関東ぶらりん旅

神社仏閣、B級スポット、ご当地グルメを楽しむ旅(散歩)

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国府台城(千葉県市川市)の御城印

国府台城

www.mi-cha34.com

千葉へお墓参りに行ったので、ついでに国府台城の御城印もGETしてきました。

  • 道の駅いちかわ
  • いちかわ観光物産インフォメーション

国府台城の御城印は上記にて、購入できます。

私は道の駅いちかわで購入しました。

 

 

御城印

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国府台城の御城印は、和紙ではなくポストカードタイプ。

値札にも『ハガキ』と書かれていました。

1枚300円です。

 

デザインは、足利義明の雄姿。

そして、2種類の家紋が上下に押されています。

上部は第一次国府台合戦で戦った『北条氏』と『足利氏』の家紋、

下部は第二次国府台合戦で戦った『里見氏』と『北条氏』の家紋で、

動乱の戦国時代をイメージしているそうです。

(三角の『三つ鱗』が北条氏、丸い『二つ引両』が足利氏と里見氏)

 

足利氏と里見氏は同じ家紋なんですね。

なぜ同じ紋をいくつも押すのか・・・と疑問でした。笑

もっと勉強せねば!!

 

 

 

 

売店

【道の駅 いちかわ】

所在地:千葉県市川市国分6-10-1

アクセス:JR「市川駅」京成線「京成市川真間駅北総線北国分駅」よりバス

「道の駅いちかわ」下車

営業時間:9:00~20:00

駐車場:有

公式サイト:https://www.michinoeki-ichikawa.jp/

※御城印コーナー無し。物産のレジで頼むと出してもらえます。

 

 

【いちかわ観光物産インフォメーション】

所在地:千葉県市川市八幡2-4-8

アクセス:JR「本八幡駅」京成線「京成八幡駅」より徒歩2分

営業時間:10:00~16:00

定休日:毎月第1月曜日(祝日の場合直後の平日)、年末年始

駐車場:無

市川市HP:https://www.city.ichikawa.lg.jp/cul02/1111000017.html

 

 

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国府台城跡/里見公園(千葉県市川市) ~国府台ぶらりん旅 1/5~

【2020/10/24 ぶら旅コース】
國府神社国府台城跡/里見公園国府台天満宮飛地天満宮亀井院 → 話飲茶屋 つぎはし
【コースMAP:国府台駅~国府台駅(※実際のルートと異なることがあります。)】

2020年の書きこぼし旅 その2

今回は去年の10月に行った、市川国府台めぐりについて書こうと思います。

毎年恒例としている『誕生日参拝』で、産土神社をお参りしました。

私の産土神社である國府神社は以前も記事にしているので割愛しますが、

他にも国府台地区の寺社などを巡っているのでそちらをご紹介したいと思います。

 

(國府神社の様子はこちら↓から。)

www.mi-cha34.com

 

 

里見公園

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国府台駅にほど近い國府神社を参拝後、矢切駅方面へひたすら歩き里見公園へ。

国府台城跡を見に行きました。

『里見公園』という名は、国府台城城主であった里見氏が由来となっています。

 

 

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とても大きなこの公園は、桜の名所として有名です。

桜以外にも四季折々の花が咲き、この日はバラとナデシコが満開。

公園中に甘い香りが漂っていました。

散歩はもちろん、夏はBBQも楽しめます。

 

そして何と言っても、歴史の詰まった公園でもありますね。

かつてこの場所には国府台城が建っており、現在も城跡やそれに関する史跡、

古墳などが数多く残されています。

 

 

国府台城跡

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国府台城】
「鎌倉大草紙」によれば、文明10年(1478年)に扇谷上杉氏の家宰太田道灌が「下総国国府台」に陣取り、仮の陣城をかまえたとあり、これが国府台城のはじまりであるとする説がある。道灌は武蔵にいた千葉自胤と戦うためにここに陣取り、境根原(柏市)に出陣し、自胤を破っている。
これより以前の康正2年(1456年)、千葉自胤は兄の実胤とともに「市川城」に立てこもり足利成氏方に抵抗していたが、簗田出羽守らにより城を落とされ、武蔵石浜(台東区)に逃れていた。この「市川城」と太田道灌の仮の陣城との関係が注目されるが、同じものなのかは不明である。
国府台は標高20~25メートルの下総台地の西のはしで、江戸川に並行して南へ張り出した大きな舌状の丘陵であり、現在の里見公園の中に土塁状の城郭遺構が現存している。そして公園の北に向かっても城郭の遺構らしきものが確認される。
公園内の遺構は破壊が激しく、築城の時期を想定することは難しいが、太田道灌の時代よりは後の時代に属する、とする推測もある。
この地は、その後天文と永禄の二度にわたり、小田原の戦国大名北条氏と安房の里見氏らにより行われた合戦、いわゆる国府台合戦の舞台となっている。
天文7年(1538年)の合戦は、北条氏綱小弓公方足利義明・里見義堯らが戦ったもので、小弓(千葉市)に拠を定めた義明と北条家が担ぐ本家筋の古河公方家との戦いである。これに対して永禄7年(1564年)の戦いは、着々と東国に覇権を確立せんとしていた北条氏康と、これに抵抗する里見義堯・義弘らの戦いであった(前年の永禄6年にも合戦があったとする説もある。)
永禄の合戦の結果、北条軍は圧勝し、里見方は盟友である正木氏の一族など多くの戦死者を出し安房に敗走する。現在の国府台城跡は、この合戦のなかで激突する両軍の争奪の場となり、戦後、北条氏の手により規模が拡大強化され、初期のものから戦国期の城郭に進化した、とする説もある。
現在の公園内には、江戸時代になって作られた里見軍の慰霊のための供養塔が建てられている。
この地はその後、里見八景園という遊園地の敷地となり、その後は陸軍軍用地となり、終戦を迎えている。
(出典:案内板)

公園に入るとすぐ、国府台城跡の碑が見えます。

近くには案内板。

この地は、北条氏と里見氏が2度にわたり戦った国府台合戦の戦地だったようです。

 

国府台城は「鴻之台城」「市川(河)城」の別名を持ちますが、

案内にもあるように市川城は別にあったのではないかという説があり、

現在の真間山弘法寺付近と考えられているそうです。

 

弘法寺の様子はこちら↓から。)

www.mi-cha34.com

 

 

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公園として整備されてはいますが、

園内を歩いていると石垣や土塁らしき地形を見ることができます。

 

 

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こんな標識を発見しました。

国府台城は市川市で一番高い場所にあったんですね。

  

 

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すぐ横を流れる江戸川の向こう側は東京都です。

展望台からは東京の街並み、スカイツリーも見えました。

近くには矢切の渡しがあり、寅さんでおなじみの柴又と繋がっています。

 

とても良い眺めですが・・・

国府台城は最終的に、徳川家康によって廃城させられてしまいます。

その理由は「江戸を見渡せるから」と言われているそうです。

 

 

 里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑&夜泣き石

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先ほどの石垣を登ると、小さな石碑と大きな石がありました。

 

 

里見広次並びに里見軍将士亡霊の碑

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里見諸士群亡塚(左)、里見諸将霊墓(中)、里見広次公廟(右側)

 

北条軍に敗れた里見軍の戦死者5千名の慰霊碑です。

この慰霊碑(左・中)が建てられたのは文政12年(1829年)。

なんと、北条軍に敗れてから265年も後のことだそうです。

広次の霊廟は後に(年代不詳)、石井辰五郎という人物によって建てられています。

 

 

夜泣き石

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慰霊碑の近くには、大きな石。

なんとなく囲われていることから、ただの石ではなさそうです。

この石は『夜泣き石』と呼ばれ、とある伝説が残されていました。

 

「広次の末娘が父の霊を弔うため、安房の国から国府台の戦場へたどり着きました。

まだ12、3歳の姫は戦場の凄惨な情景を目にし恐怖と悲しみのあまり、

傍らにあった石にもたれ泣き続け、ついに息絶えてしまいます。

それからというもの、毎夜その石から悲しい泣き声が聞こえるようになりました。

里人はこの石を『夜泣き石』と呼ぶようになりましたが、

そこを通りかかったひとりの武士が哀れな姫の供養をしたところ、

泣き声が聞こえなくなったと言います。」

(出典:案内板から抜粋) 

 

なんとも悲しいお話でしたが・・・

案内板には「この伝説はただの伝説でしかない」とも記されていました。

広次が戦死したのは15歳のこと。

「12、3歳の娘がいるのはおかしい」ということなんですね。

この石が広次の慰霊碑の近くにあったことから、このような伝説が生まれたようです。

 

 

その他の史跡

 明戸古墳石棺

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太田道灌が陣を築くため盛土を取り除いた際に発見されたという明戸古墳。

 

 

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石棺が2基並んでいました。

古墳時代後期にこの辺りで勢力を振るっていた豪族の墓であろうとのことです。

大きさは150~160㎝くらいの人でギリギリといった感じでしょうか。

 

 

 羅漢の井

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弘法大師が発見したという伝説が残る、羅漢の井。

市川市一の高台ですから、井戸と言っても湧水のようです。

 国府台城の飲料水としても使われていたといいます。

 (現在は飲めません。)

 

 

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スタイリッシュに整備された井戸ですが、昔はこのような姿だったようです。

(羅漢の井は公園の外側にあります)

 

 

 紫烟草舎

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詩人 北原白秋が1年間過ごしたとされる家屋。

この家屋はもともと小岩にあり、解体後この地に移築したものだそうです。

中に入ることはできませんが、白秋が使用した机などが展示されているとのことで、

もしかすると、特別に公開する日があるのかもしれません。

 

 

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裏手には、白秋の歌碑がありました。

「華やかに さびしさ秋や 千町田の ほなみがすゑを 群雀立つ」

 

 

御城印(2021/07/23追記)

最後に国府台城の御城印をご紹介したいところでしたが、

御城印があることを知らず未入手です。

次回の産土神社参拝時にでもいただいてくる予定なので、また追記します。

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御城印を入手してきたので、追記します。

 

 

国府台城の御城印についての詳細はこちら↓↓↓

www.mi-cha34.com

 

 

 

 

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国府台城跡/里見公園】
所在地:千葉県市川市国府台3-9
アクセス:JR「市川駅」京成「国府台駅」よりバス「国府台病院」下車徒歩5分
御城印:有
駐車場:有
(※2020年10月24日付けの情報です。)

岩槻城(埼玉県さいたま市)の御城印・武将印・武将(?)印

岩槻城

www.mi-cha34.com

花見・犬の散歩・豆腐ラーメン・・・今まで何度も訪れた岩槻城址ですが、

なんと御城印があることをつい最近知りました!!!

どうやら、去年の11月から発売されているようです。

さっそく、GETしに行ってきました。

 

 

御城印・武将印・武将(?)印

御城印

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こちらが、岩槻城の御城印です。

昔は『』だったんですね。

背景には、岩槻城主である太田氏の家紋『鏑矢左前』の印。

太田氏の家紋というと桔梗紋が一般的に知られているそうなのですが、

岩付太田氏はこの家紋を使用していたとのことです。

 

 

 

 

 武将印

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御城印と並んで武将印もあったので、つい一緒に購入してしまいました。

「いろいろあるのね~」とお店の方。

本当にそうですね。。

 

武将印は、岩槻城城主太田資正

岩槻城を築城した、太田道灌の曾孫にあたります。

 

 

 武将(?)印

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そしてさらに、武将(?)印。

本当にこの名前で売られています。

武将・・・とは言えませんが、軍用犬として活躍した伝令犬です。

 

資正は大の犬好きで、城で多くの犬を飼っていたそうです。

それを戦にも活用。

松山城(埼玉県吉見町)への連絡手段として、犬に手紙を結び運ばせたと言います。

犬を使ったことで、敵に悟られなかったそうな。

岩槻から吉見まで結構な距離がありますけどね・・・どのように躾たのでしょう?

 

* * *

 

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公式サイトによると、この武将印2枚は今年2月中旬に発売されたばかり。

しかも『太田資正生誕500年記念』として、1000枚限定の武将印でした。

「つい買っちまった・・・」と一瞬思ったのですが、買っておいてよかったです。

買いに行ったタイミングもよかったですね。

2枚並べたら、岩槻城の古地図が浮かび上がってきました。

 

ちなみに、令和4年2月で資正生誕500年を迎えるにあたり、

岩槻区ではイベントを開催する予定だそうです。

 

 

 

 

売店

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御城印・武将印各種は、下記のお店で取り扱っています(2021/02/14現在)。

御城印:300円

武将印:各400円

 

 

【水野書店】

住所:埼玉県さいたま市岩槻区本町4-2-10

アクセス:東武野田線岩槻駅」より徒歩7分

営業時間:10:00~20:00

定休日:第2・第4日曜日

公式サイト:https://mizuno-bk.com/

 

 

【田中屋本店】

住所:埼玉県さいたま市岩槻区本町2-2-43

アクセス:東武野田線岩槻駅」より徒歩12分

営業時間:9:00~16:30

定休日:月・火(不定休)

備考:和菓子屋さんです

 

 

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静勝寺・稲付城跡(東京都北区) ~DEEPな街「赤羽」のDEEPな神仏をめぐる旅 6/7~

静勝寺

 山門

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亀ヶ池から出土された弁天像が安置されている、静勝寺にも寄ってみました。

亀ヶ池弁財天の例大祭は、こちらのご住職が導師を勤めています。

 

 

 境内

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大きな木々に覆われた、とても静かで落ち着いた雰囲気の境内。

風の通りもよく、夏なんかは涼しそうですね。

 

 

 本堂

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【御本尊】
釈迦如来(しゃかにょらい)

【宗派】
曹洞宗

【御由緒】
寺伝によると当寺はもともと道灌の築いた砦(稲付城とよばれる)の跡で、道灌の禅の師匠であった雲綱が、非業の死を遂げた名将の菩提を弔うためにこの地に草庵を結び、道灌寺と名付けたのが起源で、その年は永正元年(1504年)であったとされています。
しかし、稲付城は徳川家康が江戸に移った時(1590年)まで存在し、寺となったのはその後であり、それは、おそらく寛永年中(1633~42年頃)に稲付出身の僧麟的(~1642年)が草庵を結んだのがそのはじまりと思われます。
その後、道灌6世の孫太田資宗(1600~1680年)が先祖ゆかりの地を大事にして境内を整備し、幕府やこの地の領主東叡山寛永寺にとりなして、寺域を除地(免税地)とすることを認められました。その折、資宗は山号と寺号をそれぞれ道灌と父道真の号、静勝軒および自得軒の名をとって現在のように改めました。明暦元年(1655年)のことです。
その後、太田家では代々静勝寺を援助し、また、道灌の250回忌(享保20年、1735年)には家中を挙げて静勝寺で法要を営んでいます。その折々に記念の品を奉納したり、諸堂の建立や修復が行われました。その最大の記念物が太田道灌の像であり、それを祀る影堂(道灌堂)です。
寺は明治以降太田家との縁も切れて一時さびれましたが、昭和に入ってから付近の都市化とともに復興し、檀家もふえ、諸堂も整備されて今日に至っています。
なお、寺域一帯は現在、東京都旧跡の指定をうけております。
(出典:公式サイト

戸の隙間から中を伺うと、黄金に輝くお釈迦様が座っておられました。

両脇にはこれまた黄金の脇侍、文殊菩薩普賢菩薩のお姿も見えます。

 

なんとなく、そのお釈迦様から癒しオーラを感じて。

しばらく覗き見てしまいました。

 

 

 道灌堂

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太田道灌の座像が安置された、道灌堂。

北区の指定有形文化財に指定されるその像は、

道灌の命日である7月26日にちなんで、毎月26日に開扉されます。

 

静勝寺建立以前は、太田道灌が築いたとされる砦『稲付(いなつけ)城』でした。

(調査上、道灌の築城説が有力だが、決定付けるものはない)

この地は小高い山になっており、当時、亀ヶ池はお堀の役目をしていたんですね。

江戸城岩槻城を中継するための山城として築かれたそうです。

 

www.mi-cha34.com

 

 

 辨天堂

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そしてこちらが、亀ヶ池から出土された弁天像が安置されている、辨天堂です。

亀ヶ池弁財天に祀られた弁天様の元祖ですね。

 

お釈迦様のように戸の隙間から拝見できるかと覗いてみましたが、、、

戸の前に衝立があり弁天様のお姿を見ることができませんでした。

 

 

稲付城跡

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帰りは入った時の門とは別の門から出ました。

 

 

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階段を下りまっすぐ進むと赤羽駅になります、、、が、

下る前に階段の左側へ。

 

 

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稲付城の遺跡があります。

これが何の跡なかは、わかりませんが・・・遺跡だということです。

他にも、調査によって空堀が発掘されているそうです。

 

 

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こちら側の入り口には『稲付城跡』と刻まれた石柱がありました。

 

  

御朱印

静勝寺に御朱印はあるようですが、完全にもらい忘れてしまいました。

「あっ!御朱印!!」と気づいたのは、帰りの電車の中です。

・・・また行けばいいですね。

 

 

 

 

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【自得山 静勝寺・稲付城跡】
所在地:東京都北区赤羽西1-21-17
アクセス:「赤羽駅」より徒歩3分
御朱印:有
駐車場:有
公式サイト:http://joshoji1486.sakura.ne.jp/
(※2020年10月3日付けの情報です。)

小山城跡/城山公園&小山御殿広場(栃木県小山市) ~開運のまちめぐりと映画鑑賞の旅 2/4~

【2020/08/21 ぶら旅コース】
道の駅 思川小山城跡・小山御殿広場須賀神社シネマロブレ5

小山評定が行われた場所とは?

小山評定が行われた場所についての詳細はわからず、

「小山御殿ではないか?」

「小山城ではないか?」

「須加神社ではないか?」

などいろいろ言われているそうです。

挙がっている3カ所はそれぞれ近距離にあるので、この辺りではあるのでしょう。

とりあえず、その3カ所を訪ねてみました。

 

 

小山城跡 (城山公園)

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まず向かったのは、小山城。

別名、祇園城。

城の守護神として祇園社(現須加神社)を祀ったことから、

こう呼ばれるようになったそうです。

平安時代藤原秀郷が築いたとする伝承が残るそうですが、

正確な築城年代は不明とのこと。

現在は、城山公園として整備されています。

 

 

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思川に沿った丘陵を利用して築かれた小山城。

当初、小山氏の本拠が置かれていましたが、上杉氏や北条氏から攻略され陥落。

小山氏は追放されてしまいました。

後に北条氏も滅ぼされ、江戸幕府成立後本田正純が城主となります。

しかし、正純も宇都宮へ転封となり、小山城は廃城となりました。

 

* * *

 

簡単な案内板があったので、それと共に城内をご紹介します。

 

 

二ノ丸

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城素人の私には簡単すぎる案内で、

「ここが二ノ丸です!」としか言えないのですが、、ここが二ノ丸エリアです。

現在は公園なので、

このエリアだけではなく、全体的にお散歩に最適な道が整備されています。

 

 

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田村金作という方の像がありました。

この方は、城山公園の開園に携わった方のようです。

 

 

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像の奥の崖っぺりには、ビューポイント。

 

 

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このビューポイントは園内にいくつかあって、

足形に合わせて立つと絶景が眺められるといったものです。

私も足を合わせて、景色を眺めてみたのですが・・・

 

 

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木!!!

木が生い茂っていて、景色が何も見えませんでした。

まさか、この木を見せたかったわけじゃないですよね???

沼田城でもこんなことがあったような・・・デジャヴです。

 

www.mi-cha34.com

 

 

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別の場所から同じ方向を見てみました。

そこには、思川が流れていました。

大きな建物もなく、広々とした、とてもいい眺めです。

先ほどのビューポイントが見せたかったのは、この景色だったのでしょうね。

 

 

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先を進むと神社がありました。

中には3つの祠が祀られており、中央が稲荷神社です。

両側の2社は札の文字が読めず、どの神様が祀られているのかわかりませんでした。

お城があった頃から祀られていたのでしょうか???

廃城後、別荘として使われていたこともあるそうなので、屋敷神かもしれませんね。

とにかく古い祠でした。

 

 

本丸

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続いては、本丸エリアです。

 

 

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周辺は木々の間を歩ける散歩コースになっていました。

大きな木が多いので、影ができてちょっと涼しいです。

 

 

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戦争で亡くなった方のためでしょうか・・・?

慰霊塔がありました。

 

 

 祇園

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祇園橋を渡ります。

 

 

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橋の下は堀がありました。
橋の反対側は道に繋がっていたので、堀の中を歩けるかもしれません。

 

 

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祇園橋を渡ると広場に。

先に虫取り網を持った親子がいます。

セミでもつかまえたかな?

 

 

 本丸橋

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さらに本丸橋を渡ります。

本丸橋からだいぶ離れていますが、本丸橋です。

ここが、本丸と別の曲輪の堺なのでしょうか?

 

 

 虎口

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虎口跡エリア。

奥の盛り上がったところに虎口が確認されているようです。

 

 

 塚田曲輪跡

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レジャーシートを敷きたくなるような広場は、塚田曲輪エリア。

 

 

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ここでもビューポイントを発見。

目線の先には、大銀杏がありました。

 

 

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このイチョウには、

祇園城落城の際、古井戸に身を投げて亡くなった姫君の霊がイチョウに宿り、

実を結ぶことがない

という伝説が残っているそうです。

そのため、「実なしイチョウ」と呼ばれているそうです。

 

 

 上段曲輪跡

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最後のエリア、上段曲輪エリアです。

そこは、子供たちが遊べる遊具がありました。

 

 

 駐車場へ

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公園をぐるっと1周して、駐車場へ戻ります。

 

駐車場は、公園入口の反対側に位置します。

かなりわかり難い場所なので、

ナビ:目的地周辺です。運転お疲れさまでした。

からが迷いましたね。

私はその先が知りたいのだよ~!!!

 

 

小山評定跡石碑

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城山公園から徒歩2分の場所にある、小山評定石碑も見に行きました。

通りの名前も、小山評定通りです。

 

 

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小山市役所の敷地内、入り口すぐの場所に石碑はあります。

工事中でガードマンが立っていたので、

「写真だけ撮らせてください。」

と急いでシャッターを切り、足早に立ち去りました。

 

小山評定跡由来】
慶長5年(1600年)7月24日、徳川家康会津上杉景勝を討つべく小山へ到着しました。
このとき、石田三成が家康打倒の兵をあげたことを知り、翌25日、この地において軍議が開かれました。これが「小山評定」です。
軍議は三間四方の仮御殿を急造し、家康と秀忠を中心に、本田忠勝、本田正信、井伊直正や福島正則山内一豊黒田長政浅野幸長細川忠興加藤嘉明蜂須賀至鎮らの諸将が参集しました。福島正則が協力を誓い、これをきっかけに軍議は家康の期待どおりに決まりました。
同年9月15日、関ケ原の戦いがおこなわれ、東軍(徳川方)の勝利にむすびついた歴史上重要な所です。
(出典:小山評定跡石碑)

 

 

小山御殿広場

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市役所の隣には、御殿広場があります。

小山御殿が建っていた跡地です。

現在はだだっ広い広場になっていて、イベント会場等で使われているそうです。

 

 

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小山御殿復元図。

小山評定の際に作られた御殿跡かと思っていたのですが、

この御殿が作られたのは家康の死後で、

徳川将軍家の日光社参の際の休憩・宿泊所として造られた御殿でした。

この御殿は台風で一部崩壊したことを機に、古河藩によって解体されたそうです。

 

* * *

 

小山評定の現場だと想定される3カ所のうち、2カ所を訪ねました。

何度も言いますが、私は城素人です。

曲輪、曲輪と言われても、あれだけの案内板では何がなんだかわかりません!

市役所へ行った際、小山城に関する資料はないかと、

併設された文化センターへ行ったのですが、残念ながら資料はありませんでした。

小山城に関する資料は、小山駅の観光案内所にあるそうです。

小山駅も行ってたのに!!

観光案内所は気づきもしなかったです。

 

 

 

 

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【小山城跡(城山公園)】
所在地:栃木県小山市城山町1-1
アクセス:JR「小山駅」より徒歩13分
御城印:無
駐車場:有

【小山御殿広場・小山評定跡石碑】
所在地:栃木県小山市中央町1-1-1
アクセス:JR「小山駅」より徒歩6分
駐車場:有(小山市役所駐車場)
(※2020年8月21日付の情報です。)

沼田城址/沼田公園(群馬県沼田市) ~群馬の珍スポと城をめぐる旅 3/4~

【2020/08/14 ぶら旅コース】
恐怖の洞窟名胡桃城址沼田公園赤城高原SA(上り)

 沼田城

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みなかみ町から沼田市へ移り、沼田公園へ。

真田氏と北条氏が取り合っていた、沼田城にも行ってみることにしました。

 

 

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沼田城は天文元年(1532年)頃、沼田氏により築かれました。

北陸から関東への要衝の地であったことから、

上杉氏・北条氏・武田氏など戦国大名による、争奪戦が繰り広げられたと言います。

 

 

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秀吉の小田原攻めにより北条氏が滅亡すると、沼田領は真田昌幸に返還されます。

そこで昌幸は沼田城を嫡子の信幸(信之)に与え、自身は上田城へ移りました。

信幸は長い戦乱で疲弊していた沼田領内の復興につとめ、

年貢の減免、田畑の開拓、町割などを行い城下町の基盤造り、

そして、五層の天守閣や櫓、門などを建造し、城郭の整備も行いました。

 

 

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江戸時代、沼田城は廃城となり破却され、堀も埋められてしまったため、

建物などはほとんど残っていません。

現在は、本丸・捨曲輪と二の丸・三の丸跡の一部が沼田公園となっています。

桜やツツジなどの花が楽しめ、スポーツ施設も充実した公園です。

 

パンフレットに見所が紹介されていたので、そこを中心に歩いてみました。

 

 

鐘楼

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【園内地図:E】
鐘楼は、明治31年頃旧沼田町役場の裏手に建てられ、時を告げていましたが、昭和58年に公園に再建されました。
城鐘は2代藩主真田信吉が鋳造し、時を告げていましたが、現在はレプリカを用いており、実物(県重文)は沼田市歴史資料館(テラス沼田2階)に展示しています。
(出典:パンフレット)

 

 

 西櫓台 石垣・石段

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【園内地図:D】
御殿桜のある所が西櫓台跡です。そこには真田時代の石垣と石段を見ることができます。天和元年(1581年)真田氏5代藩主信利が改易とされ、その時城は破却となりました。その後再建されることはありませんでした。
(出典:パンフレット)

 石垣の上には沼田市のシンボル的存在、

「御殿桜」と呼ばれるエドヒガンザクラがあるそうなのですが、、、

まったく見ていませんでした。。。

 

 

 平八石(首さらし石)

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【園内地図:A】
沼田平八郎景義は、沼田氏12代顕泰と側室の間に生まれました。沼田氏内乱で越後(一説では会津)へ逃れた平八郎は流浪の末、東上州女渕で再起の機をうかがい、天正9年(1581年)、沼田氏再興の兵を起こし、再興を目前に伯父の金子美濃守などの手によって水の手曲輪の露と消えた。
平八郎の首をさらした石が今に残ります。
(出典:パンフレット)

 

 

 ビューポイント

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【園内地図:Aの先】
谷川岳武尊山、三峯山、戸神山などの山々を眺めることができます。
また、名胡桃城方面も見る事ができます。
(出典:パンフレット)

ここは見晴台のようですが、木が伸びすぎて何も見えませんでした・・・。

沼田城は段丘上の崖っぷちに築かれたお城。

その所以か「天空の城・天空の城下町」と呼ばれているようです。

それならなおのこと、景色が見られないのは残念です・・・。

 

 

 天狗堂

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【園内地図:C】
このお堂にある天狗面は、昭和34年11月に迦葉山の大天狗面の分身として沼田市観光協会が製作した。顔の長さ3メートル、顔の幅2メートル、鼻の長さ1.4メートル、重さ1トンで木彫りの天狗面としては日本一の大きさを誇る(彫刻者:吉沢俊三郎氏)。同年、市内の祭りに初めて天狗踊りの行列が登場し、全国でも稀な行事として賑わいを見せた。
天狗面は迦葉山弥勒寺の鎮守である中峰尊者の化身だといわれる。
弥勒寺は嘉祥元年(848年)に創建され、康正2年(1456年)に天巽慶順禅師によって曹洞宗に改宗した。禅師に随行した弟子の中峰尊者は数十年間に渡り布教と伽羅の造営に尽くした。禅師が大盛禅師に住職の座を譲ると、「吾迦葉佛の化身にて己に権化化行は終わった。よって今後は永くこの山に霊し末世の衆生を抜苦与楽せん」と誓願して案山峰から昇天し、後に天狗の面が残されたと言われる。それを中峯尊と称して祭り信仰を集めている。
現在、弥勒寺には地元商工会の有志が奉納した顔の長さ6.5メートル、鼻の高さ2.8メートルの日本一の大天狗面が安置されている。
(出典:園内案内板)

 お堂の中を覗くと、大きな天狗の面を見ることができます。

とても大きく、お堂内が天狗でギュウギュウでした。

こんな小さな扉から、どう出し入れするのか・・・?

弥勒寺の天狗面はその倍の大きさ、、、これも是非見てみたいですね。

 

 

 天守跡・大手門沓石

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【園内地図:Hの手前】
英霊殿の東側が天守跡推定地です。
英霊殿鳥居付近で大手から移された大手門沓石が見られます。
真田時代の絵図には五層の天守が描かれており、天守は9間×10間(約18m四方)の方形で石垣の高さは8間(約16m)あり天守推定地の付近では金箔瓦も発見されています。江戸城天守が焼失すると、関東で五層の天守を持つ城は沼田城だけの時もありました。
(出典:パンフレット)

写真の右上にある階段の奥が天守跡推定地だと思います(見てない)。

 

 

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案内板には絵図の一部が紹介されていました。

城を建てる際には、幕府に城の地図を提出しなければならなかったそうです。

 

 

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ちなみに、英霊殿とはこちらです。

 

 

 本丸堀跡

【園内地図:P】
この堀跡は本丸から二の丸の間に作られたもので、堀幅12間(約24m)×堀高3間(約6m)と正保城絵図に書かれています。写真中央よりやや上にある石垣は、当時のものです。
平成27年の調査で多くの瓦と石垣の下段部分、裏込め石が見つかりました。
(出典:パンフレット)

写真ありきの説明文ですが、写真を撮り忘れていました。

ここは、発掘調査をしているような跡が見られます。

 

* * *

 

こんな感じで園内を一周しました。

現在は公園となっている沼田城址ですが、

パンフレットのおかげで城の面影を見る事ができました。

 

 

御城印

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案内所で御城印をいただきました。

通常版が3種類、月限定が3種類ありました。

 

 

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この辺のお城はおまけ付が多いですね。

沼田城では、桜の御城印ポストカードをいただきました。

 

 

 

 

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【沼田公園】
所在地:群馬県沼田氏西倉内町594
アクセス:JR「沼田駅」より徒歩15分
営業時間:9:00~17:00、~16:00(冬季)(観光案内所)
定休日:年末年始(観光案内所)
御城印:有
駐車場:有
(※2020年8月14日付けの情報です。)

名胡桃城址(群馬県みなかみ町) ~群馬の珍スポと城をめぐる旅 2/4~

【2020/08/14 ぶら旅コース】
恐怖の洞窟名胡桃城址沼田公園赤城高原SA(上り)

 城めぐり

珍スポットを楽しんだ後は、城めぐりで歴史の勉強です。

S氏は戦国時代に詳しいので、一緒にめぐるといろいろと勉強になります。

私はというと『戦国無双』というゲーム(しかもPS2止まり)にハマった程度で、

詳しいことはまったくわかりません!

戦国時代にはものすごく興味があるのですが、

どこからどう勉強したらいいのか困っているところです、、、。

 

 

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そんなことを言っていたら、戦国無双4のラッピング自販機を見つけました!!

真っ赤に塗られた自販機には、六文銭の家紋が描かれています。

そう!!

今回は、真田氏ゆかりのお城にお邪魔してきました。

 

 

名胡桃城址

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プラムの国から車で10分、名胡桃(なぐるみ)城址へ。          

上州真田三名城(↓)のひとつで、『続100名城』にも選ばれています。

岩櫃城も行っておけばよかったですね。。)

 

なんでもこのお城、

豊臣秀吉が天下統一を果たすきっかけとなった場所だそうで、

日本史上でもなかなかの重要ポイントかと思われます。

 

 

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名胡桃城は室町時代

沼田氏の一族といわれる名胡桃氏が館を築いたのがはじまりと言われています。

そこへ真田昌幸が、沼田城を落とすための前線基地として城を築きました。

 

沼田城をめぐり争っていた真田氏と北条氏。

一度は沼田城を手にした昌幸でしたが、その後も両者の争いは絶えません。

そこへ、秀吉が仲裁に入り、

利根川を境に東部一帯を北条に、西部一帯を真田に」

という裁定を下しました。

これにて、沼田領問題が収束したかのように思えたのですが、、、

北条氏側は不法に名胡桃城を攻略するという事件を起こします。

この時、大名間の私闘を禁じていたため、それを知った秀吉は激怒。

小田原攻めを行い、北条氏は滅びる結果となりました。

この事件を皮切りに、豊臣秀吉は天下統一を果たし、戦国時代は幕を閉じます。

 

その後、真田信幸が初代沼田藩主となり、名胡桃城は役目を終え廃城。

城として機能したのは、わずか10年だったそうです。

 

 

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そんな歴史を持つ、名胡桃城を歩きます。

案内板があった場所を中心に、かなり大まかにご紹介します。

 

地図によると、三郭・二郭・本郭と縦一直線に並んだ造りになっています。

このような造りを『連郭式』と言うそうです。

山など広く配置できない場所に多いタイプだそうです。

 

 

  馬出

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城の出入口。

出入り口の手前に土塁や堀を作り、

城内から出撃する際に、攻撃・防御をより強固にする施設だそうです。

 

 

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写真はただの道ですが、当時はこのようになっていたのではないかとのこと。

城内に侵入し難い・城内が見え難いといった効果があったそうです。 

 

 

 三郭

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三郭堀切。

 

 

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三郭イメージ図。

 

 

 二郭

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南虎口。

二郭への出入り口です。

 

 

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虎口付近は道がS字になっており、移動しにくいようになっています。

 

 

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掘立柱建物址。

 

 

 

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打たれた杭は、建物の柱の跡のようです。

建物と土塁の間には、排水溝として使われていたとする溝があるそうです。



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北虎口。

 

 

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 この先の道もS字になっていました。

 

 

 本郭

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長い木の橋を渡ると本郭です。

城の中心部ですね。

 

 

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本郭には、石碑がありました。

 

 

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本郭の両側の崖が大きく崩落していることから、

当時はもっと広かったと考えられるそうです。

天守がないことは確かですが、虎口や建物の状況はわかっておらず、

地図のみイメージ図はありませんでした。

 

 

 ささ郭

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本郭の先には、ささ郭。

 

 

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城の主体になる本郭が外に対してむき出しにならないよう設けた郭だそうです。

 

 

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いい眺め。

確かに、外からも丸見えです。 

 

 

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名胡桃城は決して大きな城ではなかったようですが、、

このように見渡しが良く、周りが崖のため攻め込まれ難い、

そして、上野・越後・信濃の三国に通ずる道が近いなど、

軍事的にはかなり良い立地条件だったそうです。

 

 

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小さな石の祠がありました。

 

 

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屋根には六文銭の家紋のように、お賽銭が置かれていました。 

 

* * *

 

建物は残っていませんが、

城内はとてもきれいに整備・復元されていました。

ポイントには案内板で詳しい説明があり、城素人にはとても親切です。

城跡は24時間開放状態です。

マムシが出るようなので、注意です!!

 

 

 

御城印

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最後に御城印をいただきました。

御城印は、和紙と木の2種類。

木はこの日の前日から発売されたとのことで、そちらをいただくことに。

本当に木です!

ちょっと曲げたら、パリッと折れてしまいそう。。

木のいい香りが漂います。

 

真田街道六城攻城記念御城印

 真田氏ゆかりの6城をめぐると手に入る、記念御城印もあります。

 

真田領四城攻城記念御城印

六城バージョンに移行のため、令和3年3月31日で終了。 

 

 

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御城印は、入口の案内所にて。

中は小さな資料館にもなっています。

 

 

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受付で、六文銭ステッカーをいただきました。

 

 

 

 

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【名胡桃城址
所在地:群馬県利根郡みなかみ町下津3462-2
アクセス:JR「後閑駅」より車8分$
営業時間:9:00~16:00(案内所)
定休日:木曜日(案内所)
御城印:有
駐車場:有
(※2020年8月14日付けの情報です。)

川越城本丸御殿(埼玉県川越市) ~小江戸川越をめぐる旅 8/12~

川越城本丸御殿

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三芳野神社のすぐ近くには、川越城本丸御殿があります。

 

 以前、静岡県掛川城を訪れた際、

「埼玉から来たんじゃ、川越城の本丸御殿に行った方がいい!!」

と、ガイドのおじさんから激推しされたことがありました。

なんでも全国に4つしかない現存御殿のひとつで、

さらに大広間の現存は川越城高知城の2つしかない、

とても貴重な建造物だと言うのです。

 

川越城本丸御殿について少し調べてみると、

明治に入り「廃城令」によって城内の多くの建物が移築・解体されたそうです。

それを免れたのは、玄関の一部・大広間・家老詰所の3箇所のみ。

現在は埼玉県指定文化財となっています。

 

 

 川越城の歴史

 

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川越城の歴史】
 川越城は、扇谷上杉持朝が長禄元年(1457年)に太田道真(資清)・道灌(資長)父子ら家臣たちに命じて築城させた城です。当時、持朝は山内上杉房顕と連合し、古河公方足利成氏と北武蔵の覇権をめぐって攻防を繰り返していました。築城は扇谷上杉領の北端の拠点とするためと考えられます。
 小田原を拠点に武蔵への進出を図る後北条氏は、天文6年(1537年)に川越城を攻め落としました。天文15年(1546年)、扇谷上杉氏は当時対立していた山内上杉氏古河公方と共に、川越城奪還を図りましたが、後北条軍の奇襲にあって大敗し(川越合戦)、後北条氏は北武蔵への支配を固めていきました。
天正18年(1590年)、豊臣秀吉の関東攻略に際し、川越城前田利家らに攻められて降伏しました。同年8月、徳川家康江戸城に入ると、江戸に近い川越城には重臣酒井重忠を置き、その後も幕府の有力な大名たちが川越領を持つことになりました。
 寛永16年(1639年)、川越城主となた松平信綱川越城の拡張整備を行い、本丸・二ノ丸・三ノ丸・追っ手曲郭・新曲郭などの曲輪、3つの櫓、13の門からなる、総面積約9万9千坪(約32万6千㎡)余りの規模をもつ巨大な城郭になりました。
(出典:川越城本丸御殿パンフレット)

 

 

 本丸御殿内部

玄関

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大きく立派な玄関は、見学の入館口にもなっています。

 

 

大広間

玄関を入ってすぐのところにある大広間(撮影禁止)。

36畳の広さを持ち、御殿で2番目に大きかったとされるこの広間は、

来客の際、城主がお出ましになるまでの間、待機させておく部屋だったそうです。

 

廃城令後の大広間(+玄関)は、なにかとおもしろい歴史を刻むことになります。

廃藩置県により川越に県庁が置かれると、庁舎として使われました。

県庁が移転すると、入間郡公会所に。

大正時代は煙草工場、昭和時代は武道場から中学校の仮校舎・屋内運動場。

再び「川越城本丸御殿」として整備されたのは、昭和42年のことだそうです。

 

体育の授業でしょうか???

広間の天井には、バレーボールをぶつけた跡が残っているのも有名な話です。

 

 

家老詰所

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川越藩の藩政を行う家老が常駐する部屋、家老詰所。

なにやら話し合いをしている様子が再現されています。

 

この建物は明治初期に解体され、ふじみ野市の商家に再築されましたが、

昭和62年に川越市に寄贈され、現在の場所に移築されたそうです。

 

 

その他

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その他の部屋は「○○の間」と書かれた札がある程度で、

私のような城素人には各部屋の違いがまったくわかりませんでした。

こういった施設は、建築様式なんかを楽しむ感じなんでしょうかね???

 

 

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建築様式と言えば、、、

格子から庭を眺めていたところ、後ろから男性の声がしました。

「この格子の閉め方わかりますか?」

よく見ると格子が二重になっています。

奥の板をスライドすると、窓が閉まる仕掛けになっていました。

こういうのも、教えてもらわないとなかなか気づけないですよね。

(その男性は、ガイドの方なのか、お客さんなのか・・・謎です!)

 

模型やパネルで川越城の歴史を紹介する、展示室もあります。

 

* * *

 

本丸御殿周辺では、富士見櫓跡など川越城の名残を多く見ることができます。

この旅では川越の観光地をブワーッと巡っていますが、

今後、川越城をポイントにした旅をしてみようかと計画中。

その時にでも、もっと詳しく川越城をご紹介できたらいいなと思います。

 

 

 

 

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川越城本丸御殿】
所在地:埼玉県川越市郭町2-13-1
アクセス:東武東上線本川越駅」より巡回バス
入館料:100円(一般)、50円(大学生・高校生)
開館時間:9:00~17:00(最終入館16:30)
休館日:月曜日・毎月第4金曜日(休日の場合は翌日)、年末年始
駐車場:有
(※2014年12月6日付けの情報です。)

伊奈氏屋敷跡(埼玉県伊奈町) ~伊奈町の伝説をめぐる旅 1/7~

※この記事は、都合上、一部内容を変更して書き直しています。

前の記事にスターをくださった皆様、申し訳ありません・・・。

伊奈町の伝説

前回、伊奈町のクレープ屋さんについて投稿しました。

いいタイミングなので、

以前、伊奈町をぶら旅した時のお話も書いておこうと思います。

 

2019年5月。

私は、伊奈町の公式サイト内で紹介されていた『伊奈町の伝説』をめぐりました。

 

伊奈町に残る伝説は全9話。

その内容は『まんが日本昔ばなし』を怪談化したような、

リアリティに欠けるものが殆どなのですが、

お話の舞台となった場所が特定できたことで僅かな信憑性に期待を抱いた私は、

(作り話でしょ!で終わらせるのはつまらないですからね。)

近所ということもあり出かけてみることにしました。

 

自力で突き止められなかった場所に関しては、伊奈町HPに問い合わせ。

担当の方が道順などを詳しく説明してくださいました。

ご協力ありがとうございました。

 

伝説スポットは、志久駅、丸山駅、沼南駅を中心に点在しています。

距離があるので、今回は車でめぐっています。

ニューシャトルの各駅にはレンタサイクルもあります。

 

 

伊奈町の伝説 1 『足立ぬ』

【足立ぬ】
 昔、聖徳太子が、東国をまわっていたときのことです。
 太子の一行は、甲斐国山梨県)から武蔵国に入り、後に「大空の月も草から出て草に入る」という言葉ができたほどの、広々とした武蔵野の原野にさしかかりました。一行は、一路筑波山を目指していたのです。
 ところが、生い茂る草を踏み分けながら、現在の入間郡から北足立郡に入った時のことです。
 富士の高嶺も元気に上り下りしていた太子の乗馬が、ふと拳のような小さな石につまずいて転んでしまったのです。
 太子は、身を躍らせて飛び下りたのでけがもされませんでしたが、太子の愛馬は倒れたままで全身から脂汗を流し、口からは泡を吹き、さらに四肢を引きつらせてしまい、苦悶する様子は見るに堪えないほどでした。
 従者達は薬を与え、小川から水を汲んできて一生懸命手当てをしたのですが、馬の容態はますます悪くなるばかりで、目を引きつらせ、ついに危篤に陥ってしまったのです。
 太子は、これ以上はもう人力の及ぶところではないと思い、草を折り敷いてそこに座り、はるかに大和国奈良県)の都の空に向って目を閉じ、丹精を凝らして念持仏の赤栴檀(せんだん)の聖観音に祈り、観音経三巻を読み、さらに「南無観世音菩薩」と数十遍繰り返しながら病馬の頭をなでていました。
 すると、何とあれほど瀕死の容態であった病馬は、しばらく両目を閉じて安らかに眠ったと思うと、急にすっくと立ち上がり、都の方に首を向けて三度勢いよくいなないたのです。
 太子はこれを見て、喜びのあまり声高く「足立ぬー足立ぬ」と叫びました。
 それ以来、この土地の人々はこの地方を「足立の郷」と呼ぶようになったということです。
(出典:伊奈町HP

最初にご紹介する伝説は、伊奈町が属する『北足立郡』の地名の由来です。

 

聖徳太子の言葉が基になっていたんですね。

隣町に住んでいながら、まったく知りませんでした。

町内の学校では、歴史の授業で教わったりするのでしょうか?

余談として話すには、おもしろい伝説だなと思いました。

 

東京都にも『足立区』があります。

この地名も北足立郡が由来していると言われているそうです。

(諸説あり)

 

 

伊奈氏屋敷跡

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『足立ぬ』という伝説にまつわるスポットとして、伊奈氏屋敷跡を訪れました。

ニューシャトル「丸山駅」から徒歩5分ほどの場所にあります。

 

伝説では郡名の由来について語られていましたが、

こちらは現在の地名『伊奈町』の由来となった場所です。

 

 

 

 伊奈備前守忠次

伊奈氏屋敷跡とは、伊奈忠次が暮らしていた屋敷跡です。

 

伊奈忠次は、徳川家康に仕えた代官頭のひとりで、

家康が関東入国の際、武蔵国足立小室・鴻巣に1万3000石を与えられ、

伊奈町小室に陣屋を構えたそうです。

関東を中心に、新田開発、検地、河川改修などを行い、幕府に貢献。

その時代、江戸周辺で荒川や利根川の氾濫が相次ぐ中、

特に治水事業で多大なる功績を残した人物だそうです。

 

忠次が築いたとされる堤防は「備前堤」と呼ばれ、現在も残っているとのことです。

 

 

裏門跡

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丸山駅から最も近い入口、裏門跡から入ります。

 

 

 障子堀

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裏門付近には、障子堀。

保存のため埋められていますが、この野原一帯に掘られているようです。

 

それにしても、草が生えすぎて、案内板まで行くのにも一苦労・・・。

 

 

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案内板に障子堀の写真がありました。

このような形で掘られているのですね。

 

 

 道

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道なりに進みます。

くねくねとカーブの多い道が続きます。

この道も当時の名残で、

見通しを悪くするためにわざと折り曲げているのだそうです。

 

 

 陣屋跡・蔵屋敷

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ここから、森の中へ入ります。

この先は陣屋や蔵屋敷があったとのことですが、建物は少しも残っておらず、

土塁や堀が確認できる程度でした。

 

 

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森は散策路になっています。

 

 

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この山になっている部分が土塁でしょうか?

 

 

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このような矢印案内しか出ていないので、

私のような城素人には詳細を記した案内板がほしいところです。

 

 

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しばらく森の中をさまよいます。

私が見学中、他の見学者どころか住人すら見ることはありませんでした。

女ひとりで森を歩くのは、少々恐怖を伴います。

 

 

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森を抜けると、再び舗装された道に。

この道も大きく曲がっています。

 

 

 二の丸跡

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道を進むと開けた場所に出ました。

二の丸跡です。

居住スペースと言ったところでしょうか?

 

 

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石碑と案内板の向こうには、広い野原が広がっていました。

奥に段差がありますね。

これも、名残かと思われます。

 

案内板によると、

このあたりでは美濃焼伊万里焼など、陶磁器の破片が出土されたそうです。

この遺跡で出土された伊万里焼が、実際どの年代の物かわかりませんが、、、

江戸時代初期に作られた伊万里焼は特に高級品として扱われ、

上級武家屋敷など限られた遺跡のみでしか出土されないそうです。

 

 

 表門跡

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最後に表門跡です。

二の丸の左側を少し回った場所にあります。

『表門跡』と書かれた標柱がひっそりと立っているだけですが、

この標柱がひっそりしすぎて探すのが大変でした。。。

 

* * *

 

「女ひとりで森を歩くのは、少々恐怖を伴います。」と書きましたが、

この時の恐怖は「もし、危険な人と遭遇してしまったら・・・」という、

ヒトコワの意味でした。

ところが、後で調べてみたところ、巷では心霊スポットとして有名らしいのです。

行く前に知らなくてよかった~!!

決して危険な場所ではないのですが、いろんな意味のスリルを感じられる場所。

特に女性のひとり探索は、十分にお気をつけください。

 

 

 

 

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【伊奈氏屋敷跡】
所在地:埼玉県北足立郡伊奈町大字小室164(裏門跡)
アクセス:ニューシャトル「丸山駅」より徒歩5分
駐車場:無
伊奈町公式サイト:https://www.town.saitama-ina.lg.jp/
(※2019年5月12日付けの情報です。)

菅谷館跡/埼玉県立嵐山史跡の博物館(埼玉県比企郡嵐山町) ~節分!鬼に会いに行く旅 3/3~

【2020/02/01 ぶら旅コース】
鬼鎮神社ラーメン五月菅谷館跡/埼玉県立嵐山史跡の博物館

菅谷館跡(菅谷城)

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鬼鎮神社が鬼門除けとして守護したとされ、『続日本100名城』にも選ばれている、

菅谷館(菅谷城)にも行ってみました。

 

菅谷館は、鎌倉時代、武蔵の武士『畠山重忠』の居館だったのですが、

戦国時代に入ると戦に備えた城に改築・増築されていったのだそうです。

現在残っているのは戦国時代の城跡で、

山内上杉氏と扇谷上杉氏が戦った長享年中の大乱(1487~1505)の中、

再整備されたと考えられているそうです。

 

隣接する博物館でいただいたガイドに沿って城内をめぐりました。

案内板でいうと、白く塗られた博物館をスタート地点とし、

右側から回っています。

東京ドーム3個分の面積。

順路通りに歩くと30~40分のコースです。

 

 

喰い違い虎口(伝搦手門跡)

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伝搦手門跡(でんからめてもんあと)

城内への入口に当たります。

 

城への入口や城内の郭への入口を『虎口(こぐち)』と言うそうです。

当時は土塁を前後に3mほどずらした『喰い違い虎口』というもの。

土塁を食違いに設置することで路がS字になり、

外部から侵入し辛くなっているのだそうです。

 

当時の城の入口は、現在も駐車場の入口となっています。

 

 

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駐車場への道の脇は、こんもりとした土塁がありました。

 

 

 木橋&正坫門跡(蔀土塁・三ノ郭)

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入口から、三ノ郭へ向います。

建物が一部でも残っていればイメージしやすいのですが、

私には城の知識がまったくないので全てが同じ景色に見えます。笑

 

 

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三ノ郭エリアであろう道を進んで行くと、橋が見えてきました。

このあたりが三ノ郭の西側の虎口『正坫門跡(しょうてんもんあと)』

かと思われます。

 

 

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堀にかかったこの木橋を渡ると西ノ郭に出ます。

 

この木橋は、当時架けられていたであろう橋を再現したもの。

この下の堀に橋脚の基礎と見られる石積みが発見され、

そのことから橋が架かっていたのでは?と考えられているのだそうです。

しかし、実際の橋の構造は未だ不明とのこと。

 

 

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橋の手前には『蔀土塁(しとみどるい)』

西ノ郭から三ノ郭内の様子を見通せないよう遮る役目があるそうです。

案内板の奥の小さな山が、その土塁です。

 

平安時代の邸宅で風雨や日光を遮る道具の『蔀』から名前を取り、

視線を遮る目的とした土塁を『蔀土塁』と呼ぶのだそうです。

 

 

 畠山重忠

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二ノ郭へ行くと、元家主である畠山重忠の像がありました。

 

 

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畠山重忠(はたけやましげただ)】
畠山重忠は、長寛2年(1164年)に畠山重能の次男として畠山(深谷市)で生まれたと伝えられ、文治3年(1187年)11月までには菅谷館に移り住みました。重忠は、宇治川の合戦、一の谷合戦、奥州攻めなどで功績をあげた有力な鎌倉御家人でした。しかし、元久2年(1205年)、北条氏の策略によって、二俣川(神奈川県横浜市旭区)で42歳の生涯を終えました。
(出典:埼玉県立嵐山史跡の博物館パンフレット)

 

 

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この視線の先には、鎌倉があるそうです。

 

* * *

 

私はここに来るまで、この方の存在も知らなければ、

名前すら聞いたことがありませんでした。

ところが、調べているうちに、過去に1度お会いしていることが判明。

そのブログ記事がこちらです↓ ↓ ↓ 

www.mi-cha34.com

 

 

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武蔵御嶽神社の宝物殿の前にいらっしゃいました。

この時は「この人誰?」と思いながらも、

宝物殿が休館日だったこともあってそのままスルーしていました。

 

 

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像にも名前が書かれていましたね。

 

ちなみに、この宝物殿には畠山重忠が奉納したという、

赤糸威大鎧(あかいどおどしのおおよろい)が展示されているそうです。

その鎧は、日本三大鎧に数えられ、国宝に指定されています。

 

 

 出桝形土塁

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南郭を回り、城の中核、本郭に来ました。

戦国時代に拡張されていますが、

畠山重忠の館もこの郭内にあったのではないかと言われているそうです。

 

 

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本郭周辺は、一際高い土塁で囲われていました。

『出桝形土塁(でますがたどるい)』と呼ばれるそうです。

 

この形状は、敵が侵入してきた際に、横から矢を射ることができるなど、

効果的に防げるような構造なのだそうです。

 

 

 生門跡

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本郭の東の土塁が途切れた部分は、

本郭の出入り口のひとつだと考えられている『生門跡(しょうもんあと)』

 

 

 建物跡&井戸跡

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ぐるっと回って、博物館へ戻ってきました。

城でいうと、三ノ郭エリアです。

 

博物館前には、いくつもの杭が打たれていました。

このあたりでは、掘立柱建物4棟、井戸跡3か所、溝跡などが発見され、

そのうち掘立柱建物1棟、井戸跡1か所の位置を示しているそうです。

 

 

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建物跡。

 

 

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井戸跡。

地面が少し窪んでいました。

これが、井戸の名残でしょうか???

 

 

御城印

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博物館にて、御城印が配布されていました。

初の御城印です。

ちなみに200円でした。

 

 

 

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半紙は、嵐山町のお隣、小川町で作られている細川紙

ユネスコ無形文化遺産に登録されているそうです。

 

 

埼玉県立嵐山史跡の博物館

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御城印をいただいたのは、埼玉県立嵐山史跡の博物館。

館内では、埼玉県内で発掘された史跡が展示されています。

 

 

 

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このような展示が行われていたので、ついでに見て帰りました。

 

常設展を含め、入館料100円。

JAFカードお持ちですか?」と聞かれたので、

持っていればさらにお安く入れると思います。

 

 

旅の終わりに・・・

【ぶら旅メモ】
交通費:300円
参拝費:1005円
その他観光:300円
飲食代:1168円
合計:2773円
歩数:8569歩

節分が近いということで、鬼を祀る神社を訪れました。

片道1時間半のドライブ。

道中、とあるテクノグループの鬼にまつわる曲を聴いていたのですが、

神社にあった鬼の絵と曲の鬼がマッチしていたので、

初参拝にもかかわらず妙な親近感がありました。

 

その行いがよかったのか(多分違う・・)、

神社では宮司さんのおかげで、節分前にたくさんの福をいただきました。

宮司さんと2人で「ラッキー☆」と言いあったこと、

あれから数日経ちますが、未だに思い出してはじわじわ来ています。

本当に本当に、ありがとうございました。

来年は是非、節分祭に参加したいですね。

 

 

www.mi-cha34.com

↑この記事にも書いていた、

『御城印を始める』もスタートを切ることができました。

菅谷館に御城印があることを知らなかったので、

見つけた時は「ラッキー☆」と口走ってしまいました。

(ラッキーが口癖になりそうです。笑)

 

私は日本史やお城も好きなのでよく行くのですが、、、

詳しい歴史や知識がまったく追いつきません。

もっと深く知っていれば、さらにおもしろく見学できるのに・・・

ちょっともったいないですよね。

御城印を始めて、さらにお城へ行く機会が増えると思うので、

少しずつでも歴史の勉強をしておこうかなと考えています。

 

* * *

 

嵐山町は嵐山渓谷やラベンダー畑、その他寺社など、

今回訪れた場所以外にも、素晴らしい観光スポットがたくさんあります。

紅葉や花の時期に再訪したいと思います。

 

 

 

 

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【菅谷館/埼玉県立嵐山史跡の博物館】
所在地:埼玉県比企郡嵐山町大字菅谷757
アクセス:東武東上線武蔵嵐山駅」より徒歩15分
開館時間:9:00~16:30(7、8月は17:00まで)
休館日:月曜日(祝日の場合は開館)、年末年始
入館料:一般100円、高校生・学生50円(博物館)
御城印:有
駐車場:有
公式サイト:http://www.ranzan-shiseki.spec.ed.jp/?page_id=13
(※2020年2月1日付けの情報です。)