美女伝説
先日、私の生まれ故郷である千葉県市川市をぶら旅しました。
その時に訪れたお寺で、『手児奈』という美女の伝説を知ることとなります。
(内容は上記のリンクよりご覧ください。)
調べてみると、これに似た話は日本のあちこちに残っているようで、
私の地元埼玉県蓮田市にも、手児奈伝説と非常によく似た伝説が残っています。
去年、その伝説ゆかりの地をめぐったことがありました。
手児奈伝説の記事をUPしてちょうどいい機会なので、
今回は埼玉県蓮田市の美女伝説にも触れてみたいと思います。
(※このシリーズは2018年5月の内容になります。)
トラウマ級の悲哀物語『寅子伝説』
昔々、現蓮田市の辻谷の里に暮らしていた『寅子』という女性の物語です。
(※一部ショッキングな内容が含まれています)
「綾瀬川のほとりに開けた辻谷の里に、長者が住んでいました。長者にはたいへん美しい寅子という一人娘がいました。そのため、年ごろになると近在の若者から縁談がひきもきらず。長者は大喜びでした。
ところが、数多く寄せられる縁談に寅子はしだいに胸を痛めるようになります。
そうしたある日、寅子に結婚を申し込んだ若者たちに、酒宴を開くという招待状が届きました。若者たちは自分の願いがかなえられると、大喜びで長者の屋敷へ出かけました。
たくさんのごちそうが出て、酒宴もたけなわとなったとき、若者たちに一皿ずつ、なますが配られました。そして長者が泣きながら話し始めました。
「ただいま差し上げましたなますは、寅子の肉です。娘はどなたに嫁いでも、結婚を申し込んでいただいた皆さんの心に報いることはできないと、思い悩んだ末、昨夜、遺書を残して自らあい果ててしまいました。遺書にはせめてこの身を皆さんに分けていただきたいとありました。そこで、ただいま寅子の肉をなますにしてお出ししたわけです」
話を聞いた若者たちは大いに悔やみ、寅子を慰めるため供養塔を建てました。
これが寅子石とよばれるようになったというものです。」
この物語は、蓮田市ではとても有名です。
市内の小学校を卒業された方なら、
授業の一環で一度は耳にしているのではないでしょうか?
多数の男性から結婚をせがまれた美女が苦悩の末自害してしまう・・・。
手児奈伝説と同様の内容ですが、寅子伝説はその先に更なる恐怖がありました。
「自身の体を求婚者に食べさせる」というカニバリズム的な要素があるんですね。
こんな話を小学生で聞かされるわけですから、トラウマ必至。
幼少期に植えつけられた衝撃は、伝説を色あせることなく残し続けるのでした。
辻谷周辺には、地形・橋・公園・寺社など、伝説ゆかりの名称が残されています。
その中でも伝説色の強い場所をいくつかめぐっているので、ご紹介します。
寅子石
まずは、寅子伝説のシンボル的存在の供養塔『寅子石』へ。
伝説の舞台である『辻谷』という地域は現在も存在しています。
さいたま市岩槻区と見沼区に隣接している、蓮田市の端っこに位置します。
田んぼが広がるのどかな場所。
近くにJR宇都宮線が走り、
鉄道ファンの間で有名な撮影スポット『ヒガハス』もあります。
その田んぼの一角にポツリとあるお墓。
この中に、寅子の供養塔が建っています。
他の墓石より一際高い板碑、これが寅子の供養塔『寅子石』です。
高さ4メートルの板碑は、埼玉県で2番目の大きさだと言われています。
中央には「南無阿弥陀仏」と書かれています。
私が小学生の頃、徒歩遠足かなにかでここへ訪れたことがありました。
その時に先生から聞いた話だと思うのですが・・・
- 地中にも同じ長さが埋まっている
- 板碑に寅子の文字がないため本当に寅子の供養塔なのか謎の部分がある
そんなちょっとした逸話があったことを記憶しています。
由緒を読む感じ、もともとあった板碑に伝説を紐付けしたようにも思えますね。
昼間に行けばこれと言って恐怖を感じる場所ではないのですが、、、
(夜は道が真っ暗なので普通に怖いです。)
とあるサイトで心霊スポットとして紹介されていたことに驚きました。
ストーリー的に、そう言われても仕方ないかもしれませんが・・・。
そこに出現する寅子さんの霊はどれくらい美人なのでしょう???
少し興味があります。笑
寅子供養
辻谷では現在も、毎年3月8日に寅子供養が行われているそうです。
その方法が少し独特なもので・・・
- 寅子供養は宗教に関係なく伝説に基づいて行われる
- 女性と男性に分かれて供養する
- 1年交代で会場となる家(宿)が決められる
- 宿ではおはぎや団子、料理などを用意する
- 午後3時、寅子石へお参り
- 宿へ引き上げ、料理を食べながら寅子談義やカラオケで盛り上がる
(ちなみに3月8日は女性のみ、それ以降の3月中に男性が供養するそうです)
地域住人が一丸となって寅子を供養する・・・
「ただの伝説」ではおさまらない、ただならぬ雰囲気が感じ取れます。
後日談
寅子伝説には、寅子の死後のお話もあります。
求婚した若者の中には、出家したものがありました。
それぞれ自分の名をつけた寺を建てたそうです。
慶福寺・満蔵寺・源悟寺・正蔵院・多聞院
それらの寺院は、寅子石を見守るように配置されたと言います。
慶福寺(蓮田市)、満蔵寺(さいたま市岩槻区)、多聞院(さいたま市見沼区)
現在、寅子石周辺で確認できた同名の寺院は3軒ありました。
どれも建立当時は、寅子石が確認できたであろう場所に位置しています。
しかし、時代が進むにつれて住宅やビルが建ち並び、
今や寅子石が見える風景は遮られてしまいました・・・なんだか寂しいですね。
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