記憶のない思い出の地
恒例の産土神社参拝を終え、近くのお寺にも寄ってみることにしました。
母の話によると、赤ん坊の私を連れて、よく散歩に行っていた場所だそうです。
父の話では、父が子供だった頃の遊び場だったのだとか。
両親それぞれ思い出があるようです。
私は実質ウン十年ぶりの再訪ですが、物心ついてからは初参拝。
記憶のない思い出の地を、たどります。
弘法寺
■ 山門
國府神社から5分ちょっと、弘法寺(ぐほうじ)に来ました。
初めて観るの場所なのに、実は何度も訪れたことがある場所・・・
なんだか不思議な感じがします。
■ 参道
そこは小高い山の上。
高く長い階段を登ります。
1段1段が絶妙に疲れる高さになっているので、
登り終えた時にはお尻がピキピキしてしまいました。
他に坂道ルートもあるのですが、坂道もそこそこキツイです。。。
母は赤ん坊の私を抱っこしてこの階段を登り、
乳母車を押して坂道を登り、よく散歩をしていたそうです。
ものすごい体力ですね。
階段のてっぺんからの眺め。
お寺から続く1本道が素敵です。
道の先には高層マンションが。
ウン十年前は、どんな景色が広がっていたのでしょう???
■ 涙石
正面階段を登る際は、途中で一休みしてみるといいかもしれません。
この階段には『涙石』と呼ばれる不思議な石を見ることができます。
ひとつだけ色の違う石があるのですが・・・おわかりでしょうか?
下から27段目にある石。
この石だけ、季節・天候に関係なく常に濡れているのだそうです。
この日も晴れていたのに、この石だけしっとりとしていました。
それには、こんな言い伝えがあるそうです。
「江戸時代、作事奉行の鈴木修理長頼が日光東照宮の造営のために使う石材を伊豆から船で運ぶ途中、市川の根元付近にさしかかった時、どうしたことか船が動かなくなってしまいました。
長頼は「近くの弘法寺に仏縁あり」と思い、積んでいた石を勝手に近くの弘法寺の石段に使用してしまったのです。長頼は幕府から責任を追求され石段で切腹。
その時の無念の血と涙が染み込んでいるという伝承があります。」
思わず踏むのを避けてしまう、そんな言い伝えですね。
そして、この石たちが本来ならば日光東照宮に並ぶはずだったという歴史も
おもしろいです。
■ 仁王門
三宝尊(さんぼうそん)
【御由緒】
ここ真間山、弘法寺(ぐほうじ)は奈良時代、天平九年(737年)、行基菩薩がこの地にお立ち寄りになられた折、里の娘、手児奈の哀話をお聞きになり、いたくその心情を哀れに思われ、一宇(いちう)を建てて「求法寺(ぐほうじ)」と名づけ、手厚くその霊を弔われた。
それからおよそ百年ほど経た平安時代、弘仁十三年(822)に弘法大師(空海)が教えを弘められるためにおいでになられた時、求法寺を七堂伽羅に再建され、寺運を一新して、「求法寺」を「弘法寺」と改称された。
その後、鎌倉時代に入り、建治元年(1275)に、時の住持、了性法印尊信(りょうしょうほういんそんしん)と、中山法華経寺、富木常忍公(ときじょうにんこう)との間に問答があり、日蓮聖人は六老僧の伊予房日頂上人(いよぼうにっちょうしょうにん)を対決させられた。
その結果、日頂上人が法論に勝たれたため、爾来、弘法寺は法華経の道場となり、日頂上人をしてご開山とすることとなった。
(出典:公式サイト)
仁王門をくぐると、何やら境内が騒がしい・・・。
どうやら本堂で葬儀があるらしく、その準備で多くの人が出入りしていたので、
本堂は参拝ができませんでした。。。
■ 悲しい伝説
由緒にもあるように、
弘法寺建立の背景には『手児奈(てこな)』という娘の悲しい物語がありました。
「その昔、この真間の里に手児奈という、それは美しい娘がいました。その美貌なるが故に手児奈をめとりたいと男たちは争ったといいます。心優しい手児奈は男たちが互いに争い傷つくのを厭って、ついに真間の入江に身を投げてしまいました。
その手児奈の心情を里人があわれみ、祠をつくって手厚く葬り、この手児奈の話を語り継ぎました。」
この伝説は万葉集にも歌われ、広く知られることとなったそうです。
「われも見つ人にも告げむ葛飾の、真間の手児奈が奥津城処」
■ 祖師堂
境内を回ります。
宗祖日蓮大聖人・開基伊予阿闍梨日頂聖人・第二祖富木日常聖人を祀る祖師堂。
■ 鐘楼堂
モダンなデザインの鐘楼堂。
現在のお堂は明治23年(1890年)に再建されたのだそうです。
そんな中、被害に遭わず残ったのが、この鐘楼堂と仁王門。
このお寺の中では、長い歴史を持つ建造物になるんですね。
■ 鐘楼堂
広場のようになっている場所には、見事な枝垂桜がありました。
「伏姫桜(ふせひめざくら)」と呼ばれているのですが、
いつ誰がその名をつけたかは不明なのだそうです。
手児奈伝説と関係があったりするのでしょうか???
背は低いのですが、枝を大きく広げ迫力がある木です。
花が咲く頃、また訪れてみたいですね。
■ 赤門(朱雀門)
本堂から道を挟んだ場所には、鮮やかな朱色の門があります。
赤門(正式名称:朱雀門)と呼ばれるこの門は、境内で最古の建造物。
推定で500年前からあるものだと言われているそうです。
このエリアは柵で囲われており、中は庭園のようになっていました。
■ 真間道場
いくつかあるお堂の中で一際大きな真間道場。
柔道や弓道などの道場かと思いきや、旧寺務所だったとのこと。
寺務所が移動されてからは、さまざまな行事や活動に使われていたそうです。
■ 大黒堂
福再来(ふくさらい)のご利益があるという、太刀大黒尊天。
福再来とは??
調べても詳細がわからず・・・「福が来る」といった意味でしょうか?
■ 里見龍神堂
池の中央には龍神様が祀られていました。
ちょっとした出会い
境内で、とある親子と会いました。
よちよち歩きの赤ちゃんとお母さんが手をつなぎながら散歩をしていました。
お母さんはあちこち指をさしながら、赤ちゃんに話しかけています。
その親子を見ながら「母と私もこんなふうに散歩していたのかな?」と。
こちらの仏様が、当時の様子を見せてくれたよに思えました。
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(※2019年10月31日付けの情報です。)