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伊奈氏屋敷跡(埼玉県伊奈町) ~伊奈町の伝説をめぐる旅 1/7~

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※この記事は、都合上、一部内容を変更して書き直しています。

前の記事にスターをくださった皆様、申し訳ありません・・・。

伊奈町の伝説

前回、伊奈町のクレープ屋さんについて投稿しました。

いいタイミングなので、

以前、伊奈町をぶら旅した時のお話も書いておこうと思います。

 

2019年5月。

私は、伊奈町の公式サイト内で紹介されていた『伊奈町の伝説』をめぐりました。

 

伊奈町に残る伝説は全9話。

その内容は『まんが日本昔ばなし』を怪談化したような、

リアリティに欠けるものが殆どなのですが、

お話の舞台となった場所が特定できたことで僅かな信憑性に期待を抱いた私は、

(作り話でしょ!で終わらせるのはつまらないですからね。)

近所ということもあり出かけてみることにしました。

 

自力で突き止められなかった場所に関しては、伊奈町HPに問い合わせ。

担当の方が道順などを詳しく説明してくださいました。

ご協力ありがとうございました。

 

伝説スポットは、志久駅、丸山駅、沼南駅を中心に点在しています。

距離があるので、今回は車でめぐっています。

ニューシャトルの各駅にはレンタサイクルもあります。

 

 

伊奈町の伝説 1 『足立ぬ』

【足立ぬ】
 昔、聖徳太子が、東国をまわっていたときのことです。
 太子の一行は、甲斐国山梨県)から武蔵国に入り、後に「大空の月も草から出て草に入る」という言葉ができたほどの、広々とした武蔵野の原野にさしかかりました。一行は、一路筑波山を目指していたのです。
 ところが、生い茂る草を踏み分けながら、現在の入間郡から北足立郡に入った時のことです。
 富士の高嶺も元気に上り下りしていた太子の乗馬が、ふと拳のような小さな石につまずいて転んでしまったのです。
 太子は、身を躍らせて飛び下りたのでけがもされませんでしたが、太子の愛馬は倒れたままで全身から脂汗を流し、口からは泡を吹き、さらに四肢を引きつらせてしまい、苦悶する様子は見るに堪えないほどでした。
 従者達は薬を与え、小川から水を汲んできて一生懸命手当てをしたのですが、馬の容態はますます悪くなるばかりで、目を引きつらせ、ついに危篤に陥ってしまったのです。
 太子は、これ以上はもう人力の及ぶところではないと思い、草を折り敷いてそこに座り、はるかに大和国奈良県)の都の空に向って目を閉じ、丹精を凝らして念持仏の赤栴檀(せんだん)の聖観音に祈り、観音経三巻を読み、さらに「南無観世音菩薩」と数十遍繰り返しながら病馬の頭をなでていました。
 すると、何とあれほど瀕死の容態であった病馬は、しばらく両目を閉じて安らかに眠ったと思うと、急にすっくと立ち上がり、都の方に首を向けて三度勢いよくいなないたのです。
 太子はこれを見て、喜びのあまり声高く「足立ぬー足立ぬ」と叫びました。
 それ以来、この土地の人々はこの地方を「足立の郷」と呼ぶようになったということです。
(出典:伊奈町HP

最初にご紹介する伝説は、伊奈町が属する『北足立郡』の地名の由来です。

 

聖徳太子の言葉が基になっていたんですね。

隣町に住んでいながら、まったく知りませんでした。

町内の学校では、歴史の授業で教わったりするのでしょうか?

余談として話すには、おもしろい伝説だなと思いました。

 

東京都にも『足立区』があります。

この地名も北足立郡が由来していると言われているそうです。

(諸説あり)

 

 

伊奈氏屋敷跡

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『足立ぬ』という伝説にまつわるスポットとして、伊奈氏屋敷跡を訪れました。

ニューシャトル「丸山駅」から徒歩5分ほどの場所にあります。

 

伝説では郡名の由来について語られていましたが、

こちらは現在の地名『伊奈町』の由来となった場所です。

 

 

 

 伊奈備前守忠次

伊奈氏屋敷跡とは、伊奈忠次が暮らしていた屋敷跡です。

 

伊奈忠次は、徳川家康に仕えた代官頭のひとりで、

家康が関東入国の際、武蔵国足立小室・鴻巣に1万3000石を与えられ、

伊奈町小室に陣屋を構えたそうです。

関東を中心に、新田開発、検地、河川改修などを行い、幕府に貢献。

その時代、江戸周辺で荒川や利根川の氾濫が相次ぐ中、

特に治水事業で多大なる功績を残した人物だそうです。

 

忠次が築いたとされる堤防は「備前堤」と呼ばれ、現在も残っているとのことです。

 

 

裏門跡

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丸山駅から最も近い入口、裏門跡から入ります。

 

 

 障子堀

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裏門付近には、障子堀。

保存のため埋められていますが、この野原一帯に掘られているようです。

 

それにしても、草が生えすぎて、案内板まで行くのにも一苦労・・・。

 

 

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案内板に障子堀の写真がありました。

このような形で掘られているのですね。

 

 

 道

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道なりに進みます。

くねくねとカーブの多い道が続きます。

この道も当時の名残で、

見通しを悪くするためにわざと折り曲げているのだそうです。

 

 

 陣屋跡・蔵屋敷

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ここから、森の中へ入ります。

この先は陣屋や蔵屋敷があったとのことですが、建物は少しも残っておらず、

土塁や堀が確認できる程度でした。

 

 

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森は散策路になっています。

 

 

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この山になっている部分が土塁でしょうか?

 

 

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このような矢印案内しか出ていないので、

私のような城素人には詳細を記した案内板がほしいところです。

 

 

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しばらく森の中をさまよいます。

私が見学中、他の見学者どころか住人すら見ることはありませんでした。

女ひとりで森を歩くのは、少々恐怖を伴います。

 

 

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森を抜けると、再び舗装された道に。

この道も大きく曲がっています。

 

 

 二の丸跡

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道を進むと開けた場所に出ました。

二の丸跡です。

居住スペースと言ったところでしょうか?

 

 

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石碑と案内板の向こうには、広い野原が広がっていました。

奥に段差がありますね。

これも、名残かと思われます。

 

案内板によると、

このあたりでは美濃焼伊万里焼など、陶磁器の破片が出土されたそうです。

この遺跡で出土された伊万里焼が、実際どの年代の物かわかりませんが、、、

江戸時代初期に作られた伊万里焼は特に高級品として扱われ、

上級武家屋敷など限られた遺跡のみでしか出土されないそうです。

 

 

 表門跡

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最後に表門跡です。

二の丸の左側を少し回った場所にあります。

『表門跡』と書かれた標柱がひっそりと立っているだけですが、

この標柱がひっそりしすぎて探すのが大変でした。。。

 

* * *

 

「女ひとりで森を歩くのは、少々恐怖を伴います。」と書きましたが、

この時の恐怖は「もし、危険な人と遭遇してしまったら・・・」という、

ヒトコワの意味でした。

ところが、後で調べてみたところ、巷では心霊スポットとして有名らしいのです。

行く前に知らなくてよかった~!!

決して危険な場所ではないのですが、いろんな意味のスリルを感じられる場所。

特に女性のひとり探索は、十分にお気をつけください。

 

 

 

 

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【伊奈氏屋敷跡】
所在地:埼玉県北足立郡伊奈町大字小室164(裏門跡)
アクセス:ニューシャトル「丸山駅」より徒歩5分
駐車場:無
伊奈町公式サイト:https://www.town.saitama-ina.lg.jp/
(※2019年5月12日付けの情報です。)