【2021/08/17 ぶら旅コース】
避来矢神社
【2021/11/11 ぶら旅コース】
唐沢山神社/唐沢山城跡 → 唐沢山レストハウス → 露垂根神社 → 根古屋神社 → 藤原秀郷公墳墓 → 道の駅 どまんなかたぬま → 山銀
唐沢山神社/唐沢山城跡
■ 鳥居
埼玉県羽生市の避来矢神社を参拝してから数か月後の11月。
栃木県佐野市の唐沢山神社を参拝しました。
神社は唐沢山に鎮座しており、
そこにはかつて藤原秀郷が築いたとされる唐沢山城がありました。
佐野氏の居城であった唐沢山城は交通要衝の地であったため、
城をめぐる戦いが幾度となく繰り広げられたと言います。
現在は県立自然公園として整備・管理されていますが、
当時の城の名残も存分に感じられるようになっています。
入口手前まで車で登ることができますが、
登山・ハイキングをメインとしたルートもあります。
私はもちろん車です。
■ 佐藤さんのふるさと
駐車場に着き車を降りると、佐藤さんを歓迎する幟が立っていました。
佐藤さんが集まった団体客でも来ているのかと思いきや、、、
佐野市は『佐藤』という苗字の発祥の地なのだそうです。
「佐野の藤原氏」がその名の由来なのだとか・・・知らなかった~!
なんとなく、自分が佐藤でないことを悔やみました。。
【唐沢山城】
唐沢山城は、佐野市の北、高さ240メートルの山全体をいい、往時の広さ550町歩と云われ、周囲を急崖にかこまれ、眺望は関東平野を一望に、遠く北より日光連山、西に群馬連山、秩父南アルプス、秀峰富士、東につくばと、まことに自然の要塞である。
当社御祭神、秀郷公により1000年前延長年間築城とされ、公はこの城を中心に、天慶の乱を鎮定し大功をたてられ、この功により鎮守府将軍として、関東はもとより奥州方面にまで威勢を張られた。その700年間多少の変遷はあったが、公の子孫佐野家代々の居城として16世紀中ごろに現在の形を整えたとされている。
関東7名城のひとつに数えられ、中世山城の典型としての旧態をよく今に残し、代々の変遷の跡も見られ近世初期にまで下る整備の跡もうかがわれる。
江戸初期、山城禁止令により、佐野市の山城公園の地に城となって、唐沢山城の歴史が終わるが、明治になり唐沢山神社が建てられると全山境内地となり、県立自然公園にも指定され、四季おりおりの風景の中に、秀郷公以来の歴史が偲ばれる。
(出典:案内板)
■ くい違い虎口
駐車場に面した入口から唐沢山城内へ。
城には敵の侵入を防ぐため、さまざまな仕掛けが施されています。
城門があった入口もくち違い虎口になっており、さっそく入城を阻まれました。
クランク状にすることで敵が直線的に侵入できない仕組みになっています。
猛ダッシュで突撃しても、ここで確実にスピードダウンさせられるわけですね。
■ 天狗岩
入口を入るとすぐ、天狗岩の案内。
案内に誘われるまま階段を登って行くと、、、
岩山が現れました。
この岩が天狗の鼻に見えることからこの名がついたそうですが、
どの角度から見るとそう見えるのか正直わかりませんでした・・・。
展望スポットになっている天狗岩。
ここからの眺めが素晴らしいこと!
下には佐野の街並みが広がり、遠くには赤城山や榛名山など山が連なります。
富士山も見えました!
この眺望の良さから、物見櫓や大筒が置かれていたとされています。
■ 大炊の井
天狗岩を下りて先を進むと、池が見えてきました。
大炊(おおい)の井。
池だと思っていたものは、口径8m・深さ9mもの巨大井戸でした。
築城の際、厳島大明神に祈願しその霊夢により掘られた井戸は、
こんこんと水が湧き出て現在まで枯れたことがないそうです。
井戸のそばには、龍神様が祀られていました。
■ 神橋・四つ目堀
井戸より先は、本丸・二の丸・三の丸エリアになります。
その手前に架かる橋、神橋。
橋の下は堀になっており、入口と本丸エリアを分断したような形になっています。
当時の堀はもっと深かく、この橋も使用しない時は取り外せる曳橋だったそうです。
■ 大手道
本丸・二の丸・三の丸に繋がる道。
ここからの眺めもよく、景色を楽しみながら歩きました。
紅葉も始まった頃で、赤く色づいた葉も美しかったです。
■ さくらの馬場
大手道の途中には、さくらの馬場。
武士が馬の訓練を行った場所とあるのですが、、、
この急斜面を駆け上がるのでしょうか?
この辺りは桜が多いことからこの名がついたそうです。
大手道を進むと階段が出てきました。
階段の上には南城。
蔵屋敷があった場所で、こちらの眺めも抜群です!
城内はかなりの広さがあるので、
展望の良い場所で休憩しながら歩くと、とても気持ちがいいです。
南城の手前には社務所。
本丸・神社までもうすぐです!
■ 本丸・本殿へ
社務所横の階段を登り、
神門を潜ると、唐沢山城本丸・唐沢山神社に到着です。
■ 手水舎
なみなみと水が張った手水鉢を見るのは久しぶり。
かわいらしい龍の口から水が出ていました。
■ 社殿
【御祭神】
藤原秀郷公(ふじわらのひでさとこう)
※平安時代の武将、俵藤太とも呼ばれる。平将門の討伐(天慶の乱)等で功績を上げる。『百足退治伝説』が有名。
【御由緒】
唐沢山一帯は、佐野家改易後、彦根藩の御林山となり江戸時代を通して厳しく管理されていましたが、明治時代になると新政府の管轄下に置かれました。一方、佐野家は、幕末には表高3500石の旗本として存続していましたが、明治の始め、旧家臣に迎えられ故郷に戻りました。
明治13年、佐野郷・秋山林策ら佐野家ゆかりの人々は、戦国時代に佐野家の菩提寺だった本光寺に集います。そして、唐沢山の古城跡に秀郷公を祀る神社を創建することを決議しましたが、道のりは決して容易ではありませんでした。この念願を相談された大蔵卿佐野常民は、志に深く感動し、国や県への働きかけを同志と共に積極的に展開、ついに神社設立と広大な官有林払下げが許可されました。そして、明治16年10月、大祭を施行し神社創建が実現、さらに、23年11月には、別格官弊社に加列されました。
(出典:パンフレット)
社殿の周辺が唐沢山城の本丸で、奥御殿があったとされています。
社殿の前に立つ狛犬は、私の背丈ほど大きく正面を向いていました。
■ 二の丸
本丸から二の丸に行く予定でしたが、工事中のため入れませんでした。
二の丸には奥御殿直番の詰所があったとのことです。
■ 高石垣
神門を下り、本丸の真下の道から三の丸に向かいます。
本丸の側面はとても高い石垣になっていました。
長さ40m・高さ8mのド迫力な石垣。
この石垣は関東では珍しいもので、
佐野氏と豊臣秀吉が深い関係にあったことから、
西日本の技術の導入によって築かれたものだそうです。
■ 三の丸
三の丸へ続く階段を登ると、
藤でしょうか?
一面グリーンの天井になっていました。
葉の隙間から差す日の光がキラキラしてとってもきれい。
三の丸は賓客の応接間があったとされています。
この日のお客様は、遠足で来ていた幼稚園の子どもたち。
ここでお弁当を食べるようで、先生がシートを敷いたりと準備をしていました。
■ 帯曲輪
本丸から少し戻った、三の丸・四つ目堀の間。
急な切岸と土塁が残るこの地形は、
本丸側における最前線の防御拠点だったとされています。
■ 金の丸
本丸の周りをぐるりと回り、入口とは逆の方向に進みます。
本丸を過ぎると急に寂し気な雰囲気に、、、人も見かけなくなりました。
・・・ちょっと怖い。
金の丸は、お宝蔵があったとされる場所。
現在は学習施設になっています。
■ 杉曲輪
杉曲輪には、北側一部に土塁が残っています。
きれいに整地されているのは、以前宿泊研修施設があったため。
本丸より奥は観光というより、
研修や宿泊用のスペースとして使用していたようです。
■ 北城
杉曲輪から北城へ続く道。
足場が悪かったので行くのをやめてしまいました。
北城では土塁が見られるそうです。
■ 車井戸
北城で折り返し、まだ見ていないところに寄りつつ入口に戻ります。
とある井戸を探していたのですが、地図を見てもなかなか見つからず・・・。
舗装された道から脇に逸れた険しい(そんなでもない)山道に入ってみると、
やっとそれらしいものを見つけました。
車井戸。
大炊の井に比べるとそれほどではありませんが、
それでも井戸にしてはかなりの大きさではないでしょうか。
この井戸は茶の湯に使用されていたとのこと。
深さ25mもあり「がんがん井戸」とも呼ばれ、
この井戸は竜宮(秀郷が避来矢を授かった場所)に続くと言われているそうです。
この道を突っ切ると、社務所に出ました。
社務所の脇にこんな道があったなんてまったく気づきませんでした。
城内はちょっとした迷路のような。
どこに続いているのかわからない脇道を時々見かけます。
■ 避来矢霊廟/避来矢山
神橋まで戻り、大炊の井の裏手にある避来矢山を登りました。
登ると言っても、階段ですけどね。
そして、そんなに高くない。。
山頂には、霊廟が建っていました。
唐沢山神社創建以来、功績のあった方々をお祀りしているそうです。
■ 西城
避来矢山を下りて、大炊の井の向かいにある西城も覗きます。
中は庭園のようになっていて、きれいに切り込まれた樹々が立っていました。
入口には『水琴窟』の案内が。
その場所に行ってみると、手水鉢が置いてありました。
私は水琴窟を知らず「これは一体何をしたらいいんだ?」と、
考え込んでしまったのですが・・・どこからか聞こえてくる不思議な音。
耳を澄ませてみると、突き刺さった竹から「カランコロン」と鳴っていました。
あぁ!これは水が滴っている音だったんですね。
今まで聞いたことあるようなないような・・・
どこか遠い国の楽器にありそうな・・・
ずっと聞いていたい癒される音でした。
入口を出て駐車場に戻ってきました。
まだ車には乗らず、もう少し歩きます。
レストハウスの脇にある階段を下ると、、、
足腰健康の神様を祀る、足尾山神社があります。
目立たない場所にあるため、素通りしてしまいがち。
年配の方がこの神社のお守りを欲しがっていたのですが、
お守りは社務所まで行かなくてはなりません。
なので、先にお参りしておくことをおすすめします。
■ 鏡岩
足尾山神社から道をさらに下ると、車道に出ます。
その車道を渡ったところにあるのが、鏡岩。
上杉謙信が唐沢山城を攻めた時、
岩に西日が反射して攻め入ることが困難であったという言われがあります。
この岩、実は巨大で。
昔はレストハウスの方まで岩があり、車道の部分は壁になっていたそうです。
* * *
と、こんな感じで唐沢山城をめぐりました。
滞在時間は2時間ほどだったでしょうか。
だいぶ歩きましたが、自然に囲まれ、景色も最高!!
心身ともにリフレッシュできる、とてもいい場所でした。
ここに来るきっかけとなった、避来矢神社の謎の石。
今となっては石の謎なんてどうでもよくて、
こんな素敵な場所に導いてくれたかと思うと感謝しかないです。
これからは「謎の石」ではなく「お導きの石」ですね。
■ 猫城(おまけ)
城内には無数(本当にたくさんいる!)の猫たちがお散歩していました。
耳が切れているのは、避妊手術をした印でしょうか。
ボランティアなのか、猫たちのお世話をされている方がいらっしゃるようです。
餌付けされているため、人によく懐いていてかわいいです。
なので、猫好きさんにもおすすめしたいスポットです。
しかし、レストハウスには『捨て猫防止』の貼紙が多くありました。
ひょっとするとこの子たちは、もともと飼い主がいたのかもしれません。
そう考えると、少し複雑な気持ちになりました・・・。
最後に御城印と御朱印を紹介します。
御城印・御朱印は、本殿手前の社務所にていただけます。
季節ごとにデザインがあるようで、
この日は紅葉や栗など秋を連想する絵柄が多かったです。
種類が多く、どれにしようか迷ってしまいました。
■ 御城印
御城印はこの1種類のみ。
藤原氏の家紋が入っています。
御朱印も藤原家の家紋バージョンにしました。
金・銀の揚羽蝶が舞います。
『透明御朱印』という変わり種御朱印を見つけたので、
そちらも1枚いただくことにしました。
透明御朱印は、薄いプラバンのような素材に印刷されていました。
透かすと向こう側が薄っすら見えます。
なにこれ?すごい!
最近の御朱印の進化がものすごく、追いつけていないかもです・・・。
もはや、これを御朱印と呼んでいいのかもわかりません。。
社務所の横のスペースで、透明御朱印展が催されていました。
春夏秋冬の唐沢山神社がデザインされた御朱印が並んでしました。
なるほど!
クリアなフォトフレームで飾るといいんですね!!
★ブログランキングに参加しています★
にほんブログ村
【唐沢山神社/唐沢山城】
所在地:栃木県佐野市富士町1409
アクセス:東武佐野線「田沼駅」より車10分、「佐野駅」より車20分
御朱印:有
御城印:有
オリジナル御朱印帳:有
駐車場:有
公式サイト:http://karasawayama.com/
(※2021年11月11日時点の情報です。)