関東ぶらりん旅

神社仏閣、B級スポット、ご当地グルメを楽しむ旅(散歩)

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不忍池辯天堂(東京都台東区) ~上野公園の寺社をめぐる旅 8/9~

【2020/11/07 ぶら旅コース】
寛永寺開山堂(両大師)/輪王寺 上野東照宮東照宮第一売店上野大仏花園稲荷神社五條天神社不忍池辯天堂清水観音堂
【コースMAP:鶯谷駅~上野駅(※実際の徒歩ルートと異なることがあります)】

不忍池

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不忍池ゾーンに入りました。

 

 

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見ての通り、蓮の名所として知られる池です。

花の時期はとっくに終わり、池一面はハスの葉に覆われていましたが、

このグリーンもとてもきれいです。

 

 

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緑の水面にぽっかりと浮かぶお堂は、不忍池辯天堂。

花の時期はリアル曼荼羅を見ているような、幻想的な景色が広がることでしょう。

 

 

不忍池辯天堂

 参道

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辯天堂の参道は、いつも屋台が出ていて賑やか。

やきとりや串焼きなどのいい香りが漂います。

 

現在は歩いてお堂まで行くことができますが、

大昔は橋が架かっておらず、船に乗って参拝に行っていたそうです。

 

 

 手水舎

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手水鉢には、女性の神様らしくお花が飾られていました。

こちらの手水舎では、天井にも注目です。

龍を描いた水墨画が見ることができます。

 

 

 本堂

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【御本尊】
辯才天(べんざいてん)

【御由緒】
寛永2年(1625年)天海僧正は、比叡山延暦寺にならい、上野台地に東叡山寛永寺を創建した。不忍池は、琵琶湖に見立てられ、竹生島に因んで、常陸(現茨城県)下館城主水谷勝隆が池中に中之島弁天島)を築き、さらに竹生島宝厳寺の大弁才天を勧請し、弁天堂を建立した。
当初、弁天堂へは小船で渡っていたが、寛文年間(1661~72年)に石橋が架けられて、自由に往来できるようになり、弁天島は弁天堂に参詣する人々や行楽の人々で賑わった。
弁天堂は、昭和20年の空襲で焼失し、昭和33年9月に再建された。弁天堂本尊は、慈覚大師の作と伝えられる八臂の大弁才天、脇侍は毘沙門天、大黒天である。
本堂天井には、児玉希望画伯による「金竜」の図が画かれている。また、本堂前、手水鉢の天井に、天保3年(1832年)と銘のある谷文晁による「水墨の龍」を見ることができる。
大祭は、9月の巳の日で、巳成金(みなるがね)という。
(出典:境内案内板)

提灯の門をくぐると拝所になります。

 

寛永寺延暦寺滋賀県)にならい造られたとありましたが、

この不忍池は琵琶湖を模しているということです。

辯天堂がある島が竹生島ということでしょうか???

御本尊を勧請したと言われる竹生島宝厳寺の弁財天は、

日本三弁財天に数えられています。

 

  

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弁才天は芸能の神と言われるだけあり、提灯には著名人の名前もちらほら・・。

 

 

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本堂の前には、宇賀神様もいらっしゃいます。

優しい笑顔。

 

 

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お堂の裏手に回ると、辯天堂は本堂と拝所に分かれていることがわかります。

辯天様が安置されている本堂は、八角形の形をしていました。 

これは「不忍池のどこからでもお参りができるように」という意味があるそうです。

 

ちなみに、安置されている辯天様は八臂タイプ。

よく目にするような琵琶を弾くお姿とは違い、

体から出た数本の手に様々な宝や道具を持っています。

 

 

大黒天堂

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【大黒天堂とは】
このお堂は、豊臣秀吉が大切に護持したと伝わる大黒天が祀られる、東叡山寛永寺天台宗)の伽藍の一つです。
大黒天はもともとインド古来の「マハーカーラ」という戦争の神、時間を支配する恐ろしい神と考えられてきました。やがて日本に仏教が伝わり、民間信仰の対象となってからは、日本古来の福神の大国主命と同体である(大黒と大国は同音であるため)という考えが生まれて武神から福神へと変化し、広く親しまれるようになりました。打ち出の小槌や米俵に乗って福袋を担ぐお姿で知られる大黒天の御利益は、開運招福や家門繁栄、富貴をもたらすなどであり、また寺院の食料の守護神として祀られるようになりました。この大黒天堂は太平洋戦争で焼失しましたが、ご本尊の大黒天は安泰で、昭和43年に旧位置に再建されました。

【大黒様の縁日「甲子(きのえね)」】
大黒天の縁日である「甲子の日」は、毎日に干支を当てはめると最初に当たる日です。そのため物事をはじめるのに縁起を担ぐ習慣が昔からあり、大切にされてきました。
また大黒天が食料の守護神とされたことから、鎌倉時代にはその使いが鼠(ねずみ)と考えられるようになりました。子(ね)を鼠と結びつかせ、鼠を大黒天の使者とみなして甲子の日に大黒天祭(甲子祭)が行われ、甲子侍(かっしまち)と言って子の刻(23時頃)過ぎまで起きて大豆、黒豆、二股大根などをお供えし、大黒天を祀るという習慣に通じました。

【辯天さまと大黒さま】
辯才天を祀る辯天堂の境内になぜ大黒天が祀られているのでしょうか。これは、大黒天と毘沙門天辯才天が合体した「三面大黒」にその淵源を探ることが出来ます。
大黒天は「食料や富を授ける」、毘沙門天は「武力や勇気を授ける」、辯才天は「美や才能を授ける」福神とされ、6本の手には衆生を救済し福徳を授けるとされる様々な道具も持っており、合体することでよりご利益が増えると考えられました。この三面大黒を最初に信仰されたのが日本天台宗の宗祖である伝教大師最澄さまであり、また豊臣秀吉公も出世を願って三面大黒を信仰したことで「豊太閤」となったと伝えられています。
(出典:境内案内板)
 
 

石碑群

 琵琶

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不忍池辯財天は、変わった石碑・慰霊塔があることでも知られます。

本堂の前には、弁財天のシンボルである琵琶。

 

 

 めがね之碑

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中央のめがねは、徳川家康が愛用していたもの。

 

 

 暦塚

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全国団扇扇子カレンダー協議会の会員により建立。

 

 

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日時計の文字盤がデザインされています。

 

 

 魚塚

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東京魚商業協同組合により建立。

組合創立50周年を機に、水揚げされた魚のために建てられた慰霊塔です。

 

 

 ふぐ慰霊碑

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東京ふぐ料理連盟が、ふぐの霊を供養するため建立。

 

 

 スッポン感謝之塔

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滋養、食材のため命を落としたスッポンに感謝する塔。

 

 

 鳥塚

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東京食鳥鶏卵商業協同組合・東京都食鳥肉販売環境衛生同業組合により建立。

 

 

 包丁塚

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上豊調理師会により建立。

 

 

 扇塚

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日本舞踊家、初代花柳寿美の舞扇を納めた碑。

 

 

 いと塚

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三味線や琴などに使われた糸に対する感謝の意を込めた塚。

 

 

 櫛淵碑

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一橋徳川家に召抱えられ、以後3代にわたり徳川将軍直々の護衛役として仕えた、

櫛淵彌兵衛宣根の碑。

 

* * *

 

けっこうな数の石碑を紹介したつもりでしたが、他にもまだあるようです。

とてもユニークなものばかりなので、じっくり見て回るのも楽しいですね。

 

 

御朱印

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最後に御朱印です。

こちらは、辯才堂のもの。

 

 

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こちらは、大黒天堂のものです。

 

 

 

 

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不忍池辯天堂】
所在地:東京都台東区上野公園2-1
アクセス:JR「上野駅」より徒歩5分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:無
(※2020年11月7日付けの情報です。)

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五條天神社(東京都台東区) ~上野公園の寺社をめぐる旅 7/9~

【2020/11/07 ぶら旅コース】
寛永寺開山堂(両大師)/輪王寺 上野東照宮東照宮第一売店上野大仏花園稲荷神社五條天神社不忍池辯天堂清水観音堂
【コースMAP:鶯谷駅~上野駅(※実際の徒歩ルートと異なることがあります)】

五條天神社

鳥居

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花園稲荷神社を探索しているうちに、いつの間にか五條天神社へ。

 

鳥居の写真から始めましたが、

花園稲荷神社五條天神社は併設されているので境内が区切られておらず、

実際は社殿の横から五條天神社に入っています。

 

ちなみに、花園稲荷神社五條天神社兼務社で、両社独立した神社になります。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
大己貴命(おおなむじのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
【相殿】
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

【御由緒】
当社は、景行天皇の御代、日本武尊が、蝦夷征伐の為、忍ヶ岡を御通行の際、二柱の大神が奇瑞を現し、難儀を救い給うた事に感じ、茲に両神をお祀りなされましたのがその創祀であります。
大己貴命大国主命とも申し、「八またの大蛇」を退治なされました須佐之男の命の御子で「いなばの白兎」「大国様と白ねずみ」等、神話や童謡で知られて居り、又縁結びの信仰も厚い神様です。
少名彦命は、大国主命の手のひらに乗ったと云はれる非常に小さな神様で、神産日神の御子、蛾の皮の着物に豆の実のさやを船にして出雲の国御到着になり、ここで大己貴命と兄弟の縁を結び始めて国民に薬の術と病をなくす方法、又お酒の作り方等もお教えになり、国土の開発に力を尽くされました。
相殿にお祀りしてあります菅公は、江戸初期、寛永18年に合祀になりました。(相殿とは、主神に対して後から合祀、又は配祀せられた神様の事です)
社地は寛永寺の境内拡張により、当時の神職、瀬川の屋敷内に、大正に至る迄遷座されましたが、昭和3年に現地に遷座されました。
当社は古くから「天の神」を祀ることより「五條天神」と呼ばれ、昔から薬祖神としての崇敬が篤く、平成22年5月、御鎮座1900年の記念大祭が斎行された、東都有数の古社であります。
(出典:パンフレット)

医薬祖神が祀られていることから、

無病息災、病気平癒などの御利益があるとされています。

 

 

 手水舎

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仏像の台座のような形をした手水鉢。

 

 

 七福社

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境内社の七福社。

 

この七福社は江戸時代

上野の繁栄を願い山内各門に祀られた祠の中の一つと云われています。

(神像の背に千龝萬来(せんしゅうばんらい)の文字が刻まれています。)

と貼り紙がありました。

 

七福社の名前から、七福神を各門にお祀りしていたのでしょうか?

ガラスの中には、宝船の絵が飾られていました。

 

 

御朱印

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最後に御朱印をいただきました。

花園稲荷神社五條天神社は、それぞれ社務所があります。

 

* * *

 

上野公園内の寺社でも、この2社は参拝客が少なく、ゆったり参拝ができます。

 

 

 

 

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五條天神社
所在地:東京都台東区上野公園4-17
アクセス:JR「上野駅」より徒歩7分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有(東京の天神様巡り)
駐車場:無
(※2020年11月7日付けの情報です。)

花園稲荷神社(東京都台東区) ~上野公園の寺社をめぐる旅 6/9~

【2020/11/07 ぶら旅コース】
寛永寺開山堂(両大師)/輪王寺 上野東照宮東照宮第一売店上野大仏花園稲荷神社五條天神社不忍池辯天堂清水観音堂
【コースMAP:鶯谷駅~上野駅(※実際の徒歩ルートと異なることがあります)】

花園稲荷神社

 鳥居

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園内を歩いていると、朱色の鳥居が見えてきました。

お次は、花園稲荷神社へ向かいます。

 

この参道は、併設する五條天神社(次の投稿でご紹介)の参道でもあります。

 

 

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千本鳥居をくぐり社殿へ。

 

 

 

 境内

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何度か参拝に訪れている私は、

花園稲荷神社を「上野公園の秘密基地」と呼んでいます。

こじんまりとした境内に建つ社殿は木々に囲まれ、まるで隠れ家のような雰囲気。

この感じが、とても好きです。

 

  

 拝殿

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【御祭神】
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)

【御由緒】
御創始の年月は不詳です。古くから此の地に鎮座し、「忍岡稲荷」が正しい名称ですが、石窟の上にあった事から俗称「穴稲荷」とも云われていました。
承応3年(1654年)、天海大僧正の弟子、本覺院の住僧晃海僧正が霊夢に感じ廃絶していたお社を再建し上野の山の守護の神としました。幕末、彰義隊の戦いでは最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られています。後、明治6年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され、「花園稲荷」と改称、五條天神社が現地に御遷座になるに及び、社殿も南面して造営され神苑も一新されました。(旧社殿は俗称お穴様の処です)
お穴様の左奥にありますお社は古書に弥左衛門狐と記され、寛永寺が出来る時に忍岡の狐が棲む処が無くなるのを憐れみ、一洞を造り社を祀ったと云われます。
社地はお穴様を中心にし約2千坪(今の精養軒や韻松亭を含む6600㎡)ありましたが明治の上地の為、現在は五條天神社と併せて約1千坪になりました。
(出典:パンフレット)

 上野戦争では最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られています。

 

 

 穴稲荷

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拝殿から延びる道沿いには、花園稲荷神社の元宮があります。

 

 

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【御由緒】
正しくは忍岡(しのぶがおか)稲荷と云い花園稲荷神社の旧跡である。
左奥のお社は、寛永の初め天海が寛永寺を草創の際に忍ケ丘の狐の住処を失った事をあわれみ一洞を作りその上に祠を建てて祀ったものと云われている。
(出典:穴稲荷案内板)

扉を開けて参拝することが可能です。

 

扉の先はL字になっており、角を曲がると拝所になっています。

拝所は薄暗く、さほど広くはありません。

奥には岩の上に建てられた小さなお社と、横の壁には丸い大きな穴。

その横穴は、狐の通り道(抜け道)と言っていたような記憶です。

(格子でふさがれていますが、、)

中を覗いても漆黒の闇で、穴の様子や距離はうかがい知ることができません。

うっすら風を感じるので、どこかに繋がっているのかもしれませんね。

穴の下には小さな祭壇があり、対の狛狐や、お水・お酒などが供えられていました。

 

扉の奥は撮影不可なので、語彙力皆無の文章で中の様子をお伝えしてみました。

薄暗さと密室感からか、異質な空気が漂います。

その空気を「幻想的」や「神聖」などという言葉で表現するべきかと思いますが、

正直、ひとりだと「恐怖」です!

以前は扉が開いていたのでまだ入りやすかったのですが、

この扉1枚が開いているのと閉まっているのとでは恐怖度が違います。

 

是非この場所は、ご自身の目や肌で体感してみてください。

 

 

御朱印

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御朱印は書置きのみ。

拝殿横の社務所にていただけます。

 

 

 

 

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花園稲荷神社
所在地:東京都台東区上野公園4-59
アクセス:JR「上野駅」より徒歩7分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車所:無
(※2020年11月7日付けの情報です。)

上野大仏(東京都台東区) ~上野公園の寺社をめぐる旅 5/9~

【2020/11/07 ぶら旅コース】
寛永寺開山堂(両大師)/輪王寺 上野東照宮東照宮第一売店上野大仏花園稲荷神社五條天神社不忍池辯天堂清水観音堂
【コースMAP:鶯谷駅~上野駅(※実際の徒歩ルートと異なることがあります)】

上野大仏

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もんじゃまんでエネルギーをチャージして巡礼再開。

後半戦は、上野大仏からスタートです。

 

ところで、上野に大仏様がいらっしゃったことをご存じでしょうか?

私は幼い頃から何度も上野公園を訪れたことがあるにも拘らず、

寺社めぐりを始めるまでその存在を知りませんでした。

 

園内でも人通りの多い道沿いに鎮座しているのですが、

仏山という小高い丘の上に鎮座していることや、

大道芸などで通りが賑わっていることもあってか、

なかなか気付き難い場所だったりするのかもしれません。

 

しかし、上野公園に来たのなら、ここは是非見ていただきたいスポットです。

なぜなら、上野の大仏様はとても変わったお姿をしているからです。

 

 

 門

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階段を上り、大仏山の山頂へ。

 

 

 上野大仏

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門を入るとすぐ、大仏様は姿を現します。

 

 

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【御本尊】
釈迦如来(しゃかにょらい)

【御由緒】
この大仏は寛永8年(1631年)、越後国村上城主であった堀丹後守直寄公がこちらの高台に、戦乱に倒れた敵味方の冥福を祈るために建立した「釈迦如来」です。京都・方広寺の大仏に見立てられ、当初は漆喰で作られましたが、明暦・万治の頃(1655~1660年)木食浄雲(もくじきじょううん)という僧侶により高さ6メートルの銅仏に改められました。
また元禄11年(1698年)には輪王寺宮公弁法親王により大仏殿が建立され、伽藍が整いました。しかし大仏は江戸時代以来、地震や火災といった災難に何度も見舞われました。幕末の上野戦争では辛くも被害を免れましたが、明治6年に大仏殿が解体され、さらに大正12年関東大震災でついにお顔が落ちてしまったのです。
その後、寛永寺で保管された大仏は再建される計画もありましたが、残念ながら復元されることなく、お体は第二次世界大戦時に供出されてしまいました。昭和47年春、再び旧地に迎えられた大仏は、建立当時より大きくお姿を変えましたが「これ以上落ちない合格大仏」として広く信仰を集めています。
(出典:境内案内板)

なんと!

上野の大仏様は、お顔のみのお姿をしているのです!!

 

なぜ、このようなお姿になってしまったのか?

別の案内板にその詳細が書かれていたので、簡単にまとめてみました。

寛永8年:越後村上藩主 堀直寄により釈迦如来像造立

正保4年:地震により倒壊

明暦~万治年間:木食僧浄雲により釈迦如来坐像を造立

元禄11年:輪王寺宮公弁法親王により大仏殿を建立

天保12年:火事により大仏・大仏殿ともに損傷

天保14年:堀直寄の子孫 直央が大仏、幕府が仏殿を再建

安政2年:大地震により大仏の頭部が倒壊、間もなく堀家により修復される

明治6年:上野公園開設の際に仏殿取り壊し(同9年、10年という説有り)

大正12年関東大震災で大仏の面部が落下

第二次世界大戦時:金属類回収令により大仏の胴体と脚部を国へ供出

昭和47年:大仏の面部をレリーフ状に奉安

関東大震災での倒壊後、昭和15年に開催予定だった東京オリンピックに向けて、

再建計画が持ち上がっていたそうです。

ですが、戦争によってどちらも幻となってしまいました。。。

 

仏様というものは、平和や安全を願って建立されることが多いと思いますが、

まさか、仏様自身が戦争に利用されてしまうとは・・・何とも悲しいお話です。

 

 

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現在は、幾度の災難を乗り越えた大仏様の経緯から「これ以上落ちない」と、

「合格大仏」と呼ばれ受験生に人気だそうです。

 

 

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祭壇には、大仏様の全身の写真がありました。

 

 

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よく見ると、唇の赤みが少し残っています。

それにしても、螺髪があるかないかでだいぶお顔の印象が変わりますね。

現在の方が、穏やかな表情に見えました。

 

 

 大仏殿

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境内案内板には、大仏殿の写真も掲載されています。

 

 

 パゴダ

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大仏殿の跡地には、パゴダ(ミャンマーの仏塔という意味)が建っています。

中には寛永寺と同じ薬師如来、脇侍に日光・月光菩薩が安置されています。

この仏像は、東照宮内にあった薬師堂に安置されていたもの。

仏様は撮影禁止ですが、そのお姿を拝見することは可能です。

 

 

御朱印

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上野大仏の御朱印

 

 

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パゴダの御朱印

御朱印は、清水観音堂で書置きのみいただけます。

 

 

 

 

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【上野大仏】
所在地:東京都台東区上野公園4-8
アクセス:JR「上野駅」より徒歩7分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:無
(※2020年11月7日付けの情報です。)

東照宮名物 もんじゃまん/東照宮第一売店(東京都台東区) ~上野公園の寺社をめぐる旅 4/9~

【2020/11/07 ぶら旅コース】
寛永寺開山堂(両大師)/輪王寺 上野東照宮東照宮第一売店上野大仏花園稲荷神社五條天神社不忍池辯天堂清水観音堂
【コースMAP:鶯谷駅~上野駅(※実際の徒歩ルートと異なることがあります)】

休憩

時計を見ると12時ちょっと前。

ここで、休憩を挟むことにしました。

 

久しぶりに上野公園に来てみたら、

おしゃれなカフェやレストランがたくさんオープンしていてビックリ!!

数年前とはだいぶ変わりましたね。

「どこでランチしようかな♪」なんて、ウキウキしてしまいます。

 

 

東照宮第一売店

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数あるおしゃれカフェの中から、私はこちらのお店を選びました。

めちゃくちゃ年期の入った、東照宮第一売店

うどん・そば・ラーメン・カレーなど、おなじみのメニューが並ぶ食堂です。

おでん・あま酒・ところてん・・・幟が乱立する姿もいいですね。

「アイスキャンデー」って!!!

この雰囲気、大好きすぎます!!!

 

おしゃれなカフェも好きですが、

この手のお店を見つけてしまっては、こちらを選ばずにいられない・・・

そんな性分です。

 

 

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東照宮第一売店は、名前からもわかるように、東照宮の鳥居前にあります。

ひとつ前の記事の写真にも、売店が写り込んでいましたね。

 

 

東照宮名物 もんじゃまん(250円)

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幟にあった『カレーそうめん』が気になっていたのですが、

お昼時ということもあり店内は満席状態だったので、

東照宮名物 もんじゃまん』をテイクアウトすることにしました。

 

 

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水分を吸いすぎていない、ふっくらな皮がおいしそうです。

 

 

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中のもんじゃ餡は、こんな感じ。

具はネギ・ひき肉・千切りにされているのは生姜でしょうか?

生姜の効いた甘辛ソースに、もんじゃのねっとり感がちゃんと再現されていて、 

なかなかの美味でした。

少々濃い目の味付けなので、ごはんが欲しくなりましたね。

 

肉まんの紙がもんじゃのヘラ柄なのもポイント。

上野公園のB級グルメは、ここにあります!!

 

* * *

 

広場のベンチで、大道芸を見ながら食べました。

外で食べるランチもいいものですね。

次回上野公園を訪れる際には、おしゃれカフェに行ってみたいと思います。

(・・・多分、カレーそうめんを食べると思います。)

 

 

 

 

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東照宮第一売店
所在地:東京都台東区上野公園9-86
アクセス:JR「上野駅」より徒歩5分
営業時間:10:00~16:30
定休日:月曜日
駐車場:無
(※2020年11月7日付けの情報です。)

上野東照宮(東京都台東区) ~上野公園の寺社をめぐる旅 3/9~

【2020/11/07 ぶら旅コース】
寛永寺開山堂(両大師)/輪王寺 上野東照宮東照宮第一売店上野大仏花園稲荷神社五條天神社不忍池辯天堂清水観音堂
【コースMAP:鶯谷駅~上野駅(※実際の徒歩ルートと異なることがあります)】

上野東照宮

 鳥居

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続いて訪れたのは、上野東照宮

上野公園の中央エリアになります。

両大師までは公園の外れということもあり人数も少なかったのですが、

この辺りまで来ると、

動物園へ行く人や博物館へ行く人、お散歩中の人などで賑わいを見せます。

 

 

 神門

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神門を潜ってお参りへ。

 

 

 参道&灯籠

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社殿へと続く参道には、大きく立派な石灯籠が並びます。

 

 

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こちらは、銅灯籠群。

 

 

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上野東照宮は小規模でありながらも、見所の多い神社です。

灯籠もそのひとつで、とにかく数がすごい!

その数、200基以上もあります。

案内図の●印がその場所を記しています。

 

 

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この灯籠は、諸大名より奉納されたもの。

案内図には、どの灯籠がいつ誰によって奉納されたかも書かれています。

 

 

 お化け灯籠

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鳥居付近には、高さ6mを超す『お化け灯籠』も。

この灯籠は、日本三大灯籠のひとつに数えられています。

(他、京都市南禅寺名古屋市熱田神宮

 

 

 唐門

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【御祭神】
徳川家康公(とくがわいえやすこう)
徳川吉宗公(とくがわよしむねこう)
徳川慶喜公(とくがわよしのぶこう)

【御由緒】
上野東照宮は1627年創建の東京都台東区上野公園に鎮座する神社です。東照宮とは徳川家康公(東照大権現)を神様としてお祀りする神社で、日光や久能山の他、全国に数多くございます。
当宮は出世、勝利、健康長寿に特にご利益があるとされ信仰されています。金色殿(社殿)などの豪華な建造物は、戦争や地震にも崩壊を免れた貴重な江戸初期建築として国の重要文化財に指定されており、国内はもとより、海外からも多くの方がお参りされます。
元和2年(1616年)2月4日、天海僧正藤堂高虎は危篤の徳川家康の枕元に呼ばれ、三人一つ処に末永く魂鎮まるところを作って欲しいと遺言されました。天海僧正藤堂高虎らの屋敷地であった今の上野公園の土地を拝領し、東叡山寛永寺を開山。境内には奥の伽藍や子院が建立されました。寛永4年(1627年)その一つとして創建した神社「東照社」が上野東照宮の始まりです。正保3年(1646年)には朝廷より正式に宮号を授けられ「東照宮」となりました。

現存する社殿は慶安4年(1651年)に三代将軍・徳川家光公が造営替えをしたもので、遠く日光までお参りに行くことができない江戸の人々のために日光東照宮に準じた豪華な社殿を建立したと言わています。この造営替えに際し約250基の灯籠が全国の大名から競うように奉納されました。
幕末には寛永寺の伽藍や子院の多くが消失する上野戦争が勃発しましたが、上野東照宮には火の手が及びませんでした。関東大震災にも倒れず、第二次世界大戦では社殿のすぐ裏に爆弾が投下されましたが幸いにも不発弾で社殿の倒壊は免れました。
明治時代には神仏分離令のため境内の五重塔寛永寺に譲渡(現在は東京都の管理)するなど、江戸時代と比べ境内地は縮小されましたが、江戸初期に建立された社殿が数々の困難を乗り越え現存することは奇跡的で、強運な神君の御遺徳の賜物と言われています。
(出典:上野東照宮公式サイト

お参りは、唐門の前で行います。

幾度となく戦争や災害から免れた強運神社なので、

そのご利益もかなり期待できそうですね。

 

 

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唐門の正式名称は『唐破風造り四脚門』と言います。

扉の左右には、左甚五郎作『上り龍・降り流』の彫刻があしらわれています。

どちらも頭が上を向いていますが・・・

よく見ると右の龍は首を下げていることにお気づきでしょうか。

「偉大な人ほど頭を垂れる」

という意味から、右側の龍が上り龍となっています。

 

この龍たちは、毎夜、不忍池に水を飲みに行く・・・という伝説もあるそうなので、

早朝に参拝に行けば、龍の足元に水溜りができているかもしれませんね。

(といっても、開門は9:00ですが・・・)

 
 

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門の上部には、錦鶏鳥・銀鶏鳥の彫刻。

 

 

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そして、唐門の前にも銅灯籠が並びます。

扉を挟んで3基ずつ並ぶ灯籠は、内側から紀伊・水戸・尾張

徳川御三家より寄進されたものです。

 

 

有料ゾーン

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拝観料500円で、唐門の奥まで入ることができます。

唐門だけでも見応え十分ですが、奥の本殿はもっと凄いです!

 

 

 大楠

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まずお出迎えしてくれるのは、御神木の大楠。

 

 

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樹齢600年、幹の太さ8m。

上野公園内で1番の太さを誇るそうです。

 

 

 栄誉権現社

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御本殿脇に建つお社にも立ち寄ります。

意外と見逃す方が多いようで、順路を戻られる方もちらほら・・・。

それくらい、ひっそりと建っておられます。

 

 

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栄誉権現社。

お社の中には、狸の像が安置されています。

 

 

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「御狸様」と呼ばれるこの像は、

江戸時代、大奥など安置される各所に災いをもたらしたという、曰く付きの像。

大正年間に東照宮に寄贈されて以来、災いがなくなったとのことです。

 

そういえば、、、家康は「狸親父」なんて呼ばれていましたね。

狸親父の前ではさすがにイタズラができなくなったのでしょうか???

現在は、参拝客のお願いも聞いてくださいます。

「たぬき=他を抜く」

 という意味から、学業・勝負運などの御利益があるようです。

 

 

 透塀

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本殿は、透塀に囲われています。

 

 

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この塀もじっくりと見たい、見所のひとつ。

塀の上段には野山の動植物、下段には海川の生物の彫刻が施されています。

 

 

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彫られた動物は多種多彩であるため、手すりにはちょっとした説明が。

 

 

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今年の干支の案内もありました。

 

 

 唐門

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先ほどお参りした唐門の裏側。

こちら側にも、龍の彫刻があります。

 

上部の透彫は、諫鼓鳥(かんことり)。

中国の故事に由来し、

「皇帝が朝廷の門前に太鼓を置き、

政治に誤りがある時は人民にそれを打たせ訴えを聞こうとしたが、

善政のため打たれることは無く、太鼓に鶏が住み着くほどであった」

という話に基き、天下泰平を願い彫られたと言われています。

 

 

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日光東照宮の眠り猫もそんなお話でしたね。

眠り猫の裏側には、2羽の雀。

天敵であるはずの猫のそばで楽しく飛び回る雀たちの彫刻は、

安心して暮らせる平和な世の中を表現していたかと思います。

 

 

 金色殿

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いよいよ、御本殿です。

黄金に輝くこの社殿は、見た目の通り「金色殿」と呼ばれています。

金×黒の配色がカッコイイ拝殿。

 

 

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 お賽銭箱もモダンです。

 

 

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内部は非公開のため、中の様子はわかりません。

この眩しい扉の向こうはどのような世界が広がっているのか気になります。

  

 

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社殿は、拝殿、幣殿(石の間)、本殿の3つの部屋から成る権現造り。

本殿の部分は、キンピカリンで本当に目が痛かったです。

 

以前「埼玉の日光東照宮」と呼ばれる妻沼聖天山(同じ権現造り)を訪れた際、

「拝殿から本殿に進むにつれて塗装や装飾などが豪華になっていく」

とガイドさんから聞いた記憶があります。

まさに、それですね。

 

www.mi-cha34.com

 

 

その他、境内

 神楽殿

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 寛永寺 五重塔

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寛永寺五重塔

もともと、東照宮が所有していた塔です。

現在は、上野動物園内に鎮座しています。

 

 

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この写真は、動物園内からの眺め。

塔の前に池や橋があり、鶴(?)もいますね。

とても風情を感じる景色です。

 

 

 大鈴&狛犬

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江戸三大石匠に数えられた石工、酒井八右衛門が寄進した大鈴(明治7年6月奉納)。

中には、大きな鈴が下げられています。

手水舎として造られたものでしょうか?

 

 

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狛犬も酒井八右衛門作のもの。

この胸筋・・・ダイナミックでとても強そうです。

 

 

 広島・長崎の火

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平和を願うモニュメント。

 

 

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中央のハトの中には、広島と長崎の被爆時に採取された火が灯されています。

 

 

 ぼたん苑

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ぼたん苑。

毎年、1月~2月・4月~5月に開かれ、美しい牡丹の花が楽しめます(有料)。

 

 

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この写真は、前回訪れた時のもの。

 

 

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花は終わりかけていましたが、それでも多種の牡丹が楽しめました。

 

 

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この日は5月だったので、空にはこいのぼりが泳いでいました。

 

 

御朱印

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御朱印は唐門近くの、御朱印授与所でいただけます。

こちらは、東照宮のもの。

 

 

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こちらは、今年の10月から配布が開始された、御狸様のもの。

両方とも書置きのみです。

 

 

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上野東照宮
所在地:東京都台東区上野公園9-88
アクセス:JR「上野駅」より徒歩5分
開門:9:00~16:30(冬季)、~17:30(夏季)
拝観時間:9:30~閉門30分前
拝観料:大人500円、小学生200円、ぼたん苑700円、ぼたん苑共通1100円
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:無
公式サイト:https://www.uenotoshogu.com/
(※2020年11月7日付けの情報です。)

開山堂(両大師)/輪王寺(東京都台東区) ~上野公園の寺社をめぐる旅 2/9~

【2020/11/07 ぶら旅コース】
寛永寺開山堂(両大師)/輪王寺 上野東照宮東照宮第一売店上野大仏花園稲荷神社五條天神社不忍池辯天堂清水観音堂
【コースMAP:鶯谷駅~上野駅(※実際の徒歩ルートと異なることがあります)】

輪王寺

 山門

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寛永寺根本中堂から徒歩7~8分、輪王寺へ向かいました。

都内で唯一の、門跡寺院です。

寛永寺のお寺のひとつで、一般的に「開山堂」「両大師」などと呼ばれています。

 

日光にも3代家光公が眠る輪王寺がありますが、

上野の輪王寺も日光の輪王寺も江戸時代は正式な寺号ではなく、

東叡山(寛永寺)と日光山(満願寺)両山の山主であった、

輪王寺宮法親王の称号から取られた名だったそうです。

正式に寺号と認められたのは明治に入ってからとのことでした。

 

 

 本堂

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【御本尊】
阿弥陀如来(あみだにょらい)
慈眼大師天海大僧正(じげんだいしてんかいだそうじょう)
慈恵大師良源大僧正(じえだいしりょうげんだいそうじょう)

【宗派】
天台宗

【御由緒】
當堂には寛永寺開山慈眼大師天海大僧正と大僧正が尊崇された第18代天台座王慈恵大師良源大僧正を祀る。
天海大僧正は本坊内に慈恵堂を設けておられたが、やがて大僧正の入寂後に建立された。
開山堂に慈恵大師を合祀したため「両大師」と呼ばれる様にになった。
ここに、慈眼大師350回の御遠忌を迎え両大師堂を始めとする寺観を一新すると共に新たに輪王殿を建立し、以て報恩の一端に擬するものである。
(出典:境内案内板)

 ひとつの場所にいくつもの呼び名があるのでごっちゃになってしまいますが、、

輪王寺に建立したお堂が、

寛永寺を開山した慈眼大師天海大僧正をお祀りすることから「開山堂」、

後に慈恵大師良源大僧正を合祀したことで「両大師」と呼ばれるようになった。』

ということですね。

 

ちなみに、慈恵大師良源大僧正は『おみくじ』の創始者なのだそうです。

当時のおみくじも現在のおみくじとさほど変わらない形だったようです。

 

 

 天海僧正毛髪塔

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上野公園内(西郷像の近く)には、天海僧正の毛髪を納めた供養塔、

天海僧正毛髪塔があります。

 

 

 阿弥陀堂

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阿弥陀堂には3体の仏様が安置されています。

 

 

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左から、地蔵大菩薩阿弥陀如来虚空蔵菩薩

堂内が狭いのか、なかなかの密っぷりです。

写真で表現できずに残念ですが、実物を目の当たりにすると、

押し迫ってくるような迫力を感じます。

 

 

 地蔵堂

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 宝塔

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 大賀ハス古代蓮

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御本堂の前には、大賀ハスの池があります。

大賀ハス古代蓮の一種で、2000年以上前の蓮の種が発芽したもの。

・・・時期が遅すぎましたね。

 

 

 御車返しの桜

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同じ木から一重と八重の花が咲く、珍しい桜。

後水尾天皇輪王寺宮の父)が京都の常照皇寺に花見に行かれた際に、

その桜があまりに美しかったので、

帰り道に牛車を戻して再びご覧になったことから、

『御車返し』の名がつきました。

 

花の見ごろはソメイヨシノより少し遅い時期だそうです。

この桜は是非見てみたいですね。

来年の春にでも再訪したいと思います。

 

 

 旧本坊表門

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開山堂を見学後、お隣の輪王殿へ。

輪王殿は、寛永寺の斎場です。

 

 

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輪王殿の手前には、黒く大きな門が建っています。

 

 

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こちらが、旧本坊の表門。

根本中堂の境内にあった鬼瓦の持ち主です。

 

旧本坊は現在の東京国立博物館の地にありましたが、上野戦争の際に焼失。

この表門のみ戦火を免れました。

 

 

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屋根を見上げると、先ほど見た鬼瓦がありました。

 

 

御朱印

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御朱印は御本堂内でいただけます。

前回は直に書いていただいたのですが、現在は書置きのみのようです。

この他に、両大師それぞれのお名前が書かれた御朱印も増えていました。

2回目の御朱印ならば、そちらをいただけばよかったですね。

なぜか、前回と同じものをいただいてしまいました。。

 

 

 

 

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【開山堂(両大師堂)/輪王殿】
所在地:東京都台東区上野公園14-5
アクセス:JR「鶯谷駅」「上野駅」より徒歩8分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:不明
駐車場:有(輪王殿)
公式サイト:http://kaisando.kaneiji.jp/(開山堂)
(※2020年11月7日付けの情報です。)

寛永寺(東京都台東区) ~上野公園の寺社をめぐる旅 1/9~

【2020/11/07 ぶら旅コース】
寛永寺開山堂(両大師)/輪王寺上野東照宮東照宮第一売店上野大仏花園稲荷神社五條天神社不忍池辯天堂清水観音堂
【コースMAP:鶯谷駅~上野駅(※実際の徒歩ルートと異なることがあります)】

上野恩賜公園

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上野公園に行ってきました。

上野公園というと、動物園をはじめ美術館・博物館が多く点在し、

春は桜の名所としても有名です。

 

そんな上野公園ですが、実は神社仏閣が集まる場所でもあり、

園内だけで10枚以上の御朱印を入手することができるという、

御朱印コレクターにとっても嬉しいスポットなんですね。

 

しかし、公園内といってもかなりの広さです。

私は4~5年前にも巡拝しているのですが、当時は下調べせず行ってしまったので、

ムダに行ったり来たり・・・。

なので今回は、スムーズに参拝できるコースを作り再訪問してみました。

 

 

寛永寺

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上野公園の最寄り駅は上野ですが、お隣の鶯谷からスタートします。

 

 

山門

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まずは、鶯谷駅から徒歩8分の場所に鎮座する、寛永寺へ。

上野公園からすぐの場所なのですが、上野恩賜公園公式MAPから外れているので、

厳密に言うと園内ではない・・・のかもしれません。

しかし、上野公園内の寺社を巡るには欠かせないお寺なので、お参り必須です。

 

 

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というのも、現在上野公園となっている敷地は、もともと寛永寺の境内。

今回のぶら旅コースで訪れた寺院は、すべて寛永寺のお堂なのです。

 

 

 根本中堂(本堂)

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【御本尊】
薬師瑠璃光如来(やくしるりこうにょらい)

【宗派】
天台宗

【御由緒】
東叡山寛永寺は、寛永2年(1625年)に、幕府と万民の平安・安泰を祈る祈願寺として、慈眼大師天海大僧正によって創建されました。山号は「東の比叡山」の意、寺号は寛永年間に創建されたことによります。
後には、第四代将軍・徳川家綱公の霊廟が造営され、将軍家の菩提寺も兼ねることとなりました。また東叡山主に皇族(輪王寺宮)を迎え入れたことにより、江戸時代の寛永寺は格式と規模において我が国屈指の大寺院となりました。
しかし幕末の上野戦争で被災し、敷地の大部分は明治初期に上野公園となりました。太平洋戦争後は新たに霊園を造営し広くお檀家を受け入れるなど、伝統を守りながらも多くの人々に親しまれ今日に至っています。
(出典:寛永寺パンフレット)

寛永寺は、江戸城の鬼門除けとして建立されました。

『東叡山』という山号を持ち、それには「東の比叡山」という意味があります。

これは京都御所の鬼門に位置し、朝廷の安穏を祈る鎮護国家の道場であった、

比叡山延暦寺にならったもの。

寺号も延暦寺と同様、創建時の元号を使用しています。

この後訪れるお堂にも、京都の寺院を模したものがあります。

 

創建時の本堂は、上野公園の大噴水のあたりにあったといいます。

上野戦争で焼失後、川越喜多院の本地堂を現在の地に移築。

寛永寺の本堂として再建されたそうです。

 

www.mi-cha34.com

この本堂が、喜多院のお堂だったとは!!

喜多院には、本地堂跡を記す碑があるそうなのですが、、、

以前参拝に訪れた時はまったく気づきませんでした。

 

 

 勅額

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本堂に掲げられた勅額は、第113代天皇東山天皇による宸筆のもの。

 

お寺の方がこの額にちなんだお話をしてくださいました。

上野戦争で本堂を焼失しているにも拘らず、焼け跡ひとつないこの勅額。

なぜ、このような綺麗な状態で残ったのでしょうか・・・?

なんと、本堂焼失以前は、レプリカを掲げていたのだそうです。

それではなぜ、レプリカを???

この勅額が京都から寛永寺に届いた日、江戸で火事が起こりました。

火の手は新橋から上野方面まで広がり、寛永寺も被災。

根本中堂は辛うじて免れることができたそうです。

(その火事は「勅額火事」「中堂火事」と呼ばれています。)

当時、江戸では火事が多発したことから勅額の焼失を恐れ、倉で保管することに。

その代わりにレプリカが造られ、掲げられていたそうです。

 

私:火事がなければ戦争で焼けていたかもしれないんですね。

寺:そうよね!とにかく、焼けたのは偽物!今あるのが本物!よく見て行ってね!

 

 

 銅鐘

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厳有院殿(4代将軍家綱)の一周忌に、厳有院殿廟前の鐘楼に奉献されたもの。

明治維新後、この地に移築。

 

 

 鬼瓦

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旧本坊表門・根本中堂の鬼瓦。

 

 

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旧本坊表門の鬼瓦。

高さ113㎝。

旧本坊は、現在の東京国立博物館の地に建てられていましたが、

上野戦争で焼失しています。

表門のみ現存しており、輪王殿で見ることができます(後ほど紹介)。

 

 

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お隣に並ぶのは、根本中堂の鬼瓦。

高さが旧本坊の鬼瓦の倍以上、248㎝もあります。

 

 

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屋根の上でも存在感がありますね。

 

 

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鬼瓦を見ようと屋根を見上げたら、屋根の上で跳ねる獅子の姿を発見しました。

そして、写真を見て気づいたのですが、瓦に『寛永寺』って書いてある???

(写りが悪くてわからない・・・)

 

 

 慈海僧正墓

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東叡山凌雲院の住職の墓。

凌雲院に東京文化会館が建設されることとなり、根本中堂に移動。

 

 

 了翁禅師塔碑

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江戸時代前期の黄檗宗の僧、了翁禅師の座像。

薬屋を営み、その利益で難民救済や寛永寺に図書館の設置などを行うなど、

その業績を称え造られた顕彰碑。

ご本人の生前に造られたものとのことですが、、、

この塔も別の場所から移築されており、元の場所や移築時期は不明だそうです。

 

 

 虫塚碑

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伊勢長嶋藩主増山雪斎が、

写生図譜『虫豸帖(ちゅうちじょう)』の作画に使った虫類の霊を慰めるため、

雪斎の遺志により建てられた塚。

 

 

 尾形乾山墓碑・乾山深省蹟

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画家 尾形乾山の顕彰碑。

 

 

 上野戦争碑記

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石板にびっしりと刻み込まれた文字はすべて漢字で解読不能でした。。

 

 

 地蔵郡

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水子地蔵でしょうか???

誰が置いたのか、お地蔵様は皆、どんぐりを持っていました。

 

 

歴代将軍御霊廟

根本中堂を出て、寛永寺の霊園の方へ。

徳川家歴代将軍御霊廟を見に行きました。

寛永寺は徳川家の菩提寺のひとつ。

歴代将軍15名の内、6名がここに眠ります。

(すぐ近くの谷中霊園には15代慶喜墓所があります。)

  • 4代 家綱(法名:厳有院)
  • 5代 綱吉(常憲院)
  • 8代 吉宗(有徳院)
  • 10代 家治(淩明院)
  • 11代 家斉(文恭院)
  • 13代 家定(温恭院)

 

『御霊廟』とは、、、

御本尊・位牌・木像を安置する本殿と拝殿を相の間でつなぐ「相の間造り」という

霊廟建築と、将軍が埋葬されている宝塔(墓所)や水盤舎などの総称です。

しかし、現存するのは、勅額門と水盤舎・宝塔のみ。

 第二次世界大戦の空襲で大部分の建造物が焼失してしまったそうです。

 

 

 常憲院御霊廟勅額門

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5代綱吉の霊廟勅額門。

その先に水盤舎があるとのことですが、非公開の為これ以上覗くことはできません。

綱吉の御霊廟には、8代吉宗・13代家定が合祀されています。

 

 

 厳有院御霊廟勅額門

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常憲院御霊廟勅額門から少し歩いた場所には、厳有院御霊廟勅額門。

4代家綱の御霊廟です。

こちらも水盤舎が残っているとのことですが、非公開となっています。

こちらには、10代家治・11代家斉が合祀されています。

 

* * *

 

1~7代将軍は、埋葬されたお寺に霊廟があるのですが、

8代吉宗が『御霊屋建立禁止令』を出したため、

以降、寛永寺増上寺のいずれかの霊廟に合祀し、宝塔のみ建立されたそうです。

 

御朱印

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御朱印は根本中堂内でいただけます。

 

* * *

 

寛永寺・・・。

火事、戦争、焼失・・・と、悲惨な言葉が連呼されたお寺でしたね。

境内の石碑やお堂を見ても、

行き場を失った者たちが身を寄せ合っているといった印象を受けました。

 

 

 

 

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【東叡山 寛永寺
所在地:東京都台東区上野桜木1-14-11
アクセス:JR「鶯谷駅」より徒歩8分、「上野駅」より徒歩15分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:無
公式サイト:http://kaneiji.jp/
(※2020年11月4日付けの情報です。)

赤羽あんこ/赤羽あんこ(東京都北区) ~DEEPな街「赤羽」のDEEPな神仏をめぐる旅 7/7~

赤羽みやげ

この日は後にも予定があったので、お昼を食べずに帰宅。

その代わりに、おみやげを買っていくことにしました。

ちょっとした差し入れにもピッタリな『洋風あんぱん』です。

うちの家族も大好きで、習い事の帰りによく買っていました。

 

 

赤羽あんこ

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赤羽駅南改札を出てすぐの場所にある、赤羽あんこ。

メイン改札と離れているので人通りが少ないのですが、

お店の前にはいつも行列ができている人気店です。

 

 

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赤羽あんことは、デニッシュ生地で餡子を包んだ、和風スイーツ。

餡の種類も豊富です(ポスター以外も有)。

 栗やかぼちゃ餡など、季節の味も楽しめます。

 

 

小倉あん(150円)、抹茶&ホイップ(210円)

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私は、基本の小倉あんと、抹茶&ホイップをチョイス。

手前が小倉で、奥が抹茶です。

 

大きさは、手のひらいっぱいサイズ。

高さもあり、結構なズッシリ感です。

 

 

 小倉あん

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まずは、スタンダードの小倉あんから。

 

 

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北海道産えりも小豆を使用した小倉あんは、甘さ控えめでサッパリとした印象。

デニッシュ生地にもほのかな甘みがあるので、ちょうどいいです。

ゴマゾーンに入ると、香ばしさもプラスされてさらにおいしいですね。

 

 

 抹茶&ホイップ

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続いては、抹茶&ホイップ。

生地に抹茶が練り込まれ、きれいな緑色をしています。

 

 

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中は小倉あんにホイップもたっぷり。

それでも、抹茶の苦みで甘すぎず食べやすいです。

 

もっちりとした食感のデニッシュ生地ですが、

プレーン生地より抹茶の方がもっちり度高めのように感じました。

どちらもおいしいけれど、私はこっちの方が好きかな~。

 

* * *

 

ショッピングセンター ビーンズ赤羽内にも、

『下町のパン工房 by赤羽あんこ』という店舗があります。

そちらでは、イートインスペースもありますよ。

 

 

旅の終わりに・・・

【ぶら旅メモ】
交通費:1000円
参拝費:330円
飲食代:1300円
合計:2630円
歩数:14945歩

赤羽駅西口をめぐりました。

今回のコースは『東京都北区赤羽』というドラマ(漫画)を参考にしています。

この作品は、赤羽の独特な街並みや独特な人々、

この記事のサブタイトルにもあるように赤羽の『DEEP』な部分をピックアップして、

おもしろおかしく描いています。

 

当初はそこで紹介されていた神社を参拝しようと思っていたのですが、

調べてみると変わった神社仏閣が他にも・・・。

せっかくなので、見つけた場所も追加して、このようなコースに仕上げました。

東京都北区赤羽』の世界観はさすがに出せませんでしたが、

なかなかおもしろい旅になったのではないかと思います。

しかし、こんなに珍神社が集まる街も滅多にないですよね。

やっぱり赤羽は独特な街です。

 

赤羽は習い事で6~7年通っていたのですが、知っていたのは駅周辺ばかり。

少し歩いてみると、飲み屋街でガヤガヤしている駅前とは打って変わり、

ちょっと古めのマンションが立ち並ぶ、レトロでどこか懐かしい風景でした。

「こんなにホッとする場所もあったのか~。」

いろいろな顔を持った、不思議な街「赤羽」です。

 

 

 

 

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【赤羽あんこ】
所在地:東京都北区赤羽1-1-1
アクセス:「赤羽駅」南改札よりすぐ
営業時間:9:30~22:00
定休日:無
駐車場:無
(※2020年10月3日付けの情報です。)

静勝寺・稲付城跡(東京都北区) ~DEEPな街「赤羽」のDEEPな神仏をめぐる旅 6/7~

静勝寺

 山門

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亀ヶ池から出土された弁天像が安置されている、静勝寺にも寄ってみました。

亀ヶ池弁財天の例大祭は、こちらのご住職が導師を勤めています。

 

 

 境内

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大きな木々に覆われた、とても静かで落ち着いた雰囲気の境内。

風の通りもよく、夏なんかは涼しそうですね。

 

 

 本堂

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【御本尊】
釈迦如来(しゃかにょらい)

【宗派】
曹洞宗

【御由緒】
寺伝によると当寺はもともと道灌の築いた砦(稲付城とよばれる)の跡で、道灌の禅の師匠であった雲綱が、非業の死を遂げた名将の菩提を弔うためにこの地に草庵を結び、道灌寺と名付けたのが起源で、その年は永正元年(1504年)であったとされています。
しかし、稲付城は徳川家康が江戸に移った時(1590年)まで存在し、寺となったのはその後であり、それは、おそらく寛永年中(1633~42年頃)に稲付出身の僧麟的(~1642年)が草庵を結んだのがそのはじまりと思われます。
その後、道灌6世の孫太田資宗(1600~1680年)が先祖ゆかりの地を大事にして境内を整備し、幕府やこの地の領主東叡山寛永寺にとりなして、寺域を除地(免税地)とすることを認められました。その折、資宗は山号と寺号をそれぞれ道灌と父道真の号、静勝軒および自得軒の名をとって現在のように改めました。明暦元年(1655年)のことです。
その後、太田家では代々静勝寺を援助し、また、道灌の250回忌(享保20年、1735年)には家中を挙げて静勝寺で法要を営んでいます。その折々に記念の品を奉納したり、諸堂の建立や修復が行われました。その最大の記念物が太田道灌の像であり、それを祀る影堂(道灌堂)です。
寺は明治以降太田家との縁も切れて一時さびれましたが、昭和に入ってから付近の都市化とともに復興し、檀家もふえ、諸堂も整備されて今日に至っています。
なお、寺域一帯は現在、東京都旧跡の指定をうけております。
(出典:公式サイト

戸の隙間から中を伺うと、黄金に輝くお釈迦様が座っておられました。

両脇にはこれまた黄金の脇侍、文殊菩薩普賢菩薩のお姿も見えます。

 

なんとなく、そのお釈迦様から癒しオーラを感じて。

しばらく覗き見てしまいました。

 

 

 道灌堂

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太田道灌の座像が安置された、道灌堂。

北区の指定有形文化財に指定されるその像は、

道灌の命日である7月26日にちなんで、毎月26日に開扉されます。

 

静勝寺建立以前は、太田道灌が築いたとされる砦『稲付(いなつけ)城』でした。

(調査上、道灌の築城説が有力だが、決定付けるものはない)

この地は小高い山になっており、当時、亀ヶ池はお堀の役目をしていたんですね。

江戸城岩槻城を中継するための山城として築かれたそうです。

 

www.mi-cha34.com

 

 

 辨天堂

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そしてこちらが、亀ヶ池から出土された弁天像が安置されている、辨天堂です。

亀ヶ池弁財天に祀られた弁天様の元祖ですね。

 

お釈迦様のように戸の隙間から拝見できるかと覗いてみましたが、、、

戸の前に衝立があり弁天様のお姿を見ることができませんでした。

 

 

稲付城跡

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帰りは入った時の門とは別の門から出ました。

 

 

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階段を下りまっすぐ進むと赤羽駅になります、、、が、

下る前に階段の左側へ。

 

 

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稲付城の遺跡があります。

これが何の跡なかは、わかりませんが・・・遺跡だということです。

他にも、調査によって空堀が発掘されているそうです。

 

 

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こちら側の入り口には『稲付城跡』と刻まれた石柱がありました。

 

  

御朱印

静勝寺に御朱印はあるようですが、完全にもらい忘れてしまいました。

「あっ!御朱印!!」と気づいたのは、帰りの電車の中です。

・・・また行けばいいですね。

 

 

 

 

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【自得山 静勝寺・稲付城跡】
所在地:東京都北区赤羽西1-21-17
アクセス:「赤羽駅」より徒歩3分
御朱印:有
駐車場:有
公式サイト:http://joshoji1486.sakura.ne.jp/
(※2020年10月3日付けの情報です。)