須賀神社
■ 鳥居
小山城から車で5分、須賀神社へ。
小山評定が行われた場所候補3カ所目です。
小山城の鎮守として祀られたと言われています。
「あれ!?なんか見たことある!!」
と思ったら、 以前訪れたことのある神社でした。
しかも1年半前、、、結構最近のことです。笑
■ 案内板
駅近の街中に鎮座する須賀神社ですが、なかなかの大きさです。
■ 神門
手水舎で身を清め、神門をくぐり中へ。
■ 拝殿
素盞嗚命(すさのおのみこと)
大己貴命(おおなむちのみこと)
誉田別命(ほんだわけのみこと)
【御由緒】
当神社の創建は、藤原秀郷公が天慶の乱に際して、日夜素盞嗚命に戦勝を祈願し、これが成就したことにより、天慶3年(940年)4月、京都の八坂神社(祇園社)から勧請し創祀した。当初は字北山(現中久喜)にまつられたが、小山城築城に際し、城の鎮守と仰がれた、平治年間(1159~60年)当地へ平安座された。以来、小山66郷(小山市全域に野木町、国分寺町、下石橋、結城市小田林地区を含む)の総鎮守と仰がれる。
徳川家康公は、慶長5年(1600年)7月、当神社境内で小山評定(軍議)を開き、参籠して関ケ原の戦勝を祈願した。祈願成就した事により、51石余の社領を寄進した。のち家康公の崇拝神社なる故をもって、日光東照宮造営の職人により、奉製された朱神輿が、当神社に奉納された。
(出典:境内案内板)
小山城を築いたとされる、藤原秀郷が勧請した神社。
京都の八坂神社から分霊したことから、当初は祇園社と呼ばれ、
小山城の別名『祇園城』はこの神社が由来になっています。
由緒内にて小山評定は境内で行われたと言い切っていますが、
小山市では定かではないといったような見解です。
その当時、神社やお寺は宿泊施設等として使われることが多かったようなので、
十分に有り得そうでもありますけどね。
■ 小山評定之碑
神社の入り口には、小山評定之碑。
二の鳥居付近には、藤原秀郷の顕彰碑もあります。
■ 境内社
境内を散策します。
拝殿の横から本殿の裏手に回ります。
小御岳神社、浅間神社、稲荷神社、工祖神社、足尾神社、神明宮、
風の通り道なのか、急な突風に煽られビビりました。。
■ 御神木・大椿
御神木の樅木。
木が社殿側に傾いてしまったことから切り落とし、このような姿に。
樹齢800年。
幹の太さからして、かなり大きな木だったのでしょう。
樅の木のお隣には、これまた大きな大椿。
椿は自分の背丈くらいのものしか見たことありませんでしたが、
こんなに大きく伸びる椿もあるんですね。
以前訪れた時は、真っ赤な花をつけていました。
かわいらしい。
■ 南門
正面から入って左側にある門です。
南側の入り口に繋がっています。
■ 南側入口
南側の鳥居の下には、
と書かれた石碑。
■ 筆塚
■ 灯籠
東日本大震災で崩壊した灯籠を復元したもの。
■ 七ツ石(夜泣き石)
中央の石碑は小山城城主、小山義政・朝政のもの。
周りに散らばる大きな石は七ツ石です。
「もと小山城内にあった庭石で、小山城が落城したことによって、結城の城主に接収された。すると、夜中にこの七つの石が小山の地を懐かしみて、あわれげに泣いたという。驚いた結城の城主は、早速に小山城は廃城になったことから、鎮守と仰がれる須賀神社に石を運ばせた。すると、それからは石は泣かなくなった。」
という伝説が残っているそうです。
■ 手水舎
正面入り口の手水舎は写真にも撮らなかったほど普通のものだったのですが、
南側入り口のものはちょっと変わった形をしていました。
蛇口の上に大きな山!
富士山でしょうかね???
南門
南口参道から見た南門です。
南側の入り口は、鳥居が新しく、参道の歩道が整備されていないので、
ここ数年で新しく作ったのかもしれません。
御朱印
最後に御朱印をいただきました。
左が前回いただいたもの、右が今回のものです。
結婚式場になっているようです。
広いロビーで御朱印ができるのを待っていたところ、
「この辺りの方がクーラーの風が当たりますよ!」
と、神社の方がご親切に声をかけてくださいました。
とても涼しく、生き返りました。
ミニミニ情報
神社の正面入り口に面する道を隔てた先にも参道があります。
その、参道沿いに小さなカフェを見つけました。
『日本茶専門店』だそうです。
お茶を飲みながら一休みしたかったのですが、、、
残念ながらこの日は定休日のようでした。
とても雰囲気の良さそうなお店だったので、リベンジ行きたいですね。
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