宮代町の地名の由来
わらアートを見たあと、宮代町の神社を参拝しました。
「宮代町」とは、町内に鎮座する神社の文字を取り名付けられたそうです。
その町名の由来となった神社2社をめぐってきました。
身代神社
■ 鳥居
1社目は宮代の「代」の字、身代(このしろ)神社です。
東武動物公園駅から徒歩20分の場所に鎮座する、無人の神社です。
色あせた朱色の一の鳥居。
二の鳥居は、薄いブルーのようなグリーンのような不思議な色をしていました。
■ 拝殿
【御祭神】
武速素佐能男命(たけはやすさのおのみこと)
【御由緒】
身代神社は旧須賀村の鎮守で、明治時代の神社明細帳によると祭神は武速素佐能男命を主神として他16柱を祀り、また「素佐能男命が大蛇を退治した際、心すがすがしくなったという故事によりこの地を須賀村といい、蛇の縁により別当職を龍光院という(中略)再興は天和2年(1682年)3月28日なり」と記されている。当社の創建は、鎌倉時代初期仁治3年(1242年)3月の勧請と伝えられている。
祭礼は、7月14日。身代神社の「代」をとって現町名の1部とした。
(出典:境内案内板)
武速素佐能男命(たけはやすさのおのみこと)
【御由緒】
身代神社は旧須賀村の鎮守で、明治時代の神社明細帳によると祭神は武速素佐能男命を主神として他16柱を祀り、また「素佐能男命が大蛇を退治した際、心すがすがしくなったという故事によりこの地を須賀村といい、蛇の縁により別当職を龍光院という(中略)再興は天和2年(1682年)3月28日なり」と記されている。当社の創建は、鎌倉時代初期仁治3年(1242年)3月の勧請と伝えられている。
祭礼は、7月14日。身代神社の「代」をとって現町名の1部とした。
(出典:境内案内板)
旧町名の『須賀村』は、スサノオの言葉から付けられた地名なんですね。
「清々しい」から名付けられた社名だと聞いたことがあります。
■ 狛犬
お参りを済ませ、境内を散策します。
ちょっと猫背の狛犬さん。
■ 庚申塔
本殿脇には、石碑や庚申塔が並んでいました。
■ オイテケ堀
庚申塔の奥に見える池は、身代池。
この池で釣った魚を持帰ろうとすると「オイテケ、オイテケ」という声がする、
そういった伝説が残っているそうです。
* * *
無人で所々色褪せたりしてはいましたが、
掃除の行き届いたとてもきれいな神社でした。
案内には毎年祭礼が行われているとあったので、管理はされているようです。
参拝客は多いとは言えない雰囲気でしたが、、、
境内に置かれた古びたベンチから、
近所の人々が集まって談笑するイメージが浮かびました。
きっとそんな時代もあったのではないかな、、、そう思います。
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