川越八幡宮 → 中院・南院遺跡 → 仙波東照宮 → 喜多院 → 仙波日枝神社 → 川越歴史博物館 → 三芳野神社 → 川越城 本丸御殿 → 川越氷川神社 → 時の鐘・薬師神社 → 餃子菜館 大八 → 川越熊野神社
喜多院
■ 門
川越観光の定番スポット、喜多院。
別名「川越大師」とも呼ばれています。
初詣には40万人以上が訪れ、埼玉県トップの参拝者数を誇ります。
かなりの広さがある境内。
門の写真から始めましたが、実際はどこから入ったのか・・・。
歩いているうちにいつの間にか喜多院ゾーンに入り込んでいます。
案内図を見た感じ、慈眼堂の辺りから入ったようですね。
川越めぐりの記事を書くきっかけとなった、蓮田市慶福寺の将軍桜。
慶福寺によると、その親木が喜多院にあるとのことでした。
偶然にでも写真に納まっていれば・・・と期待しましたが見つからず。
案内図にある『三代将軍お手植桜』がそれなのでしょうか???
喜多院には名桜と言われる枝垂桜が2本あるそうなので、
真相は謎のままです・・・。
■ 本堂
天台宗
【御本尊】
阿弥陀如来(あみだにょらい)
【御由緒】
喜多院は仙芳仙人の故事によると奈良時代にまでさかのぼるかも知れない。
伝えによると仙波辺の漫々たる海水を仙人の法力により除き、そこに尊像を安置したというが、平安時代、淳和天皇の勅により天長7年(830年)慈覚大師円仁により創建された勅願所であって、本尊阿弥陀如来をはじめ不動明王、毘沙門天等を祀り無量寿寺と名づけた。
その後元久2年(1205年)兵火で炎上の後、永仁4年(1296年)伏見天皇が尊海僧正に再興せしめられたとき、慈恵大師(元三大師)をお祀りし官田五十石を寄せられ関東天台の中心となった。
正安3年(1301年)後伏見天皇が東国580ヶ寺の本山たる勅書を下し、後奈良天皇は「星野山ー現在の山号」の勅額を下した。更に天文6年(1537年)北條氏綱、上杉朝定の兵火で炎上した。慶長16年(1611年)11月家康公が川越を訪れたとき親しく接見している。そして天海の意見により寺領4万8千坪及び500石を下し、酒井備後守忠利に工事を命じ、仏蔵院北院を喜多院と改め、又4代将軍家綱のとき東照宮に200石を下すなど寺勢をふるった。
寛永15年(1638年)1月の川越大火で現存の山門(寛永9年建立)を除き堂宇はすべて焼失した。そこで3代将軍家光公は堀田加賀守正盛に命じてすぐに復興にかかり、江戸城紅葉山(皇居)の別殿を移築して、客殿、書院等に当てた。家光誕生の間、春日局間があるのはそのためである。その他慈恵堂、多宝塔、慈眼堂、鐘楼門、東照宮、日枝神社などの現存の建物を数年の間に相次いで再建し、それが今日文化財として大切に保存されているのである。
尚、明治維新の神仏分離令からは東照宮、日枝神社は別管理となっている。
(出典:喜多院パンフレット)
■ 大黒天
本堂の並びには、川越七福神のひとつ、大黒天様が祀られています。
■ 慈眼堂
慈眼大師天海を祀る、慈眼堂。
このお堂は少し小高い古墳の上に建っています。
■ 鐘楼門
慈眼堂の向かいにある、鐘楼門。
もともと慈眼堂の場所には仙波東照宮があり、
東照宮の門として建立されたそうです。
川越大火で寺の殆どが焼失してしまいましたが、
鐘楼門の再建の記録がないことから、
焼失をまぬがれたのではないかとの見解もあるそうです。
■ 多宝塔
美しい朱色の多宝塔。
もとは白山神社と日枝神社の間にあった古墳の上に建っていたそうです。
案内図で見ると、現在は道路になっています。
その道路を作るため、明治時代に慈眼堂の脇に移築されたのですが、
その際に大幅に改造されてしまったのだとか・・・。
それから約60年後。
多宝塔を解体し、現在の位置に復元したのだそうです。
■ 白山神社
多宝塔を挟んでいたのが、こちらの白山神社。
■ 家光誕生の間・春日局化粧の間
境内へは無料で入ることができますが、1部の見学は拝観券が必要になります。
客殿・書院・庫裡・慈恵堂(本堂)・五百羅漢のコースで、
大人400円、小中学生200円です。
こちらでは、江戸城から移築されたという
- 家光誕生の間
- 春日局化粧の間
を見学することができます。
中は撮影禁止なのでお見せできるのは外観のみとなってしまいます。
案内図にある「客殿」は、3代将軍家光が生まれた場所という伝えから、
「家光誕生の間」と呼ばれています。
12畳半、17畳半、10畳の部屋が2室ずつあるそうです。
広間には甲冑等が飾られていました。
湯殿(風呂場)や厠(トイレ)も設置されており、
厠を覗いて見ると、、、なんと畳!
簡単な木枠に支えの柵、便器にあたる場所には木の蓋がされていました。
畳に穴をあけているのでしょうか???
少し衛生面が気になるつくりでした。。
「書院」は「春日局化粧の間」と呼ばれており、
家光の乳母であった春日局が使用していた部屋だと言われています。
8畳、12畳の部屋が2室ずつあるそうです。
■ 五百羅漢
喜多院に来たなら、これを見ずには帰れませんね。
五百羅漢です。
入口の奥には538体の羅漢さまが、所狭しと並んでいます。
ここでは不思議な伝説があり、
深夜にこっそり羅漢さまの頭を撫でると1体だけ温かいものがあるのだとか・・。
このヒソヒソ話をする2体の羅漢像はとても有名です。
羅漢劇場
羅漢と言えば、「羅漢の寺」定福寺を紹介したことがありました。
定福寺の羅漢像はずば抜けたユーモアがありましたが、
喜多院の羅漢像も負けてはいません。
今回もいくつかの写真で羅漢物語を作ってみました。
■ 羅漢楽団
笛。
太鼓1。
太鼓2。
■ 動物と一緒
ジビエ。
ドナドナ。
「お母さんが飼ってもいいって!」
「ごめんよ・・うちは賃貸だから飼うことができないんだ・・・。」
■ 成長
子どもが生まれました。
歩けるようになりました。
ケンカする友達もできて、
勉強の成績も学年トップです。
■ 寄席
「隣の家に囲いができたってねぇ。」
「へぇ~。」
「わはは!」
「今のオチ何?」
「ZZZ…」
■ お前のモノは俺のモノ
「おい、の○太!いい石仏持ってるな!ちょっと見せてみろよ!!」
「お前のモノは俺のモノ!俺のモノは俺のモノだ!!」
「助けて~!ドラ○も~ん!!」
「やれやれ、これだからの○太くんは・・・。」
(※この写真は定福寺の羅漢像です。)
* * *
写真が少なく材料不足なところもありましたが・・・いかがだったでしょうか?
喜多院の羅漢様も人情味あふれ、見ているだけで心がほっこりしました。
御朱印
最後に御朱印をいただきました。
★ブログランキングに参加しています★