残暑お見舞い申し上げます
8月も終わりを迎えようとしています。
しかし、まだまだ暑い日が続いていますね。
みなさん、熱中症など大丈夫でしょうか?
「納涼!」なんてサブタイトルをつけるのは失礼かもしれませんが、、、
夏といえば『怪談』
怪談といえば『四谷怪談』
四谷怪談といえば『お岩さん』
ということで、お岩さんゆかりの地をめぐってきました。
※これは、心霊スポットめぐりではありません。寺社めぐりです。
四谷怪談とは?
四谷怪談とは、元禄時代に起きたとされる事件を基に創作された日本の怪談で、
「岩が夫の伊右衛門に惨殺され、怨霊となって復習を果たす」といった内容です。
於岩稲荷田宮神社
■ 鳥居
四谷三丁目に来ました。
お岩さんを祀る、『於岩稲荷田宮神社』
閑静な住宅街にひっそりとたたずむ、小さな神社です。
怪談の主人公となっている人物が祀られているというだけあって、
どことなく緊張感が走ります。
が、しかし。
意外と多くの参拝客がいたので、余計な恐怖感はありませんでした。
わざわざ参拝に来たという人もいれば、ふらっと立ち寄ってお参りという人も。
私が参拝している間、人が途切れることはありませんでした。
■ 狛狐
稲荷神社のシンボル、狛狐。
キリリとした目元が印象的です。
■ 手水舎
手水舎の水は、江戸時代初期から生活用水として使われてきた湧き水だそうです。
■ 拝殿
豊受比売大神(とようけびめのおおかみ)
田宮於岩命(たみやおいわのみこと)
【御由緒】
田宮稲荷神社は、於岩稲荷と呼ばれ四谷左門町の御先手組同心田宮家の邸内にあった社です。初代田宮又左衛門の娘お岩(寛永13年没)が信仰し、養子伊右衛門とともに家勢を再興したことから「お岩さんの稲荷」として次第に人々の信仰を集めたようです。鴨谷南北の戯曲「東海道四谷怪談」が文政8年(1825年)に初演されると更に多くの信仰を集めるようになります。戯曲は実在の人物からは200年後の作品で、お岩夫婦も怪談話とは大きく異なり円満でした。稲荷者は明治12年(1879年)に家事で消失し、その際初代市川左団次の勧めで中央区新川に移転しました。しかし、その後も田宮家の住居として管理されており、戦後、昭和27年(1952年)に四谷の旧地にも神社を再建し現在に至っています。
(出典:境内案内板)
■ お岩さんと四谷怪談
拝殿には、お岩さんについて書かれた、新聞の切り抜きなどのパネルがありました。
お岩さんと四谷怪談との関係性が書かれた資料も10円でいただくことができます。
ここで、お岩さんの本当の人柄が・・・。
「夫に裏切られ怨霊となった」そんな恐ろしいイメージのお岩さん。
実際は、夫婦仲もむつまじく、自らも奉公に出向き家計を支えたという、
主婦の鑑ともいうべき女性だったそうです。
それでは、なぜ、怪談の主人公となってしまったのでしょう?
それは、歌舞伎の作者『鶴屋南北』という人物が始まりのようです。
亡くなって200年も経っているにも関わらず、
神格化されるほど根強い人気を誇るお岩さん。
「その名前を使って歌舞伎にすれば、大当たり間違いない!」
そう思った南北は、お岩という名前だけを拝借し、
江戸で起きた事件を題材に『怨霊劇』を書き上げたそうです。
間逆のイメージを世間に植えつけられてしまったお岩さん・・・。
四谷怪談の映画や舞台を上映する際、お岩さんの神社や墓をお参りしないと、
事故が起こるというのは有名な話。
「私はこんなんじゃないってば!!!」
これは『お岩さんの祟り』ではなく、『お岩さんの訴え』なのではないでしょうか。
私も死んだ後に、こんなこと書かれたら嫌だもの・・・。
お岩さんの本当の姿を知った今、恐れというより哀れに思えてきました。
■ 境内社
境内には、小さな稲荷神社がありました。
御朱印
御朱印は、神社の方が不在で、いただくことができませんでした。
残念。。。
貼紙にあった『ことばのお守り』をいただいてきました。
たくさんのお言葉の中で、自分の気持ちに合ったものを選ぶといいそうです。
「今日一日が幸せの光に包まれるよう」
私は、なんとなく目に入った言葉をいただきました。
ことばのお守りって、いいですね。
なんだか、元気をもらったような気がします。
参拝前は、おどろおどろしいイメージがありましたが、
こうした神社側のお心遣いがところどころ感じられて、ほっこりしました。
神社が消失した際に移転した中央区新川にも、田宮稲荷神社が残っているそうです。
参拝時に知ったのですが、今回は時間の都合上参拝せず・・・。
またの機会に行ってみたいと思います。
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2019/08/28