黒浜貝塚・関山貝塚 → 蓮田市文化財展示館 → 貝塚神社/綾瀬貝塚 → 舌笑屋(ごちや)
【コースMAP:黒浜貝塚~舌笑屋(※実際のルートと異なることがあります。)】
大昔は海だった!?
私の地元である埼玉県蓮田市は、
「遺跡の宝庫」と言っても過言ではないほど遺跡があります。
母曰く、家を建てようと土を掘り起こすと土器の破片が出てきてしまい、
発掘調査が始まってしまう・・・ということがしばしばあったそうです。
「海なし県」でおなじみの埼玉県ですが、大昔は海が広がっていたといいます。
蓮田市周辺は「奥東京湾」と呼ばれる海の直近に位置したと考えられ、
市内にはいくつもの貝塚が発掘されています。
今回はその中でも代表的な貝塚と神社を巡り、海の面影を探してきました。
そして、海なし県で食べられる美味しい海鮮のお店もご紹介したいと思います。
標式遺跡
この両遺跡は、『標式遺跡』となっています。
標式遺跡とは、発掘された土器の年代を知るための基礎資料のこと。
関東を中心に発掘された遺跡は、
年代や様式によって『黒浜式』『関山式』と呼ばれます。
黒浜貝塚は国指定の史跡となっています。
■ 黒浜式土器
黒浜貝塚から出土した、約6000年前(縄文前期)の土器。
「大型菱形文系土器」と呼称される系譜と考えられており、
ひし形状の文様が描かれている。
関東地方の土器は、文様部分が上下とも半截竹管による平行沈線が一般的だが、
この土器は縄文のみ。
■ 関山式土器
関山貝塚から出土した、約6500年前(縄文前期)の土器。
「組紐文」と呼ばれる縄文が付けられていることが特徴。
黒浜貝塚
まずは、黒浜貝塚へ。
地名はその地の歴史などが込められていると言いますが、
黒浜の「浜」はこの貝塚が由来となっているのでしょうか?
黒浜貝塚は現在、公園として整備中。
市役所での用事ついでに何度か立ち寄ったことがあるのですが、、、
だいぶ前から『整備中』のままです。
それでも貝塚内の散策はできるので、地図を頼りに歩いてみます。
貝塚範囲には民有地が含まれるため散策路を歩くよう指示がありますが、
この地図ではとてもじゃないけどわかり難い・・・。
お散歩中のおばさまに声をかけ道を聞いたところ、
散歩ついでに案内していただけることになりました。
■ 竪穴式住居
スタート地点の市役所前には、竪穴式住居が建っています。
同じ黒浜町内にある『天神前遺跡 5号住居跡』をモデルに、
推測を交え復元したものだそうです。
中の様子も復元しているようですが、箱やバケツが置いてあり物置状態でした。。
住居の前には貝塚があり、当時の生活が表現されています。
この貝は資料的に置いたものですね・・・多分。
■ 散策路
散策路に入りしばらく歩きます。
貝塚や遺跡跡のような場所は見かけることなく、
地図の『説明板』まで来てしまいました。
「遺跡らしい場所はないんですか?」とおばさまに尋ねると、
「あっちの方に貝の山があるわよ」と『湧水池』の先へ案内されました。
地図をたどると、湧水池の先は散策路から外れてしまいます。
「入ってもいいのかしら・・・?」と心配になりましたが、
公園の一部として整備しているので通行可能のようでした。
貝塚内は緑が多く、多くの鳥が飛び交っています。
とても気持ちのいい場所なので、公園の完成が待ち遠しいです。
おばさまのお話によると(あくまでもおばさまのお話です)、
助成金の問題や周辺住人との折り合いがうまく行っていないとかで、
なかなか工事が進まないとのことでした。
■ 貝の山
のどかな散歩道を進むと、広場に出ました。
「あっちの方に貝があるよ」とおばさま。
奥の方へ行ってみると、一画だけ不自然に囲われた場所がありました。
その囲いの中には、いくつも並ぶ貝の山!!
やっと遺跡らしいものを見ることができました。
案内板によると、ハイガイ・マガキ・ハマグリ・アサリ・アカニシ・ヤマトシジミ
などの貝類で構成されているそうです。
それにしても、貴重なものであろうに柵もありません。
私「これ、本物ですかね?」
おばさま「う~ん、オブジェじゃない?」
私「う~ん・・・」
この貝が本物か否かは謎のままでしたが、
他にも住居跡やそこに捨てられた貝塚などがあることがわかりました。
が、散策路からは見ることができないようです。。。
■ ゴール
貝塚内をぐるっと回り、メイン広場になるであろう場所を通って、
市役所に戻りました。
メイン広場のすぐ横には線路が通っており、宇都宮線が走ります。
至近距離で電車が見られるので、子供の遊び場にはとてもいいですね。
通りかかったあずまやには、土器のオブジェがありました。
「それじゃ、私はもうひと歩きしてくるわね。」
おばさまともここでお別れしました。
お話上手なおばさまで、一緒に散歩ができてとても楽しかったです。
本当に、ありがとうございました。
* * *
考古学的にも重要な遺跡であろうに、、、
貝塚らしいものを見ることはできましたが、ちょっと残念感が否めませんでした。
今後、どのような公園に仕上がるのでしょう?
調査の様子が学べたり、もっと案内板が増えるといいですよね。
公園としてはとてもいい場所ですが、史跡的にはなんかもったいないです。。。
関山貝塚
埼玉県道150号を、伊奈・上尾方面に進んだ途中にあります。
ここはさらに残念な場所でした・・・。
歩道の壁にこの案内板1枚。
おまけに、何が書いてあるのかわからないレベルに文字が消えています。
周りは住宅街で、史跡は一切ありません。
これは、本当にもったいない扱いではないかと思います。。。
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