速日天之忍穂耳之命(まさかあかつかちはやびあめのおしほみみのみこと)
・天菩卑能命(あめのほひのみこと)
天津日子根命(あまつひこねのみこと)
活津日子根命(いくつひこねのみこと)
熊野久須毘命(くまぬくすびのみこと)

【御由緒】
日光御成街道の江戸日本橋から数えて4番目の宿場である大門町は、中世から鎌倉街道中道の道筋として発展し、毎月8の日に市が立った。この市については、戦国期の成立とされる「市場之祭文写」に「足立郡大門市祭成之」と記されており、市を開くに当たり修験者により無事息災と繁盛を祈って祈願文が読み上げられたことがわかる。
当社は、この大門町の鎮守として祀られてきた神社で、『風土記稿』大門宿の項に十二所権現社 村の鎮守なり」とあるように、かつては十二所権現といったが、明治40年6月14日に地内の無格社8社と大字玄蕃新田の村社木傘神社・大字下田の村社稲荷社の計10社を合祀したことにより、改称したものである。往時の社名は熊野十二所権現に由来すると思われ、本山派修験として勢力のあった中尾村(現緑区中尾)の玉林院の活動が創立の背景にあったと考えられる。
江戸時代には、真言宗の熊野山宝光院華蔵寺が当社の別当で、明治5年に廃寺になるまでは参道西側に堂があった。開山の源盛は寛永元年(1624年)に寂している。その末裔は当社隣の熊野家である。
境内にある愛宕神社は、元禄年中(1688年~1704年)の創立で当時大門宿に大火があり、過半数の家々が焼失したことから、里人が相計って火防の神である愛宕様を勧請し、円福寺境内の小高い丘に祀ったと伝えられる。明治5年の円福寺廃寺に伴い、当社に移された。
(出典:パンフレット・境内案内板)

 

 

 本殿

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質素な拝殿とは違い、朱色の本殿には豪華な彫刻が施されていました。

 

 

 境内社

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本殿の右側には稲荷社。

 

 

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本殿の左側には天神社。

 

 

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御嶽社、浅間社。

 

 

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そして、愛宕社と並びます。

 

こちらの神社は社務所もなく、神職さんの常駐もありません。

ですが、掃除が行き届いており、とてもきれいな境内でした。

拝殿には、氏子さんが作られたであろう、パンフレットも用意されています。

 

 

見沼の竜伝説『釘付けの竜』

【釘付けの竜】
悪さをする2匹の竜がいるので、日光に向かう左甚五郎に竜を彫ってもらい大門の愛宕神社に封じ込めた。その竜が夜中に抜け出し田畑を荒らすという騒ぎになり、ある村人が甚五郎の彫った竜を釘付けにした。
釘付けの竜といえば、前回訪れた国昌寺の竜も釘付けにされていました。
物語の内容も非常に類似しているので、
ひとつの物語が竜を持つ神社やお寺に分散したのでは・・・?
と個人的に考えています。
彫刻の作者も同じ左甚五郎なのですが、2つを読み比べてみると、
日光の行きに愛宕神社、帰りは国昌寺で竜を彫らされているんですね。
こんなちょっとした設定付けが、なんだか妙でおもしろいです。
 
 

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お話に出てくる『釘付けの竜』は、境内社愛宕社で見ることができます。

由緒によると、愛宕社が大門神社に移築されたのは明治5年とのことなので、

円福寺にあった時代に彫刻が施されたのでしょうか???

 

 

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お社の扉が開いていたので、中を覗きます。

すると、、、

 

 

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元気の良さそうな竜を発見!!

この竜が『釘付けの竜』です。

なんとなく釘が打ってあるように見える箇所もあります。

国昌寺の竜よりもだいぶ小ぶりで、

生まれたての赤ちゃん竜のような雰囲気もありますが、

ドンッと突き出した頭には躍動感があって、今にも飛び出してきそうな勢いでした。

「ここから出してくれよ~!!」

と、参拝客にすがっているようにも見えます。

 

 

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ちなみにこちらが、国昌寺の竜。

同じ作者と思えないのは私だけでしょうか???

 

 

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左甚五郎と言えば、日光東照宮の眠り猫。

う~ん、彼の彫る作品の特徴がよくわかりません。。。

 

 

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拝殿の欄間にも竜が彫られていました。

特に言われはなさそうですが、迫力があってかっこいいです!!

・・・どちらかというと、こっちの方が国昌寺の竜と似てる!?

 

 

 

 

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【大門神社】
所在地:埼玉県さいたま市緑区大門2933
アクセス:JR「東川口駅」より徒歩20分、埼玉高速鉄道浦和美園駅」より徒歩15分
御朱印:無
駐車場:有
(※2021年4月10日付けの情報です。)

萬年寺(埼玉県さいたま市) ~氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅 8/15~

【プロローグ】
氷川三社と見沼の竜伝説について

【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社 → 氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> →  <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社国昌寺見沼の龍萬年寺見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) →  見沼通船堀・八丁堤喫茶 花あかり下山口新田稲荷社・大間木水神社鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越
 

萬年寺

 山門

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見沼の竜『マルコ』に別れを告げ、萬年寺へ向かいました。

前回「竜が役人に新田開発の中止を訴えた」という伝説をご紹介しましたが、

その伝説の舞台のひとつとなっているのがこのお寺です。

 

 

 本殿

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【御本尊】
釈迦如来(しゃかにょらい)

【宗派】
曹洞宗

【御由緒】
萬年寺は、見沼を望む台地上に位置する曹洞宗の寺院です。永正6年(1509年)に開山し、天正19年(1591年)に徳川家康から寺領20石を拝領した古刹です。
江戸時代初期、見沼溜井造成に際し、寺域が水没したため伽藍を現在地に移したと伝わります。江戸時代中期には、溜井の干拓及び見沼代用水路の開削事業に際して、工事を担当した井澤弥惣兵衛為永が詰所を当寺に設けたと伝わり、文化14年(1817年)になって、見沼代用水路沿線の通船関係者が、為永ゆかりの当寺に顕彰碑を建立し、事績をしのびました。
なお、見沼周辺には、井澤弥惣兵衛為永と見沼の竜神にまつわる伝説が数多く残っています。
この地、境内には、瘤地蔵、庚申塔、当寺の中興開基となる初鹿野伝右衛門昌久の墓などがあります。幕末から明治にかけては寺小屋が開設され、村の子弟の教育にあたりました。
(出典:境内案内板)

 萬年寺は、現在の見沼代用水路建設時に、詰所として利用されていました。

 

 

 境内

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鐘楼。

 

 

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コブを治してくださるという、瘤地蔵。

 

 

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馬頭観音

 

 

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謎のお堂。



見沼の竜伝説『見沼の龍神灯』

【見沼の龍神灯】
将軍吉宗の命を受けた井澤弥惣兵衛為永は、この辺りの見沼を干拓し、利根川から代わりの水を引く工事をしていました。ある晩のこと、為永は夢を見ました。見沼の主である龍神という美しい娘が現れ、「私の住むところがなくなる、新しい住処を探すまで工事を中止してほしい・・・」といいます。来春の稲の作付けに間に合わせるため工事は1日も休めません。そのうち工事に負傷者や障害が続出し、為永も病に倒れてしまいました。するとまた夢に先ほどの美女が現れ、「おまえの病を治してあげるから、私の頼みも聞いて欲しい・・・」と、毎夜やってきては、夜明けに姿を消します。為永の病気はにわかに良くなりましたが、家来が為永の部屋を覗くと、蛇身の女が為永の体をなめまわしていました。家来の者もそれには気を失い、為永もその話を聞くと肝を冷やしました。
為永は、詰所を萬年寺に移しました。萬年寺でも、棺が門をくぐろうとする途中に舞い上がるというようなことが起こったため、人々は龍神が為永の仕打ちを恨んでの仕業に違いないといいあったといいます。
為永は龍神を慰めるため龍神灯をお供えしました。この龍神灯は萬年寺の大松をあかあかと灯しました。
出典(案内板)

国昌寺と同様、こちらの門でもくぐる棺に不可思議なことが起こったようです。 

 

 

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その門とは、正面の赤い門のことでしょうか???

普通に開かれていて竜の彫り物もないので、別にあったのでしょうか???

 

 

 井澤弥惣兵衛為永

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(写真:見沼自然公園にて撮影したもの)

広大な沼であった見沼は、徳川の命により新田に姿を変えます。

その際、田に水を引くための溜井(見沼井)が作られました。

もっと米を作りたい幕府ですが、これでは農業用水が足りません。

そこで、利根川から水を引きできた用水路が、現在の見沼代用水となります。

 

用水路建設を担当した幕府の役人、井澤弥惣兵衛為永(写真)。

上記以外にも、竜と為永にまつわる伝説は多く残されているようで、

これが本当ならば竜と幕府の板挟みで散々だったことでしょう。。。

 

 

 伊奈氏

以前、『伊奈町の伝説』をめぐったことがありました。

伊奈氏屋敷跡周辺にも、龍や蛇のお話が多くあったことを思い出します。

というのも、井澤弥惣兵衛為永の時代から遡ること約100年前。

徳川家康の命で、見沼周辺の治水を行ったのが伊奈氏でした。

溜井も伊奈氏が作ったものです。

伊奈氏も「棲家を奪った」と龍神様に祟られていましたね・・・。

当時は「やたら龍が出てくるな~」なんて思う程度だったのですが、、、

ここへ来て伊奈町の伝説と話が繋がり、

今更ながら伊奈氏の働きをしっかり理解することができました。

 (伊奈町の伝説の記事はコチラ↓↓↓)

 

www.mi-cha34.com

 

www.mi-cha34.com

 

www.mi-cha34.com

 

 

 井澤弥惣兵衛為永顕彰碑

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【井澤弥惣兵衛為永と見沼代用水】
この碑は、見沼代用水を開いた功労者・井澤弥惣兵衛をたたえたものです。
井澤弥惣兵衛為永は、江戸時代の寛文3年(1663年)に紀伊国和歌山県)溝口村(海南市)に生まれ、土木技術に才能を発揮し紀州藩主5代にわたり仕えました。
その後、8代将軍徳川吉宗に招かれ、幕府勘定方に着任し、享保12年(1727年)から埼玉県に広がる見沼の開発に着手しました。見沼の開発は、利根川の水を下中条条(行田市)から引き入れ、距離60kmkmにおよぶ見沼代用水路を掘り進め周辺に新たな水田を開くという大がかりのものでした。
着手してから半年という短期間で用水路を堀りあげたと伝えられています。なお、弥惣兵衛は見沼代用水の工事のため万年寺(萬年寺)境内に工事事務所を置いていました。また、見沼代用水と芝川を利用して江戸とを結ぶ水運の便をはかり、米をはじめとする物資の輸送を効果的に行えるようにしました。浦和市にある国指定史跡の閘門式運河・見沼通船堀が広く知られています。
この碑のほか利根川から取水口近くに井沢祠、白岡町柴山常福寺には墓石があり、井澤弥惣兵衛為永の功績を現在に伝えています。現在でも見沼で工事を行う際にはこの碑に参拝して工事の安全祈願をするといわれています。
なお、弥惣兵衛は元文3年(1738年)に75歳で没し、江戸麹町(東京都千代田区麹町)の心法寺に葬られています。
(出典:境内案内板)

 

 

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【長昌山 萬年寺】
所在地:埼玉県さいたま市見沼区片柳1-155
アクセス:JR「大宮駅」よりバス「三崎台」下車徒歩13分、他
御朱印:不明
駐車場:有
(※2021年4月3日付けの情報です。)

開かずの門/国昌寺(埼玉県さいたま市) ~氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅 6/15~

【プロローグ】
氷川三社と見沼の竜伝説について

【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社 → 氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> →  <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社国昌寺見沼の龍萬年寺見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) →  見沼通船堀・八丁堤喫茶 花あかり下山口新田稲荷社・大間木水神社鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越
 

国昌寺

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氷川女体神社から歩くこと20分、見沼の竜伝説が残る国昌寺へ。


 

 本堂

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【御本尊】
釈迦如来(しゃかにょらい)

【宗派】
曹洞宗

【御由緒】
国昌寺は、曹洞宗の寺院で、大崎山国昌寺といいます。天正年間(1573~1592)、見沼区染谷にある常泉寺の第8世住職であった心巌宗智大和尚が開山しました。2世(中興開山)は能書家としても著名な大雲文竜です。
文竜は、名僧智識としてその名は朝廷にまで達し、特に書に秀でていたため、後陽成、後水尾両天皇から3度も召され、宮中で書を指南しています。寺には、寺宝として大雲文竜書の「大弁才尊天号」の軸物(市指定有形文化財)が伝わります。
山門は、江戸時代中期(宝暦頃)の建築で、市の有形文化財に指定されています。欄間の龍は、左甚五郎の作と伝えられるもので、棺を担いでこの門をくぐりぬけると、龍に中身を喰われて軽くなるという伝説を持っています。また、この龍は、もともと見沼に住んでいて作物を荒らしたので、日光から帰る途中の左甚五郎に龍を彫ってもらい、釘付けにしてい門におさめたという伝説もあります。
また、境内には、鎌倉時代の大型の阿弥陀一尊種子板石塔婆(市指定有形文化財)の文化財もあります。
(出典:境内案内板)

 

 

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お庭がきれいに整えられた、とても静かなお寺です。
 

 

 文鏡観音

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阿弥陀一尊種子板石塔婆

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見沼の竜伝説『開かずの門』

【開かずの門】
田畑を荒らす竜がいたので、日光帰りの左甚五郎に竜を掘ってもらい、山門に封じ込めました。
それからというもの、葬列が門下を通ると仏様が空になり棺が軽くなるので、これは甚五郎の竜が食べてしまったのだろうと、その竜を釘付けにし山門は閉ざされ「開かずの門」となりました。

国昌寺に残る竜伝説は、門に封じ込められてしまった竜のお話。

ここで登場する竜は、田畑を荒らしたり、仏様を食べてしまったり、、

とても困った竜です。

釘付けにされてもしかたないかもしれません・・・。

しかし、「作物を食べて生きていた竜が捕らえられてしまい、

お腹が空いて困ったあげく仏様に手を出してしまったのでは?」

なんて、竜目線から考えるとちょっと可哀そうなお話でもあります。。。

 

この伝説には、

川の氾濫・干ばつ・台風・・・何かしらの理由で不作の時期が続いた、

そんな背景が想像できます。

 

 

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こちらが、竜を封じ込めた門です。

江戸中期に建立。

現在の入口の並びに建っています。

開かずの門にしておくのはもったいないくらいの立派な門です。
 

 

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門の下から欄間を見上げると・・・いました!

 

 

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こちらが、いたずらっこの竜です。

人間に例えると「ちょっとやんちゃな男の子」といった印象の、

とてもイキイキとした竜が彫られています。

これは釘でも打っておかないと、今にも飛び出してきそうですね。

 

 

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この竜は、日光東照宮の『眠り猫』の作者、左甚五郎作と言われています。

日光で彫り物をした帰りに招き、この竜を彫ってもらったのだとか。

 

 

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境内側から見た門です。

表と違い、少し質素な感じです。

 

 

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裏側の欄間には竜はいませんでした。

「裏側の竜は逃げた」なんて伝説があったらおもしろいですね。

 

 

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この門は、磐船祭など特別な日に限り開門されるとのことです。

この顔!!

年に数度のチャンスを伺い、門を通る人々を狙っているようにしか見えないのは、

私だけでしょうか???

この門を通った時、上から竜のよだれが降ってくるかもしれません、、注意です!

 

 

御朱印

御朱印はあるそうですが、いただいてくるのを忘れました。。

次回伺った時にでも。

 

 

 

 

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【大崎山 国昌寺】
所在地:埼玉県さいたま市緑区大崎2378
アクセス:JR「浦和駅」「東浦和駅」よりバス「総持院」下車徒歩10分
御朱印:有
駐車場:有
(※2021年4月3日付けの情報です。)

氷川女体神社(埼玉県さいたま市) ~氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅 5/15~

【プロローグ】
氷川三社と見沼の竜伝説について

【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社 → 氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> →  <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社国昌寺見沼の龍 萬年寺見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) →  見沼通船堀・八丁堤喫茶 花あかり下山口新田稲荷社・大間木水神社鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越

 

氷川女体神社

 鳥居

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中山神社からバスと電車を乗り継ぎまくり、氷川女体神社へ。

氷川三社最後のお社です。

3社とも同じ市内ではありますが、公共交通機関で巡拝する場合、半日かかります。

氷川三社は配置こそ一直線ですが、交通の便が非常に悪いのが難点ですね。。

 

 

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正式には『氷川女神社』と書きますが、当ブログでは『体』で統一します。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
奇稲田姫尊(くしいなだひめのみこと)
大己貴尊(おおなむちのみこと)
三穂津姫尊(みつほひめのみこと)

【御由緒】
当社は崇神天皇の御代に、出雲杵築の大社を勧請した古社で、武蔵国一宮として見沼のほとりに鎮座している。
主祭神奇稲田姫命で、大己貴命三穂津姫命を配祀している。
当社の御手洗瀬である見沼を囲み、大宮氷川神社(男体社)大宮中川の中山神社(簸王子社)とともに、三社深い関係にあり、「三室」を伝えてきた。
古代。女神を祀るところや、社殿が東方に向いているなど、その創立の古さと由緒を忍ばせている。
中世以来。式門の崇敬を集めており、これらにゆかりある宝物も多い。徳川家康からは社領50石を寄進され、また、徳川家綱によって現存する社殿も建てられた。
古来からの御船遊神事は、見沼干拓後、磐船祭として行われ、その遺跡が存在している。
まだ、暖地性植物の繁茂する社叢は天然記念物であり、ふるさとの森にも指定されている。
(出典:境内案内板)

氷川女体神社は「女体社」と呼ばれ、御祭神はスサノオの奥様。

子のオオナムチ夫妻と合祀されています。

 

 

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女神がお祀りされていることから、

特に女性の願いを叶えてくださると言われています。

社務所には、願いが叶うと噂の巫女人形。

巫女さんが神様と私たちを取り持ってくれる、といった感じでしょうか。

お願い事が叶ったらこの人形に着物を着せて、再び神社へ納めます。

 

個人的にはご家族での参拝もおすすめな気がしました。

氷川三社を巡っていると、家族の絆のようなものが強く感じられるんですね。

なので、良縁・家族円満・子孫繁栄・・・

氷川三社では、そんなお願いをされてもいいのではないかなと思います。

 

 

境内社・その他境内

 境内社

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本殿の裏手に境内社が並びます。

天神松尾合社・住吉明神社・今宮神社・神明社

 

 

 御神木

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社務所の横に立つ御神木。

タブノキというそうです。

いつもお邪魔させてもらっているブロガーさんの記事で知ったのですが、、、

木にできた大きな瘤にご注目。

 

 

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なんと、木の幹から熊が顔を出していました!

 

 

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この角度の方がより熊に見えるでしょうか?

 

 

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正面はこんな感じ、、、全然熊じゃない!!

どことなく、ラクダみたい・・・?

 

この熊はテレビでも紹介され、かなり有名な御神木とのことです。

こちらの神社には何度か訪れているのですが、まったく気づきませんでした。

社務所前のこんなに目立つところに立っているのに・・・。

 

 

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 「前からあったかな~(疑いの念)」と、過去の写真を漁ってみました。

すると、、、2014年参拝時の写真の中に見つけました(↑)。

この時から、ガッツリ熊の顔をしていましたね、、

私も気づいていないながら、いい角度で撮影していました。笑

 

 

 宝物

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氷川女体神社には上記以外にも多くの文化財を所有しています。

そのことから『武蔵野の正倉院』と呼ばれています。

 

 

見沼の竜伝説

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氷川女体神社を参拝したところで、氷川三社めぐりは終了です。

それと同時に、ここから『見沼の竜伝説めぐり』が始まります。

 

大昔、この地は「見沼」と呼ばれる巨大な沼でした。

その沼には竜が棲むと言われており、市内には多くの竜伝説が残っています。

江戸時代になると、見沼は徳川の命により干拓され新田へと姿を変えます。

棲む場所を失った竜は、千葉県の印旛沼に移住したと言われています。

 

さいたま龍神まつり会(さいたま市竜伝説)

見沼の竜伝説についてまとめられたサイトです↑

 

氷川女体神社以降にご紹介する竜伝説ゆかりの地については、

数ある伝説の中から目に見える形で残されている場所を巡っています。 

 

 

 見沼竜神

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見沼の竜伝説をめぐるには、まずこちらの神社をお参りすること必須です。

氷川女体神社の境内社のひとつ、見沼竜神社です。

見沼の竜伝説にちなんだ竜神様をお祀りするお社です。 

 

 

 磐船祭祭祀遺跡

氷川女体神社では、見沼の竜神様の祭祀も行っており、

かつてこの地が沼だった時代、「御船祭」という神事が行われていました。

見沼に4本の竹を立て、氷川女体神社から御神輿を乗せた船を渡御し、

見沼の主に御神酒を捧げるお祭だったそうです。

 

4本の竹を立てていた四方竹遺跡は現在の芝川第一調節池に位置し、

地図だとこのような距離感です。

4本の竹を立てていた場所が明確になったのは比較的最近のことのようで、

調節池造成工事の際に行った発掘調査で790本の竹と古銭が出土したことから、

この場所に断定したとのことです。

790本・・・単純計算で約200回分の数になります。

このことから、御船祭にかなりの歴史があることが伺えます。

 

 

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御船祭 → 磐船祭(江戸) → 祇園祭(昭和)→ 祇園磐船龍神祭(平成17年~)

見沼の干拓後も、名や形を変えつつ祭祀は継承されていきます。

氷川女体神社の正面には、四本竹跡地から移設された磐船祭祭祀遺跡が残ります。

 

 

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磐船祭では、見沼の一部であった池に島を築き、祭祀の場としました。

 

 

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遺跡までの道の途中には、弁天様がお祀りされています。

 

 

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細い道を進んで行くと、丸く開けた場所に出ました。

こちらが、磐船祭祭祀遺跡です。

 

 

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中央には4本の木。

ここが祭壇の役割となる場所かと思われます。

 

 

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2014年の参拝時には、4本の木に竹が立てられていました。

4本の竹がとても重要なのですね。

 

 


www.youtube.com

現在の祇園磐船竜神祭も、この遺跡で行われているようです。

町を竜が練り歩く、とても華やかなお祭り。

これは、是非参加したいです!!

 

* * *

 

手厚く祀られ、数々の伝説が残り、市のマスコットにもなっている見沼の竜神様。

しかし、今となってはこの土地にいないことになっています。

人の手によって千葉県に追いやられてしまっているのですね・・・。

それでも尚、竜神様を崇め続けるのはちょっと不思議。

見沼は無くなったにせよ、

現在も見沼たんぼとして水と深く拘りがあることに変わりありません。

 「水害除け → 豊作祈願 → 竜神様ごめんなさい!帰ってきて~!!!」

御船祭が時代と共に名と形を変えてきたのと同様、

人々の竜神様へ対する願いや思いも変化しているのかもしれません。

 

 

御朱印

 通常版

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最後に御朱印です。

御朱印は4パターン。

私は、見沼の竜めぐりということで、竜の絵が入ったものをちょうだいしました。

巫女人形の絵柄もありました。

 

 

 一宮巡り発祥の地

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氷川女体神社は、武蔵国一宮です。

こちらの御朱印は、一宮専用の御朱印帳にいただいたものです。

 

 

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今回初めて知ったのですが、、、

氷川女体神社は『一宮巡り発祥の地』だったんですね。

橘三喜という江戸前期の神道家がここから巡拝を始め、

23年かけて全国の一宮神社を参拝したそうです。

 

たまたま偶然。

私の一宮めぐりも、この神社から始まりました。

社務所で一宮神社専用の御朱印帳をお願いしたところ、、、

「本当にやるの!?全国だよ!?大変だよ~!!」と言われたことを覚えています。

・・・うん、本当に大変!

一宮めぐりを開始してから10年経つわけですが、まだ22社しか行けていません。

これでは一生かけても終わらなそうなので、

「コンプリートするぞ!」というよりは「死ぬまでに何社行けるかな?」

そんな気持ちで楽しんでいます。

 

 

 

 

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【氷川女体神社】
所在地:埼玉県さいたま市緑区宮本2-17-1
アクセス:JR「浦和駅」「東浦和駅」よりバス「朝日坂上」下車徒歩5分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
一の宮御朱印帳:有(要確認)
駐車場:無(近隣に公園有)
(※2021年4月3日付けの情報です。)

中山神社(埼玉県さいたま市) ~氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅 4/15~

【プロローグ】
氷川三社と見沼の竜伝説について

【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社 → 氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> →  <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社国昌寺見沼の龍萬年寺見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) →  見沼通船堀・八丁堤喫茶 花あかり下山口新田稲荷社・大間木水神社鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越

 

中山神社

 鳥居

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氷川参道からバスに乗り、氷川三社の真ん中、中山神社へ。

 

 

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中山神社』という社名ではありますが、れっきとした氷川神社

鳥居には『氷川神社』の扁額が掲げられています。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
大己貴命(おおなむちのみこと)

【御由緒】
中山神社は、かつて中氷川神社と呼ばれた中川の鎮守である。創建を人皇十代崇神天皇の御代2年と伝えられる古社である。明治40年7月、神社合祀の際に社名を現在の中山神社に改められたが、今でも通称は「中氷川神社」で通っている。「中氷川」の由来は一説には、見沼に面した高鼻・三室(浦和)・中川の地に氷川社があり、各々、男体社、女体社、簸王子宮を祀り、当社が高鼻(男体)、三室(女体)の中間に位置したところから付けられたという。
天正19年(1591年)11月、徳川家康から社領15石の御朱印を賜わった格式のある神社である。
当社の祭礼の中でも、毎年12月8日に行われた鎮火祭は特に有名で、焚き終わった炭火の上を素足で渡り、無病息災及び火難がないよう祈願するものである。ただし、近年は事情によりこの行事は中断している。
現社殿の裏側に旧社殿が保存されているが、これは桃山様式をもつ市内最古の建造物として大宮市指定文化財となっている。
(出典:境内案内板)

御祭神はスサノオの子、大己貴命

男体社・女体社の間に建っていることから、

「中氷川神社」「簸王子社」などとも呼ばれています。

明治40年、周辺の神社を合祀した際に改名。

地名の中川と氏子関係にあった上山口新田から一文字ずつ取り、

中山神社』となりました。

 

 

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鳥居は『氷川神社』でしたが、拝殿には『中山神社』の扁額が掲げられていました。

 

* * *

 

逆に『中川』という地名は、この中氷川神社が由来と言います。

鎮火祭の火によって中氷川の『氷』が溶けたことから『中川』になったのだとか。

この由来、とてもおもしろいですよね。

 

 

 鎮火塚

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拝殿の手前には、中氷川の氷を溶かした鎮火塚があります。

 

 

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鎮火祭とは毎年12月8日に行われている火渡神事で、

炭火の上を素足で歩くことで、無病息災や防火の御神徳が得られるそうです。

 

 

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鎮火塚の四隅には力石。

 

 

境内社

 稲荷神社

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鳥居付近に、2社の稲荷神社。

  

 

 八社合祀殿

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神明社・飯成社・淡嶋社・疱瘡守護社・磐神社・石上社・竈神社・稲田宮主社

 

 

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中山神社は、手前の稲田宮主社によって氷川女体神社と繋がり、、、

 

 

 荒脛神社

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荒脛神社によって氷川神社と繋がっている、という伝えがあります。

稲田宮主社と荒脛神社の2社は、氷川レイラインの結び目といったところでしょうか。

両親の間に子を挟み、まるで親子3人が手を繋いでいるかのようですね。

仲睦まじい姿がイメージできます。

 

 

旧本殿

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境内を一通り見終えたら、本殿の裏手へ。

旧本殿が建っています。

格子の間から除くと、古びた木造の社殿を見ることができます。

建築年数は明らかではないものの、調査の結果、桃山時代と推測され、

市内では最古の建築物だそうです。

 

 

御神池

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神社を出ます。

本殿を背に少し歩くと、中山神社の神池があります。

 

 

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こちらの神池も見沼の名残。

神事の前に神職が禊を行っていたということですが、、、

この様子を見ると現在は使われていないような雰囲気ですね。

ここが神池と知ってか知らずか、ゴミの投げ捨てが多いようです。

池にはちらほらビニール袋などが見られました・・・悲

 

 

御朱印

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最後に御朱印です。

『氷川簸王子神社』バージョンをいただきました。

 

 

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前回は『中山神社』バージョンをいただいています。

この日は、たまたま宮司さんがいらっしゃり、直に書いていただけました。

「祭事で空けることが多いので、お参りの際はご連絡いただけると助かります。」

と、名刺もいただきました。

この当時は、御朱印の問い合わせが多かったようです。

 

 

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現在は、書置きが拝殿前に置いてあります。

初穂料はお賽銭箱に納めるシステムです。

境内社の稲荷神社と荒脛神社を加えた4種類です。

 

 

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境内に『御朱印めぐり』の幟と、御朱印がズラリと飾られていました。

 

 

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近くの神社と連携したイベントかと思ったのですが、

見たところすべて中山神社御朱印のようでした。

日によって限定御朱印があるのかもしれません。

それにしても、これだけ並ぶと圧倒されます。

こちらの宮司さんは、とても几帳面な字を書かれる方ですね。

 

 

 

 

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中山神社
所在地:埼玉県さいたま市見沼区中川145-65
アクセス:JR「大宮駅」よりバス「中山神社」下車徒歩3分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:有
(※2021年4月3日付けの情報です。)

大宮氷川神社(埼玉県さいたま市) ~氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅 2/15~

【プロローグ】
氷川三社と見沼の竜伝説について

【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社 → 氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> →  <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社国昌寺見沼の龍萬年寺見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) →  見沼通船堀・八丁堤喫茶 花あかり下山口新田稲荷社・大間木水神社鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越

 

大宮氷川神社

 一の鳥居

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さいたま新都心駅から徒歩6分。

今回のぶら旅は、武蔵国一宮の大宮氷川神社からスタートです。

お天気もよく、絶好のぶら旅日和。

ギリギリ桜も残っていました。

 

大宮氷川神社は、荒川流域を中心に280社以上ある氷川神社の総本社。

「大いなる宮居」と崇めていたことから、「大宮」の地名の由来ともなっています。

 

 

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一の鳥居から本殿へ向かいます。

こちらの神社はこれまで何度も訪れているのですが、

一の鳥居からちゃんと入るのは初めてのことかもしれません。

というのもこの参道、全長2㎞もある「日本一長い」参道なのです。

鳥居の先を見つめても、神社も欠片すら見えません・・・

なので、いつもは大宮駅からショートカットしています。

 

 

 参道 

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氷川神社は初詣の参拝客が200万人を超える超人気の神社です。

普段はたくさんの人で賑わっている参道ですが、この時の時間は8時ちょっと前。

早い時間だったせいか人がまばらで、自分のペースで気持ち良く歩けました。

この時間は、ランニングや犬の散歩をしている方が多いようです。

 

 

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散策路風になっていたり、広場があったり、休憩できるベンチがあったり・・・

長い道のりでもちょこちょこと雰囲気が変わるので、飽きずに歩くことができます。

一の鳥居付近の参道沿いには、おしゃれなカフェがたくさんあることを知りました。

今度、カフェめぐりもしてみたいですね。

 

 

 楢姫稲荷神社

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参道にも小さなお社があります。

こちらは楢姫(ならひめ)稲荷神社。

楢姫とは・・・?

人名だと思い調べてみたのですが、答えが見つかりませんでした。

この地域にゆかりのある方でしょうか???

 

 

 天満神社

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二の鳥居の手前には、天満神社があります。

 

 

 二の鳥居

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20分くらい歩いたでしょうか。

二の鳥居まで来ました。

大宮駅からショートカットした場合、この鳥居から潜ることになります。

ショートカットと言っておりますが、大宮駅からも結構な距離があります。

15分は歩くかな・・・。

一の鳥居から歩くのとあまり大差はないかもしれません。笑

 

 

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二の鳥居は、昭和51年に明治神宮から寄贈されたもの。

木造の鳥居では関東最大級の大きさを誇るそうです。

 

もとは明治神宮の二の鳥居でしたが、破損のため新しい鳥居が奉納されると、

旧二の鳥居は大宮氷川神社に移築されました。

鳥居が朱色に塗られたのは移築後のことです。

 

 

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余談ですが、この写真は明治神宮の現在の大鳥居(二の鳥居)です。

木造鳥居では日本一の大きさだと言います。

しかし、明治神宮の鳥居は高さ12m、氷川神社の鳥居は高さ13m・・・

鳥居の大きさとは、どの部分を基準に比べるのでしょうか???

 

そして、さらに余談です。

鳥居の奥に行列ができているのがおわかりになるでしょうか?

この日は、令和元年の最初の日。

これ、御朱印の行列なんです。

その行列は境内で幾度も折り返されていて、

案内の方が「只今、7時間待ちで~す!!!」と叫んでいました。

(この待ち時間は最終的に9時間にまで及んだそうです・・)

私も令和初日の御朱印目当ての参拝でしたが、さすがに諦めましたね・・・。

この時の話もいずれ記事にしようと思います。

 

 

 三の鳥居

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二の鳥居まで来てしまえば、三の鳥居もすぐそこです。

やっと入口までたどり着きました。

参道沿いの神社に寄り道したので、ここに来るまで40分もかかってしまいました。

 

 

 境内

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参道も長ければ、境内も広い!!

境内社や池など、見所がたくさんあります。 

 

 

 神橋・神池

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まずは御本殿にごあいさつ、拝殿へ向かいます。

三の鳥居をくぐり先を進むと、赤い橋『神橋』が現れました。

 

 

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 美しい朱色の橋の下に広がるのは『神池』。

ここにはなんと龍神様が棲んでいると言われており、

パワースポットとしても有名です。

 

昔、氷川神社周辺は『見沼』という巨大な沼でした。

もともと氷川神社は、見沼の水神様をお祀りしていたという説があります。

神池はその見沼の一部。

見沼には多くの竜伝説が残っています。

 

 

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そういえば最近、別の話題でも盛り上がっていましたね。

某テレビ番組で、神池の水を抜いていました。

そう、確かに汚かったんですよ・・・ここの池。

↑が抜く前の状態です。

沼はよどむんですかね、、まっ茶色。

 

 

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そして↑が抜いた後。

だいぶ、明るみが出てきた感じがします。

 

 

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今現在も、別の池で水を抜いている様子でした。

水がきれいになったら、龍神様も喜ぶことでしょう。

 

 

 楼門

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神橋を渡り、楼門へ。

この楼門もとても美しいです。

 

 

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扉からは少しおもしろい風景が見られます。

楼門の正面に建つのは拝殿ではなく・・・

 

 

 舞殿

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舞殿。

 

 

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楼門・舞殿・拝殿が一直線に並ぶ、あまり見ない造りになっています。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
須佐之男命(すさのおのみこと)
稲田姫命(いなだひめのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)

【御由緒】
氷川神社は、社記によると第5代孝昭天皇の3年4月未の日の創建と伝えられる。
当社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知の通りである。
古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇のとき、武蔵国造となった兄多毛比命(えたもひのみこと)が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇したと伝えられる。その後、聖武天皇(724~49年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、ついで称徳天皇天平神護2年(766年)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進された。さらに醍醐天皇の延長5年(927年)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次新嘗の社格が与えられている。
このほか、鎌倉時代には、治承4年(1180年)に源頼朝によって社殿の再建と社領3千貫が寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長9年(1604年)には、徳川氏より社領300万石が寄進され、また、文禄5年(1596年)と寛文7年(1667年)には社頭の整備と社殿の造営が行われている。
その後、明治元年(1868年)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定められ、明治天皇みずから親拝になった。同4年官幣大社となり、同15年に本殿・拝殿などを改造し、さらに昭和15年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。
祭神は須佐之男命・稲田姫命大己貴命
例大祭は8月1日。そのほか神事の中で特に有名なのが12月10日の大湯祭である。
(出典:境内案内板)

御祭神は、スサノオファミリーの三柱。

氷川三社では、須佐之男命を祀る「男体社」と呼ばれます。

島根県の斐伊神社もしくは杵築神社(出雲大社)から勧請されたとのことです。

 

大宮の地に須佐之男命をお祀りした理由に、このようなお話がありました。

大宮の一帯は川が多く何度も氾濫したため、何本もの川をヤマタノオロチに例え、

それを退治した須佐之男命をお祀りしたのだそうです。

「荒ぶる川」と書く荒川は、過去に幾度となく氾濫を繰り返した記録があります。

氷川神社が荒川流域に多く点在するのは、このような背景があったのですね。

ちなみに、『氷川神社』という社名は、出雲平野を流れる『斐伊川』が由来です。

 

 

境内社

 門客人神社・御嶽神社

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左側の門客人神社。

現在は稲田姫命の御親神である足摩乳命と手摩乳命がお祀りされていますが、

江戸時代までは「荒脛巾(あらはばき)神社」と呼ばれ、

アラハバキ神を地主神としてお祀りしていたそうです。

アラハバキ神は謎の多い神様と言われ様々な説が唱えられていますが、

その中に「蛇神・竜神」説もあったので、地主神とは見沼の水神様のことでしょう。

 

今回の旅は「見沼の竜伝説」ゆかりの地もめぐっているので、

こちらでもごあいさつさせていただきました。

 

 

 六社

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 住吉神社神明神社山祇神社愛宕神社・雷神社・石上神社

 

 

 天津神

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 松尾神社

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 宗像神社

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神池に浮かぶ島に建つ、宗像神社。

 

 

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ここには、とある有名スピリチュアルカウンセラーの方にまつわるお話があります。

その方は、この宗像神社で龍神様にお会いする夢を見たことがきっかけで、

能力が開花したのだそうです。

このエピソードが関係するのか、宗像神社もパワースポットとして人気です。

 

 

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池の外から撮影した宗像神社です。

偶然入ってしまった光が、まるで龍神様のように映りました。

 

 

 稲荷神社

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宗像神社の正面には、稲荷神社。

 

 

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先ほどの有名スピリチュアルカウンセラーの方が、

この稲荷神社についてもお話されていたのを覚えています。 

「この稲荷神社はかなり強いから、軽い気持ちでお参りしていはいけない・・」

なんてことをおっしゃっていました。

 

私には何の能力もありませんが、、、

ここの稲荷神社は少し怖い感じがして近寄れず、いつもスルーしてしまいます。

大きな木に囲まれていて薄暗く、他のお社とはちょっと違った空気感です。

 

 

蛇の池

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蛇の池。

少しわかりにくい場所にあるのですが、氷川神社にとってとても重要な池なので、

ここも参拝必須です。

 

 

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蛇の池までの道のりは、これまでの境内と少し雰囲気が変わり、

森林を歩いているような、穏やかな空気が漂います。

 

 

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しばらく歩くと、池が見えてきました。

奥の方に見えるのが、蛇の池です。

もう少し近くへ行きたいところなのですが、、、これより先は立ち入り禁止。

この場で手を合わせます。

 

 

 

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この場所は、現在は参拝可能となっていますが、昔は禁足地だったそうです。

それもそのはず。

蛇の池は、神池へと繋がっています。

その神池は見沼の一部とありましたね、、

そう、蛇の池とは、見沼の水源のひとつなのです。

そして、その水は今現在も湧き続けています。

 

水が湧き出る場所に神社を鎮座したことが氷川神社の始まりということで、

氷川神社発祥の地』とされています。

氷川神社で最も神聖な場所かもしれません。

 

 

その他境内

 神楽殿・絵馬殿

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 御神井

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 御神水

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 瓶

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 酒樽

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蓮田の地酒『神亀

 

 

 戦艦武蔵の碑

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 さざれ石

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 ふくろ絵馬

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絵馬も個人情報が保護される時代です。

 

 

御朱印

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最後に御朱印をいただきました。

春限定のさくら御朱印(書置き)です。

 

 

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通常版はこちら。

平成23年のものなので、字体や印のデザインが変わっている可能性もあります。

 

* * *

 

まずは1社目が終わりました。

歩数計を見ると、ここだけで10000歩を超えていました!

この先あと何社残っていることか・・・少しばかり大変な旅となりそうです。。

 

 

 

 

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氷川神社
所在地:埼玉県さいたま市大宮区高鼻町1-407
アクセス:JR「大宮駅」より徒歩10分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:有
公式サイト:http://musashiichinomiya-hikawa.or.jp/

(※2021年4月3日付けの情報です。)

【プロローグ】氷川三社と見沼の竜伝説 ~氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅 1/15~

【プロローグ】
氷川三社と見沼の竜伝説について

【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> →  <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社国昌寺見沼の龍萬年寺見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) →  見沼通船堀・八丁堤喫茶 花あかり下山口新田稲荷社・大間木水神社鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越
 

ぶら旅再開

何カ月ぶりでしょう・・・久しぶりにぶら旅に行ってきました。

コロナで自粛していたというのもありますが、

仕事が忙しくそれどころではなかったというのが理由の大半です。

ブログもなかなか更新できていませんしね。。

まだ完全に落ち着いてはいませんが(コロナも仕事も・・)、

体調管理に気を付けながら旅とブログを復活させて行きたいなと思っております。

 

さて今回は、氷川三社とそこにまつわる竜伝説ゆかりの地をめぐりました。

リハビリということで、普段からよく行っている神社をチョイス。

当初は氷川三社のみをサクッと回る予定だったのですが、、、

竜伝説について調べているうちにどんどんとコースが膨大に。

結果、2週に渡る大冒険となってしまいました。

少々はしゃぎすぎましたね。。。

 

それではさっそく本題!と行きたいところなのですが、、、

このシリーズの初回はプロローグとして、

氷川三社と龍神伝説について簡単に触れておこうと思います。

 

 

氷川三社

氷川神社大宮区)・ 中山神社見沼区)・ 氷川女体神社(緑区

今回は埼玉県さいたま市に鎮座する氷川神社3社を中心にめぐりました。

氷川神社とは大宮を総本社とし、荒川流域他280社以上鎮座する大きな神社です。

中でも「氷川三社」と呼ばれる上記3社は、

もともと三社一体で氷川神社を形成していたと言われています。

昔、その周辺に存在していた巨大な沼『見沼』の畔にあったことから、

見沼の水神様をお祀りしていたのではないかと考えられています。

 

現在の御祭神はスサノオファミリー。

氷川神社は『スサノオノミコト(夫)』をお祀りしていることから「男体社」、

中山神社は『オオナムチノミコト(子)』をお祀りしていることから「氷王子社」、

女体神社は『イナダヒメノミコト(妻)』をお祀りしていることから「女体社」、

とも呼ばれています。

 

 

 氷川レイライン

氷川神社中山神社・氷川女体神社は、レイラインで結ばれています。

3社は一直線上に配置されており、

夏至氷川神社に太陽が沈み、冬至は女体神社から太陽が昇ります。

レイラインというと結界やエネルギーの通り道などと言われることが多いですが、

この氷川レイラインに関しては、

稲作にとって重要な暦を把握するためではないかと考えられています。

 

 

見沼

江戸中期頃まで、この辺りは「見沼」と呼ばれる巨大な沼でした。

縄文時代に埼玉まで入り込んでいた奥東京湾が後退してできた沼沢地です。

その範囲は、現在のさいたま市(北区・大宮区見沼区浦和区緑区)と川口市

青いピンがその地域になります。

氷川神社はもともと見沼を『御沼』とし、そこに住む水神様をお祀りしていました。

MAPから、かなり広大な神域を持っていたことがわかります。

 

 

見沼の竜伝説

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氷川神社の神域であった見沼。

江戸時代に入ると、徳川の命で沼から新田へと姿を変えることになります。

そこで困ったのが、見沼を棲み処としていた竜。

さいたま市には、いたる地域に『見沼の竜伝説』が残っています。

 

さいたま龍神まつり会(さいたま市竜伝説)

ひとつひとつご紹介したいのですが、見沼の竜伝説はあまりにも数が多いので、

伝説とその大まかな内容がまとめてあるサイト↑をご参照いただけると幸いです。

 

今回は、数ある伝説の中から↓の5カ所をめぐりました。

  • 御船祭(氷川女体神社)
  • 開かずの門(国昌寺)
  • 見沼の竜神灯(萬年寺)
  • 釘付けの竜(愛宕神社
  • 美女と馬子(厳島神社

これらの寺社は、伝説が形として残されています。

 

* * *

 

というわけで、かなりざっくりとしていますが、

氷川三社と見沼の竜伝説について軽くお話させていただきました。

説明というよりは今後記事を書いて行くにあたってまとめておきたかったという、

個人的な事情で「プロローグ」を書きました、、

お付き合いありがとうございました。

次回からは旅の本編に入りたいと思います。

 

 

 

 

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亀井院(千葉県市川市) ~国府台ぶらりん旅 4/5~

【2020/10/24 ぶら旅コース】
國府神社国府台城跡/里見公園国府台天満宮 → 飛地天満宮亀井院 → 話飲茶屋 つぎはし
【コースMAP:国府台駅~国府台駅(※実際のルートと異なることがあります。)】

亀井院

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国府台駅に戻る途中、亀井院に立ち寄りました。

里見公園に北原白秋が暮らしていたという『紫烟草舎』が建っていましたね。

そこの案内板に白秋が紫烟草舎の前に暮らしていたお寺として紹介されていたので、

覗いてみることにしたのです。

 

 

 本堂

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【宗派】
日蓮宗

【御由緒】
万葉集歌人高橋虫麻呂は、手児奈が真間の井で水を汲んだという伝承を聞いて、
『勝鹿の真間の井を見れば立ち平し 水汲ましけむ手児奈し思ほゆ』
葛飾の真間の井を見ると、いつもいつもここに立って水をくんだという手児奈が偲ばれる。)の歌を残した。この真間の井は亀井院にある井戸がそれであると伝えられている。
亀井院は寛永12年(1635年)真間山弘法寺の11世日立上人が弘法寺貫主貫主の隠居寺として建立したもので、当初『瓶井坊』と称された。瓶井とは湧水がちょうど瓶に水を湛えたように満ちていたところから付けられたものである。
その後、元禄9年(1696年)の春、鈴木長頼は亡父長常を瓶井坊に葬り、その菩提を弔うため坊を修復したのである。以来瓶井坊は鈴木(れいぼく)院とよばれるようになった。
長頼は当時弘法寺の17世日貞上人と図り万葉集に歌われた『真間の井』、『真間の娘子(手児奈)の墓』、『継橋』の所在を後世に継承するため、それぞれの地に銘文を刻んだ碑を建てた。本寺の入口にあるのがその時の真間之位の碑である。
長頼没後、鈴木家は衰え鈴木院の名称も、また亀井坊と改められた。これは井のそばに霊亀が現れたからといわれている。
北原白秋が亀井院で生活したのは、大正5年5月中旬からひと月半にわたってのことである。それは彼の生涯で最も生活の困窮した時代であった。
『米櫃に米の幽かに音するは 白玉のごと果敢なかりけり』
この歌は当時の生活を如実に表現している。こうした中にあって真間の井に関しては次の一首を残している。
『蕗の葉に亀井の水のあふるれば 蛙啼くなりかつしかの真間』
その後、江戸川を渡った小岩の川べりに建つ、離れを借りて暮したが、これを紫烟草舎とよんでいる。
(出典:境内案内板)

 

 

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白秋が暮らしてい頃はこのような姿をしていたようです。

今では面影すらありませんね。。

 

 

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境内には、白秋が真間を歌った歌碑があります。

「蛍飛ぶ真間の小川の夕闇に蝦すくふ子か水音立つるは」

 

 

 真間の井

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白秋が暮らした地を覗きに来たのですが、ここにはもうひとつの見所がありました。

『真間の井』

以前ご紹介した、万葉集にも歌われる美女、手児奈伝説にまつわる井戸でした。

手児奈が水を汲んだという伝えがあるそうです。

 

亀井院は手児奈霊神堂の向いにあるのですが、

前回訪れた時にはまったく気づきませんでした。。。

 

(手児奈伝説についてはコチラ↓)

www.mi-cha34.com
www.mi-cha34.com

 

ちなみに亀井院は、かつて弘法寺の子院だったとのことです。

 

 

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真間の井は現存するとのことで、見に行ってみることに。

御堂の脇の扉をくぐり、小さな中庭へ向かいます。

 

 

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庭には大きな池がありました。

 

 

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あ!カメだ!!

石のカメをお母さんと間違えているのでしょうか?

背中に上がろうとしています。

 

井戸には霊亀が現れるとの言われがあるそうなので、

このカメはもしかすると・・・もしかするかもしれません。笑

 

 

 

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池を横目に奥へ進んで行くと、井戸が現れました。

 

 

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これが手児奈が使っていたと言われている、真間の井です。

バケツが置いてあり今にも誰かが水を汲みに来そうな雰囲気ですが、

現在は使用されていません。

 

手児奈の時代は、きれいな湧水を汲みにたくさんの人が集まっていたと言います。

当時はこの辺りまで海が入り込んでいたため、

ほとんどの井戸の水は塩気でとても飲めたものではなく、

生活用水として使えた井戸は真間の井ただひとつだったそうです。

 

 

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井戸のそばには真間の井が歌われた、万葉歌碑が置かれています。

「勝鹿の真間の井を見れば立ち平し 水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」

 

* * *

 

北原白秋ゆかりの地』という目的で訪れた亀井院でしたが、

ここで再び手児奈伝説に触れることになるとは思いませんでした。

どちらかというと、手児奈伝説の方が興味が大きいのでラッキーでしたね。

 

 

 

 

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【亀井院】
所在地:千葉県市川市真間4-4-9
アクセス:京成本線国府台駅」より徒歩10分
御朱印:無
駐車場:不明
(※2020年10月24日付けの情報です。)