関東ぶらりん旅

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見沼通船堀・八丁堤(埼玉県さいたま市) ~氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅 12/15~

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【プロローグ】
氷川三社と見沼の竜伝説について

【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社 → 氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> →  <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社国昌寺見沼の龍萬年寺見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) →  見沼通船堀八丁堤 喫茶 花あかり下山口新田稲荷社・大間木水神社鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】

【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越

 

見沼通船堀

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見沼の竜伝説を巡り終え東浦和駅へ戻る途中、見沼通船堀にも寄ってみました。

 

 

 見沼通船堀とは?

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見沼通船堀とは、

東西を流れる2本の見沼代用水と芝川を結んだ運河のことです。

ここから船を出し、江戸へ年貢米を運びやすくするために作られました。

 

8代将軍吉宗の時代。

この辺りは農業用水を確保するための溜井がありましたが、

幕府の財政再建のため、溜井を干拓し更なる新田開発を進めています。

 

 

 閘門式運河

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国指定史跡の見沼通船堀は、日本最古の閘門式運河(1731年開通)。

閘門とは、、、

水位差の大きい河川に関を作り、水位を調節しながら船を通す施設のことです。

閘門式運河というとパナマ運河が世界的に有名ですが、

見沼通船堀パナマ運河ができる180年も前に開通しています。

 

仕組みは写真の通り。

芝川と代用水路の水位の高低差は3メートルあるそうです。

  1. 船を芝川から「一の関」の中へ
  2. 「一の関」を塞ぎ、代用水路から水を流して水位を上げる
  3. 船を「二の関」の中へ
  4. 「二の関」を塞ぎ、代用水路から水を流して水位を上げる
  5. 船を代用水路へ

代用水路から芝川へ移動する場合は、上記と逆の手順で行います。

 

 

見沼通船堀東縁

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東縁から西縁へ歩きながら、駅方面へ戻ります。

東縁沿いはピンクとクリーム色の八重桜が満開でした。

 

 

 閘門

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東縁の閘門(復元)です。

手前が一の関、奥が二の関。

この門を開閉することで水量を調整します。

 

 

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開けっぴろげの門ですが、扉はどこにあるのでしょう???

パンフレットを見てみると、

「関板」と呼ばれる木の板を何枚も積み重ねて作られるとありました。

門の内側の柱に板をあてると、水圧でばらけることなく壁になるそうです。

 

 


www.youtube.com

文章で読んでも分かりづらいな・・・と思っていたら、YouTubeで動画を発見!

私はパンフレットを読むまで大きな1枚の板の扉を想像していたので、

この方法にはちょっとびっくりでした。

見沼通船堀では、この方法で1.5mの水位を上げ下げするそうです。

 

毎年8月頃、東縁では見沼通船堀閘門開閉実演が行われています(動画)。

去年はコロナ感染防止のため中止だったとのことで・・・

1日も早く再開できる日が来ることを祈ります。

これは実際に見てみたい!!

 

 

八丁堤

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【八丁堤】
八丁堤は、関東郡代の伊奈半十郎忠治が築いた人口の堤である。この堤は、長さが八町(約870メートル)ほどあるのでその名がつけられた。
徳川家康の関東入国後、伊奈氏は累代治水事業に力を尽くし、利根川や荒川の流路を替えたり灌漑用水池をつくるなど関東地方の治川事業を次々に完成させた。見沼溜井もそのひとつである。
寛永6年(1629年)、伊奈忠治は、両岸の台地が最も接する旧浦和市大間木の附島と川口市木曽呂の間に八丁堤を築き灌漑用水池をつくった。その面積は1200ヘクタールに及ぶ広大な溜井であった。この溜井は、下流地域221か村の灌漑用水として使われたが、大雨が続くと氾らんしたり、旱ばつのときは、水が足りなくなったりするなどいろいろ不都合が出て、享保12年(1727年)、8代将軍吉宗の命を受けた井沢弥惣兵衛為永によって干拓されるに至った。
また、この八丁堤は、寛永6年に伊奈忠治が陣屋を構えた赤山に通ずる「赤山街道」の一部でもある。
(出典:案内板)

見沼通船堀東縁から芝川へ。

この辺りは「八丁堤」と呼ばれ、

家康の命により伊奈氏が築いた灌漑用水池(見沼溜井)があった場所です。

 

 

見沼通船堀西縁

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芝川を渡り、西縁に入ります。

東縁は実演イベントが開催されたり、休憩所や、パネルによる解説など、

展示場のような作りになっていますが、

西縁はちょろちょろと水が流れる通船堀沿いの普通の道路を歩きます。

 

 

 閘門

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西縁の閘門、一の関(復元)。

 

 

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二の関は復元されておらず、標識だけが立っていました。

西縁は緑豊かで、お散歩に最適な道でした。

 

 

 

 

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見沼通船堀
所在地:埼玉県さいたま市緑区東内野
アクセス:JR「東浦和駅」より徒歩17分(西縁端までは3分)
駐車場:無

【八丁堤】
所在地:埼玉県さいたま市緑区大間木1885−17(案内板)
アクセス:JR「東浦和駅」より徒歩12分
駐車場:無
(※2021年4月10日時点の情報です。)