寛永寺 → 開山堂(両大師)/輪王寺 → 上野東照宮 → 東照宮第一売店 → 上野大仏 → 花園稲荷神社 → 五條天神社 → 不忍池辯天堂 → 清水観音堂
【コースMAP:鶯谷駅~上野駅(※実際の徒歩ルートと異なることがあります)】
花園稲荷神社
■ 鳥居
園内を歩いていると、朱色の鳥居が見えてきました。
お次は、花園稲荷神社へ向かいます。
この参道は、併設する五條天神社(次の投稿でご紹介)の参道でもあります。
千本鳥居をくぐり社殿へ。
鳥居が押し寄せてくる感覚に酔いそうになる、、異世界に連れてかれそう#花園稲荷神社 #千本鳥居 #上野公園 pic.twitter.com/mL6QRA6MCJ
— ぶらりすと*みーちゃ (@mi_chacha34) 2020年11月7日
■ 境内
何度か参拝に訪れている私は、
花園稲荷神社を「上野公園の秘密基地」と呼んでいます。
こじんまりとした境内に建つ社殿は木々に囲まれ、まるで隠れ家のような雰囲気。
この感じが、とても好きです。
■ 拝殿
倉稲魂命(うがのみたまのみこと)
【御由緒】
御創始の年月は不詳です。古くから此の地に鎮座し、「忍岡稲荷」が正しい名称ですが、石窟の上にあった事から俗称「穴稲荷」とも云われていました。
承応3年(1654年)、天海大僧正の弟子、本覺院の住僧晃海僧正が霊夢に感じ廃絶していたお社を再建し上野の山の守護の神としました。幕末、彰義隊の戦いでは最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られています。後、明治6年に岩堀数馬、伊藤伊兵衛等の篤志家によって再興され、「花園稲荷」と改称、五條天神社が現地に御遷座になるに及び、社殿も南面して造営され神苑も一新されました。(旧社殿は俗称お穴様の処です)
お穴様の左奥にありますお社は古書に弥左衛門狐と記され、寛永寺が出来る時に忍岡の狐が棲む処が無くなるのを憐れみ、一洞を造り社を祀ったと云われます。
社地はお穴様を中心にし約2千坪(今の精養軒や韻松亭を含む6600㎡)ありましたが明治の上地の為、現在は五條天神社と併せて約1千坪になりました。
(出典:パンフレット)
上野戦争では最後の激戦地(穴稲荷門の戦)として知られています。
■ 穴稲荷
拝殿から延びる道沿いには、花園稲荷神社の元宮があります。
正しくは忍岡(しのぶがおか)稲荷と云い花園稲荷神社の旧跡である。
左奥のお社は、寛永の初め天海が寛永寺を草創の際に忍ケ丘の狐の住処を失った事をあわれみ一洞を作りその上に祠を建てて祀ったものと云われている。
(出典:穴稲荷案内板)
扉を開けて参拝することが可能です。
扉の先はL字になっており、角を曲がると拝所になっています。
拝所は薄暗く、さほど広くはありません。
奥には岩の上に建てられた小さなお社と、横の壁には丸い大きな穴。
その横穴は、狐の通り道(抜け道)と言っていたような記憶です。
(格子でふさがれていますが、、)
中を覗いても漆黒の闇で、穴の様子や距離はうかがい知ることができません。
うっすら風を感じるので、どこかに繋がっているのかもしれませんね。
穴の下には小さな祭壇があり、対の狛狐や、お水・お酒などが供えられていました。
扉の奥は撮影不可なので、語彙力皆無の文章で中の様子をお伝えしてみました。
薄暗さと密室感からか、異質な空気が漂います。
その空気を「幻想的」や「神聖」などという言葉で表現するべきかと思いますが、
正直、ひとりだと「恐怖」です!
以前は扉が開いていたのでまだ入りやすかったのですが、
この扉1枚が開いているのと閉まっているのとでは恐怖度が違います。
是非この場所は、ご自身の目や肌で体感してみてください。
御朱印
御朱印は書置きのみ。
拝殿横の社務所にていただけます。
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