【2019/09/28 浅草名所七福神めぐりコース】
浅草寺(大黒天) → 浅草神社(恵比須)→ 矢先稲荷神社(福禄寿)→ 鷲神社(寿老人)→ 吉原神社(弁財天)→ 石浜神社(寿老神)→ 橋場不動尊(布袋尊)→ 今戸神社(福禄寿)→ 待乳山聖天(毘沙門天)→ 大黒家天麩羅 → 仲見世通り
浅草寺(大黒天) → 浅草神社(恵比須)→ 矢先稲荷神社(福禄寿)→ 鷲神社(寿老人)→ 吉原神社(弁財天)→ 石浜神社(寿老神)→ 橋場不動尊(布袋尊)→ 今戸神社(福禄寿)→ 待乳山聖天(毘沙門天)→ 大黒家天麩羅 → 仲見世通り
橋場不動尊
明治通りが台東区と荒川区の境目になっているんでしょうか???
再び台東区に戻ってきました。
浅草名所七福神7ヵ所目は、
石浜神社から直進に4~5分歩いた場所にある、橋場不動尊。
こちらには『布袋尊』が祀られています。
【布袋尊】
布袋尊は中国の後梁(10世紀初期)の中国に実在した禅僧で、名を契此(かいし)といいました。
常に笑みをたたえて容貌福々しく、体躯肥大、粗衣をまとった姿は物事にこだわらない人格の大きさを感じさせます。
いつも布袋を肩に喜捨を求めて諸国を遊行し、童子と戯れ邪気、憂慮はいささかもなく、豪雪の中に寝てもその体は濡れる事も無く、ときに晴雨や吉兆よ予知して人々の尊崇の念を集めたといわれています。
後梁貞明3年(917年)に寂滅するや、世人は弥勒菩薩の化身であったと信じ尊び、画幅にして信仰したといいます。
(出典:浅草名所七福神 公式サイト)
布袋尊は中国の後梁(10世紀初期)の中国に実在した禅僧で、名を契此(かいし)といいました。
常に笑みをたたえて容貌福々しく、体躯肥大、粗衣をまとった姿は物事にこだわらない人格の大きさを感じさせます。
いつも布袋を肩に喜捨を求めて諸国を遊行し、童子と戯れ邪気、憂慮はいささかもなく、豪雪の中に寝てもその体は濡れる事も無く、ときに晴雨や吉兆よ予知して人々の尊崇の念を集めたといわれています。
後梁貞明3年(917年)に寂滅するや、世人は弥勒菩薩の化身であったと信じ尊び、画幅にして信仰したといいます。
(出典:浅草名所七福神 公式サイト)
■ 門
入口が小さく少々わかり難いのですが、赤い幟が目印です。
参道沿いには、長く暮らしてきたのであろう、古い(いい意味で)家が並んでいます。
参道沿いのお家・・・ちょっと憧れています。
■ 本堂
【御本尊】
不動明王(ふどうみょうおう)
【御由緒】
橋場不動尊の名で親しまれる当寺は、正確には砂尾山橋場寺不動院といい、天平宝字4年(760年)寂昇上人によって開創されました。当初は法相宗でしたが、長寛元年(1163年)に、中興の祖といわれる教円坊(一説には長円)によって、天台宗に改宗され、浅草寺の末寺となったと『文政寺社書上』に記されていますが、現在は浅草寺と本末関係はなく、比叡山延暦寺の末寺となっています。
(出典:公式サイト)
不動明王(ふどうみょうおう)
【御由緒】
橋場不動尊の名で親しまれる当寺は、正確には砂尾山橋場寺不動院といい、天平宝字4年(760年)寂昇上人によって開創されました。当初は法相宗でしたが、長寛元年(1163年)に、中興の祖といわれる教円坊(一説には長円)によって、天台宗に改宗され、浅草寺の末寺となったと『文政寺社書上』に記されていますが、現在は浅草寺と本末関係はなく、比叡山延暦寺の末寺となっています。
(出典:公式サイト)
ご本尊のお不動様は、関東三十六不動尊霊場第23番札所となっています。
境内は非常に狭く、この写真が全てといったところです。
布袋尊のお姿は、見つけることができませんでした。
■ 御授地蔵尊
御朱印
字の丸みが、布袋様のお腹みたいですね。
通常の御朱印はいただいていません。
後日、いただく機会があったら、追記します。
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