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沼田城址/沼田公園(群馬県沼田市) ~群馬の珍スポと城をめぐる旅 3/4~

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【2020/08/14 ぶら旅コース】
恐怖の洞窟名胡桃城址沼田公園赤城高原SA(上り)

 沼田城

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みなかみ町から沼田市へ移り、沼田公園へ。

真田氏と北条氏が取り合っていた、沼田城にも行ってみることにしました。

 

 

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沼田城は天文元年(1532年)頃、沼田氏により築かれました。

北陸から関東への要衝の地であったことから、

上杉氏・北条氏・武田氏など戦国大名による、争奪戦が繰り広げられたと言います。

 

 

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秀吉の小田原攻めにより北条氏が滅亡すると、沼田領は真田昌幸に返還されます。

そこで昌幸は沼田城を嫡子の信幸(信之)に与え、自身は上田城へ移りました。

信幸は長い戦乱で疲弊していた沼田領内の復興につとめ、

年貢の減免、田畑の開拓、町割などを行い城下町の基盤造り、

そして、五層の天守閣や櫓、門などを建造し、城郭の整備も行いました。

 

 

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江戸時代、沼田城は廃城となり破却され、堀も埋められてしまったため、

建物などはほとんど残っていません。

現在は、本丸・捨曲輪と二の丸・三の丸跡の一部が沼田公園となっています。

桜やツツジなどの花が楽しめ、スポーツ施設も充実した公園です。

 

パンフレットに見所が紹介されていたので、そこを中心に歩いてみました。

 

 

鐘楼

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【園内地図:E】
鐘楼は、明治31年頃旧沼田町役場の裏手に建てられ、時を告げていましたが、昭和58年に公園に再建されました。
城鐘は2代藩主真田信吉が鋳造し、時を告げていましたが、現在はレプリカを用いており、実物(県重文)は沼田市歴史資料館(テラス沼田2階)に展示しています。
(出典:パンフレット)

 

 

 西櫓台 石垣・石段

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【園内地図:D】
御殿桜のある所が西櫓台跡です。そこには真田時代の石垣と石段を見ることができます。天和元年(1581年)真田氏5代藩主信利が改易とされ、その時城は破却となりました。その後再建されることはありませんでした。
(出典:パンフレット)

 石垣の上には沼田市のシンボル的存在、

「御殿桜」と呼ばれるエドヒガンザクラがあるそうなのですが、、、

まったく見ていませんでした。。。

 

 

 平八石(首さらし石)

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【園内地図:A】
沼田平八郎景義は、沼田氏12代顕泰と側室の間に生まれました。沼田氏内乱で越後(一説では会津)へ逃れた平八郎は流浪の末、東上州女渕で再起の機をうかがい、天正9年(1581年)、沼田氏再興の兵を起こし、再興を目前に伯父の金子美濃守などの手によって水の手曲輪の露と消えた。
平八郎の首をさらした石が今に残ります。
(出典:パンフレット)

 

 

 ビューポイント

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【園内地図:Aの先】
谷川岳武尊山、三峯山、戸神山などの山々を眺めることができます。
また、名胡桃城方面も見る事ができます。
(出典:パンフレット)

ここは見晴台のようですが、木が伸びすぎて何も見えませんでした・・・。

沼田城は段丘上の崖っぷちに築かれたお城。

その所以か「天空の城・天空の城下町」と呼ばれているようです。

それならなおのこと、景色が見られないのは残念です・・・。

 

 

 天狗堂

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【園内地図:C】
このお堂にある天狗面は、昭和34年11月に迦葉山の大天狗面の分身として沼田市観光協会が製作した。顔の長さ3メートル、顔の幅2メートル、鼻の長さ1.4メートル、重さ1トンで木彫りの天狗面としては日本一の大きさを誇る(彫刻者:吉沢俊三郎氏)。同年、市内の祭りに初めて天狗踊りの行列が登場し、全国でも稀な行事として賑わいを見せた。
天狗面は迦葉山弥勒寺の鎮守である中峰尊者の化身だといわれる。
弥勒寺は嘉祥元年(848年)に創建され、康正2年(1456年)に天巽慶順禅師によって曹洞宗に改宗した。禅師に随行した弟子の中峰尊者は数十年間に渡り布教と伽羅の造営に尽くした。禅師が大盛禅師に住職の座を譲ると、「吾迦葉佛の化身にて己に権化化行は終わった。よって今後は永くこの山に霊し末世の衆生を抜苦与楽せん」と誓願して案山峰から昇天し、後に天狗の面が残されたと言われる。それを中峯尊と称して祭り信仰を集めている。
現在、弥勒寺には地元商工会の有志が奉納した顔の長さ6.5メートル、鼻の高さ2.8メートルの日本一の大天狗面が安置されている。
(出典:園内案内板)

 お堂の中を覗くと、大きな天狗の面を見ることができます。

とても大きく、お堂内が天狗でギュウギュウでした。

こんな小さな扉から、どう出し入れするのか・・・?

弥勒寺の天狗面はその倍の大きさ、、、これも是非見てみたいですね。

 

 

 天守跡・大手門沓石

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【園内地図:Hの手前】
英霊殿の東側が天守跡推定地です。
英霊殿鳥居付近で大手から移された大手門沓石が見られます。
真田時代の絵図には五層の天守が描かれており、天守は9間×10間(約18m四方)の方形で石垣の高さは8間(約16m)あり天守推定地の付近では金箔瓦も発見されています。江戸城天守が焼失すると、関東で五層の天守を持つ城は沼田城だけの時もありました。
(出典:パンフレット)

写真の右上にある階段の奥が天守跡推定地だと思います(見てない)。

 

 

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案内板には絵図の一部が紹介されていました。

城を建てる際には、幕府に城の地図を提出しなければならなかったそうです。

 

 

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ちなみに、英霊殿とはこちらです。

 

 

 本丸堀跡

【園内地図:P】
この堀跡は本丸から二の丸の間に作られたもので、堀幅12間(約24m)×堀高3間(約6m)と正保城絵図に書かれています。写真中央よりやや上にある石垣は、当時のものです。
平成27年の調査で多くの瓦と石垣の下段部分、裏込め石が見つかりました。
(出典:パンフレット)

写真ありきの説明文ですが、写真を撮り忘れていました。

ここは、発掘調査をしているような跡が見られます。

 

* * *

 

こんな感じで園内を一周しました。

現在は公園となっている沼田城址ですが、

パンフレットのおかげで城の面影を見る事ができました。

 

 

御城印

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案内所で御城印をいただきました。

通常版が3種類、月限定が3種類ありました。

 

 

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この辺のお城はおまけ付が多いですね。

沼田城では、桜の御城印ポストカードをいただきました。

 

 

 

 

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【沼田公園】
所在地:群馬県沼田氏西倉内町594
アクセス:JR「沼田駅」より徒歩15分
営業時間:9:00~17:00、~16:00(冬季)(観光案内所)
定休日:年末年始(観光案内所)
御城印:有
駐車場:有
(※2020年8月14日付けの情報です。)