氷川三社と見沼の竜伝説について
【2021/04/03 ぶら旅コース】
<さいたま新都心駅> → 大宮氷川神社 → 氷川だんご → <バス> → 中山神社 → <バス> → <北浦和駅> → <電車> → <東浦和駅> → <バス> → 氷川女体神社 → 国昌寺 → 見沼の龍 → 萬年寺 → 見沼自然公園 → <バス> → <大宮駅>
【コースMAP:大宮氷川神社~見沼自然公園(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】
【2021/04/10 ぶら旅コース】
<東川口駅> → 大門神社 → <東川口駅> → <電車> → <東浦和駅> → 厳嶋神社(下山口弁天) → 見沼通船堀・八丁堤 → 喫茶 花あかり → 下山口新田稲荷社・大間木水神社 → 鈴木家住宅 → <東浦和駅>
【コースMAP:大門神社~鈴木家住宅(※車表示の為、実際のルートと異なります。)】
【2021/07/12 追加旅】
常福寺・柴山伏越
追加旅
(写真:見沼自然公園)
幼い頃から当たり前の風景であった、見沼代用水。
もちろん、現在の完全に整備された状態でしか見たことがなかったので、
その歴史が江戸時代にまで遡るとは思いませんでした。
そして、井沢弥惣兵衛為永とう人物を知ったのも、この旅がきっかけです。
見沼の竜伝説をめぐっている中で、
井沢弥惣兵衛の墓が白岡市にあるということを知り、行ってみることにしました。
これだけ記事を書かせてもらったので、最後にお礼をと。
そんなわけで、これを最後にこのシリーズを終わりにしたいと思います。
田んぼが広がるのどかな風景です。
柴山には柴山沼という有名な釣りスポットもあります。
常福寺
■ 山門
常福寺に来ました。
車で行ったのですが、直前までの道が狭くて狭くて、、、
対向車とすれ違うのにどうしたらいいのかわからずヒヤヒヤしてしまいました。
墓地があるので駐車場もあるかと思っていたのですが見当たらず。
近くに駐車できそうなスペースがあったので、そこに車を停めさせてもらいました。
■ 本堂
不動明王(ふどうみょうおう)
【宗派】
曹洞宗
【御由緒】
柴山にある曹洞宗の寺で除堀(現久喜市)の不動寺の末寺。山号は聚光山。本尊は不動明王。常福寺には寺の前を流れる見沼代用水の開削に当たった紀州流土木技術者である井沢弥惣兵衛為永の墓石もある。
(出典:白岡市HP)
境内は本堂のそばにお地蔵様が立っていたくらいで、その他は墓地のようでした。
■ 井沢弥惣兵衛為永の墓
井沢弥惣兵衛為永の墓は、門の外側に入口があります。
見沼代用水路普請奉行
幕府勘定吟味役 紀州流土木技術者
紀州溝口村(和歌山県海南市)に生まれました。はじめ紀州徳川家に仕えましたが、藩主吉宗が8代将軍となった時、招かれて旗本となる。全国各地の河川改修や新田開発いい著しい活躍をし、勘定吟味役に昇進しました。
為永の行った最大かつ代表的な紀州流土木事業が、見沼の開発であり、享保12~3年(1727~1728年)奉行として自ら測量設計監督にあたり見沼の干拓、代用水路の開削、沿線の新田開発を行った。重要な施設の中でも、この地の柴山伏越は用水と河川の立体交差で、瓦葺掛度井(現在伏越)と共に為永のすぐれた技術を知ることができます。
元文3年(1738年)3月1日逝去、享年76歳、江戸麹町(東京都千代田区)心法寺に葬られました。
法名 崇岳院殿隆誉賢厳英翁居士(すうがくいんでんりゅうよけんげんえいおうこじ)
明和4年(1767年)水路沿線村民は為永の遺徳をしのび、ここ常福寺に分骨して墓石を建てました。
(出典:境内案内板)
最後に井沢弥惣兵衛のお墓参りができてよかったです。
とてもスッキリとした気分で、旅を終えることができました。
柴山伏越
常福寺の向かいには見沼代用水が流れています。
ここにも、弥惣兵衛の功績が残されているので、少し覗いてみました。
柴山伏越とは、常福寺の先を横切る元荒川と見沼代用水の交差地点。
一見ただの川ですが、元荒川の川底を見沼代用水が通り抜けています。
なぜか橋の写真しか撮っていなかったので、案内板の写真をお借りします。
大きな川が元荒川。
橋の左側に見沼代用水が通っています。
『上流の白岡市柴山から元荒川の川底を見沼代用水路が、
木製の樋管を使ってサイフォン方式で潜り、
になっているそうです。
現在はコンクリート製ですが木製の伏越は老朽化が激しく、
現在に至るまでに20数回の改修工事が行われたそうです。
弥惣兵衛の墓の目の前には水門。
この水門は、見沼代用水の水量の増減を調節しています。
少しばかりホラーな案内板。笑
私は橋を渡りませんでしたが、
元荒川の向こう側の水門までが見学コースになっているようです。
* * *
といった感じで、
『氷川レイラインと見沼の竜伝説をたどる旅』
これにて本当に終了です。
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