作徳稲荷大明神 → 赤羽八幡神社 → 桐ヶ丘中央商店街 → 大恩寺 → 亀ヶ池弁財天 → 静勝寺・稲付城跡 → 赤羽あんこ
コースMAP:赤羽駅~赤羽あんこ(赤羽駅)
静勝寺
■ 山門
亀ヶ池から出土された弁天像が安置されている、静勝寺にも寄ってみました。
亀ヶ池弁財天の例大祭は、こちらのご住職が導師を勤めています。
■ 境内
大きな木々に覆われた、とても静かで落ち着いた雰囲気の境内。
風の通りもよく、夏なんかは涼しそうですね。
■ 本堂
釈迦如来(しゃかにょらい)
【宗派】
曹洞宗
【御由緒】
寺伝によると当寺はもともと道灌の築いた砦(稲付城とよばれる)の跡で、道灌の禅の師匠であった雲綱が、非業の死を遂げた名将の菩提を弔うためにこの地に草庵を結び、道灌寺と名付けたのが起源で、その年は永正元年(1504年)であったとされています。
しかし、稲付城は徳川家康が江戸に移った時(1590年)まで存在し、寺となったのはその後であり、それは、おそらく寛永年中(1633~42年頃)に稲付出身の僧麟的(~1642年)が草庵を結んだのがそのはじまりと思われます。
その後、道灌6世の孫太田資宗(1600~1680年)が先祖ゆかりの地を大事にして境内を整備し、幕府やこの地の領主東叡山寛永寺にとりなして、寺域を除地(免税地)とすることを認められました。その折、資宗は山号と寺号をそれぞれ道灌と父道真の号、静勝軒および自得軒の名をとって現在のように改めました。明暦元年(1655年)のことです。
その後、太田家では代々静勝寺を援助し、また、道灌の250回忌(享保20年、1735年)には家中を挙げて静勝寺で法要を営んでいます。その折々に記念の品を奉納したり、諸堂の建立や修復が行われました。その最大の記念物が太田道灌の像であり、それを祀る影堂(道灌堂)です。
寺は明治以降太田家との縁も切れて一時さびれましたが、昭和に入ってから付近の都市化とともに復興し、檀家もふえ、諸堂も整備されて今日に至っています。
なお、寺域一帯は現在、東京都旧跡の指定をうけております。
(出典:公式サイト)
戸の隙間から中を伺うと、黄金に輝くお釈迦様が座っておられました。
両脇にはこれまた黄金の脇侍、文殊菩薩と普賢菩薩のお姿も見えます。
なんとなく、そのお釈迦様から癒しオーラを感じて。
しばらく覗き見てしまいました。
■ 道灌堂
太田道灌の座像が安置された、道灌堂。
北区の指定有形文化財に指定されるその像は、
道灌の命日である7月26日にちなんで、毎月26日に開扉されます。
静勝寺建立以前は、太田道灌が築いたとされる砦『稲付(いなつけ)城』でした。
(調査上、道灌の築城説が有力だが、決定付けるものはない)
この地は小高い山になっており、当時、亀ヶ池はお堀の役目をしていたんですね。
■ 辨天堂
そしてこちらが、亀ヶ池から出土された弁天像が安置されている、辨天堂です。
亀ヶ池弁財天に祀られた弁天様の元祖ですね。
お釈迦様のように戸の隙間から拝見できるかと覗いてみましたが、、、
戸の前に衝立があり弁天様のお姿を見ることができませんでした。
稲付城跡
帰りは入った時の門とは別の門から出ました。
階段を下りまっすぐ進むと赤羽駅になります、、、が、
下る前に階段の左側へ。
稲付城の遺跡があります。
これが何の跡なかは、わかりませんが・・・遺跡だということです。
他にも、調査によって空堀が発掘されているそうです。
こちら側の入り口には『稲付城跡』と刻まれた石柱がありました。
御朱印
静勝寺に御朱印はあるようですが、完全にもらい忘れてしまいました。
「あっ!御朱印!!」と気づいたのは、帰りの電車の中です。
・・・また行けばいいですね。
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所在地:東京都北区赤羽西1-21-17
アクセス:「赤羽駅」より徒歩3分
御朱印:有
駐車場:有
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(※2020年10月3日付けの情報です。)