【2020/11/07 ぶら旅コース】
寛永寺 → 開山堂(両大師)/輪王寺 → 上野東照宮 → 東照宮第一売店 → 上野大仏 → 花園稲荷神社 → 五條天神社 → 不忍池辯天堂 → 清水観音堂
【コースMAP:鶯谷駅~上野駅(※実際の徒歩ルートと異なることがあります)】
寛永寺 → 開山堂(両大師)/輪王寺 → 上野東照宮 → 東照宮第一売店 → 上野大仏 → 花園稲荷神社 → 五條天神社 → 不忍池辯天堂 → 清水観音堂
【コースMAP:鶯谷駅~上野駅(※実際の徒歩ルートと異なることがあります)】
五條天神社
■ 鳥居
花園稲荷神社を探索しているうちに、いつの間にか五條天神社へ。
鳥居の写真から始めましたが、
花園稲荷神社と五條天神社は併設されているので境内が区切られておらず、
実際は社殿の横から五條天神社に入っています。
ちなみに、花園稲荷神社は五條天神社の兼務社で、両社独立した神社になります。
■ 拝殿
【御祭神】
大己貴命(おおなむじのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
【相殿】
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
【御由緒】
当社は、景行天皇の御代、日本武尊が、蝦夷征伐の為、忍ヶ岡を御通行の際、二柱の大神が奇瑞を現し、難儀を救い給うた事に感じ、茲に両神をお祀りなされましたのがその創祀であります。
大己貴命は大国主命とも申し、「八またの大蛇」を退治なされました須佐之男の命の御子で「いなばの白兎」「大国様と白ねずみ」等、神話や童謡で知られて居り、又縁結びの信仰も厚い神様です。
少名彦命は、大国主命の手のひらに乗ったと云はれる非常に小さな神様で、神産日神の御子、蛾の皮の着物に豆の実のさやを船にして出雲の国御到着になり、ここで大己貴命と兄弟の縁を結び始めて国民に薬の術と病をなくす方法、又お酒の作り方等もお教えになり、国土の開発に力を尽くされました。
相殿にお祀りしてあります菅公は、江戸初期、寛永18年に合祀になりました。(相殿とは、主神に対して後から合祀、又は配祀せられた神様の事です)
社地は寛永寺の境内拡張により、当時の神職、瀬川の屋敷内に、大正に至る迄遷座されましたが、昭和3年に現地に遷座されました。
当社は古くから「天の神」を祀ることより「五條天神」と呼ばれ、昔から薬祖神としての崇敬が篤く、平成22年5月、御鎮座1900年の記念大祭が斎行された、東都有数の古社であります。
(出典:パンフレット)
大己貴命(おおなむじのみこと)
少彦名命(すくなひこなのみこと)
【相殿】
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)
【御由緒】
当社は、景行天皇の御代、日本武尊が、蝦夷征伐の為、忍ヶ岡を御通行の際、二柱の大神が奇瑞を現し、難儀を救い給うた事に感じ、茲に両神をお祀りなされましたのがその創祀であります。
大己貴命は大国主命とも申し、「八またの大蛇」を退治なされました須佐之男の命の御子で「いなばの白兎」「大国様と白ねずみ」等、神話や童謡で知られて居り、又縁結びの信仰も厚い神様です。
少名彦命は、大国主命の手のひらに乗ったと云はれる非常に小さな神様で、神産日神の御子、蛾の皮の着物に豆の実のさやを船にして出雲の国御到着になり、ここで大己貴命と兄弟の縁を結び始めて国民に薬の術と病をなくす方法、又お酒の作り方等もお教えになり、国土の開発に力を尽くされました。
相殿にお祀りしてあります菅公は、江戸初期、寛永18年に合祀になりました。(相殿とは、主神に対して後から合祀、又は配祀せられた神様の事です)
社地は寛永寺の境内拡張により、当時の神職、瀬川の屋敷内に、大正に至る迄遷座されましたが、昭和3年に現地に遷座されました。
当社は古くから「天の神」を祀ることより「五條天神」と呼ばれ、昔から薬祖神としての崇敬が篤く、平成22年5月、御鎮座1900年の記念大祭が斎行された、東都有数の古社であります。
(出典:パンフレット)
医薬祖神が祀られていることから、
無病息災、病気平癒などの御利益があるとされています。
■ 手水舎
仏像の台座のような形をした手水鉢。
■ 七福社
境内社の七福社。
「この七福社は江戸時代
上野の繁栄を願い山内各門に祀られた祠の中の一つと云われています。
(神像の背に千龝萬来(せんしゅうばんらい)の文字が刻まれています。)」
と貼り紙がありました。
七福社の名前から、七福神を各門にお祀りしていたのでしょうか?
ガラスの中には、宝船の絵が飾られていました。
御朱印
最後に御朱印をいただきました。
* * *
上野公園内の寺社でも、この2社は参拝客が少なく、ゆったり参拝ができます。
★ブログランキングに参加しています★