小山評定が行われた場所とは?
小山評定が行われた場所についての詳細はわからず、
「小山御殿ではないか?」
「小山城ではないか?」
「須加神社ではないか?」
などいろいろ言われているそうです。
挙がっている3カ所はそれぞれ近距離にあるので、この辺りではあるのでしょう。
とりあえず、その3カ所を訪ねてみました。
小山城跡 (城山公園)
まず向かったのは、小山城。
別名、祇園城。
城の守護神として祇園社(現須加神社)を祀ったことから、
こう呼ばれるようになったそうです。
正確な築城年代は不明とのこと。
現在は、城山公園として整備されています。
思川に沿った丘陵を利用して築かれた小山城。
当初、小山氏の本拠が置かれていましたが、上杉氏や北条氏から攻略され陥落。
小山氏は追放されてしまいました。
後に北条氏も滅ぼされ、江戸幕府成立後本田正純が城主となります。
しかし、正純も宇都宮へ転封となり、小山城は廃城となりました。
* * *
簡単な案内板があったので、それと共に城内をご紹介します。
■ 二ノ丸
城素人の私には簡単すぎる案内で、
「ここが二ノ丸です!」としか言えないのですが、、ここが二ノ丸エリアです。
現在は公園なので、
このエリアだけではなく、全体的にお散歩に最適な道が整備されています。
田村金作という方の像がありました。
この方は、城山公園の開園に携わった方のようです。
像の奥の崖っぺりには、ビューポイント。
このビューポイントは園内にいくつかあって、
足形に合わせて立つと絶景が眺められるといったものです。
私も足を合わせて、景色を眺めてみたのですが・・・
木!!!
木が生い茂っていて、景色が何も見えませんでした。
まさか、この木を見せたかったわけじゃないですよね???
沼田城でもこんなことがあったような・・・デジャヴです。
別の場所から同じ方向を見てみました。
そこには、思川が流れていました。
大きな建物もなく、広々とした、とてもいい眺めです。
先ほどのビューポイントが見せたかったのは、この景色だったのでしょうね。
先を進むと神社がありました。
中には3つの祠が祀られており、中央が稲荷神社です。
両側の2社は札の文字が読めず、どの神様が祀られているのかわかりませんでした。
お城があった頃から祀られていたのでしょうか???
廃城後、別荘として使われていたこともあるそうなので、屋敷神かもしれませんね。
とにかく古い祠でした。
■ 本丸
続いては、本丸エリアです。
周辺は木々の間を歩ける散歩コースになっていました。
大きな木が多いので、影ができてちょっと涼しいです。
戦争で亡くなった方のためでしょうか・・・?
慰霊塔がありました。
■ 祇園橋
祇園橋を渡ります。
橋の下は堀がありました。
橋の反対側は道に繋がっていたので、堀の中を歩けるかもしれません。
祇園橋を渡ると広場に。
先に虫取り網を持った親子がいます。
セミでもつかまえたかな?
■ 本丸橋
さらに本丸橋を渡ります。
本丸橋からだいぶ離れていますが、本丸橋です。
ここが、本丸と別の曲輪の堺なのでしょうか?
■ 虎口
虎口跡エリア。
奥の盛り上がったところに虎口が確認されているようです。
■ 塚田曲輪跡
レジャーシートを敷きたくなるような広場は、塚田曲輪エリア。
ここでもビューポイントを発見。
目線の先には、大銀杏がありました。
このイチョウには、
「祇園城落城の際、古井戸に身を投げて亡くなった姫君の霊がイチョウに宿り、
実を結ぶことがない」
という伝説が残っているそうです。
そのため、「実なしイチョウ」と呼ばれているそうです。
■ 上段曲輪跡
最後のエリア、上段曲輪エリアです。
そこは、子供たちが遊べる遊具がありました。
■ 駐車場へ
公園をぐるっと1周して、駐車場へ戻ります。
駐車場は、公園入口の反対側に位置します。
かなりわかり難い場所なので、
ナビ:目的地周辺です。運転お疲れさまでした。
からが迷いましたね。
私はその先が知りたいのだよ~!!!
小山評定跡石碑
城山公園から徒歩2分の場所にある、小山評定石碑も見に行きました。
通りの名前も、小山評定通りです。
小山市役所の敷地内、入り口すぐの場所に石碑はあります。
工事中でガードマンが立っていたので、
「写真だけ撮らせてください。」
と急いでシャッターを切り、足早に立ち去りました。
慶長5年(1600年)7月24日、徳川家康は会津の上杉景勝を討つべく小山へ到着しました。
このとき、石田三成が家康打倒の兵をあげたことを知り、翌25日、この地において軍議が開かれました。これが「小山評定」です。
軍議は三間四方の仮御殿を急造し、家康と秀忠を中心に、本田忠勝、本田正信、井伊直正や福島正則、山内一豊、黒田長政、浅野幸長、細川忠興、加藤嘉明、蜂須賀至鎮らの諸将が参集しました。福島正則が協力を誓い、これをきっかけに軍議は家康の期待どおりに決まりました。
同年9月15日、関ケ原の戦いがおこなわれ、東軍(徳川方)の勝利にむすびついた歴史上重要な所です。
(出典:小山評定跡石碑)
小山御殿広場
市役所の隣には、御殿広場があります。
小山御殿が建っていた跡地です。
現在はだだっ広い広場になっていて、イベント会場等で使われているそうです。
小山御殿復元図。
小山評定の際に作られた御殿跡かと思っていたのですが、
この御殿が作られたのは家康の死後で、
徳川将軍家の日光社参の際の休憩・宿泊所として造られた御殿でした。
この御殿は台風で一部崩壊したことを機に、古河藩によって解体されたそうです。
* * *
小山評定の現場だと想定される3カ所のうち、2カ所を訪ねました。
何度も言いますが、私は城素人です。
曲輪、曲輪と言われても、あれだけの案内板では何がなんだかわかりません!
市役所へ行った際、小山城に関する資料はないかと、
併設された文化センターへ行ったのですが、残念ながら資料はありませんでした。
小山城に関する資料は、小山駅の観光案内所にあるそうです。
小山駅も行ってたのに!!
観光案内所は気づきもしなかったです。
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