玉敷神社
総本社
岩槻と蓮田の久伊豆神社について長々と書いてきました。
まだいくつか久伊豆系のネタはあるのですがちょっとしつこいので、
ここで総本社をご紹介して、いったん久伊豆神社から離れようと思います。
玉敷神社
■ 鳥居
久伊豆神社の総本社、玉敷神社です。
埼玉県加須市に鎮座しています。
この日は、隣接する玉敷公園の『藤祭り』を見に行きました。
こちらには、迫力満点の藤の木があるんですよ!!
すぐにでも紹介したいところですが、まずは神社を参拝します。
■ 拝殿
大己貴命(おおなむちのみこと)
【御由緒】
当神社は文武天皇の大宝3年(703年)に多治比真人三宅麿が東山道鎮撫使として武蔵国に下った時に創建したものと言われ(一説には成務天皇6年(136年)の創建とも言う)、平安時代初期、醍醐天皇の延長5年(927年)に公布された当時の法制の書「延喜式」の中にその名を記されている由緒ある古社である。
以来この地方の人々の広い崇敬を集めてきたが、戦国時代の天正2年(1574年)上杉謙信の関東出兵の際、当時今の所より北方数百メートルの正能村(現加須市正能)の地にあった当神社はその兵火にかかり炎上、社殿をはじめ、古記録・宝物など悉く焼失した。
徳川時代に入り、嘗て根古屋村(現加須市根古屋)に在った騎西城の大手門前に遷座されたが、やがて程なくして1927年頃(?)現在の地に移転鎮座され、今日に至っている。
当神社は江戸時代ま「勅願所玉敷神社、久伊豆大明神と称し、旧埼玉郡(現南北両埼玉郡)の総鎮守であり、騎西領四八箇村の氏神でもあって、広い地域の住民から「騎西の明神様」の名で親しまれ、深い信仰を受けていた。このことから、各地に久伊豆社と称する御分霊社が多く建立されることともなった。なお、現在の社殿は本殿と幣殿が文化13年(1816年)の建築であり、その外周を飾る彫刻は当時、江戸三名工の1人と言われた5代目後藤茂右衛門の作である。また、拝殿は明治31年(1898年)の修築に成るものである。
(出典:パンフレット)
本社と分社の名前が違うので、
久伊豆神社の本社は越谷か岩槻かと思っていたのですが、、、
玉敷神社も「久伊豆大明神」と称されていた時があったんですね。
玉敷神社もこの辺りでは有名な神社なので、
ここが久伊豆神社の総本社と知ったときはちょっとビックリしました。
■ 神楽殿
境内を散策します。
まずは神楽殿。
年4回、祭礼の際に奉奏される、玉敷神社神楽は、
国の重要無形文化財に指定されているそうです。
萱葺き屋根がいい雰囲気です。
■ 境内社
稲荷神社。
白山神社。
宮目神社。
神馬社。
2頭の新馬像の下を子どもをくぐらせ健康と成長を祈願する、
『お馬くぐり』という行事があります。
他、八坂神社、琴平社、天神社。
どの境内社も古くから建てられているのですが、
松尾神社(1723年)以外、創建年数は不明だそうです。
■ 旧河野邸
参道脇には、旧河野邸跡。
神道学者であり、玉敷神社の宮司、さらには埼玉県神社庁長を務めた、
河野省三氏の邸宅跡です。
中は庭園になっていました。
もう少し早ければ、枝垂桜を見ることができたんですね。
アジサイやツツジなど、季節のお花を楽しむことができるようです。
奥には藤棚も。
きれいに花を咲かせています。
それでは、藤祭りへ行ってみたいと思います。
藤祭り
藤祭りが開催されている、玉敷神社神苑へ。
苑内はいくつもの藤棚があり、甘~い香りに包まれていました。
定番の紫以外にも白やピンクの花もありました。
ひとつひとつの花もかわいいです。
■ 玉敷神社の大藤
藤祭りの目玉、玉敷神社の大藤。
大きく広がったこの藤、なんと1本の木なんです。
樹齢400年。
直径1mを超える幹、そこから伸びた枝は700㎡もあるのだそうです。
花房も1mを超えるとのことで、
別の藤棚の花と比べると、その大きさがわかりますね。
案内板も隠れちゃいそうです。
* * *
藤棚がある寺社はよく見かけますが、、ここまでの巨木はなかなか見れませんね。
神社も大きく素晴らしい所なので、藤の時期に是非おすすめしたい1社です。
駐車場へ戻る途中の公園で、小さな藤を見つけました。
御朱印
御朱印は書置きでした(2016年当時)。
御朱印帳が終わってしまったので、新しい御朱印帳もいただきました。
この時は神社名が入ったオリジナル版がなかったのですが、、、
現在は藤をあしらった美しい御朱印帳があるようです。
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