伊奈氏屋敷跡 → 頭殿権現社 →(旧)丸山沼 → ぶい塚 → 建正寺 → 無線山・KDDIの森 → つくしんぼ
【伊奈町の伝説】
1.足立ぬ
2.天狗のはやし
3.権現様の森の大蛇
4.龍巻絵書き
5.丸山沼の大蛇
6.ぶい塚の鉦
7.本村のお地蔵さん
8.大山の森
9.古寺の狸
伊奈町の伝説 2・3 『天狗のはやし』 『権現様の森の大蛇』
昔、権現様の森から、毎晩「トントンピーヒョロ ピーヒョロリ」とゆっくりとしたテンポで、笛の音がかすかに聞こえてきました。 村人達は、それを天狗のはやしと呼び、とても怖がっていました。
ある日のこと、一人の老人が森の中に入って行くと、とてもすばらしい笛が落ちていました。老人が思わずその笛を拾い上げると、急に体がすくんだようになり、気も遠くなってしまいました。そして、ふと気が付くと、いつのまにか権現様の目の前に立っていたのです。老人がおそるおそるその笛を権現様に奉納すると、気持ちも落ち着き、すくみも治ったということでした。しかも、不思議なことに、その夜からおはやしも、ピッタリ聞こえなくなったということです。
権現様は、伊奈氏の屋敷内にあって、伊奈氏の守護神として、忠次、忠政、忠勝が尊信してきた神様でした。
※権現様
普通は徳川家康を祀った東照宮のこと。家康死去の翌元和3年(1616年)天海僧正の建言により久能山から日光に改葬され権現として祀られた。同年朝廷から東照大権現の神号を受け、正保2年(1645年)宮号を受け東照宮と称した。東照宮は各地の城内に立てられているが、伊奈屋敷ではこれと異なり、頭殿権現社を祀っていた。
(出典:伊奈町公式サイト)
昔、伊奈氏の氏神である権現様の森で、一人の職人が薪を割っていました。
一休みしようと松の気に腰をかけ、キセルを取だし、たばこを吸い始めました。一服して、そのキセルで松の木をポンとたたくと、松の根が少し動いたようでした。さして気にもかけず、もう一度たばこを吸ったその時です。今度はユラユラと大きく揺れだしたのです。なんと、松の木と思って腰掛ていたのは、胴回り30センチメートルもある大蛇だったのです。職人はすっかりあわてて、道具も放り出し、逃げ出したのですが、大蛇を草をかき分けてどんどん追ってくるのです。職人は、どうにか家に逃げ帰ったものの、そのままバッタリ倒れこんでしまいました。
そして、職人は妻の必死の介抱のかいもなく、そのまま「こわい、こわい」と叫びながら、死んでしまったということです。
(出典:伊奈町公式サイト)
続けて2つの伝説をご紹介しました。
どちらのお話も、伊奈屋敷内に鎮座する、頭殿権現社が舞台となっています。
頭殿権現社
屋敷跡を一回りした後、頭殿(ずどの)権現社へ向いました。
MAPによると、そこは陣屋跡から3~4分離れた位置でした。
森の中を戻りつつ、神社を探しました。
どれくらい時間が経ったでしょうか?
森の中を歩けど歩けど同じ道に出てしまい、
なかなか神社にたどり着くことができませんでした。
「神社なくなちゃったのかな・・?」
そう思い始めたころ、ふと新しい道を発見しました。
その道を入ってみると、竹やぶの向こうに神社を発見しました。
「やっと見つけた!!!」
すごく近くまで来ていたのに、
神社に続く道にまったく気づいていなかったようです。
今思うと、なぜ、あんなに迷ってしまったのか・・・
もしかしたら、権現様にいたずらされてしまったのかもしれません。
■ 拝殿
不明
【御由緒】
長禄年間(1457~1460年に、太田道灌が勧請したと言われる。
天正19年(1591年)に、伊奈備前忠次が陣屋に入った後に営繕し、陣屋の守護神としたと言われる。
権現社とあることから徳川家康を祀っていたものと思われ、家康の死後の元和2年(1616年)から間もない時期、忠政か忠勝の代に陣屋内に勧請したと思われる。
新編武蔵風土記稿(1804~1829年編纂)に「頭殿権現社 祭神詳ならず陣屋のうちにあり村民持」の記述がある。
明治43年(1910年)に氷川神社へ合祀された。祭神は明確ではないが、龍神であったとする説がある。
(出典:境内案内板)
屋敷内に建てられているので、
伊奈氏の守護神であることに間違いはなさそうですが、、
御祭神も不明と謎が残る神社です。
■ 龍神伝説
案内板には『伊奈町の伝説』にはなかった、別の龍神伝説が書かれていました。
「昔、丸山沼の対岸の原市にはメドーサマ(雌堂様)があり、
丸ノ内の権現様をオドーサマ(雄堂様)といった。
この間を蛇が行き来したという話がある・・・」
これから紹介予定の伝説にも、蛇や龍が登場するお話が多いので、
私個人では「祭神=龍神」説の方が、有力な気がしています。
神社からの眺めです。
新幹線の高架橋の先には、原市沼があります。
そのあたりにメドーサマがあるのでしょうか?
時たま通り過ぎる新幹線が、ここを行き交う蛇にも感じられました。
■ 境内
権現社の横には、小さなお社がありました。
中にはキツネの置物があったので、稲荷社かと思われます。
稲荷社の前には石塔。
「○○○○前」と文字が彫られていましたが、
その文字の殆どは削り取られていました。
しかし、その消し方がちょっと怖いです・・・。
境内は先ほどまで歩いていた森とは違い、広々とした開放感のある空間でした。
神社からは、新幹線も見えます。
手入れも行き届いており、きちんと管理されている様子。
小さなお花も植えてありました。
森とのギャップでしょうか?
陽を遮るものが何もありません。
それが、とにかく清々しく、とても気持ちのいい場所でした。
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