子膾神社
寅子石から徒歩5分。
蓮田市から変わり、さいたま市見沼区丸ヶ崎地区に鎮座する薬師堂へ。
そのお堂の横にちょこんと建つ小さなお社があります。
子膾(こなます)神社。
名前から察するとおり、寅子を祀るお社です。
他にも、寅子をなますにしたまな板を祀っているとの言い伝えもあるそうです。
もともとは寅子石の近くに建てられたのですが、
綾瀬川の洪水でこの地に流れ着いたとのこと。
こちらの神社では、
毎年7月25日に丸ヶ崎の住人によって寅子供養が行われているそうです。
境内にある史跡めぐりの案内板にも、寅子伝説が紹介されていました。
なますと化した寅子の肉をほおばる人が描かれています。
真実を知った彼らの心情はどのようなものだったのでしょうか???
寅子を哀れに思う以上に、複雑な思いがあったのではないかと考えられます。
知らずに人の肉を食わされているのですからね・・・怖いです。
お社が流された綾瀬川。
細く小さな川で、普段はゆるやかに流れています。
こちらは寅子石方面。
子膾神社方面。
伝説ゆかりの名称を持つ場所
前にも書きましたが、伝説にまつわる名前が付けられた場所がいくつかあります。
今も残る場所もあれば、確認できない場所もあるとのことです。
私も実際に足を運んでいないので、ここはサラッと紹介したいと思います。
■ 中田・弓山
寅子石付近の水田の中にあったとされています。
寅子伝説には諸説あり、若者を惑わすとの理由で殺されてしまったという説も。
中田は寅子を立たせた場所、弓山は寅子を弓でねらった場所と言われています。
■ オリット
寅子石周辺の綾瀬川沿いにあったとされています。
弓で射た寅子を中田から運ぶ途中、寅子を降ろして休んだ場所と言われています。
カタナカ表記に違和感ですが、オリットとはどんな意味があるのでしょう?
というか、このような場所が残されているとなると、
なます事件より他殺説の方が信憑性があるように思えますね。
■ 皿沼
綾瀬川沿いにあったとされています。
寅子のなますを盛った皿が見つかったと場所と言われています。
■ 膳棚橋
さいたま市見沼区深作地域を流れる見沼代用水に架かる橋(現存)。
寅子を供養した時の膳椀を川で洗った際、
その一部が流れついた場所と言われています。
■ 有無(あんなし)
「寅子の両親があの世の寅子に送るため寅子の遺品を川に流したところ、
寅子に愛着をもつ人々が寅子の形見にと探したが見つけ出せない。
ところが、丸ヶ崎から深作にかけて漂っているのを見たとか見なかったとか・・」
との話から「あったなかった → あるなし → あんなし」となり、
丸ヶ崎から深作周辺を「あんなし」と呼ぶようになったそうです。
現在も呼ばれているのかわかりませんが、丸ヶ崎には「有無公園」があります。
地名などの由来を見ると、
両親が寅子の遺品を川に流したことでこの伝説が広まったように思えます。
もしその行動を取っていなかったら、辻谷のみのお話だったかもしれませんね。
子供の頃はただの伝説・・・というよりオカルト話として捉えていましたが、
調べてみると意外なほど大きな話だったということを知ってビックリしました。
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