関東ぶらりん旅

神社仏閣、B級スポット、ご当地グルメを楽しむ旅(散歩)

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まゆ玉うどん/もり陣(群馬県館林市) ~館林をめぐる旅 8/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣

 

茂林寺

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館林御朱印集めの旅、最後は茂林寺です。

ここで御朱印をいただけばゴール!!!のはずだったのですが・・・。

茂林寺に到着したのは16:10、寺務所が閉まってしまいましたーーー!!!

間に合わず、、、残念。

 

ここまで数々の神社をめぐって来ましたが、

S氏が特に欲していたのが茂林寺御朱印・・・。

「大事な試合はメインイベントに持っていきましょうよ!」

と、華麗なエンディングを想像したのがアダとなりました。

大事なことは最初にやっておくべきだと学んだ瞬間です。

というわけで、閉まった本堂の前でお参り。

そして、ちょうど見頃だったしだれ桜を眺めて茂林寺を後にしました。

 

 

www.mi-cha34.com

茂林寺の詳細は上記のリンクよりご覧いただけます。

この記事でも同じ写真を「きれいなしだれ桜」として紹介しているのですが、

実際は切ない気持ちで眺めていたのでした・・・。

 

 

もり陣

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御朱印集めも無事(?)終わり、やっと食事の時間です。

茂林寺の目の前にあるうどん屋さん、もり陣に入りました。

 

 

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テレビで話題!?

日本でここだけ!?

まゆ玉うどん!!?

どうやら、もり陣では変わったうどんが食べられるようです。

まゆ玉うどんとは、一体どんなうどんなのでしょう???

 

 

まゆ玉うどんセット(950円)

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私もS氏も、まゆ玉うどんセットを注文しました。

まゆ玉うどんに山菜がたっぷり入ったわっぱ飯が付いています。

 

 

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これが噂のまゆ玉うどん。

店内の説明書きによると、、、

館林産の小麦にまゆ玉を粉末状にしたシルクパウダーを練り込んだうどんで、

1人前あたり3玉分のまゆ玉が入っているそうです。

まゆ玉にはアミノ酸が含まれているため、

などが期待されるそうです。

「まゆ玉=糸」しか知らなかったので、食べられるとは驚きでした!

 

気になるお味はというと・・・。

シルクパウダーが入っていると思うと、心なしか他のうどんよりつるつるしてる?

絹のような舌触りに感じたのは、さすがにイメージのし過ぎかもしれませんが、、

とても瑞々しくさっぱりとしたうどんでした。

味自体は特に変わったところはなく、普通においしいうどん。

わっぱ飯もあっさりと炊かれていて、疲れた体に優しく染みわたりました。

 

* * *

 

帰りの道中、

「なんか私の肌、さっきよりつるつるしてません?」と言ってみたところ、

「こういうのは毎日食べないとダメなんだよ!!!」とS氏につっこまれ、

館林の旅は終わりました。

 

 

旅の終わりに・・・

館林には友人がいるのでちょくちょく行くことがあったのですが、

こうして寺社めぐりをするのはこの時初めてでした。

童話のモデルになったお寺だったり、不思議な伝説が残る神社だったりと、

おもしろい場所が多かったように思います。

本当だったらもっとお見せしたいところがあったのですが、

ブログを始める以前の旅なので写真を撮っていないことが多く、

それが残念でなりません。。

しかし、今回ブログを書きながら館林旅の新情報をGETしたので、

その時はもっとおもしろい場所に出会えることを期待したいと思います。

写真もいっぱい撮ってきま~す。

 

 

 

 

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【もり陣】
所在地:群馬県館林市堀工町1560
アクセス:東武伊勢崎線茂林寺前駅」より徒歩10分
営業時間:11:00~17:00
定休日:火曜日
駐車場:有
(※2019年3月24日時点の情報です。)

なまずの天ぷら/林屋(群馬県邑楽郡板倉町) ~館林をめぐる旅 7/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣

 

林屋

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雷電神社を出ると、もう15時半を回っていたでしょうか、、、

だいぶ日が傾いてきました。

お昼も忘れて神社をめぐっていたので、さすがにお腹もペコペコです。

ここで一旦、おやつタイム!

 

雷電神社の門前に店を構える、川魚料理 林屋さんに立ち寄りました。

この日のおやつは・・・私の大好きな、なまずの天ぷらです!!

 

埼玉や群馬などの海なし県では、なまず料理は有名な郷土料理です。

しかし、普段は食べる機会が滅多にないので、見つけると私は大いに喜びます。

 

 

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ついさっきまで、なまずさんをナデナデしていたのに・・・

なまずさんが鬼に食われそう!」なんて言ってたのに・・・

実際に食したのは私自身でした。

鬼より恐ろしいのは、人間の食欲かもしれません。

 

昔この辺りは湿地や沼地が広がり、うなぎやなまずがよく捕れたとのこと。

雷電神社を参拝後なまず料理を食べることは、風習のようなものだそうです。

神聖な動物は食べてはならない国がありますが、日本はどうなんでしょう?

「有難いものは体内に取り入れる」といった考え方なのでしょうか?

 

 

なまずの天ぷら(値段は忘れました・・・)

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なまずの天ぷらです。

もちろん店内で定食などもいただけますが、

私たちはこの後うどんが待っていたので、天ぷらのみをテイクアウトしました。

 

「S氏~♪なまず食べましょ~♪」とルンルン気分でS氏のもとへ。

ところが・・・

「俺、なまず飼ってるから食べられない!」とまさかの拒否られるという・・(泣)

揚げたてできたてのなまず天ぷらでしたが、

ペットとして飼っている人の前で食べるのはいかがなものかと思い、

結局、家で2枚食べました。。。

私も以前、ウーパールーパーを飼っていたので気持ちはよくわかります。

ニュースで繁殖しすぎたウーパーが唐揚げになっているのを観た時は、

絶叫物でした。

 

なまず天ぷらは時間が経っていたのでちょっと脂っぽくなってしまいましたが、

安定のふわふわ感は残っていたのでおいしくいただけました。

淡白な味なので、お塩がよく合い最高です!!

 

 

 

 

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【林家】
所在地:群馬県邑楽郡板倉町板倉2337
アクセス:東武日光線「板倉東洋大学前駅」よりバス「旧役場入口」下車徒歩13分
営業時間:9:00~18:00
定休日:不定
駐車場:有
(※2019年3月24日時点の情報です。)

雷電神社・伊奈良神社(群馬県邑楽郡板倉町) ~館林をめぐる旅 6/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣

 

雷電神社

 鳥居

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館林市からちょっとはみ出て、お隣の邑楽町まで移動しました。

4社目は、雷電神社です。

関東一円、利根川流域に点在する雷電神社の総本社となります。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
火雷大神(ほのいかづちのおおかみ)
大雷大神(おおいかづちのおおかみ)
別雷大神(わけいかづちのおおかみ)

【御由緒】
当神社の歴史は古く、1400年をさかのぼります。主な御祭神は、火雷大神・大雷大神・別雷大神です。また、併せて、学問の神、菅原道真公がお祀りされております。推古天皇の御代、聖徳太子が天の神の声を聴いて、伊奈良の沼に浮かぶ小島に祠を設け、天の神をお祀りしたのが最初とされています。
(出典:雷電神社HP

雷電神社は、「地震・雷・火事除け」の神様として知られています。

関東でも特に、群馬・茨城・栃木の北関東は、雷が多発する地域。

夏場にテレビを見ていると、雷雨注意報のテロップを毎日のように目にします。

 

雷は山などの地形によって発生するものですが、

昔の人々は「神様が鳴らしている音」と考えていたようで、

雷雨の影響で川が氾濫したこともあり、利根川付近に多く鎮座しているそうです。

 

最近では、電気関係の仕事をされている方の参拝も多いのだとか。

 

 

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拝殿の屋根には、三つ葉葵の紋。

これは、館林城徳川綱吉の命で行われた大改修後に使用が許可されたものです。

綱吉は雷が大の苦手だったそうなので、

雷電様への信仰心も篤かったのではないでしょうか。

 

 

 本殿

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本殿には豪華な彫刻が施されていました。

これは、左甚五郎から10代目の親方、石原常八のもの。

 

 

 奥宮

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本殿の裏手には、奥宮。

伊邪那美大神がお祀りされています。

 

 

 八幡宮・稲荷神社

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奥宮に並んで、八幡宮稲荷神社。

室町時代に造営されたこの社殿は群馬県最古の神社建築と言われ、

国の重要文化財に指定されています。

社殿には2つの扉があり、八幡大神稲荷大神が祀られています。

 

 

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2組の扉の真ん中に1本の柱が立つこの造りは「二間社造り」と呼ばれ、

重要文化財クラスでは全国に7カ所しかない珍しい造りだそうです。

 

 

 その他境内社

雷電神社のHPを見てみると、他にも神馬社や弁天社・雷電沼などがあるようです。

が、写真もなければ記憶にもありません。。。

多分、隅々まで回っていなかったのだと思います・・・残念。

 

 

 福禄寿像

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館林七福神巡りのひとつ、福禄寿。

 

 

 水かけ童子

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優しく微笑む、水かけ童子

 

 

 雷童子

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童子

サブゥー(プロレスラー)さながらのポーズがかわいいです。

ふ、と現れて助けてくれるそうです。

 

 

別棟へ

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神社の裏手から外に出て、別棟の社務所へ向かいます。

 

 

 弁天像

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社務所までの道には、大きな弁天様のお姿。

足元にはヘビの置物が奉納されています。

 

 

 手形

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弁天様の隣には、赤い手形のついた岩。

「なにこれ!怖い!!!」

案内板がなかったため、謎の手形にただただ恐怖だったことを覚えています。

「手を合わせてみろよ!」

と、S氏に手を引っ張られた記憶も蘇りました(怒)

 

後々調べてわかったのですが、この手形は『雷電為衛門』という力士のものでした。

1700年後半~1800年前半に活躍した長野県出身の力士で、

「大相撲史上未曽有の最強力士」と言われているそうです。

 

 

 社務所

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道を渡り社務所へ。

 

 

 なまずさん

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社務所の奥には、『なまずさん』がいます。

鬼(雷様?)に囲まれ、食われる寸前のように見えるのですが・・・(汗)

 

 

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なまずさんを撫でると地震を避け自信が湧いてくる」と言われています。

たくさんの人に撫でられたのでしょう。

特に頭がテッカテカに輝いていました。

ちなみに、なまずさんを撫でる用のハンカチも販売されています。

 

そんなご利益を授けてくださるなまずさんですから、

鬼たちは食べようとしているのではなく、見守っているのかもしれませんね。

(食べる設定はまずないか・・・笑)

 

 

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側には、なまずさんに乗った鬼がいました。

食べられそうになったり、見守られたり、乗られたり、、、と、

鬼となまずさんの力関係が気になるところです。

 

 

御朱印

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境内に戻り、御朱印をいただきました。

御朱印は、拝殿横の社務所でいただけます。

四角い枠に収まる雷電神社の字面がかっこよくて好きです。

 

 

伊奈良神社

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なまずさんがいた社務所の隣にも神社があったので覗いてみました。

伊奈良神社です。

 

 

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境内に案内板等なく情報がまったく見つからなかったため、

御祭神や創建年数は不明です。

雷電神社に「伊奈良の沼」と出てくるので、

社名は地名、御祭神もこの地にゆかりのある神様なのでしょう。

 

* * *

ここまで順調に御朱印が集まっています。

「1社ももらえなかったよ~」と嘆いていたS氏ですが、、、

たまたま宮司さんが不在だったのか、定休日が重なっているのか・・・

仏滅は社務所が閉まっている神社もありますね。

とにかく、その日はS氏にとってよほど御朱印とのご縁が薄い日だったのでしょう。

「神様がまた来てほしくて御朱印を渡さなかったんですよ!」

と励ましておきましたけどね。

私も御朱印をいただけず帰ることが多々あるので(もらい忘れることも・・)、

そういう時はこう思うようにしています。

 

 

 

 

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雷電神社
所在地:群馬県邑楽郡板倉町板倉2334
アクセス:東武日光線「板倉東洋大学前駅」よりバス「旧役場入口」下車徒歩13分
御朱印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:有
公式サイト:http://www.raiden.or.jp/(※音注意!雷の音が鳴ります。)

【伊奈良神社】
所在地:群馬県邑楽郡板倉町板倉3415
アクセス:同上
御朱印:無
駐車場:雷電神社と一緒に参拝されると良いかと思います。
(※2019年3月24日時点の情報です。)

尾曳稲荷神社(群馬県館林市) ~館林をめぐる旅 5/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣 

 

尾曳稲荷神社

 鳥居

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3社目は、尾曳稲荷神社です。

この地にはかつて館林城(別名:尾曳城)があり、

尾曳稲荷神社はその守護神として創建されました。

林城の鬼門に位置しているそうです。

 

 

 参道

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参道には、朱の鳥居が並びます。

千本鳥居と言うには本数が少なく感じますが、

それでも何本もの鳥居を連続でくぐるのは不思議な気分になります。

異世界に繋がってる感が否めません。

 

 

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まったくの余談ですが、駐車場から境内は謎のトンネルから出入りしました。

 

 

 狛犬・狛狐

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拝殿前には、狛犬と狛狐。

いい2ショットです。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
倉稲魂命(うかのみたまのみこと)

【御由緒】
第5代後奈良天皇の御代第12代足利義晴義晴将軍の時天文元年(昭和51年から445年前)城主赤井照光の創祀にかかる。
大袋城主の赤井山城守照光は享禄元年正月舞木城主の許へ年賀の途中子供が狐児を捕え殺そうとしているのを救ってやった処その夜更一老翁が顕れて、子供の助かった例をのべ照光の居城大袋よりも館林が要害堅固の土地であると説き明晩御案内申し上げようといいおわって姿を消した。翌晩果たして老狐が顕れ尾を曳て先導し字侍辺に始まり字加加法師に来て夜が明けた別れに臨み、もし築城完成の暁は永く当城の守護神に仕えよう私は稲荷の神使新左衛門であると言い終り形を没した。照光はこれに依って築城しその名も尾曳城と号し城中に稲荷郭郭の一部を設け社殿を造営し尾曳稲荷神社を奉祀した。
(出典:境内案内板)

こちらの神社には館林城築城に深く拘る伝説が残されています。

その名も『尾曳伝説』

 

「大袋城主赤井照光が捕らえられそうになっている狐を助けたところ、

照光の前に稲荷の神使であると言う狐が現れた。

その狐は照光に城を建てるよう、尾を曳きながらその位置や配置を指南した。

「本丸が見える位置に祀れば城を守ろう」と約束すると、狐は姿を消してしまう。

お告げの通りに大袋城の沼を挟んだ対岸に尾曳城を築城し稲荷神社を祀ったところ、

敵の来襲から2度も救ってくれたという。」

 

拝殿回りだったと思いますが、この伝説を描いた絵が飾られていました。

 

 

 拝殿

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境内でひとりのおばあちゃんに話しかけられました。

参拝客かと思い挨拶したところ、

「●十年前にここに嫁いできたんだよ。」と、神社の方でした。

そのおばちゃんは、神社や館林城について説明してくださいました。

お殿様にお使いしていた方が宮司を務めたのを始まりに、

代々この神社をお守りしているとのこと。

現在は息子さんが継いでいるのだそうです。

 

「この鉢も見てってね。」

この手水鉢は徳川綱吉が城主だった頃に行われた城郭の改修工事の際に、

その工事に従事した石工職人から奉納された物だそうです。

徳川綱吉が城主だった時期は1661年~1680年)

 

 

 花の弁財天

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境内社には、弁天様が祀られていました。

花の弁財天・・・とは?

「花の」に関して特に説明がなかったのですが、

『つつじの館林七福神めぐり』のひとつとのことで、

「花の」と付けられているのかもしれません。

館林はつつじが有名です。

 

ちなみにこのぶら旅コース内では、

 と4カ所も含まれていました。

  

 

御朱印

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最後に御朱印をいただきました。

書置きタイプです。

男性の神職さんが応対してくださったのですが、

「この人が息子さんかしら?」

と余計なことで頭がいっぱいだったことを思い出します。。

 

* * *

 

公式サイトを見ながらこの記事を書いている最中、

尾曳稲荷神社には他にも伝説に纏わる関連神社があることを知りました。

  • 伝説の狐が尾を曳き始めた場所、初曳稲荷神社。
  • 尾を曳き終えた場所、夜明稲荷神社。

「うわ~!こういうの大好きすぎる!!」

最近、伝説系にハマっている私です。

ということで、近々行ってみようとゴソゴソ調べ始めました。

(館林は暑いので実際に行くのは秋以降になると思いますが・・・)

この日は時間の都合上、館林城を見ず次の目的地へ向かってしまったので、

林城とそれにゆかりのある寺社をテーマにめぐってみたいと考えています。

 

 

 

 

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【尾曳稲荷神社】
所在地:群馬県館林市尾曳町10-1
アクセス:東武鉄道館林駅」よりバス「こども科学館前」下車徒歩5分
御朱印:有
駐車場:有
公式サイト:http://www.cc9.ne.jp/~obikiinari/index.html
(※2019年3月24日時点の情報です。)

長良神社(群馬県館林市) ~館林をめぐる旅 4/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣

 

長良神社

2社目は、長良神社です。

この辺りは長良神社が数多く点在しており、

長良神社に着いては「ここじゃないな・・どこの長良神社だったっけ・・」と、

S氏が迷っていました。

結構な時間、車でぐるぐる回っていた記憶です。笑

S氏が目的としていた長良神社は、館林総鎮守の神社でした。

神社の裏手から入ってしまったようで、鳥居などの写真がありません。。。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
藤原長良公(ふじわらのながら/ながよしこう)

【合祀】
蛭児命、大国主命豊受姫命金山比古神、伊弉諾命、伊弉册命、猿田彦神鹿屋野比売神、倭建命、句々逎馳神、長乳歯神、素盞嗚命、大山衹神、倉稲魂命、木花咲夜咲夜姫命、菅原道真公、大日霎命

【御由緒】
祭神藤原長良公は贈太政政大臣正一位藤原冬嗣公の長子で、権中納言兼左衛門督に任ぜられ、東国平治のため下向常に民衆を憐れみ、病を癒し、貧を救い、仁恵を施した。
任満ちて帰京の後、斉衡3年7月3日(856年)御年55才で薨去す。
後元慶元年(877年)左大臣正一位正一位、重ねて同3年(879年)太政大臣を贈られた。死後貞観観11年3月18日(869年)大和国春日大社末社に列せられた。時に上野の住人赤井良遠なる者が長良公の余徳を慕い、本国に勧請せんと奏聞し、勅許を得て佐貫莊長柄郷瀬戸井村上の森に社殿を造営した。以後佐貫の人民をはじめ郡内の人民の信仰深く、分社するものが多く赤井山城守照光照光館林城主となるや、天福寺境内に社殿を造営して当地に勧請する。爾来領主代々氏子の崇敬厚く、社殿を修復し、境内の整備につとめ、社地の寄進等あり祭事の興隆に努力せられた。
享保5子年(1720年)正一位長良大明神の宣旨を賜り、明治6年1月郷社に列し長良神社と改称する。最近祭神長良公の余徳を慕い氏子をはじめ遠近より参拝するものも多く、館林市惣鎮守として社頭殷賑を極めている。

【御神徳】
祭神長良公が東国平治のため当国一帯の善政を施し、民衆を救済し、国土開拓の大業をなし遂げられた偉業を崇め奉り、国土開発の神、国土家内安全の神、五穀豊穣の神、無業息災延命長寿の神などと崇められ、また合祀の17柱の神はそれぞれ、医薬の神、厄難除の神として多くの人々から深く信仰されている。
(出典:境内案内板)

 

国主としてこの地を治めていた藤原長良公をお祀りしているとのことで。

藤原長良とは?」と思い調べていたところ、とんでもない事実が!?

なんと、藤原長良上野国の国主を務めたという記録がないのだとか・・・。

となると、由緒にもある上野の住人が個人的に慕い、お祀りしたのでしょうか?

 

 

 織姫神社

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境内社織姫神社

 

 

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織姫神社狛犬には『さわらないで!のぼらないで!』と札がかかっていました。

そうとう古いものなのでしょう。

見た感じ捕らわれたかのような雰囲気で、ちょっとかわいそうな狛犬でした。

 

 

御朱印

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御朱印です。

子神社御朱印も、こちらでいただけます。

 

* * *

 

長良神社のインスタがあったので覗いてみたところ、

現在は月ごとに限定御朱印があるようです。

季節のイラストが描かれたカラフルな御朱印でした。

夏は花手水も行われており、週替わりでいろいろなお花が楽しめるようです。

私が忘れているだけなのか・・・

参拝当時はとてもシンプルな神社という印象だったのですが、

女の子が好むようなとてもかわいらしい雰囲気が窺えました。

また、再訪してみたいですね。

宮司さんに、藤原長良の謎も聞いてみたいです。

 

 

 

 

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長良神社】
所在地:群馬県館林市代官町11-38
アクセス:東武鉄道館林駅」より徒歩14分
御朱印:有
駐車場:有
(※2019年3月24日時点の情報です。)

子神社(群馬県館林市) ~館林をめぐる旅 3/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣

 

御朱印を求めて

ここからは、2019年3月に行った館林めぐりのお話になります。

この日は、趣味友達のS氏と一緒にめぐりました。

S氏はその少し前に茂林寺へ参拝に行ったらしいのですが、

他の神社を回っていて時間が間に合わず御朱印がもらえなかったうえに、

他の神社でも社務所が閉まっているなどが重なり、収穫0だったそうです。

「1枚ももらえないとか、そんなことあるんすかwww」

 

そういったわけでリトライしたいと、館林めぐりのお誘いをいただきました。

私も館林は茂林寺しか行ったことがなかったので、もちOK!

S氏と共に、館林の御朱印集めの旅に出ました。

今回のコースは、S氏がみごとに惨敗した寺社たちを再訪しています。

 

 

子神社

鳥居

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1社目は、子神社。

「子ノ権現様」と親しまれ、足腰の神様として有名です。

無人の神社ですが、境内はきれいに管理され、松の木も美しく整えられていました。

お祭りの日には屋台が並び、多くの人で賑わうそうです。

 

 

 拝殿

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【御祭神】
大己貴命(おおなむちのみこと)

【御由緒】
創建不詳。子神社は明治初年神仏分後の名称で一般には「子ノ権現様」の名で知られている。現在の社殿は明治2年(1869年)に改築されたもの。伝説に依れば御祭神大己貴命は非常に旅好きの神様でそして大変な健脚の持ち主で鉄の草鞋をはいて旅をしたと言い伝えられております。
それにあやかってか何百年も前から鍛冶屋で草鞋作り又手作りの草鞋にて祈願を致しております。大祭日には氏子を始め遠近の崇敬者諸々の信仰厚く門前境内は参拝者にて列をなします。花火奉納神楽余興等行われ数多くの露店も並び祭に華を添えております。
足腰の神様として近郷近在にない御利益のある神様で関東各地より参拝祈願される者多く又大願成就御礼の額に納め奉納されております。
(出典:境内案内板)

 

 

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由緒によると創建年代は不詳とのことでしたが、

社殿前にあった狛犬は顔が崩れかなり古そうな雰囲気です。

「〇〇って書いてある」とS氏。

〇〇の部分は元号なのですが、どの時代だったかは忘れてしまいました・・・。

その場で調べたら、明治の数個前だった気がします。

(だいぶ前の旅なので、その話がこの狛犬だったかも疑わしいですが、、汗)

 

 

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『子=ねずみ』は、御祭神のお使いです。

彫刻や瓦には、ねずみが施されていました。

彫刻を見るとねずみが米俵を突いていますね・・・食べられちゃいますよ。笑

 

 

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御祭神が鉄の草鞋を履いて旅をしていたということから、

鉄の草鞋が奉納されていました。

見るからに重そうな草鞋です。

 

 

 絵馬

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絵馬も草鞋型。

ステンレスでできているそうです。

境内の数カ所に絵馬掛けがあり、それぞれいっぱいに草鞋絵馬が下がっていたので、

それだけの多くの人が参拝に訪れていることがわかります。

それにしても、ステンレス製の絵馬とは、初めて見ました。

絵馬が風に揺れて、眩しいほどギラギラしていました。

 

 

www.mi-cha34.com

最近、変わった形の絵馬を見ることが多くなりました。

子神社の草履に近い形だと、気象神社の絵馬が似ています。

気象神社では「明日天気にな~れ」の下駄型をしていました。

 

 

御朱印

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最後に御朱印です。

子神社は社務所はなく無人神社です。

御朱印は、長良神社でいただくことができます。

 

まずは、1つ目無事GETです☆

 

 

 

 

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【子神社】
所在地:群馬県館林市赤生田町2215
アクセス:東武鉄道館林駅」よりバス「上志柄集会所前」「赤羽公民館前」下車徒歩5分
御朱印:有(長良神社)
駐車場:有
(※2019年3月24日時点の情報です。)

分福茶釜の冷やし肉みぞれ釜玉うどん/花山うどん(群馬県館林市) ~館林をめぐる旅 2/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣

 

館林駅

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茂林寺の参拝を終え、用事がある館林駅へ移動しました。

もちろん、館林駅にもたくさんの狸がいます。

館林駅でお出迎えしてくれたのは、館林市のマスコットキャラクター『ぽんちゃん』

館林駅周辺は商業施設が多いので、狸の像を飾っているお店や会社が多いです。

 

 

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狸に並んで、ジャイアンツの石碑もありました。

分福球場とは茂林寺前駅近くにあった球場で、

ジャイアンツのキャンプに利用されたことがあったそうです。

(野球・・まったくわかりません。)

 

 

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歩道に並んだ花壇は、茶釜型のプランターでした。

細かなところにも、童話の演出が施されています。 

 

 

花山うどん

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館林駅から徒歩1分。

用事を片付ける前の腹ごしらえに、花山うどんに行きました。

 

館林はうどんが有名で、群馬三大うどんのひとつに数えられています。

(他、渋川・桐生)

館林市内のうどん屋さんを何店か回ったことがありましたが、

個人的には花山うどんが大のお気に入りです。

 

 

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花山うどんは行列ができる人気店。

なので開店10分前には着くようにしていたのですが、、、

既に手前に写るうどん直売店まで行列ができていました。

1人だったので辛うじて一陣で入店できましたけどね。

店から出た後もこの行列(写真)。

かなり暑い日だったので、待つのも一苦労なことでしょう・・。

しかし、それでも並んで食べたいのが花山うどん

行列ができるほどの人気には、

味はもちろん、『かわいらしさ』にもあるのではないでしょうか。

はて、かわいいうどん・・・とは?

 

 

 分福茶釜の冷やし肉みぞれ釜玉うどん(1100円)

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暑かったので、冷たいうどんを注文しました。

分福茶釜の冷やし肉みぞれ釜玉うどんです。

 

 

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まず目を引くのは、主役のうどんよりも何よりも、この器。

なんと、狸の器が使われているのです。

かわいいですね~。

この器には女の子バージョンもあり、メニューによって使い分けされています。

以前食べた時は女の子の器だったのですが・・・写真が見つかりませんでした。

壺のような蓋付丼で、ふっくらとした姿が女の子らしくてかわいい器です。

 

 

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うどんはこんな感じ~。

ここに別皿のあげだまを加えて、つゆを垂らしていきます。

 

 

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「つゆは少しずつかけてね~!!」

という、たぬきからのメッセージカード付き。

たぬきの言う通り、

少しずつつゆをかけながら卵をくずしてよ~く混ぜて・・・

 

 

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完成!!!!

つゆは徳利の半分くらい使いましたかね、結構な甘口で上品なお味です。

卵がよく絡んだうどんはトゥルットゥルで、

暑い中歩いてバテバテだった体でもどんどん入って行きました。

最後はレンゲをお願いして、最後の一滴まで。

ブログを書きながら「また食べたい!!」という衝動に襲われています。

 

* * *

 

花山うどん本店メニュー

花山うどんのメニューはこちらから↑↑↑

幅広麺の『鬼ひも川うどん』は、数々のコンテストで賞を取っているそうです。

銀座にも店舗があるので、東京近辺の方は是非食べてみてください。

 

 

旅の終わりに・・・

【ぶら旅メモ】
交通費:1331円
参拝費:620円
飲食代:1380円
合計:3331円
歩数:7142歩

用事の前に、ちょこっと旅をしてみました。

いつもに比べるとコンパクトな旅ではありましたが、

お寺もうどん屋さんも私の大好きな場所だったので大満足でした。

ただ、、、暑かった。

「日本で一番暑いところによく来たね!」なんて、

茂林寺のおみやげ屋さんにも言われました、、、ほんとそれ!!

暑さが苦手なので、それだけは本当にしんどかったです。

正直、後の用事はブッチしたかったです・・・笑

 

今回の旅はこれで終わりますが、

今から2~3年前に館林の神社をめぐったことがありました。

せっかく館林の話になったので、そのお話も一緒に書いて行こうと思います。

 

 

 

 

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花山うどん本店】
所在地:群馬県館林市本町2-3-48
アクセス:東武伊勢崎線館林駅」より徒歩1分
営業時間:11:00~15:00
定休日:日曜日
駐車場:有
公式サイト:https://www.hanayamaudon.co.jp/
(※2021年7月24日時点の情報です。)

茂林寺(群馬県館林市) ~館林をめぐる旅 1/8~

【2021/07/24 ぶら旅コース】
茂林寺花山うどん

【2019/03/24 ぶら旅コース】
子神社長良神社尾曳稲荷神社雷電神社・伊奈良神社林屋茂林寺もり陣
【コースMAP:子神社~もり陣

 

館林めぐり

所用で群馬県館林市に行ってきました。

予定は午後からでしたが、ちょっと早めの午前9時に現地入り。

館林には私の好きなお寺があるので、

用事の前に、お寺の参拝と館林うどんを堪能しました。

 

 

『ぶんぶく茶釜』狸の町

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予定がある館林駅へ行く前に、ひとつ手前の茂林寺前駅で下車しました。

駅名でお気づきになるかと思いますが、茂林寺というお寺を参拝します。

茂林寺は、童話『ぶんぶく茶釜』の由来となったお寺。

そのため町のあちこちで狸の像を目にします。

 

 

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さっそく駅前で、狸の親子(?)に会いました。

これから、家族でお出かけかな?

 

 

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こんな看板もあったので、本物の狸に会うこともあるみたいですね。

 

 

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駅から茂林寺までは徒歩10分の道のり。

その道沿いには、ぶんぶく茶釜のストーリーが書かれた看板が並んでおり、

1~13のお話を読み進めていくと茂林寺にたどり着くことができます。 

 

 

<ぶんぶく茶釜(童話Ver.)>
昔々、上野国館林に、茂林寺というお寺がありました。
ある日、茂林寺の和尚さんは村の道具屋で茶釜を買いました。
和尚さんが、千人法会の日に茶釜を使用したところ、どんなにお茶を入れても、茶釜のお湯は少しも減りませんでした。
その夜、和尚さんが眠っていると、茶釜が置いてある部屋から物音がしました。覗いてみると、なんと茶釜が狸に化けているではありませんか。和尚さんが、みんなを呼びに行って部屋に戻ると、茶釜はもとの茶釜に戻っていました。
次の日、和尚さんは道具屋さんを呼んで、気味が悪いからこの茶釜を壊してしまおうかと話していると、狸は話を聞いて、慌てて頭を出し、手足を出して飛び上がりました。狸は、驚かすつもりはなく、恩返しがしたかっただけだと、和尚さんに謝りました。
和尚さんは怒ることもなく、村のみんなにもこの狸の茶釜を見せてやりたいと言いました。
お寺に演芸場を作り、狸の茶釜が踊りながら綱の上で宙返り。お客さんは大喜び。毎日毎日、たくさんのお客さんが来ました。
狸の茶釜のおかげで入ったたくさんのお金で、和尚さんは、村のために橋を作ったり、堤防を作ったりしました。
そして、和尚さんは「みんなに福が分けられた」と、この狸を『分福茶釜』と名付けました。
昔々の物語。今では、この茶釜は茂林寺で静かに眠っています。
(出典:茂林寺パンフレット)
分福茶釜茂林寺Ver.)>
寺伝によると、開山大林正通に従って、伊香保から館林に来た守鶴は、代々の住職に仕えました。
元亀元年(1570年)、七世月舟正初の代に茂林寺で千人法会が催された際、大勢の来客を賄う湯釜が必要になりました。その時、守鶴は一夜のうちに、どこからか一つの茶釜を持ってきて、茶堂に備えました。ところが、この茶釜は不思議なことにいくら湯を汲んでも尽きることがありませんでした。守鶴は、自らこの茶釜を、福を分ける与える「紫金銅分福茶釜」と名付け、この茶釜の湯で喉を潤す者は、開運出世・寿命長久等、八つの功徳に授かると言いました。
その後、守鶴は十世天南正青の代に、熟睡していて手足に毛が生え、尾が付いた狢(狸の説もある)の正体を現してしまいます。これ以上、寺にはいられないと悟った守鶴は、名残を惜しみ、人々に源平屋島の合戦と釈迦の説法の二場面を再現して見せます。
人々が感涙にむせぶ中、守鶴は狢の姿となり、飛び去りました。時は天正15年(1587年)2月28日。守鶴が開山大林正通と小庵を結んでから161年の月日が経っていました。
後にこの寺伝は、明治・大正期の作家、巌谷小波氏によってお伽噺「文福茶釜」として出版され、茶釜から顔や手足を出して綱渡りする狸の姿が、広く世に知られる事になりました。
(出典:茂林寺HP

童話のぶんぶく茶釜は、茂林寺に残る伝説を基に作られています。

童話では茶釜に化けた狸が描かれていますが、

もともとは狸の化身だった老僧が持ち込んだ不思議な茶釜のお話だったようです。

こうして読み比べてみると、子ども向けのアレンジが素晴らしいですね。

 

 

茂林寺

 寺標

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お話を読んでいるうちに、あっという間に茂林寺に到着しました。

 

 

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参道には、おみやげ屋さんが並びます。

(閉業しているお店がほとんど??)

開店準備をしていた店員さんが、

「おはようございま~す」

「暑い中、ご苦労様」

などと声をかけてくれました。

ここのおみやげ屋さんは、とてもフレンドリーな方が多いです。

 

 

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妖艶な看板娘もお出迎えしてくれました。

 

 

 総門

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総門から境内に入ります。

この門をくぐると、童話の世界へ入りこんでしまったような、、、?

ちょっとユニークな景色を目にすることになります。

 

 

 参道・山門

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総門から山門までの参道。

参道の両脇に何やら立っていますね・・・

 

 

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たぬき!タヌキ!!狸です!!!

この参道には20体以上の狸が整列して、参拝客を歓迎してくれます。

狸たちに挟まれて歩く参道は、

まるでファッションショーのランウェイを歩いているかのよう。

 

 

 参道狸コレクション

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参道に並ぶ狸たちをちょこっとご紹介。

「コロナに負けるな」

感染予防バッチリ狸。

 

 

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お数珠を持った和尚狸。

 

 

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木魚はまかせろ狸。

 

 

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酒飲み狸。

 

 

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枝をくわえたワイルド狸。

 

 

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おちゃめな分福茶釜狸。

私はこの茶釜タイプが好きですね~かわいいです♪

 

この日の狸たちは普通の姿をしていましたが、

季節や行事によって素敵に着飾った狸たちを見ることができます。

以前訪れた時は、お相撲さんの浴衣を着ていたことがありました。 

 

 

 巨大狸

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山門の近くには、巨大なボス狸が待ち構えています。

単体の写真ではわかり難いと思いますが、、、

 

 

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お隣の狸(参道の狸より少し小さめ)と比べるとこの通りです。

 

ふと気づいたのですが、茂林寺の狸はみんな上を向いていますね、、なぜだろう?

上を向いて歩こう!」的な意味合いでもあるのでしょうか?

 

 

 本堂・宝物殿

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【御本尊】
釈迦牟尼仏(しゃかむにぶつ)

【宗派】
曹洞宗

【御由緒】
曹洞宗名刹、青龍山茂林寺は、その開山を大林正通としています。正通は美濃国土岐氏の出目で、龍泰寺開山華叟正蕚の法嗣でした。寺伝によると、正通は諸国行脚の折、上野国に立ち寄り、伊香保山麓で守鶴と出会います。この守鶴は、のちに茂林寺分福茶釜を持ち込んだ老僧です。
応永33年、正通は守鶴を伴い、館林の地に来往し、小庵を結びます。応仁2年、青柳城主赤井正光は、正通に深く帰依し、自領地の内8万坪を寄進し、小庵を改めて堂宇を建立し、青龍山茂林寺と号しました。正光は、自ら当山の開基大檀那となり、伽藍の維持に務めました。大永2年には、後柏原天皇から勅願寺の綸旨を賜ります。寛永19年(1642年)には、三代将軍徳川家光より23石4斗余の朱印を下賜されております。
(出典:茂林寺パンフレット)

御本尊様へのお参りを済ませた後、本堂の中にある宝物館を見学しました。

宝物館では、実物の分福茶釜を見ることができます。

(写真撮影禁止)

実際に分福茶釜を見てみると・・・

童話の印象が強かったので小さな茶釜を想像していたのですが、

いやいや、人が持つのもやっとでは?それほど大きくズッシリとした茶釜でした。

狸だったら釜の中に2匹は入れるかもしれません。

他にも様々なファッションや仕草をした狸像、狸のはく製、資料などなど、

とにかく狸が楽しめます。

参拝に行かれた際は、宝物館も覗いてみるのもおすすめです!

 

 

 守鶴堂

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本堂の近くには、茶釜を持ち込んだ守鶴和尚をお祀りするお堂があります。

 

 

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お堂の前には狛狸。

 

 

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お堂の周りにもたくさんの狸が、、、みんないい笑顔ですね。

 

 石碑

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境内の隅には、童話の一部が刻まれた石碑もありました。 

 

 

境内の樹々

狸ばかりに目が行ってしまいますが、、、

緑に囲まれた境内では、花や樹々などもゆっくり眺めたいものです。

 

 

 しだれ桜

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本堂の前には、立派なしだれ桜。

 

 

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本堂が隠れてしまうほど、葉が茂っています。

緑の時期もきれいで大好きなのですが、本堂の撮影には手こずりました・・・。

 

 

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しかし、花の季節になると、こんなにも美しい。

これは3月の、まだ肌寒い時期です。

 

 

 ラカンマキ

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群馬県の天然記念物、ラカンマキ。

高さ5m程度が一般的なものに対し、茂林寺ラカンマキは14mもあります。

茂林寺開基の際に植えられ、樹齢580年以上。

葉先が尖っていることから、魔除けとして植えられたそうです。

花の見頃は、5月~6月とのこと。

 

 

 藤

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藤棚もありました。

 

今回は時期的に花を見ることができませんでしたが、

元気に茂る緑もとてもさわやかできれいでした。

 

 

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おっ!

草むらの中にも狸発見!!

 

 

御朱印

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御朱印は2種類です。

こちらは、御本尊様のお名前が書かれたもの。

(現在は書置きのみのようです。)

 

 

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こちらは『分福』と書かれています。

福の字が狸のお腹のようなデザインでかわいらしいです。

 

 

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そして、もう一枚。

御朱印ではありませんが、御朱印と一緒に袋に入っていました。

アマビエ狸~!

コロナが終息するまでの期間限定でしょうか???

このかわいらしさに思わず笑ってしまいました、、笑って免疫力UPですね ↑

 

 

茂林寺公園

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茂林寺に隣接する、茂林寺公園。

沼や湿原が広がり、散策することができます。

 

 

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茂林寺に訪れるたびに歩いてみよう思うのですが、未だ未散策。。

今回も入口付近から茂林寺沼を眺めて終わりました。

とてつもなく暑かったので・・・。

もしかすると、茂林寺沼でアマビエ狸に会えたかもしれませんね。

 

 

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茂林寺の参拝を終え、駅へ戻ります。

茂林寺のすぐ近くで、ぶんぶく茶釜のマンホールを見つけました!

何度か来ているのに、初めて気づいた~。

このマンホールも、是非、探してみてください。 

 

 

 

 

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【青龍山 茂林寺
所在地:群馬県館林市堀工町1570
アクセス:東武伊勢崎線茂林寺前駅」より徒歩10分
拝観時間:9:00~16:00
定休日:木曜日不定
宝物館拝観料:300円(一般)、150円(子ども)
御朱印:有
駐車場:有
公式サイト:http://www7.plala.or.jp/morin/index.html
(※2021年7月24日時点の情報です。)

へぎそば/赤城高原SA(上り)(群馬県昭和村) ~群馬の珍スポと城をめぐる旅 4/4~

【2020/08/14 ぶら旅コース】
恐怖の洞窟名胡桃城址沼田公園赤城高原SA(上り)

赤城高原SA(上り)

埼玉へ帰る前に、ちょっと早めの夕食です。

高速に入ってすぐ、赤城高原SAに寄りました。

行きに同SA(下り)に寄った際、群馬名物『水沢うどん』を見つけました。

水沢うどんは、日本三大うどんとも言われています。

一度は「食べた~い!」と盛り上がったのですが、

その時は食事をするタイミングではなく、

「帰りに上りに寄って食べよう!」ということで上りにも寄りました。

ところが、、、上りには水沢うどんがありませんでした~!!!!!

 

こういうことよくあるんですよね・・・

あとで買おうと思ってたら売り切れていたり、なかったり、手に入らない。

「見つけた時が買い時!」なんですよ。本当に。。

 

 

へぎそば(850円)

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しかたがないので、へぎそばを食べました。

へぎそばは聞いたことはあっても、食べるのはお初かもしれません。

新潟のお蕎麦なんですね。

「片木(へぎ)」と呼ばれる器にのせることから「へぎ蕎麦」と言うそうです。

 

 

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このお蕎麦、食感がおもしろい?

へぎそばの特徴なのか、茹で加減なのか・・・

「コリコリ?」「ポリポリ?」

なんと表現していいのかわかりませんが、とにかく弾力強めでした。

 あとで調べてみると、へぎ蕎麦はつなぎに布海苔という海藻を使っているそうです。

変わった食感は、この海藻が関係しているのかもしれませんね。

食感を楽しんでいるうちに、あっという間に完食してしまいました。

 

この日は暑くて汗だくになったので、冷たいお蕎麦がおいしかったです。

水沢うどんは残念でしたが、おもしろいお蕎麦に出会えたのはよかったですね。

というか、食べ始めた瞬間に水沢うどんのことは忘れてましたけどね。笑

 次こそは水沢うどんを食べたいと思います!!

 

 

旅の終わりに・・・

【ぶら旅メモ】
交通費:?円
飲食代:850円
登城費:600円
その他観光:400円
おみやげ代:2000円
合計:3850円
歩数:4941歩(意外と歩いていない・・)

ずっと行きたかった、恐怖の洞窟。

15年間「行きたい!」と思い続けていたので、

その想いがやっと晴らせて嬉しかったです!

友達を誘っても行きたがる人はおらず・・・

そんな中「行こう!」と快く付き合ってくれたS氏には本当に感謝です。

自分から行きたいと言っておきながら、S氏を盾にしてごめんなさい。

おばけ屋敷が苦手なもので・・・。

 

恐怖の洞窟だけではさすがに申し訳ないですが、

たまたま近くにお城もあって、とても充実した旅になりました。

今回の名胡桃城・沼田城は、帰宅後、調べている時間も楽しかったですね。

登場人物も有名人ばかりだし、歴史を変える事件もあって、ワクワクでした。

もっと勉強が必要ですが、、、

これからもどんどん、少しずつでも学んで行きたいです!

 

 

 

 

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【赤城高原SA(上り)】
所在地:群馬県利根郡昭和村大字森下1650
営業時間:店舗によって異なる
紹介サイト:https://www.driveplaza.com/sapa/1800/1800101/1/
(※2020年8月14日付けの情報です。)

沼田城址/沼田公園(群馬県沼田市) ~群馬の珍スポと城をめぐる旅 3/4~

【2020/08/14 ぶら旅コース】
恐怖の洞窟名胡桃城址沼田公園赤城高原SA(上り)

 沼田城

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みなかみ町から沼田市へ移り、沼田公園へ。

真田氏と北条氏が取り合っていた、沼田城にも行ってみることにしました。

 

 

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沼田城は天文元年(1532年)頃、沼田氏により築かれました。

北陸から関東への要衝の地であったことから、

上杉氏・北条氏・武田氏など戦国大名による、争奪戦が繰り広げられたと言います。

 

 

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秀吉の小田原攻めにより北条氏が滅亡すると、沼田領は真田昌幸に返還されます。

そこで昌幸は沼田城を嫡子の信幸(信之)に与え、自身は上田城へ移りました。

信幸は長い戦乱で疲弊していた沼田領内の復興につとめ、

年貢の減免、田畑の開拓、町割などを行い城下町の基盤造り、

そして、五層の天守閣や櫓、門などを建造し、城郭の整備も行いました。

 

 

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江戸時代、沼田城は廃城となり破却され、堀も埋められてしまったため、

建物などはほとんど残っていません。

現在は、本丸・捨曲輪と二の丸・三の丸跡の一部が沼田公園となっています。

桜やツツジなどの花が楽しめ、スポーツ施設も充実した公園です。

 

パンフレットに見所が紹介されていたので、そこを中心に歩いてみました。

 

 

鐘楼

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【園内地図:E】
鐘楼は、明治31年頃旧沼田町役場の裏手に建てられ、時を告げていましたが、昭和58年に公園に再建されました。
城鐘は2代藩主真田信吉が鋳造し、時を告げていましたが、現在はレプリカを用いており、実物(県重文)は沼田市歴史資料館(テラス沼田2階)に展示しています。
(出典:パンフレット)

 

 

 西櫓台 石垣・石段

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【園内地図:D】
御殿桜のある所が西櫓台跡です。そこには真田時代の石垣と石段を見ることができます。天和元年(1581年)真田氏5代藩主信利が改易とされ、その時城は破却となりました。その後再建されることはありませんでした。
(出典:パンフレット)

 石垣の上には沼田市のシンボル的存在、

「御殿桜」と呼ばれるエドヒガンザクラがあるそうなのですが、、、

まったく見ていませんでした。。。

 

 

 平八石(首さらし石)

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【園内地図:A】
沼田平八郎景義は、沼田氏12代顕泰と側室の間に生まれました。沼田氏内乱で越後(一説では会津)へ逃れた平八郎は流浪の末、東上州女渕で再起の機をうかがい、天正9年(1581年)、沼田氏再興の兵を起こし、再興を目前に伯父の金子美濃守などの手によって水の手曲輪の露と消えた。
平八郎の首をさらした石が今に残ります。
(出典:パンフレット)

 

 

 ビューポイント

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【園内地図:Aの先】
谷川岳武尊山、三峯山、戸神山などの山々を眺めることができます。
また、名胡桃城方面も見る事ができます。
(出典:パンフレット)

ここは見晴台のようですが、木が伸びすぎて何も見えませんでした・・・。

沼田城は段丘上の崖っぷちに築かれたお城。

その所以か「天空の城・天空の城下町」と呼ばれているようです。

それならなおのこと、景色が見られないのは残念です・・・。

 

 

 天狗堂

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【園内地図:C】
このお堂にある天狗面は、昭和34年11月に迦葉山の大天狗面の分身として沼田市観光協会が製作した。顔の長さ3メートル、顔の幅2メートル、鼻の長さ1.4メートル、重さ1トンで木彫りの天狗面としては日本一の大きさを誇る(彫刻者:吉沢俊三郎氏)。同年、市内の祭りに初めて天狗踊りの行列が登場し、全国でも稀な行事として賑わいを見せた。
天狗面は迦葉山弥勒寺の鎮守である中峰尊者の化身だといわれる。
弥勒寺は嘉祥元年(848年)に創建され、康正2年(1456年)に天巽慶順禅師によって曹洞宗に改宗した。禅師に随行した弟子の中峰尊者は数十年間に渡り布教と伽羅の造営に尽くした。禅師が大盛禅師に住職の座を譲ると、「吾迦葉佛の化身にて己に権化化行は終わった。よって今後は永くこの山に霊し末世の衆生を抜苦与楽せん」と誓願して案山峰から昇天し、後に天狗の面が残されたと言われる。それを中峯尊と称して祭り信仰を集めている。
現在、弥勒寺には地元商工会の有志が奉納した顔の長さ6.5メートル、鼻の高さ2.8メートルの日本一の大天狗面が安置されている。
(出典:園内案内板)

 お堂の中を覗くと、大きな天狗の面を見ることができます。

とても大きく、お堂内が天狗でギュウギュウでした。

こんな小さな扉から、どう出し入れするのか・・・?

弥勒寺の天狗面はその倍の大きさ、、、これも是非見てみたいですね。

 

 

 天守跡・大手門沓石

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【園内地図:Hの手前】
英霊殿の東側が天守跡推定地です。
英霊殿鳥居付近で大手から移された大手門沓石が見られます。
真田時代の絵図には五層の天守が描かれており、天守は9間×10間(約18m四方)の方形で石垣の高さは8間(約16m)あり天守推定地の付近では金箔瓦も発見されています。江戸城天守が焼失すると、関東で五層の天守を持つ城は沼田城だけの時もありました。
(出典:パンフレット)

写真の右上にある階段の奥が天守跡推定地だと思います(見てない)。

 

 

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案内板には絵図の一部が紹介されていました。

城を建てる際には、幕府に城の地図を提出しなければならなかったそうです。

 

 

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ちなみに、英霊殿とはこちらです。

 

 

 本丸堀跡

【園内地図:P】
この堀跡は本丸から二の丸の間に作られたもので、堀幅12間(約24m)×堀高3間(約6m)と正保城絵図に書かれています。写真中央よりやや上にある石垣は、当時のものです。
平成27年の調査で多くの瓦と石垣の下段部分、裏込め石が見つかりました。
(出典:パンフレット)

写真ありきの説明文ですが、写真を撮り忘れていました。

ここは、発掘調査をしているような跡が見られます。

 

* * *

 

こんな感じで園内を一周しました。

現在は公園となっている沼田城址ですが、

パンフレットのおかげで城の面影を見る事ができました。

 

 

御城印

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案内所で御城印をいただきました。

通常版が3種類、月限定が3種類ありました。

 

 

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この辺のお城はおまけ付が多いですね。

沼田城では、桜の御城印ポストカードをいただきました。

 

 

 

 

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【沼田公園】
所在地:群馬県沼田氏西倉内町594
アクセス:JR「沼田駅」より徒歩15分
営業時間:9:00~17:00、~16:00(冬季)(観光案内所)
定休日:年末年始(観光案内所)
御城印:有
駐車場:有
(※2020年8月14日付けの情報です。)