関東ぶらりん旅

神社仏閣、B級スポット、ご当地グルメを楽しむ旅(散歩)

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エビピラフ&カフェオレ/話飲茶屋 つぎはし(千葉県市川市) ~国府台ぶらりん旅 5/5~

【2020/10/24 ぶら旅コース】
國府神社国府台城跡/里見公園国府台天満宮 → 飛地天満宮亀井院話飲茶屋 つぎはし
【コースMAP:国府台駅~国府台駅(※実際のルートと異なることがあります。)】

話飲茶屋 つぎはし

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旅の最後は、亀井院の近くで見つけた喫茶店『つぎはし』でまったりです。

 

 

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その名の通り、万葉集で歌われている『真間の継橋』のすぐ近く。

写真の奥には弘法寺の参道が見え、その手前には手児奈霊神堂があります。

弘法寺、手児奈霊神堂、亀井院をお参りした後にほっと一息。

国府台駅周辺は飲食店が少ないので、かなり貴重な休憩スポットでもあります。

 

- 話飲茶屋 -

そこに居合わせた人たちが楽しくお話しながら食事を楽しめる空間、、、

そんなコンセプトがあるようで、

奥の席では何やらワークショップ(手芸系)が開かれていました。

 

 

エビピラフ(600円)&カフェオレ(450円)

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何も食べずに歩き回っていたのでお腹ペコペコ・・・エビピラフを注文しました。

茶店と言ったら、ナポリタンかエビピラフですよね。

いたってシンプルなエビピラフなのですが、これぞ喫茶店の味で美味しかったです。

それよりも、添え物のサラダ。

レタスとポテトサラダなのですが、ドレッシングがとても私好みでした。

何のドレッシングなんでしょう・・・ちょっと塩辛くピラフとよく合う!

せっかくの話飲茶屋なのだから、マスターに聞いてみればよかったです。。

 

 

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食後はカフェオレを飲みながら、ゆったりとした時間を過ごしました。

 

 

旅の終わりに・・・

【ぶら旅メモ】
交通費:1712円
参拝費:20円
飲食代:1050円
合計:2782円
歩数:10590歩

去年の10月に行った、産土神社誕生日参拝の様子をお届けしました。

今年は緊急事態宣言などもあり、産土神社への初詣は見送っている状況です。

できれば今年中に行きたいのですが・・・。

先日、緊急事態宣言は解除されましたが、しばらく様子見といった感じでしょうか。

県をまたいでのぶら旅は、もう少しお休みしようと思います。

でも、宣言は解除されましたからね。

近場でのぶら旅計画を立てたので、徐々に動いて行く予定ではあります。

春の行楽シーズンです。

みなさんも、体調などにはくれぐれも気を付けて、休日を楽しんでください。

 

 

 

 

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【話飲茶屋 つぎはし】
所在地:千葉県市川市真間4-7-23
アクセス:京成本線国府台駅」より徒歩10分
営業時間:9:00~16:00
定休日:不定
駐車場:有
公式サイト:https://tugihasi.com/
(※2020年10月24日付けの情報です。)

亀井院(千葉県市川市) ~国府台ぶらりん旅 4/5~

【2020/10/24 ぶら旅コース】
國府神社国府台城跡/里見公園国府台天満宮 → 飛地天満宮亀井院 → 話飲茶屋 つぎはし
【コースMAP:国府台駅~国府台駅(※実際のルートと異なることがあります。)】

亀井院

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国府台駅に戻る途中、亀井院に立ち寄りました。

里見公園に北原白秋が暮らしていたという『紫烟草舎』が建っていましたね。

そこの案内板に白秋が紫烟草舎の前に暮らしていたお寺として紹介されていたので、

覗いてみることにしたのです。

 

 

 本堂

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【宗派】
日蓮宗

【御由緒】
万葉集歌人高橋虫麻呂は、手児奈が真間の井で水を汲んだという伝承を聞いて、
『勝鹿の真間の井を見れば立ち平し 水汲ましけむ手児奈し思ほゆ』
葛飾の真間の井を見ると、いつもいつもここに立って水をくんだという手児奈が偲ばれる。)の歌を残した。この真間の井は亀井院にある井戸がそれであると伝えられている。
亀井院は寛永12年(1635年)真間山弘法寺の11世日立上人が弘法寺貫主貫主の隠居寺として建立したもので、当初『瓶井坊』と称された。瓶井とは湧水がちょうど瓶に水を湛えたように満ちていたところから付けられたものである。
その後、元禄9年(1696年)の春、鈴木長頼は亡父長常を瓶井坊に葬り、その菩提を弔うため坊を修復したのである。以来瓶井坊は鈴木(れいぼく)院とよばれるようになった。
長頼は当時弘法寺の17世日貞上人と図り万葉集に歌われた『真間の井』、『真間の娘子(手児奈)の墓』、『継橋』の所在を後世に継承するため、それぞれの地に銘文を刻んだ碑を建てた。本寺の入口にあるのがその時の真間之位の碑である。
長頼没後、鈴木家は衰え鈴木院の名称も、また亀井坊と改められた。これは井のそばに霊亀が現れたからといわれている。
北原白秋が亀井院で生活したのは、大正5年5月中旬からひと月半にわたってのことである。それは彼の生涯で最も生活の困窮した時代であった。
『米櫃に米の幽かに音するは 白玉のごと果敢なかりけり』
この歌は当時の生活を如実に表現している。こうした中にあって真間の井に関しては次の一首を残している。
『蕗の葉に亀井の水のあふるれば 蛙啼くなりかつしかの真間』
その後、江戸川を渡った小岩の川べりに建つ、離れを借りて暮したが、これを紫烟草舎とよんでいる。
(出典:境内案内板)

 

 

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白秋が暮らしてい頃はこのような姿をしていたようです。

今では面影すらありませんね。。

 

 

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境内には、白秋が真間を歌った歌碑があります。

「蛍飛ぶ真間の小川の夕闇に蝦すくふ子か水音立つるは」

 

 

 真間の井

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白秋が暮らした地を覗きに来たのですが、ここにはもうひとつの見所がありました。

『真間の井』

以前ご紹介した、万葉集にも歌われる美女、手児奈伝説にまつわる井戸でした。

手児奈が水を汲んだという伝えがあるそうです。

 

亀井院は手児奈霊神堂の向いにあるのですが、

前回訪れた時にはまったく気づきませんでした。。。

 

(手児奈伝説についてはコチラ↓)

www.mi-cha34.com
www.mi-cha34.com

 

ちなみに亀井院は、かつて弘法寺の子院だったとのことです。

 

 

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真間の井は現存するとのことで、見に行ってみることに。

御堂の脇の扉をくぐり、小さな中庭へ向かいます。

 

 

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庭には大きな池がありました。

 

 

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あ!カメだ!!

石のカメをお母さんと間違えているのでしょうか?

背中に上がろうとしています。

 

井戸には霊亀が現れるとの言われがあるそうなので、

このカメはもしかすると・・・もしかするかもしれません。笑

 

 

 

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池を横目に奥へ進んで行くと、井戸が現れました。

 

 

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これが手児奈が使っていたと言われている、真間の井です。

バケツが置いてあり今にも誰かが水を汲みに来そうな雰囲気ですが、

現在は使用されていません。

 

手児奈の時代は、きれいな湧水を汲みにたくさんの人が集まっていたと言います。

当時はこの辺りまで海が入り込んでいたため、

ほとんどの井戸の水は塩気でとても飲めたものではなく、

生活用水として使えた井戸は真間の井ただひとつだったそうです。

 

 

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井戸のそばには真間の井が歌われた、万葉歌碑が置かれています。

「勝鹿の真間の井を見れば立ち平し 水汲ましけむ手児奈し思ほゆ」

 

* * *

 

北原白秋ゆかりの地』という目的で訪れた亀井院でしたが、

ここで再び手児奈伝説に触れることになるとは思いませんでした。

どちらかというと、手児奈伝説の方が興味が大きいのでラッキーでしたね。

 

 

 

 

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【亀井院】
所在地:千葉県市川市真間4-4-9
アクセス:京成本線国府台駅」より徒歩10分
御朱印:無
駐車場:不明
(※2020年10月24日付けの情報です。)

飛地天満宮(千葉県市川市) ~国府台ぶらりん旅 3/5~

【2020/10/24 ぶら旅コース】
國府神社国府台城跡/里見公園国府台天満宮 → 飛地天満宮亀井院 → 話飲茶屋 つぎはし
【コースMAP:国府台駅~国府台駅(※実際のルートと異なることがあります。)】

飛地天満宮

 門

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国府天満宮に続き、またもや天神様です。

飛地天満宮

札を見ると、正式名称は『道明寺飛地天満宮』と言うようです。

 

国府台近辺の寺社を探している時に見つけたこの神社。

住宅地と緑地の堺に鎮座する、とてもとても小さな神社です。

普段ならスルーしてしまうところですが、、、

国府天満宮に少し関係があるとのことで、立ち寄ってみることにしました。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

【御由緒】
この地は昔、国府台村の飛地だった。国府天満宮を信仰している村人は、国府天満宮までの距離が遠いことから近場にある天満宮を信仰していた。しかし、神社の祭神が変わってしまい争議が起こる。天神様を信仰したい村人は向島墨田区)の三囲神社に相談。河内(大阪)の道明寺天満宮から分祀を受ける事となり、国府台道明寺天満宮となった。
由緒を記した物がなかったため、いくつかのサイトにあった情報をまとめています。

飛地天満宮は、国府天満宮の遥拝所的な役割があったようです。

しかし、ひとつ気になることが・・・

 

 

国府天満宮飛地天満宮がめちゃくちゃ近いのです。

私は松戸街道を歩くルート(右)で向かったのですが、

地図通り10分程度で到着しました。

 

なぜ、このような場所に遥拝所を?

昔は別の場所に建っていたのでしょうか?

とても歩けるような土地ではなかったのでしょうか?

国府天満宮明治8年に移築していますが、移築前も大した距離ではありません。

それが気になって自分の足でも歩いてみたのですが、特に答えは出ず。

ネットでいろいろ検索してみても、由緒を知ることがやっとでした。。

本当に何なんでしょうかね????

 

 

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道明寺天満宮とパイプを繋いだ三囲神社は、現在も飛地神社を兼務しています。

三囲神社に伺った際に、是非、この話を聞いてみたいですね。

 

 

 

 

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飛地天満宮
所在地:千葉県市川市国府台4-5-3423
アクセス:北総線矢切駅」より徒歩12分
御朱印:無
駐車場:無
(※2020年10月24日付けの情報です。)

国府台天満宮(千葉県市川市) ~国府台ぶらりん旅 2/5~

【2020/10/24 ぶら旅コース】
國府神社国府台城跡/里見公園国府天満宮 → 飛地天満宮亀井院 → 話飲茶屋 つぎはし
【コースMAP:国府台駅~国府台駅(※実際のルートと異なることがあります。)】

国府天満宮

 入口

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お次は里見公園を出てすぐ、国府天満神社へ。

こちらの神社はちょっとしたご縁があり、時たま参拝に伺います。

 

 

 鳥居

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普段は無人の神社なのですが、この日は戸が開けられ人が集まっていました。

社殿もお飾りされており、どうやら神社のお祭りのようでした。

「今年はコロナで子どもたちを呼べないの・・・」

と、神社で作業をしていらした方がおっしゃっていました。

いつもは近所の住人たちが集まり、小さな屋台を出すのだそうです。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

【御由緒】
この天満宮は文明11年(1479年)、当地の鎮守として、太田道灌持資が建立したと伝えています。もと法皇塚の墳頂部に祀られていましたが、明治8年(1875年)大学校設立の用地として、周辺地域が買い上げられたとき農家と共に現在地に移されました。
この地域では古くから獅子舞・辻切りといった民族行事が行われてきました。「辻切り」とは人畜に危害を与える悪霊や悪疫が部落に侵入するのを防ぐため、部落の出入口にあたる四隅の辻を、霊力によって遮断してしまうことから起こった名称です。
遮断の方法には注連縄を作って道に張るとか、大蛇を作ってその呪力によって侵入してくる悪霊を追い払うというような方法がとられていますが、千葉県では南部の地方では注連縄を張る部落が多く、北部の地方では大蛇を作る部落が多かったようです。
市川市でも昔は国府台、国分にかけた地域で盛んに行われた行事でしたが、太平洋戦争後は世相の移り変わりとともに次第に廃れ、今では昔の姿を伝えているのは、この国府台の辻切りだけとなってしまいました。
辻切り行事は毎年1月17日、この天満宮境内で行われ、ワラで2メートルほどの大蛇を4体作り、御神酒を飲ませ魂入れをして、町の四隅にある樹に頭を外に向けて結び付けます。こうして大蛇は1年間風雨にさらされながら、町内安全のため目を光らせているのです。
獅子舞については、その継承者が各々の家の相続者に限られていたことと、社会情勢の変化等から、昭和13年を最後に継承が絶えてしまいました。
(出典:境内案内板)

太田道灌が現在の里見公園の地を陣取った翌年に建立されています。

国府台城の鎮守神として祀られたのでしょうか。

もともと建っていた法皇塚古墳は、

里見公園のお隣、東京医科歯科大学構内に現存しているとのことです。

 

 

 境内社

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右側の小さなお社が三峯神社、左側のひとつが白山神社かと思われます。

その他は、わかりません。。

 

 

 本殿&狛犬

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お参りの際には、是非本殿を覗いてみてください。

 

 

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2体の狛犬が本殿を守っています。

もしかすると、拝殿が建てられる以前の姿かもしれませんね。

 

 

辻切り

町の四隅に大蛇を置き、悪霊や悪疫を追い払うという行事『辻切り』

以前、この行事を見に行ったことがあったので、そちらもご紹介します。

 

 

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神社に到着したのは、朝の9時頃だったでしょうか。

境内に入ると既にたくさんの人が集まっていました。

拝殿の前には人の群れ、近くの小学生たちが見学に来ていました。

TVの取材も入っています。

 

 

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何をしているのだろうと、人の頭をかき分け覗いてみると、、、

男性数名がワラで何かを編んでいました。

とてもリズミカルな手さばきで、どんどん輪郭が形作られていきます。

 

熟練の技とでも言うのでしょうか。

市川市には田んぼが無いからワラは隣町から譲ってもらってるんだよ。」

「継承者がいないから困ってるんだよ、、」

年配の方は行事の説明をしながらも、テキパキと編んでいきます。

手前の若い方はまだ作り始めて間もないようで、

「あー」とか「うー」とか言いながら何とか編んでいるといった様子でした。

 

 

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作業場の後ろには、目玉のようなものが並んでいました。

これはきっと、、、アレで間違いないですね。

 

 

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ワラを編み続けること30分、できあがったのは大蛇のお顔でした。

2メートルもの大蛇なので、人の顔より大きいです。

これを30分程度で編んでしまう手際の良さに、思わず見入ってしまいました。

 

 

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ちなみに、耳はビワの葉っぱ。

そして、目玉の中には去年の大蛇を燃やした灰が入っているそうです。

 


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顔作りに目を奪われている間に、体も編みあがってしまいました。

体は木に吊るしながら、1体を数人がかりで編んでいました。

 

 

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あっという間に、4体の大蛇が完成。

 

 

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「これで本当に悪霊が追っ払えるんだろうか???」

そう心配になるほどかわいいお顔をした大蛇。

私の隣で見ていたおばさまも「こんなんじゃ、誰も怖がらないよ!!」と。

多分、そこにいた皆が思っていたと思います、、笑

 

 

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大蛇に御神酒を飲ませ魂入れ。

これでワラの大蛇が、町の門番となりました。

 

 

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そして、いよいよ出動です。

 

 

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4体の大蛇はそれぞれの持ち場へ運ばれます。

 

 

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1号は、住宅街の木の上に。

 

 

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2号は、里見公園内に。

 

 

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3号は里見公園入口付近の庭先に。

このお宅がある道は、これまで何度も通っていたのですが・・・

まさか大蛇がいたなんて、この日まで気づきませんでした!

 

最後の4号は場所を忘れてしまいましたが(写真もない)、、、

こうして4体の新任大蛇の着任を見届け、辻切りの行事は無事終了しました。

 

 

 

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任務を終えた先代大蛇はご覧の通り。

目玉も失い、満身創痍な状態です・・・1年間お疲れさまでした。

 

 

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神社へ戻ると、古い大蛇が燃やされていました。

この灰は来年、目玉となって再び町を守ることになります。

それまでしばしの休憩。

炎が天に帰る大蛇のように見えました。

 

* * *

 

誕生に立ち会ったせいか国府台訪問の際にこの大蛇を見かけると、

「守ってくれてありがとう」と大蛇への感謝の念が強まるのですが、

私の家(埼玉)はもちろん、祖父母・親戚の家もこの地区ではないので、

身内の誰一人としてこの大蛇たちに守られていません。

 

調べてみると、大蛇で結界を張るというのは国府台に限られたことではなく、

いろいろな地域で行われている行事のようです。

私が暮らす埼玉県蓮田市にも、辻切りとまったく同じような行事がありました。

それも、私が暮らす地域は守られていないのですが・・・。

今度、蓮田の大蛇探しにも行ってみたいと思います。

 

 

 

 

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国府天満宮
所在地:千葉県市川市国府台3-11-11
アクセス:京成本線国府台駅」より徒歩20分
御朱印:無
駐車場:有(賽銭箱に500円入れるとの貼紙有り)
(※2020年10月24日付けの情報です。)

国府台城跡/里見公園(千葉県市川市) ~国府台ぶらりん旅 1/5~

【2020/10/24 ぶら旅コース】
國府神社国府台城跡/里見公園国府台天満宮飛地天満宮亀井院 → 話飲茶屋 つぎはし
【コースMAP:国府台駅~国府台駅(※実際のルートと異なることがあります。)】

2020年の書きこぼし旅 その2

今回は去年の10月に行った、市川国府台めぐりについて書こうと思います。

毎年恒例としている『誕生日参拝』で、産土神社をお参りしました。

私の産土神社である國府神社は以前も記事にしているので割愛しますが、

他にも国府台地区の寺社などを巡っているのでそちらをご紹介したいと思います。

 

(國府神社の様子はこちら↓から。)

www.mi-cha34.com

 

 

里見公園

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国府台駅にほど近い國府神社を参拝後、矢切駅方面へひたすら歩き里見公園へ。

国府台城跡を見に行きました。

『里見公園』という名は、国府台城城主であった里見氏が由来となっています。

 

 

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とても大きなこの公園は、桜の名所として有名です。

桜以外にも四季折々の花が咲き、この日はバラとナデシコが満開。

公園中に甘い香りが漂っていました。

散歩はもちろん、夏はBBQも楽しめます。

 

そして何と言っても、歴史の詰まった公園でもありますね。

かつてこの場所には国府台城が建っており、現在も城跡やそれに関する史跡、

古墳などが数多く残されています。

 

 

国府台城跡

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国府台城】
「鎌倉大草紙」によれば、文明10年(1478年)に扇谷上杉氏の家宰太田道灌が「下総国国府台」に陣取り、仮の陣城をかまえたとあり、これが国府台城のはじまりであるとする説がある。道灌は武蔵にいた千葉自胤と戦うためにここに陣取り、境根原(柏市)に出陣し、自胤を破っている。
これより以前の康正2年(1456年)、千葉自胤は兄の実胤とともに「市川城」に立てこもり足利成氏方に抵抗していたが、簗田出羽守らにより城を落とされ、武蔵石浜(台東区)に逃れていた。この「市川城」と太田道灌の仮の陣城との関係が注目されるが、同じものなのかは不明である。
国府台は標高20~25メートルの下総台地の西のはしで、江戸川に並行して南へ張り出した大きな舌状の丘陵であり、現在の里見公園の中に土塁状の城郭遺構が現存している。そして公園の北に向かっても城郭の遺構らしきものが確認される。
公園内の遺構は破壊が激しく、築城の時期を想定することは難しいが、太田道灌の時代よりは後の時代に属する、とする推測もある。
この地は、その後天文と永禄の二度にわたり、小田原の戦国大名北条氏と安房の里見氏らにより行われた合戦、いわゆる国府台合戦の舞台となっている。
天文7年(1538年)の合戦は、北条氏綱小弓公方足利義明・里見義堯らが戦ったもので、小弓(千葉市)に拠を定めた義明と北条家が担ぐ本家筋の古河公方家との戦いである。これに対して永禄7年(1564年)の戦いは、着々と東国に覇権を確立せんとしていた北条氏康と、これに抵抗する里見義堯・義弘らの戦いであった(前年の永禄6年にも合戦があったとする説もある。)
永禄の合戦の結果、北条軍は圧勝し、里見方は盟友である正木氏の一族など多くの戦死者を出し安房に敗走する。現在の国府台城跡は、この合戦のなかで激突する両軍の争奪の場となり、戦後、北条氏の手により規模が拡大強化され、初期のものから戦国期の城郭に進化した、とする説もある。
現在の公園内には、江戸時代になって作られた里見軍の慰霊のための供養塔が建てられている。
この地はその後、里見八景園という遊園地の敷地となり、その後は陸軍軍用地となり、終戦を迎えている。
(出典:案内板)

公園に入るとすぐ、国府台城跡の碑が見えます。

近くには案内板。

この地は、北条氏と里見氏が2度にわたり戦った国府台合戦の戦地だったようです。

 

国府台城は「鴻之台城」「市川(河)城」の別名を持ちますが、

案内にもあるように市川城は別にあったのではないかという説があり、

現在の真間山弘法寺付近と考えられているそうです。

 

弘法寺の様子はこちら↓から。)

www.mi-cha34.com

 

 

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公園として整備されてはいますが、

園内を歩いていると石垣や土塁らしき地形を見ることができます。

 

 

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こんな標識を発見しました。

国府台城は市川市で一番高い場所にあったんですね。

  

 

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すぐ横を流れる江戸川の向こう側は東京都です。

展望台からは東京の街並み、スカイツリーも見えました。

近くには矢切の渡しがあり、寅さんでおなじみの柴又と繋がっています。

 

とても良い眺めですが・・・

国府台城は最終的に、徳川家康によって廃城させられてしまいます。

その理由は「江戸を見渡せるから」と言われているそうです。

 

 

 里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑&夜泣き石

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先ほどの石垣を登ると、小さな石碑と大きな石がありました。

 

 

里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑

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里見諸士群亡塚(左)、里見諸将霊墓(中)、里見広次公廟(右側)

 

北条軍に敗れた里見軍の戦死者5千名の慰霊碑です。

この慰霊碑(左・中)が建てられたのは文政12年(1829年)。

なんと、北条軍に敗れてから265年も後のことだそうです。

広次の霊廟は後に(年代不詳)、石井辰五郎という人物によって建てられています。

 

 

夜泣き石

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慰霊碑の近くには、大きな石。

なんとなく囲われていることから、ただの石ではなさそうです。

この石は『夜泣き石』と呼ばれ、とある伝説が残されていました。

 

「広次の末娘が父の霊を弔うため、安房の国から国府台の戦場へたどり着きました。

まだ12、3歳の姫は戦場の凄惨な情景を目にし恐怖と悲しみのあまり、

傍らにあった石にもたれ泣き続け、ついに息絶えてしまいます。

それからというもの、毎夜その石から悲しい泣き声が聞こえるようになりました。

里人はこの石を『夜泣き石』と呼ぶようになりましたが、

そこを通りかかったひとりの武士が哀れな姫の供養をしたところ、

泣き声が聞こえなくなったと言います。」

(出典:案内板から抜粋) 

 

なんとも悲しいお話でしたが・・・

案内板には「この伝説はただの伝説でしかない」とも記されていました。

広次が戦死したのは15歳のこと。

「12、3歳の娘がいるのはおかしい」ということなんですね。

この石が広次の慰霊碑の近くにあったことから、このような伝説が生まれたようです。

 

 

その他の史跡

 明戸古墳石棺

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太田道灌が陣を築くため盛土を取り除いた際に発見されたという明戸古墳。

 

 

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石棺が2基並んでいました。

古墳時代後期にこの辺りで勢力を振るっていた豪族の墓であろうとのことです。

大きさは150~160㎝くらいの人でギリギリといった感じでしょうか。

 

 

 羅漢の井

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弘法大師が発見したという伝説が残る、羅漢の井。

市川市一の高台ですから、井戸と言っても湧水のようです。

 国府台城の飲料水としても使われていたといいます。

 (現在は飲めません。)

 

 

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スタイリッシュに整備された井戸ですが、昔はこのような姿だったようです。

(羅漢の井は公園の外側にあります)

 

 

 紫烟草舎

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詩人 北原白秋が1年間過ごしたとされる家屋。

この家屋はもともと小岩にあり、解体後この地に移築したものだそうです。

中に入ることはできませんが、白秋が使用した机などが展示されているとのことで、

もしかすると、特別に公開する日があるのかもしれません。

 

 

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裏手には、白秋の歌碑がありました。

「華やかに さびしさ秋や 千町田の ほなみがすゑを 群雀立つ」

 

 

御城印(2021/07/23追記)

最後に国府台城の御城印をご紹介したいところでしたが、

御城印があることを知らず未入手です。

次回の産土神社参拝時にでもいただいてくる予定なので、また追記します。

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御城印を入手してきたので、追記します。

 

 

国府台城の御城印についての詳細はこちら↓↓↓

www.mi-cha34.com

 

 

 

 

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国府台城跡/里見公園】
所在地:千葉県市川市国府台3-9
アクセス:JR「市川駅」京成「国府台駅」よりバス「国府台病院」下車徒歩5分
御城印:有
駐車場:有
(※2020年10月24日付けの情報です。)

矢切神社(千葉県松戸市) ~ お墓参りと寄り道の旅 1/2~

【2020/09/19 ぶら旅コース】
矢切神社麺場 田所商店

お墓参り

お彼岸ということで、家族でお墓参りに行ってきました。

ちょこちょこ行ってあげたいけれど、

千葉県なので家族で顔を出すにはなかなか遠く。

私の産土神社が近くにあるので、

参拝の際は私だけでもなるべくお墓に寄るようにしています。

www.mi-cha34.com

 

ひとりでのお墓参りは怪しいものなんですかね?

ある日のこと。

「みーちゃん、お墓参り行ってくれたの???」

と千葉の叔母から電話がありました。

その日も神社参拝後に、ひとりでお墓参りをしていました。

叔母の話によると、

「なんだか、若い女の人が花もって入っていくから、

調べたら〇〇さん家みたいなのよね。」

と、お寺から連絡が来たそうです。

叔母は「埼玉から来てくれてるんだと思う。」と説明してくれたようですが、

私、不審者に見えたんですかね・・・笑

そんなこともありました。

 

* * *

 

無事お墓参りを終え、埼玉へ帰る途中、神社に寄りました。

帰り道に見かける神社で、ずっと気になっていたところでした。

1度お参りに行ったことがあったのですが、

社務所がお休みで御朱印がいただけなかったので、再訪です。

 

 

矢切神社

鳥居

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千葉県松戸市下矢切に鎮座する、矢切神社。

 

 

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写真では見難いですが、鳥居の奥には狛狐がいます。

矢切神社には、お稲荷様が祀られているようです。

 

 

 手水舎

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手水鉢は船の形をしていました。

この近くには江戸川が流れ、歌謡曲でも有名な『矢切の渡し』があります。

はじめは「何の形だろう?」と思いましたが、

その渡し船をモチーフにしているんですね。 

 

 

 拝殿

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【御祭神】
素戔嗚命(すさのおのみこと)
倉稲魂神(うかのみたまのかみ)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

【御由緒】
500年前永禄年間頃、里見氏が国府台城の大堀に第六天を奉安す。
(出典:境内案内板)

案内板によると、

里見氏によって国府台城に第六天様をお祀りしたのが始まりのようです。

 

 

国府台城

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ちなみに、お隣の市川市には、国府台城跡があります。

現在は里見公園になっており、その中には里見氏にまつわる伝説も残っています。

里見公園はとても大きな公園で見どころもたくさんあるので、

また別の機会に詳しくご紹介したいと思います。

 

さらにちなむと『矢切』という地名の由来には、

国府台合戦で里見氏が矢を切らしたことにより北条氏に負けてしまったことから、

「やぎれ → やきり → やぎり」となった説があるそうです。

 

 

 天満宮

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本殿の脇には、天満宮

 

 

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お社の前には、たくさんの筆が納められていました

 菅原道真公は学問の神として有名ですが、

その他にも「和歌の神」「書道の神」とも呼ばれるそうです。

 

案内板に3柱の御祭神がありましたが、

素戔嗚命倉稲魂神が本殿に、菅原道真公がこちらに祀られているんでしょうか?

本殿の屋根に天神様のシンボルである梅の紋があったので、

3柱が同じ社殿にお祀りされているのかと思ったのですが、、、。

入口に狛狐がいたりと、境内は3柱の特徴がミックスされたような感じです。

 

 

 石祠・石碑・力石

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こちらもお稲荷様でしょうかね。

(奥の石板に写っている人影は私です。心霊写真ではないです。)

 

 

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忠魂碑。

 

 

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力石。

 

 

御朱印

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最後に御朱印をいただきました。

書置きでしたが、今回はいただくことができました。

 

 

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「これも持って行って!」と、暦をいただきました。

昔、私の祖母がよく読んでいて、

「あっちの方角はダメだ!」なんてよく言っていたのを思い出しました。

 

 

 おまけ

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御朱印を待ちながらふと拝殿を見ると、屋根に龍の姿が彫られていました。

 

 

 

 

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【矢切神社】
所在地:千葉県松戸市下矢切332
アクセス:北総鉄道矢切駅」より徒歩6分
定休日:水曜日(社務所
御朱印:有
御朱印帳:無
駐車場:有
(※2020年9月19日付の情報です。)

かき揚げ丼/山田うどん食堂(埼玉県) ~埼玉県のソウルフード 1/2~

サブリミナル効果!?

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『翔んで埼玉』の地上波放送を観ました。

そこで食べたくなったのが『山田うどん

 

停車した車のバックに山田うどん

戦の幟に山田うどん

決して触れられることはないのですが、

ふとしたシーンからちょいちょい山田うどんの文字が飛び込んでくるのです。

サブリミナル効果でしょうか?

これは食べずにいられません。

 

翔んで埼玉は映画館でも観ました。

もちろん、帰りに寄りましたよね。

山田うどん

 

 

山田うどん食堂

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さっそく、近所の山田うどん食堂へ行ってきました。

最近『食堂』が付く店舗を多く見かけます。

山田うどんと何が違うのでしょう???

山田うどん』から『山田うどん食堂』に改名・移行中なのでしょうか???

メニューも特別な変化があるように思えないし・・・正直わかりません。

 

 

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ただ確実に違うのは、トレードマークのかかし。

山田うどんは口がへの字なのに対し、食堂はニコリと笑っています。

 

山田うどんというと、トラックの運転手さんが多く出入りするイメージです。

女性ひとりではなかなか入りづらいんですよね。。。

しかし、今回行った店舗は「ファミリー食堂」と看板にもあるように、

家族で食事が楽しめる明るくて清潔な内装でした。

これなら、女性でも入りやすいです。

 

 

かき揚げ丼+Aセット(680円+税)

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私が注文するのは、いつも決まってこのセットです。

かき揚げ丼+Aセット。

Aセットは、たぬき(うどん・そば)が選べます。

 

 

かき揚げ丼(480円)

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かき揚げをタマゴでとじた、かき揚げ丼。

ごはんが見えないほど大きなかき揚げです。

甘いダシが染み込んでいて、ごはんに合います。

どこの店舗でも人気が高いメニューではないでしょうか。

 

 

たぬきうどん(200円)

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Aセットのたぬきうどん

 

コシのまったくない、ふにゃふにゃ麺です。

つゆも甘めで濃いです。

でも、それが不思議とおいしいです。

 

味だけではなく、食べ応えも十分な山田うどん

セットメニューにも拘らず、普通に一人前の量。

ごはんものと合わせると、かなりボリューミーです。

この量でこのお値段。

男性が多く通う理由はここにありますね。

 

その他のメニューは、↓こちら↓をご覧ください。

www.yamada-udon.co.jp

うどん屋を名乗りながらも、

定食・ラーメン・丼・・・と、その他のメニューも力入ってます。

パンチ(モツ煮)も人気ですよ。

 

 

埼玉県のソウルフード

山田うどんは埼玉県所沢市に本社を構えます。

埼玉県民のソウルフードとも呼ばれる山田うどんですが、

ローカルチェーンであることを知ったのは数年前。

とあるTV番組がきっかけでした。

埼玉県では車でちょっと走るだけで2~3店舗は見かけるので、

てっきり全国展開しているものかと・・・。

 

「おいしい!おいしい!」とは言いますが、

遠路遥々食べに行くまでではないということも言っておきます。

それこそ、ソウルフードってやつでしょうか。

昔から慣れ親しんだ味ならではのおいしさかもしれません。

 

 

 

 

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山田うどん食堂】
所在地:埼玉、東京、神奈川、千葉、栃木、茨城、群馬
営業時間:店舗による
定休日:年末年始?
駐車場:店舗による
公式サイト:https://www.yamada-udon.co.jp/
(※2020年2月付けの情報です。)

國府神社(千葉県市川市) ~2020年初詣の旅~

【2020/01/02 ぶら旅コース】
國府神社

産土神社で初詣

初詣に行ってきました。

前にもご紹介したことのある、私の産土神社『國府神社』です。

(御祭神や由緒など神社の詳細は割愛します。)

 

www.mi-cha34.com

 

普段は無人の寂しい神社ですが、三が日(?)は氏子さんがいらっしゃるので、

お札やお守りなどをいただくことができます。

正月限定のお守り、、、なかなかレアですね。

 

 

國府神社

鳥居

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鳥居には、お正月のお飾りがされていました。

 

 

 参道

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参道の階段にも「國府神社」と書かれた提灯が並びます。

 

 

 拝殿

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拝殿の扉は開かれており、中には2人の氏子さんがいらっしゃいました。

 

ちょっと驚きなのですが、、、

まだ年が明けて2日しか経っていないというのに、参拝客がまったくいません!

氏子さんたちは「待ってました!」とばかりに、私を出迎えてくださいました。

 

お賽銭を入れて手を合わせる私。

その目の前には氏子さんたちが仁王立ちで私を見ています。

「ちょっとやりづらい・・・」

神様ではなく氏子さんにお参りしている気分でした。笑

 

こちらではお参りの後、軽くお祓いをしてくださいます。

今日も「お祓いさせていただきますね。」と、

私の頭上をバサーッバサーッとしてくださいました。

 

 

 お守り

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去年のお守りを納め、新しいお守りをいただきました。

 

 

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通常のお守りと、交通安全のお守りです。

去年も事故無く過ごせたことを感謝し、

今年もお力添えがいただけるようお願いしてきました。

 

* * *

 

これで、今年の初詣は無事完了。

また1年、がんばって生きていくのみです!!

 

 

ランチを求めて・・・

ちょうどお昼時だったのでランチでもして帰ろうとお店を探しました。

ところが、お店というお店は全てシャッターが閉められていました。

このあたりは住宅街と大学しかありませんからね。

大手の飲食店も休むこのご時世、しかたありません。。。

 

 

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というかですね。

前々から気になっていた中華料理店があったのですが、、、

いつの間にかタピオカ屋さんになっていました。

 

 

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たこ焼き屋さんもタピオカ屋さんに!!!

市川にタピオカブームが上陸したようです。

 

このことを両親に伝えると、

「大学が多いからか知らないけど、

昔からドーナツが流行ればドーナツ屋が増えるんだよ。」

とのこと。

普段の人通りからも、並ばずにタピオカが飲める穴場かもしれません。

 

それにしても、中華店がないとは・・・。

もっと前に食べておけばよかったと、今年初の後悔です。

 

 

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ランチを求めて駅周辺を歩いてみたのですが1軒も見当たらず・・・。

途方に暮れた私は、ただただ江戸川を眺めることしかできませんでした。

(鉄橋の先にはスカイツリー。)

 

 

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結局ランチは、乗り換え駅構内のコーヒーショップでハンバーガー。

新年早々、ジャンクフードが続いています・・・。

 

 

旅の終わりに・・・

【ぶら旅メモ】
交通費:1712円
参拝費:1805円
飲食代:780円
合計:4297円
歩数:6991歩

 2020年初のぶら旅は、産土神社で初詣でした。

今年もケガ無くいろいろな場所へ出かけたいと思っています。

関東圏外へもどんどん飛び出して行きたいですね。

 

その様子を少しでも多くお伝えできるように、

このままブログも続けていけたらいいなと思います。

これからも、どうぞよろしくお願いいたします。

 

 

 

 

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【國府神社】
所在地:千葉県市川市市川4-4-18
アクセス:京成「国府台駅」より徒歩5分
御朱印:無
駐車場:無

手児奈霊神堂&真間稲荷神社(千葉県市川市) ~産土神社と記憶のない思い出の地をめぐる旅 3/3~

【2019/10/31 ぶら旅コース】
國府神社 →  弘法寺 → 手児奈霊神堂&真間稲荷神社

手児奈霊神堂

 門

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弘法寺の正面階段を下りた場所に鎮座する、手児奈霊神堂。

ここも記憶のない思い出の地のひとつ。

弘法寺 → 手児奈霊神堂」が母お決まりの散歩コースだったようです。

 

www.mi-cha34.com

 

 

 参堂

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家に挟まれた参道。

私の大好きな光景です。

 

ここで若いカップルとすれ違いました。

「こういう参道好きだな~♪」

そんな会話を聞いて、なんだか嬉しく感じました。

 

 

 本堂

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【御祭神】
手児奈(てこな)

【御利益】
良縁成就・孝子受胎・無事安産・健児育成

【御由緒】
(※弘法寺参照)
文亀元年(1501)9月9日、当山第7世日与聖人の夢枕に「手児奈」が現れ「良縁成就」「孝子受胎」「無事安産」「健児育成」の守護を誓いました。
以来、真間の地を守護する女神として多くの信仰を集めています。
(出典:公式サイト

 ここでも『手児奈伝説』についておさらいしておきます。

「その昔、この真間の里に手児奈という、それは美しい娘がいました。その美貌なるが故に手児奈をめとりたいと男たちは争ったといいます。心優しい手児奈は男たちが互いに争い傷つくのを厭って、ついに真間の入江に身を投げてしまいました。

 その手児奈の心情を里人があわれみ、祠をつくって手厚く葬り、この手児奈の話を語り継ぎました。」

 

死後もなお語り継がれる手児奈さん。

容姿のみならず、内面も美しい方だったのでしょう。

 

 

 浄行菩薩

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境内には、浄行菩薩像。

水を司る菩薩様で、お題目を唱えながら像のお体を洗うと、

心身ともに清められると言われているそうです。

 

 

 桂の木

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歌手のさだまさしさんが奉納された、桂の木もありました。

当時、さだまさしさんは市川市にお住まいだったそうです。

 

 

 片葉の葦

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手児奈霊神堂を出て弘法寺を背にして進むと、赤い橋があります。

父の話によると、、、

昔この橋周辺には葦が生えており、その葦は片方にしか葉がなかったそうです。

 

片葉の葦には手児奈伝説がかかわっており、

葦が手児奈を傷つけないようにと片葉になったのだとか・・・。

動植物からも愛されていたのですね。

 

 

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(2020年11月1日 追記)

後日、手児奈堂内の池にて、片葉の葦を見つけました。

本当に片方にしか葉がありません!!

このような種類の葦なのでしょうか???

 

 

真間稲荷神社

 鳥居

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手児奈霊神堂と同じ敷地内に、真間稲荷神社がありました。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
豊受姫命(とようけひめのみこと)
菅原道真公(すがわらのみちざねこう)

【御利益】
五穀豊穣・殖産興業

【御由緒】
当社の創建は不詳なれど万延元年1月(1860年)再建。其の後昭和10年10月5日現在の地に遷座の記録を残す社であります。
御祭神の豊受姫命は、天照大神の御食事を司る神であるとともに、五穀の神でもあり、天下の人々に衣食を給したまう神として、古来より尊崇されております。
又、明治42年10月21日に合祀された境内社天満神社の御祭神菅原道真公は、学問の神として崇められております。
(出典:境内案内板)

 老夫婦が鍬をかついだお姿の神像が祀られているそうです。

 

 

旅の終わりに・・・

私の産土神社である國府神社を参拝。

それに加えて、

私が生まれたばかりの頃、よく散歩に行っていたというお寺にも寄ってみました。

 

 

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手児奈霊神堂を参拝中、

「桜が咲いてるよ~」と聞き覚えのある声がしました。

弘法寺で見かけた親子です。

「お花きれいだね~」

「お水冷たいね~」

そのお母さんは、まだ言葉が理解できない小さな子供に絶えず話しかけていました。

そんな姿に、当時の母と私の様子を具体的にイメージさせられたというか。

なんとなく懐かしい感覚になってきて、気持ちが温まる思いがしました。

それと同時に「もっと親を大事にしなきゃ」という思いも。

 

今回、弘法寺・手児奈堂を訪れたことに意味があるとしたならば、

「親もいい歳なんだから、もっと大事にしてやりなさい!」

偶然出会った親子を通して、

産土様や手児奈様がメッセージを送ってくれたのかもしれません。

・・・なんてね。

 

 

 

 

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【手児奈霊神堂】
所在地:千葉県市川市真間4-5-21
アクセス:京成「国府台駅」より徒歩10分
御朱印:御首題有
駐車場:手児奈堂へ要確認
公式サイト:http://www.tekona.info/index.html

【真間稲荷神社】
所在地:千葉県市川市真間4-5-4
アクセス:同上
御朱印:無
駐車場:無

弘法寺(千葉県市川市) ~産土神社と記憶のない思い出の地をめぐる旅 2/3~

【2019/10/31 ぶら旅コース】
國府神社 →  弘法寺 → 手児奈霊神堂&真間稲荷神社

 記憶のない思い出の地

恒例の産土神社参拝を終え、近くのお寺にも寄ってみることにしました。

母の話によると、赤ん坊の私を連れて、よく散歩に行っていた場所だそうです。

父の話では、父が子供だった頃の遊び場だったのだとか。

両親それぞれ思い出があるようです。

私は実質ウン十年ぶりの再訪ですが、物心ついてからは初参拝。

記憶のない思い出の地を、たどります。 

 

 

弘法寺

 山門

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國府神社から5分ちょっと、弘法寺(ぐほうじ)に来ました。

初めて観るの場所なのに、実は何度も訪れたことがある場所・・・

なんだか不思議な感じがします。

 

 

 参道

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そこは小高い山の上。

高く長い階段を登ります。

1段1段が絶妙に疲れる高さになっているので、

登り終えた時にはお尻がピキピキしてしまいました。

他に坂道ルートもあるのですが、坂道もそこそこキツイです。。。

 

母は赤ん坊の私を抱っこしてこの階段を登り、

乳母車を押して坂道を登り、よく散歩をしていたそうです。

ものすごい体力ですね。

 

 

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階段のてっぺんからの眺め。

お寺から続く1本道が素敵です。

道の先には高層マンションが。

ウン十年前は、どんな景色が広がっていたのでしょう???

 

 

 涙石

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正面階段を登る際は、途中で一休みしてみるといいかもしれません。

この階段には『涙石』と呼ばれる不思議な石を見ることができます。

ひとつだけ色の違う石があるのですが・・・おわかりでしょうか?

 

 

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下から27段目にある石。

この石だけ、季節・天候に関係なく常に濡れているのだそうです。

この日も晴れていたのに、この石だけしっとりとしていました。

それには、こんな言い伝えがあるそうです。

 

「江戸時代、作事奉行の鈴木修理長頼が日光東照宮の造営のために使う石材を伊豆から船で運ぶ途中、市川の根元付近にさしかかった時、どうしたことか船が動かなくなってしまいました。

長頼は「近くの弘法寺に仏縁あり」と思い、積んでいた石を勝手に近くの弘法寺の石段に使用してしまったのです。長頼は幕府から責任を追求され石段で切腹

その時の無念の血と涙が染み込んでいるという伝承があります。」

 

思わず踏むのを避けてしまう、そんな言い伝えですね。

そして、この石たちが本来ならば日光東照宮に並ぶはずだったという歴史も

おもしろいです。
 

 

 仁王門

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【御本尊】
三宝尊(さんぼうそん)

【御由緒】
 ここ真間山、弘法寺(ぐほうじ)は奈良時代天平九年(737年)、行基菩薩がこの地にお立ち寄りになられた折、里の娘、手児奈の哀話をお聞きになり、いたくその心情を哀れに思われ、一宇(いちう)を建てて「求法寺(ぐほうじ)」と名づけ、手厚くその霊を弔われた。
それからおよそ百年ほど経た平安時代弘仁十三年(822)に弘法大師空海)が教えを弘められるためにおいでになられた時、求法寺を七堂伽羅に再建され、寺運を一新して、「求法寺」を「弘法寺」と改称された。
 その後、鎌倉時代に入り、建治元年(1275)に、時の住持、了性法印尊信(りょうしょうほういんそんしん)と、中山法華経寺富木常忍公(ときじょうにんこう)との間に問答があり、日蓮聖人は六老僧の伊予房日頂上人(いよぼうにっちょうしょうにん)を対決させられた。
 その結果、日頂上人が法論に勝たれたため、爾来、弘法寺法華経の道場となり、日頂上人をしてご開山とすることとなった。
(出典:公式サイト

仁王門をくぐると、何やら境内が騒がしい・・・。

どうやら本堂で葬儀があるらしく、その準備で多くの人が出入りしていたので、

本堂は参拝ができませんでした。。。

 

 

 悲しい伝説

由緒にもあるように、

弘法寺建立の背景には『手児奈(てこな)』という娘の悲しい物語がありました。

 

「その昔、この真間の里に手児奈という、それは美しい娘がいました。その美貌なるが故に手児奈をめとりたいと男たちは争ったといいます。心優しい手児奈は男たちが互いに争い傷つくのを厭って、ついに真間の入江に身を投げてしまいました。

 その手児奈の心情を里人があわれみ、祠をつくって手厚く葬り、この手児奈の話を語り継ぎました。」

 

この伝説は万葉集にも歌われ、広く知られることとなったそうです。

「われも見つ人にも告げむ葛飾の、真間の手児奈が奥津城処」

 

 

 祖師堂

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境内を回ります。

宗祖日蓮大聖人・開基伊予阿闍梨日頂聖人・第二祖富木日常聖人を祀る祖師堂。

 

 

 

 鐘楼堂

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モダンなデザインの鐘楼堂。

 

弘法寺明治21年1888年)に明治の大火で焼失。

現在のお堂は明治23年(1890年)に再建されたのだそうです。

そんな中、被害に遭わず残ったのが、この鐘楼堂と仁王門。

このお寺の中では、長い歴史を持つ建造物になるんですね。

 

 

 鐘楼堂

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広場のようになっている場所には、見事な枝垂桜がありました。

「伏姫桜(ふせひめざくら)」と呼ばれているのですが、

いつ誰がその名をつけたかは不明なのだそうです。

手児奈伝説と関係があったりするのでしょうか???

 

背は低いのですが、枝を大きく広げ迫力がある木です。

花が咲く頃、また訪れてみたいですね。

 

 

 

 赤門(朱雀門

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本堂から道を挟んだ場所には、鮮やかな朱色の門があります。

赤門(正式名称:朱雀門)と呼ばれるこの門は、境内で最古の建造物。

推定で500年前からあるものだと言われているそうです。

 

 

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このエリアは柵で囲われており、中は庭園のようになっていました。

 

 

 真間道場

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いくつかあるお堂の中で一際大きな真間道場。

柔道や弓道などの道場かと思いきや、旧寺務所だったとのこと。

寺務所が移動されてからは、さまざまな行事や活動に使われていたそうです。

 

 

 大黒堂

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福再来(ふくさらい)のご利益があるという、太刀大黒尊天。

福再来とは??

調べても詳細がわからず・・・「福が来る」といった意味でしょうか?

 

 

 里見龍神

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池の中央には龍神様が祀られていました。

 

 

ちょっとした出会い

境内で、とある親子と会いました。

よちよち歩きの赤ちゃんとお母さんが手をつなぎながら散歩をしていました。

お母さんはあちこち指をさしながら、赤ちゃんに話しかけています。

その親子を見ながら「母と私もこんなふうに散歩していたのかな?」と。

こちらの仏様が、当時の様子を見せてくれたよに思えました。

 

 

 

 

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【真間山 弘法寺
所在地:千葉県市川市真間4-9-1
アクセス:京成「国府台駅」より徒歩10分
御朱印:御首題有
駐車場:有
公式サイト:http://mamasan.or.jp/index.html
(※2019年10月31日付けの情報です。)