2020年の書きこぼし旅
お出かけができず新規のネタがないので、
「2020年、行ってはいたけど記事にしていなかった書きこぼし旅」
をつらつらと綴って行こうと思います。
パソコンの調子が悪かったり、忙しかったりで書けずに時が過ぎてしまった旅です。
こういった旅がいくつかあって・・・ブログ的にはとてももったいないですよね。
ということで、この機会にご紹介させてもらいます。
今回は、去年の12月、映画の舞台となったお寺を訪ねた時のお話です。
映画『あの日のオルガン』
戸田恵梨香さん・大原櫻子さん主演の『あの日のオルガン』を観ました。
太平洋戦争末期、日本初の試みであった『疎開保育園』で奮闘する保育士と、
53人の園児たちの様子を描いた実話です。
この映画は、今まで観てきた戦争映画とは少し違ったタイプの作品でした。
疎開先での生活を中心に描いているので空襲の直接的なシーンは少なく、
保育士・園児・親・疎開先の村人・・・登場人物の交流や心情を通して、
戦争の悲惨さが表現されています。
これが結構じわじわと、観ている者の心をえぐってくるんですよね、、号泣でした。
大原櫻子さん演じる『みっちゃん先生』の天真爛漫なキャラクターのせいか、
戦争映画でありながらもどこかほのぼのとした印象が残る不思議な作品です。
* * *
都内保育園の園児たちの疎開先は、南埼玉郡平野村のオンボロ寺『妙楽寺』
南埼玉群平野村とは現在の埼玉県蓮田市です。
なんと、私の地元でした。
それを知り映画を観たわけですが、そのオンボロ寺も残っているとのことで、
訪ねてみることにしました。
妙楽寺
■ 門
映画の舞台となった、妙楽寺。
保育士と園児たちは桶川駅から歩いてこのお寺へ向かいます。
桶川駅からここまで5㎞の道。
大人の足なら1時間ちょっとで行ける距離ですが、
53人の園児を連れて歩くにはとても遠く感じたことでしょう。
蓮田市では実際に桶川から妙楽寺まで歩くイベントがあったようです。
「私も歩いてみようかな?」と思ったのですが、車で行きました・・。
■ 日本初 疎開保育園開設の地
参道入口には、疎開保育園について書かれた案内板と石碑がありました。
「1944年(昭和19年)11月25日、太平洋戦争末期に空襲を避けるため、東京の戸越保育所(現品川区)、愛育隣保館(現墨田区)の3歳から6歳の園児53人が若き保母たちに連れられて、南埼玉郡平野村(現蓮田市大字高虫)に集団疎開し、日本で初めての疎開保育園がここ妙楽寺で始まりました。
11人の保母たちは、終戦を迎えるまでの1年近く、幾多の困難を乗り越え、保育への理念や希望を失うことなく、明るくひたむきに園児たちの命を守り抜きました。
疎開保育園を運営した恩賜財団大日本母子愛育会(現社会福祉法人恩賜財団母子愛育会)は、財政支援と園児たちの健康管理に奮闘するとともに、村人たちとの交流に奔走しました。
村人たちも、これに応えて、食料不足の厳しい環境の中、村を挙げて園児たちの食料確保に取り組み、この疎開保育園を支えました。
戦後、その保母たちは各方面で活躍し、保育の基礎を築き、その思いは後進に脈々と引き継がれ今日に至っています。
この実話が2018年(平成30年)、映画「あの日のオルガン」として映画化され、多くの人々に感動を与え、全国各地で上映会が行われました。
私たちはこの実話を永く語り継ぐとともに、命の大切さや平和の尊さを伝えていきます。」
案内板には実際の写真。
とても微笑ましい写真ですが、
保育士たちの苦悩やこの年で親元を離れた子どもたちの気持ちを考えると、
とても切なく見えてしまいます。。。
ちなみに、この保育士と園児たちは現在も交流があるそうです。
『日本初 疎開保育園開設の地』石碑。
これらが設置されたのは2020年、映画公開後になります。
「日本初」とはだいぶ歴史的なことではないかと思うのですが、
そう騒ぎ始めたのは映画の影響がかなり大きいように感じます。
というのも、今まで疎開保育園の話なんて聞いたこともなかったので・・・。
こうした蓮田の歴史が注目されるようになり、映画様様ですね。
■ 参道
お堂へ続く参道。
■ 門
参道を進むとお寺が見えてきました。
赤い門をくぐり、境内に入ります。
■ 本堂
案内板がなかったので創建年数等は不明ですが、とある霊園のHPにて
という情報を知りました。
映画の中でも祭壇に仏像がチラチラと移りましたが、
形で創造するに不動明王様だったような気がします。
そこまで、忠実に描いているかはわかりませんが。。
映画では窓もないほどオンボロだった本堂も昭和50年に修復されていました。
■ 耳だれ観音堂
境内には、耳だれ観音堂。
「供えてある水(酒が腐ったもの)を竹筒で持ち帰り耳に付けると治る」
という言われがあるそうです。
■ 大銀杏
耳だれ観音堂の横に立つ、大銀杏も見物です。
■ 見送り桜
面会に来た親たちとの別れの際、園児を枝に乗せて見送らせたという桜の木。
案内がなくハッキリとはわからないのですが、
あるとしたら多分この木ではないかなと思われます。
横に伸びた枝に子どもを乗せている様子が、なんとなく目に浮かびますよね。
昭和20年8月15日。
53人の園児たちは、ひとりも欠けることなく終戦を迎えました。
終戦日前日、空襲は熊谷まで来ていたそうです。
(熊谷空襲:埼玉県内最大規模・太平洋戦争最後の空襲)
* * *
おうち時間が長い今、『あの日のオルガン』はおすすめの映画です。
実話映画は実際にその舞台の地へ行けるのもいいところ。
今回は戦争映画だったので、シーンを思い出しては胸が締め付けられる思いでした。
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