氷川三社と見沼の竜伝説について
【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社 → 氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> → <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社 → 国昌寺 → 見沼の龍 → 萬年寺 → 見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】
【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) → 見沼通船堀・八丁堤 → 喫茶 花あかり → 下山口新田稲荷社・大間木水神社 → 鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】
【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越
鈴木家住宅
享保12年(1727年)、鈴木家は高田家とともに井沢弥惣兵衛に従って、見沼干拓事業に参加しました。享保16年の見沼通船堀の完成と同時に鈴木・高田両家は幕府から差配役に任じられ、江戸の通船屋敷で通船業務をつかさどり、八丁堤などには通船会所を持っていました。
鈴木家は、各船に対する積荷や船頭の割り振りなどの船割りを行い、文政年間以降は八丁会所において船割りにあたり、住まいも八丁に移しました。
現在残る鈴木家住宅は、この頃の建立となり、見沼通船の船割り業務を担った役宅として貴重な建物です。
(出典:案内板)
写真の母屋は現在も住居として使用されているため見学できませんが、
付属建物のみ土日限定で公開されています。
母屋の右側に門があるので、そこから中に入ります。
案内板が庭の奥の方にあるので、入っていいものかソワソワしてしまいました。
見学できるのは、母屋の裏手に建つ納屋・米倉・舟小屋。
納屋と米倉は関東大震災で大破してしまいましたが、
ほぼそのままの姿で修復されたそうです。
受付を済ますと、ガイドさんとともに見学します。
ガイドの時間は特に決まっておらず随時行われているようです。
■ 納屋
まずは、納屋を見学します。
納屋の中は展示室になっており、農機具などが置かれている他、
見沼通船堀の歴史や閘門の仕組みがパネルによって学べます。
もちろん、ガイドさんの説明付き。
見沼代用水や見沼通船堀などの説明を一通り終えた後、
ガイドさんが納屋の建物についてお話してくださいました。
言われるまで気づかなかったのですが、、、柱が変な形をしています。
周りをよく見てみると、太さがまばらだったり、継ぎ足されていたり、、、
まともな柱がほとんどありませんでした。
天井の梁も不揃いです。
これは、廃材を再利用しているからなのだそうです。
そういえば、江戸時代はリサイクルが盛んだったと聞いたことがありますが、、
「これでよく建てられるもんだな~」とガイドさん。
正直、私も家の柱がこんなだったら不安です。。。
■ 米倉
続いては米倉。
江戸に運ぶ米を保管しておく倉です。
倉の裏手に回ると、壁にいくつもの金具が取り付けられていました。
これにはとてもおもしろい仕組みが。
なんとこの金具をはずすと壁が抜けるのだそうです。
荷物の出し入れがしやすいというわけですね。
「やってみようか?」と言わんばかりに、ガイドさんが壁をはずそうとしました。
が、ガタガタ揺れるだけで結局はずれませんでした、、、
見てみたかったけど、そんなに簡単にはずれる物なのでしょうか?
■ 舟小屋
そして、1番奥の舟小屋へ。
ここには、1/2サイズに復元された船が展示されています。
この船は、見沼通船堀閘門開閉実演で使われているものだそうです。
展示の船は、江戸から八丁堤までのオヤブネと呼ばれる船を想定して2分の1に復元したものです。船の荷物を積むところをドウノマといい、ドウノマのヘサキ寄りの方をセイジといいます。セイジは関東の川船だけに見られ、寝泊りできるように屋根が付いていました。ドウノマには板のスノコを敷いて上に荷を載せ、雨が降ると荷の上にトバ(カヤやスゲ、ワラなどを編んだもの)を掛けて濡れるのを防ぎました。ドウノマには、積荷のほかにヤイビ、コヤイビ(ヤイビの小さなもの)と櫓を積んでいました。ヤイビは、荷物の積み下ろしのときに船と岸の間に渡した板で、約9尺(2.7m)あります。
船べりの側板の上縁につけた板をコベリといい、この上を船頭が歩いて竿をさしました。船は帆掛け船と帆のない船があり、帆掛け船は帆柱を取り外せます。江戸(明治以降は東京)へ上るときは、芝川では竹竿を使い、荒川い出ると櫓をこいだといいます。帰りは川口まで櫓で、芝川からは竿と二本の綱でひき、南風があるときは両川とも帆を使って運航しました。
長さ約11m、幅約2m。
200俵の米俵を積み、3人の船頭を乗せ、江戸を行き来していたとのこと。
運航の手段として上記の他に潮の満ち引きも利用していたと、
ガイドさんからお話がありました。
こちらは、舳先側です。
屋根のついている部分がセイジと呼ばれる、人が寝泊りする場所です。
こちらは、船尾側。
上を渡る柱に帆をさします。
実際はこの2倍の大きさがあるわけですが、
それでも200俵の米俵を積んだらギュウギュウだったことでしょう。
米倉の真裏です。
木が茂っていて見難いですが、、
目の前を堀が通っており、ここから荷物を船に積んだそうです。
<江戸へ運ばれた貨物>
米・籾・大麦・野菜・薪・木材・竹材・漬物・樽柿・味噌・酒など
<江戸からの貨物>
大豆粕・採種粕・肥料・塩・魚類・南京豆・醤油・菓子・荒物など
江戸からの貨物は、肥料的な物が多い気が・・。
「もっと米作れ!!」ということでしょうかね?
上記の物に加え、着物もあったようです。
江戸に仕える女性のお下がりを、村の女性が着るという。
衣類のリサイクルですね。
荷物の運び口を堀側から見た様子です。
だいぶ、急斜面です。
増水させるとはいえ、幅約2mの船に対しこの川幅です。
なので船が通せるよう、両岸をV字に削っているのだそうです。
それでも、ギリギリ船が通れる幅。
芝川に出るまでは、両岸から綱を引っ張り合いながら舵を取ったのだそうです。
■ その他、裏話。。
江戸からの帰り道。
風向きや潮の満ち引きなどの関係で、
幾日か足止めを食らってしまうことがしばしばあったそうです。
前払いで報酬を受け取っている船頭さんのお財布はホクホク状態ということもあり、
こぞって吉原へ。
帰る頃には懐寂しく、奥さん激おこ!ということも少なくなかったようです。
「男の人に話すとウケるんだけどな~」と、
あたかも裏話のような感じでお話しされていましたが、
この状況は見沼通船舟歌の歌詞にもなっているというからビックリです。
ただの下ネタではなかったのですね、、笑
* * *
と、こんな感じで見学させてもらいました。
パネルだけではわからないこともガイドさんから聞くことができたので、
とても勉強になりました。
旅の終わりに・・・
交通費:836円
参拝費:25円
飲食代:800円
合計:1661円
歩数:14415歩
もう7月も半ばなのに・・・4月の旅がようやく書き終わりました~。
振り返ると「氷川神社行ったっけな・・・」と、遠い昔のことのように感じます。
氷川三社 → 見沼の竜伝説 → 見沼代用水とめぐりました。
今回の旅でよかったと思うのは、見沼代用水について知れたことです。
というのも、うちの近所にも流れている用水路なので、
子どもの頃から当たり前の風景すぎて、その歴史にまったく興味がなかったのです。
昔の人の知恵がこんなにも詰まっている用水路だったとは思いませんでした。
さて、ブログも書き上げ、
このシリーズも終わったかのような雰囲気ですが、、、。
実は先日、またもこれ関係のお寺に行ってしまいました。
次回は、その追加旅のお話です。
これで本当に最後です。
我ながら、いい加減しつこい、、、すみません。
★ブログランキングに参加しています★