館林めぐり
所用で群馬県館林市に行ってきました。
予定は午後からでしたが、ちょっと早めの午前9時に現地入り。
館林には私の好きなお寺があるので、
用事の前に、お寺の参拝と館林うどんを堪能しました。
『ぶんぶく茶釜』狸の町
予定がある館林駅へ行く前に、ひとつ手前の茂林寺前駅で下車しました。
駅名でお気づきになるかと思いますが、茂林寺というお寺を参拝します。
茂林寺は、童話『ぶんぶく茶釜』の由来となったお寺。
そのため町のあちこちで狸の像を目にします。
さっそく駅前で、狸の親子(?)に会いました。
これから、家族でお出かけかな?
こんな看板もあったので、本物の狸に会うこともあるみたいですね。
駅から茂林寺までは徒歩10分の道のり。
その道沿いには、ぶんぶく茶釜のストーリーが書かれた看板が並んでおり、
1~13のお話を読み進めていくと茂林寺にたどり着くことができます。
<ぶんぶく茶釜(童話Ver.)>昔々、
上野国館林に、
茂林寺というお寺がありました。
ある日、
茂林寺の和尚さんは村の道具屋で茶釜を買いました。
和尚さんが、千人法会の日に茶釜を使用したところ、どんなにお茶を入れても、茶釜のお湯は少しも減りませんでした。
その夜、和尚さんが眠っていると、茶釜が置いてある部屋から物音がしました。覗いてみると、なんと茶釜が狸に化けているではありませんか。和尚さんが、みんなを呼びに行って部屋に戻ると、茶釜はもとの茶釜に戻っていました。
次の日、和尚さんは道具屋さんを呼んで、気味が悪いからこの茶釜を壊してしまおうかと話していると、狸は話を聞いて、慌てて頭を出し、手足を出して飛び上がりました。狸は、驚かすつもりはなく、恩返しがしたかっただけだと、和尚さんに謝りました。
和尚さんは怒ることもなく、村のみんなにもこの狸の茶釜を見せてやりたいと言いました。
お寺に演芸場を作り、狸の茶釜が踊りながら綱の上で宙返り。お客さんは大喜び。毎日毎日、たくさんのお客さんが来ました。
狸の茶釜のおかげで入ったたくさんのお金で、和尚さんは、村のために橋を作ったり、堤防を作ったりしました。
そして、和尚さんは「みんなに福が分けられた」と、この狸を『
分福茶釜』と名付けました。
昔々の物語。今では、この茶釜は
茂林寺で静かに眠っています。
(出典:茂林寺パンフレット)
<分福茶釜(茂林寺Ver.)>寺伝によると、開山大林正通に従って、
伊香保から館林に来た守鶴は、代々の住職に仕えました。
元亀元年(1570年)、七世月舟正初の代に
茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要になりました。その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴は、自らこの茶釜を、福を分ける与える「紫金銅
分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言いました。
その後、守鶴は十世天南正青の代に、熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現してしまいます。これ以上、寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平
屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます。
人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去りました。時は
天正15年(1587年)2月28日。守鶴が開山大林正通と小庵を結んでから161年の月日が経っていました。
後にこの寺伝は、明治・大正期の作家、
巌谷小波氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました。
(出典:茂林寺HP)
童話のぶんぶく茶釜は、茂林寺に残る伝説を基に作られています。
童話では茶釜に化けた狸が描かれていますが、
もともとは狸の化身だった老僧が持ち込んだ不思議な茶釜のお話だったようです。
こうして読み比べてみると、子ども向けのアレンジが素晴らしいですね。
■ 寺標
お話を読んでいるうちに、あっという間に茂林寺に到着しました。
参道には、おみやげ屋さんが並びます。
(閉業しているお店がほとんど??)
開店準備をしていた店員さんが、
「おはようございま~す」
「暑い中、ご苦労様」
などと声をかけてくれました。
ここのおみやげ屋さんは、とてもフレンドリーな方が多いです。
妖艶な看板娘もお出迎えしてくれました。
■ 総門
総門から境内に入ります。
この門をくぐると、童話の世界へ入りこんでしまったような、、、?
ちょっとユニークな景色を目にすることになります。
■ 参道・山門
総門から山門までの参道。
参道の両脇に何やら立っていますね・・・
たぬき!タヌキ!!狸です!!!
この参道には20体以上の狸が整列して、参拝客を歓迎してくれます。
狸たちに挟まれて歩く参道は、
まるでファッションショーのランウェイを歩いているかのよう。
■ 参道狸コレクション
参道に並ぶ狸たちをちょこっとご紹介。
「コロナに負けるな」
感染予防バッチリ狸。
お数珠を持った和尚狸。
木魚はまかせろ狸。
酒飲み狸。
枝をくわえたワイルド狸。
おちゃめな分福茶釜狸。
私はこの茶釜タイプが好きですね~かわいいです♪
この日の狸たちは普通の姿をしていましたが、
季節や行事によって素敵に着飾った狸たちを見ることができます。
以前訪れた時は、お相撲さんの浴衣を着ていたことがありました。
■ 巨大狸
山門の近くには、巨大なボス狸が待ち構えています。
単体の写真ではわかり難いと思いますが、、、
お隣の狸(参道の狸より少し小さめ)と比べるとこの通りです。
ふと気づいたのですが、茂林寺の狸はみんな上を向いていますね、、なぜだろう?
「上を向いて歩こう!」的な意味合いでもあるのでしょうか?
■ 本堂・宝物殿
【御本尊】
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)
【宗派】
曹洞宗【御由緒】
曹洞宗の
名刹、青龍山
茂林寺は、その開山を大林正通としています。正通は
美濃国土岐氏の出目で、龍泰寺開山華叟正蕚の法嗣でした。寺伝によると、正通は諸国行脚の折、
上野国に立ち寄り、
伊香保山麓で守鶴と出会います。この守鶴は、のちに
茂林寺に
分福茶釜を持ち込んだ老僧です。
応永33年、正通は守鶴を伴い、館林の地に来往し、小庵を結びます。応仁2年、青柳城主赤井正光は、正通に深く帰依し、自領地の内8万坪を寄進し、小庵を改めて堂宇を建立し、青龍山
茂林寺と号しました。正光は、自ら当山の開基大檀那となり、伽藍の維持に務めました。大永2年には、
後柏原天皇から
勅願寺の綸旨を賜ります。
寛永19年(1642年)には、三代将軍
徳川家光より23石4斗余の朱印を下賜されております。
(出典:茂林寺パンフレット)
御本尊様へのお参りを済ませた後、本堂の中にある宝物館を見学しました。
宝物館では、実物の分福茶釜を見ることができます。
(写真撮影禁止)
実際に分福茶釜を見てみると・・・
童話の印象が強かったので小さな茶釜を想像していたのですが、
いやいや、人が持つのもやっとでは?それほど大きくズッシリとした茶釜でした。
狸だったら釜の中に2匹は入れるかもしれません。
他にも様々なファッションや仕草をした狸像、狸のはく製、資料などなど、
とにかく狸が楽しめます。
参拝に行かれた際は、宝物館も覗いてみるのもおすすめです!
■ 守鶴堂
本堂の近くには、茶釜を持ち込んだ守鶴和尚をお祀りするお堂があります。
お堂の前には狛狸。
お堂の周りにもたくさんの狸が、、、みんないい笑顔ですね。
■ 石碑
境内の隅には、童話の一部が刻まれた石碑もありました。
境内の樹々
狸ばかりに目が行ってしまいますが、、、
緑に囲まれた境内では、花や樹々などもゆっくり眺めたいものです。
■ しだれ桜
本堂の前には、立派なしだれ桜。
本堂が隠れてしまうほど、葉が茂っています。
緑の時期もきれいで大好きなのですが、本堂の撮影には手こずりました・・・。
しかし、花の季節になると、こんなにも美しい。
これは3月の、まだ肌寒い時期です。
群馬県の天然記念物、ラカンマキ。
高さ5m程度が一般的なものに対し、茂林寺のラカンマキは14mもあります。
茂林寺開基の際に植えられ、樹齢580年以上。
葉先が尖っていることから、魔除けとして植えられたそうです。
花の見頃は、5月~6月とのこと。
■ 藤
藤棚もありました。
今回は時期的に花を見ることができませんでしたが、
元気に茂る緑もとてもさわやかできれいでした。
おっ!
草むらの中にも狸発見!!
御朱印は2種類です。
こちらは、御本尊様のお名前が書かれたもの。
(現在は書置きのみのようです。)
こちらは『分福』と書かれています。
福の字が狸のお腹のようなデザインでかわいらしいです。
そして、もう一枚。
御朱印ではありませんが、御朱印と一緒に袋に入っていました。
アマビエ狸~!
コロナが終息するまでの期間限定でしょうか???
このかわいらしさに思わず笑ってしまいました、、笑って免疫力UPですね ↑
茂林寺に隣接する、茂林寺公園。
沼や湿原が広がり、散策することができます。
茂林寺に訪れるたびに歩いてみよう思うのですが、未だ未散策。。
今回も入口付近から茂林寺沼を眺めて終わりました。
とてつもなく暑かったので・・・。
もしかすると、茂林寺沼でアマビエ狸に会えたかもしれませんね。
茂林寺の参拝を終え、駅へ戻ります。
茂林寺のすぐ近くで、ぶんぶく茶釜のマンホールを見つけました!
何度か来ているのに、初めて気づいた~。
このマンホールも、是非、探してみてください。
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