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静御前の墓(埼玉県久喜市) ~くりはし八福神をめぐる旅 9/11~

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【2020/01/11 ぶら旅コース】
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静御前ゆかりの地

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栗橋駅にデカデカと掲げられた、美しい女性の絵。

源義経の内妻、静御前です。

栗橋は静御前終焉の地とされており、駅前にはお墓もあります。

 

静御前については、義経の妾、舞姫、、、私にはそんな知識しかありません。

以前、鶴岡八幡宮(神奈川県)へ出かけた時、

静御前に扮したご当地キティちゃんを見かけたので、

鎌倉の印象が強かったのですが・・・。

長年埼玉に住みながら、まさか栗橋にお墓があるとは知りませんでした。

 

 

静御前の墓

 参道

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くりはし八福神巡りを終え、駅へ戻る途中。

静御前の墓へ繋がる参道を見つけました。

 

 

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普通の住宅街の道ですが、駅に向って歩いていくと、、

 

 

 門

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静御前の墓に出ます。

 

 

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お墓と言っても開けた場所。

小さな公園のようになっていて、

ベンチで休む人や遊ぶ子供達など、人が集まる憩いの場でした。

ネコちゃんもお散歩中。

 

 

 墓

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静御前
静御前は、磯の禅師の一人娘として仁安3年(1168年)に生まれたといわれ、白拍子と呼ばれる美しい舞姫に成長いたしました。
干ばつが3年も続き、加えてその年も長い日照りで農民が大変困っておりました。
そこで、後鳥羽上皇が寿永元年(1182年)、京都神泉苑舞姫100人を選び、「雨乞いの舞」を命ぜられました。最後に静が舞い始めると空がにわかに曇り、激しく雨が降り出し3日3晩も降り続いたといいます。後鳥羽上皇は、静が15才でありながら類稀な才能を賞嘆され、褒美に「蝦蟇龍」の錦の舞衣を賜りました。この衣は現在、古河市中田町の光了寺に保存されております。
平氏追討に功績のあった義経の寵愛を受けた静が初めて義経に出会ったのもその頃のことでした。その後、義経は兄頼朝の不興を蒙り、奥州平泉の藤原氏を頼って京都を落ちのびました。静かは義経を慕って京都を発ち、平泉へ向いましたが、途中の下総国下辺見付近で「義経討死」の報を耳にして悲しみにくれ、仏門に入り義経の菩提を弔いたいと再び京都へ戻ろうとしました。しかし、重なる悲しみと馴れぬ長旅の疲れから病気となり、文治5年(1189年)9月15日、この地で死去したと伝えられています。
(出典:境内案内板)

静御前の墓は、境内の奥にありました。

 

以前この地には高柳寺というお寺があり、静御前の遺骸はそこへ葬られたそうです。

現在は光了寺と名を変え、茨城県古河市に鎮座。

寺の宝物殿には、

静御前の守り本尊「蝦蟇龍」の御衣、義経かたみの懐剣が所蔵されています。

 

 

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『静女之墳』と書かれた墓石と、その後には歌碑。

 

 

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そこには、舞を踊る静御前の姿が。

 

墓碑は1803年建立とのこと。

それにしては新しい墓石だなと思っていたところ、、、

 

 

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すぐ横に、ガラスケースに納められた旧墓石がありました。

 

 

 義経招魂碑&静女所生御曹司供養塔

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静御前の墓の側には、義経招魂碑。

そして、義経との間にできた子供の供養塔が並んでいました。

生まれてきた男児は、頼朝により殺されてしまったといいます。

 

 

 静桜

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境内には静御前の名がついた桜の木がありました。

義経の悲報に接した静御前が一本の桜を植え菩提を弔ったのが、

その名の由来だそうです。

 

ソメイヨシノとは違い、特徴的な花を咲かせるそうです。

一体どんな花なのか、、、見てみたいですね。

 

 

 顔出しパネル

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参拝の記念に、顔出しパネル。

(顔の部分が取り外せるようです。)

 

 

 マンホール

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栗橋駅付近には、静御前のマンホールもありました。

 

* * *

 

よくよく調べてみてわかったのですが、

静御前終焉の地』『静御前の墓』と呼ばれる場所は、

全国にいくつか存在するようです。

まぁ、そんなもんですよね。

 

 

 

 

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静御前の墓】
所在地:埼玉県久喜市栗橋中央1-2
アクセス:JR「栗橋駅」より徒歩1分
駐車場:無
(※2020年1月11日付けの情報です。)