大我井神社
■ 参道
妻沼聖天山入口の道を渡った先に鎮座する『大我井神社』
聖天山と縁のある神社とのことで、そちらも参拝しました。
駐車スペースらしき場所はあるのですが、道がかなり狭いので、
妻沼聖天山の駐車場に車を停めたまま徒歩で向った方が無難です。
■ 鳥居
無人ではありますが、敷地はかなり広めです。
■ 門神?
鳥居をくぐると、左右に小さなお社が建っていました。
門神的な役割をしているのでしょうか?
■ 唐門
拝殿の前にある唐門は、明和7年に建立されたもの。
もともとは、若宮八幡社の正門として造られたのですが、
若宮八幡社が当社と合祀されたことにより、この地に移されたのだそうです。
■ 拝殿
【御祭神】
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
【御由緒】
大我井神社は遠く人皇第12代景行天皇の御代日本武尊東征の折り、当地に軍糧豊作祈願に2柱の大神、伊邪那岐命、伊邪那美命を祀った由緒深い社です。
古くは聖天宮と合祀され、地域の人々から深い信仰を受けてきた明治維新の神仏分離令により、明治2年古歌「紅葉ちる大我井の杜の夕たすき又目にかかる山のはもなし」(藤原光俊の歌・神社入口の碑)にも詠まれた現在の地「大我井の杜」に社殿を造営御遷座しました。その後、明治40年勅令により、村社の指定を受け妻沼村の総鎮守となり、大我井の杜と共に、地域の人々に護持され親しまれています。
なかでも摂社となる冨士浅間神社の「火祭り」は県内でも数少ない祭りで大我井神社の祭典とともに人々の家内安全や五穀豊穣を願う伝統行事として今日まで受け継がれています。
(出典:境内案内板)
伊邪那岐命(いざなぎのみこと)
伊邪那美命(いざなみのみこと)
【御由緒】
大我井神社は遠く人皇第12代景行天皇の御代日本武尊東征の折り、当地に軍糧豊作祈願に2柱の大神、伊邪那岐命、伊邪那美命を祀った由緒深い社です。
古くは聖天宮と合祀され、地域の人々から深い信仰を受けてきた明治維新の神仏分離令により、明治2年古歌「紅葉ちる大我井の杜の夕たすき又目にかかる山のはもなし」(藤原光俊の歌・神社入口の碑)にも詠まれた現在の地「大我井の杜」に社殿を造営御遷座しました。その後、明治40年勅令により、村社の指定を受け妻沼村の総鎮守となり、大我井の杜と共に、地域の人々に護持され親しまれています。
なかでも摂社となる冨士浅間神社の「火祭り」は県内でも数少ない祭りで大我井神社の祭典とともに人々の家内安全や五穀豊穣を願う伝統行事として今日まで受け継がれています。
(出典:境内案内板)
明治時代までは聖天宮(現・妻沼聖天山)に合祀されていましたが、
地名を取り『大我井神社』となったそうです。
ところどころにポンッと生えているコキア(ほうき草)がかわいいですね。
■ 冨士浅間神社
拝殿横の富士塚では、毎年8月27日に『火祭り』という神事が行われるそうです。
■ 歌碑
境内の片隅には、詩が書かれた石碑群がありました。
* * *
ギラギラの聖天山を観た後なので、この素朴さに心がほっと落ち着く神社でした。
しかしながら、まったく人の気配を感じないのが、ちょっと寂しい印象です。
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