【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺 → 花山うどん
【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社 → 長良神社 → 尾曳稲荷神社 → 雷電神社・伊奈良神社 → 林屋 → 茂林寺 → もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣】
長良神社
2社目は、長良神社です。
この辺りは長良神社が数多く点在しており、
長良神社に着いては「ここじゃないな・・どこの長良神社だったっけ・・」と、
S氏が迷っていました。
結構な時間、車でぐるぐる回っていた記憶です。笑
S氏が目的としていた長良神社は、館林総鎮守の神社でした。
神社の裏手から入ってしまったようで、鳥居などの写真がありません。。。
■ 拝殿
藤原長良公(ふじわらのながら/ながよしこう)
【合祀】
蛭児命、大国主命、豊受姫命、金山比古神、伊弉諾命、伊弉册命、猿田彦神、鹿屋野比売神、倭建命、句々逎馳神、長乳歯神、素盞嗚命、大山衹神、倉稲魂命、木花咲夜咲夜姫命、菅原道真公、大日霎命
【御由緒】
祭神藤原長良公は贈太政政大臣正一位藤原冬嗣公の長子で、権中納言兼左衛門督に任ぜられ、東国平治のため下向常に民衆を憐れみ、病を癒し、貧を救い、仁恵を施した。
任満ちて帰京の後、斉衡3年7月3日(856年)御年55才で薨去す。
後元慶元年(877年)左大臣正一位正一位、重ねて同3年(879年)太政大臣を贈られた。死後貞観観11年3月18日(869年)大和国春日大社の末社に列せられた。時に上野の住人赤井良遠なる者が長良公の余徳を慕い、本国に勧請せんと奏聞し、勅許を得て佐貫莊長柄郷瀬戸井村上の森に社殿を造営した。以後佐貫の人民をはじめ郡内の人民の信仰深く、分社するものが多く赤井山城守照光照光館林城主となるや、天福寺境内に社殿を造営して当地に勧請する。爾来領主代々氏子の崇敬厚く、社殿を修復し、境内の整備につとめ、社地の寄進等あり祭事の興隆に努力せられた。
享保5子年(1720年)正一位長良大明神の宣旨を賜り、明治6年1月郷社に列し長良神社と改称する。最近祭神長良公の余徳を慕い氏子をはじめ遠近より参拝するものも多く、館林市惣鎮守として社頭殷賑を極めている。
【御神徳】
祭神長良公が東国平治のため当国一帯の善政を施し、民衆を救済し、国土開拓の大業をなし遂げられた偉業を崇め奉り、国土開発の神、国土家内安全の神、五穀豊穣の神、無業息災延命長寿の神などと崇められ、また合祀の17柱の神はそれぞれ、医薬の神、厄難除の神として多くの人々から深く信仰されている。
(出典:境内案内板)
国主としてこの地を治めていた藤原長良公をお祀りしているとのことで。
「藤原長良とは?」と思い調べていたところ、とんでもない事実が!?
なんと、藤原長良が上野国の国主を務めたという記録がないのだとか・・・。
となると、由緒にもある上野の住人が個人的に慕い、お祀りしたのでしょうか?
■ 織姫神社
織姫神社の狛犬には『さわらないで!のぼらないで!』と札がかかっていました。
そうとう古いものなのでしょう。
見た感じ捕らわれたかのような雰囲気で、ちょっとかわいそうな狛犬でした。
御朱印
御朱印です。
* * *
長良神社のインスタがあったので覗いてみたところ、
現在は月ごとに限定御朱印があるようです。
季節のイラストが描かれたカラフルな御朱印でした。
夏は花手水も行われており、週替わりでいろいろなお花が楽しめるようです。
私が忘れているだけなのか・・・
参拝当時はとてもシンプルな神社という印象だったのですが、
女の子が好むようなとてもかわいらしい雰囲気が窺えました。
また、再訪してみたいですね。
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